「霊」(魂)というものを大づかみに捉える

「スピリチュアル」という言葉に与えられた意味は様々で、簡単には日本語で表せない。最も素朴に訳せば、「霊的」・「精神的」といった表現になるのだろうが、ひとによっては「パワーストーン」などを集めることも「スピリチュアル的行動」のひとつとして行っている。だから実に複雑になっているのだが、ここでは、

「霊」(魂)とはなにか?

というところから入ってみたい。

そしてまず単純に言ってしまえば、

霊(魂)とは「(意志を保った)エネルギー(体)」だ

と言える。

だからその観点から言えば、動物も「霊」である。人間も「霊」である。ただ人間も動物もそれぞれの「肉体」を持っているので、その「肉体の違い」から、様々な違いが生まれる。だが、「霊」というレベルで見ると、そこに差はない。

このことからいくつか言えることがある。私も現在は「人間」の肉体に入っている霊、つまり「霊止」(ひと)であるが、私の霊が肉体を離れる(死ぬ)と私は純粋な「霊存在」となる。そして私が「生まれ変わる」ことを望んだとき、私は再び人間の肉体を得て人間として生まれ変わることもできるし、猫の肉体を得て猫として生まれ変わることもできるし、鳩の肉体を得て鳩として生まれ変わることもできるということだ。肉体は霊がこの世で生きるために欠かせない重要なものであるが、霊がそのなかから離れると肉体はそのはたらきを止め、文字どおり、「空・殻」(から)となる。日本語の「からだ」という語は、これが語源だと考えられる。

ただ、基本的には霊存在が肉体に宿りながら体験を積んでいくときには、

「鉱物→植物→人間以外の動物→人間」

というような順路を辿るのが一般的で、その過程で霊(魂)そのもののエネルギー(想い・視野……)も高まって(深まって・拡がって)いきます。

ですから、いちど人間に生まれ変わった霊が、その後また動植物や、まして鉱物の肉体に宿って生まれ変わることは、実際にはそれほどというか、ほとんどありません。今の私たちは人間として生きているので、

動物は自由気ままでいいなぁ……

と思ってしまうこともあると思うのですが、いざ本当に自分が体験する(体験しなおす)としたら、それはやはり「窮屈」であり、「不自由」だと感じられるからです。ただ、霊となった私たちがそれでも動植物や鉱物などに強くはたらきかけたいときに

「一時的な憑依」

というかたちを採ることはままあると思いますし、よく

「虫の知らせ」

などと呼ばれる現象についても、このような観点から解釈することができるかと思います。

 

このように考えると、純粋な「霊存在」と私たちの違いは「肉体を保っているかどうか」という点にほぼ尽きるのだから、この世に様々な存在がいるのと同様、霊存在にもさまざまな存在がいるということがわかる。むしろ、「肉体」という制限がないぶん、その存在の、特に見た目における多様性は、この世よりも大きいとすら言えるだろう。

ただ、たとえば私自身もそうであるように、直前の生において人間の肉体に宿っていた者が肉体を離れて霊存在になると、霊界に行っても人間の姿(そしてその経験を強く反映した意識)で過ごすことが多い。そしてそのような霊を、特に「霊人」または「人霊」と呼ぶこともあるし、それと同じ観点から、動物の姿で過ごしている霊(人間も動物なのだが)を「動物霊」と呼んで区別することもある。つまり、

霊(魂)そのものに絶対的な格差(埋められない差・根本的な上下優劣)があるわけではないが、それぞれが見出し育んできた「意識の差」によって、霊にも様々な違い(個性)は出てくる

ということなのである。

そしてもちろん、さらにここからいろいろと深く掘り下げて考えることもできるのだが、それは後の回に譲りたい。今回と、そして以降のいくつかの回で行いたいことは、「霊」(魂)、「神霊」そして「神」(はたらき)の相互関係の理解である。そして今回はまず、そのなかで最も基礎的な「霊」(魂)について、大づかみに捉えた。霊存在にも様々な者がいて、それらはこの世とも深く関わっている。これを踏まえて次回は、「神霊」の話をすることにしよう。

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