霊能力が欲しい、欲しくないという論争に意味はない

火は私たちのすぐそばにある。火を好き勝手に扱うと、けがをしたり、もっとひどい場合には死んでしまったりする。しかし、火を私たちの生活から完全に排除することはできない。火は私たちが望むと望まないとに関わらずそこに「ある」ものだし、付き合いかたを間違わなければ火は私たちに多くの恩恵も与えてくれる。このようなことは、およそ「自然」に関して一般的に言えることだ。

巷では「スピリチュアル」な教えやらテキストやらがあふれていて、近年では「ブログ」の普及によって誰でも簡単にこのような活動を始められるようになった。もちろん、このブログもそのひとつであることは承知のうえだ。そしてたとえばそのようなブログを「霊能者」が書いている場合、それがその筆者の意識的なものか無意識的なものかに関わらず、そこに集まってくる方々が

私も霊と話してみたい!

といったことを考え出し、全体がそれをひとつの「目標」にして動き出す場合がある。そしてもっと言えば、そのような場合は「霊」という言葉ではなく、<神>(私の言う「神」ではない)だとか「ハイアーセルフ」だとか「創造主」だとか「国常立神」だとか、要するにそれを「格の高い存在」であるとして賛美し、それと「つながる」ことがいかに素晴らしいことかを強調する。似たようなものとして、「アバターコース」だとか「オーラ強化」だとか「~天使団」だの「~同胞団」だのに参加することを促すものもある。結局、そうすることで「いいこと」が起きるのだと言う。

それから、それとはまったく対照的に、霊存在と「つながる」(=チャネリング)がいかに危険なことかを強調し、むやみに霊能力を求めることの危険を語り、「日常」を大切にすることを専ら説く方々もいる。それを推し進めて言った結果、

霊能力者は霊的に弱い

とか

なにも見えないし感じないというひと(そのような方々を読者の大多数として想定している)のほうが霊的に強い

といった話になり、結果として読者は安心し、それを信じる。

もちろん、これがすべてではないが、このようなある種の「2大勢力」のどちらにも、私は賛同できない。霊の世界は、簡単に「善いもの」とだけ付き合って「ご褒美」をもらえるような「ワンダーランド」ではない。また、後者のようにどれほどそのような世界と「距離」を取ろうとしても、その影響は常に私たちに降りかかっている。それに、彼らの言う「強い/弱い」の基準がわからない。本当に彼らの言うように、なにも感じないひとのほうが「霊的に強い」のであれば、彼らにとっていちばんいいのは、速やかにそのような世界の情報を遮断してしまうことだということになるはずだ。それなのに、そこから

でも、霊界には悪い存在も多数いるので、もっと強くならなければいけない

というようなことになり、そして結局彼らの言う「強くなる」とは「『善い存在』(大多数の方々にとってそれは『光の存在』を前提としている)とつながること」を意味するからだ。考えれば考えるほど、よくわからなくなってくる。

こうした状況を踏まえて、私が言いたいことは、あなたが意識するかしないか、望むか望まないかに関わらず、霊存在はあり、あなたに影響を及ぼしているということ、だからあなたが「霊能力なんか要らない」と思っていても、霊存在との出会いはすぐにでも起こりうるということ、そして最も大切なのは、

それでは、霊存在とどのように付き合っていけばいいのか?

ということを知るということだ。私は

霊存在と出会おう

という意志を持っていたわけではない。唐突に「出会ってしまった」のである。そしてそのようなことは誰にでも起こり得ると、今は確信を持って言える。

だからこそ、「霊能力」というものをなにか「特別な力」だと考えるのは誤りだし、それは「欲しい」とか「欲しくない」とか言えるようなものではない。いるものはいて、会うものは会うのだ。だから、大切なのは「付き合いかたを学ぶこと」だ。これは、霊存在に限った話ではなく、「他者」に関して一般的に言えることである。そしてそれを学んだとき、「霊存在」はちょうど「火」がそうであるように、あるいは「外国人」がそうであるように、身近で、親しい関係性にもなり得る。逆に、付き合いかたを知らなければ、よそよそしく、危険な関係性にもなり得る。だから、すべては付き合いかたを知ることだ。そこから、あなたの「世界」が創られていく。