「主体」まで霊に渡すのはとても危険な賭けになる

世界の複雑さを考えれば、それをたったふたつに分けて捉えるなどそうそうできることではない。そのようなやりかたでは、そこから必ずはみ出るものがあるからだ。ただし、「例外がある」ということをアタマに入れたうえでなら、ざっくり大まかに考えるのも、悪いことではないだろう。

世に言う「霊能者」を理解するために、ざっくりふたつに分けてみよう。その基準は、

「その肉体を持っているひと、つまり本来のそのからだの持ち主(より厳密には「借り主」)の『主体』があるかどうか」

である。例を挙げよう。この例は、私が実際に会ったひとである。

あるひとは、世界に、生きることに絶望していた。そして、霊世界の住人に対してこう宣言した。

私のからだを好きに遣っていい。この世界をめちゃくちゃにしてくれ!

結果、彼のからだには大量の霊存在(もちろん、彼の望みに同調した存在である)が依り憑き、彼の「主体」は失われた。つまり、「彼」は外面的には以前の<彼>のままだが、内実はまったく違う存在となった。さらに、本来のからだの主であった<彼>の精神・意志は、もう彼のからだに対してなにも作用することはできない。<彼>は自らの肉体を完全に譲り渡してしまった。「彼」のからだは存在する。しかし、<彼>がどこへ行ったかは、定かではない。

対して私自身を実例としてあげよう。私もまた、霊存在を私のからだに依り憑かせ、目を貸して世界を見せたり、口を貸して話させたりすることはある。ただし、私が上の例と異なるのは、私は私の「主体」まで、霊存在に明け渡すことはない。これは要するに、私に依り憑く霊が「暴走」することを絶対に許さないということである。私のからだのうち、いかに多くの部分を一時的に彼らに譲り渡したとしても、「主体」は私にある。だから彼らにいくら「魔がさした」としても、彼らは「世界をめちゃくちゃにする」ことはできない。

誰でも、自分の精神の世界においては「王/女王」なのだ。これが意味することは、あなたの行動の「最終決定権」があなたにあるということだ。私が「主体」というのはこれだ。

あるとき霊存在があなたに近づき、あれこれ「指示」を出してくるかもしれない。それを参考にするのはいい。しかし、それを実際の行動にどの程度反映させるかはあなたが考えなければならない。

あいつはお前を嫌っている

こんな仕事はやめてしまいなさい

私の言うことを黙って聞けばいい。私は神だ

人間関係と同じだ。相手をまったく信じないのでは味わいがない。かといって、「主体」を失うのはまずい。それはあまりにも、危険な賭けである。