「業」(ごう・カルマ)という概念がある。私はこれを、
「ある存在の行いすべて」
と捉えている。そしてそのうちの大部分は、当人が肉体を離れてからも残る。もちろん、業といっても悪いものだとは限らない。しかし、なんらかの「言葉」を残すというのには、強い覚悟が必要だと、私は考えている。だから、これからそんな「業」を残す私自身への自戒も込めて、まずこのサイトにも、ある程度の「方針」を設けたい。
ひとつめは、
「私の実感、経験、そして相当程度の確信」があるものしか書かない
ということである。この対象から外れる主なものは、たとえば「過去の歴史」である。具体的には、「ムー大陸」がどうの、「アヌンナキ」がどうの、「天孫降臨」がどうのといった類の話だ。私は、そのようなことにほとんど興味がない。だから、わざわざ霊存在の方々にインタビューする気もないし、それを書く気もない。私は、わからないものはわからないと言いたいのである。それ以上背伸びすれば、それは大きな過ちである。そして、私自身の文章は、できるだけ簡素なかたちにしたい。
具体的には、文章には「だ・である」調を用い、
私の考えでは……
あくまでも私個人の考えだが……
といった言い回しは、最低限に抑える。なぜならいったんそれをし始めると、ほぼすべてにその枕詞をつけなければいけないからだ。だから、こうしたことが気になるひとは、私の文章はすべて、「主観的」だと捉えてくれていい。ただし、その主観的な文章を、読者であるあなたは「検証」することができる。自分のアタマで考えるということ、これが最も重要なことなのだから。
日本では、
理屈を言うな
とよく言われる。古い中国の言葉に、
精神的なことを他人に言ってはならない。それは相手の魂を穢すことになるから
というものがあるとも聞いた。
「自分がまだなにも(充分に)知らない」ということを知るのが、最大の知だ
という言葉もある。だから、このようなことを伝えるというのは、ある意味とても綱渡りなのだ。だから、自分でよくわかっていないようなことは、無理に伝えようとは思わない。
それに関連して、このサイトでは余計なものをできる限り省いている。たとえば、「ランキング」などにも一切参加する気はない。「SNS」などでの告知も行っていない。私は、どんなものであれ、
必要なものは、必要な存在に届く
と思っているからだ。
それから、アクセス数を稼ぎたいのであれば、ずっと更新し続ければいいのだが、私は私がとりあえず伝えたいことが書き終われば、すぐ更新を止めようと思う。しかし、当面のテーマだけでも多岐にわたるので、ある程度は時間を要すると考えている。結局私が今考えているいくつかの「目標」は、
- 「霊」に対する恐怖心の払拭
- 「神」および「神霊」に対する過度の依存心の払拭
- 自分自身が「霊媒(シャーマン)」になったときの心構え
- 「光グループ」対「闇グループ」という構図への疑問提起
などであるが、ここから派生するテーマもいろいろありそうなので、やはりすぐには終わりそうにない。とはいえ、私はこれでなにかの宗教団体を創りたいわけでも、モノを売りたいわけでもない。先にも述べたように、「教え」によって名を遺すというのには、多くの危険も伴うのだから。
ところで私のここでのかりそめの名前、”Dilettante”は、ここを開設するときにある友人から、
そんな誰に受け入れられるかどうかもわからない、1銭の得にもならないことをするなんて、お前は「もの好き」だな~
と言われた「もの好き」から来ているのだが、この言葉の原義は、
「喜びを見出す者」
つまり言い換えると
「義務ではなく自分自身の喜びのために、趣味として行う者」
というようなものである。だとするとこれはまさに、私の姿勢に合致する。私は、今の現状に対して、なにもせずただ黙っていたくないから書くのだ。それはある意味、自分自身の解放のためでもある。また、この言葉はそこから派生して、
「プロになりきれない半人前」
というような意味で揶揄するときに遣われることもあるのだが、私は”Dilettante”でいい。私はどこの宗教団体にも属していないし、誰からの「強制」や「ノルマ」、あるいは「期待」もない自由な立場だからこそ、これを始められたのだから。そういうこともあって、私はこのサイトにもあまり執着せず、ひとつの文章を30分~1時間くらいで書ける分量に留め、不定期で新しい文章を追加していきたいと思う。
それから、コメントなどをどうするかは、必要が出てきてから、考えてみたい。現時点では、ここがそれほど大盛況になるとは、とても考えにくいのだから。
さて、このくらいで準備段階はとりあえず終えて、そろそろ本論に入ろう。まずは、「光」と「闇」からだ。

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