あなたの「思考」はどこから来るのか?

角をどちらに曲がるか?明日の晩ご飯はなんにしようか?

人生は「選択」の連続である。もちろん、「選択しない」というのも「選択」の一種である。なぜなら、世界は常に流れているからだ。あなたが「選択しなかった」ということは、「現状維持を選んだ」ということと、あるいは「他者に選択を委ねた」ということとほぼ同じ「選択」だ。

しかし、あなたがラーメンを食べようと強く心に決めてラーメン屋に行ったのに、店に入る直前で急にカレーを食べたくなるのはなぜだろう? あなたは定年までずっとサラリーマンとして働くことに何の不満もなかったのに、急に田舎の自給自足の暮らしにあこがれ始めたのはなぜだろう? これを、

自分のなかであらゆる可能性を考慮しているのだ。すべて、「私の考え」だ

ということはもちろんできる。

だが、こうも思わないだろうか。「誰か」が、私にささやいているようだ……。

私たちの思考には、常に多くの霊存在が関与している。だから、あなたの「考え」のうち極端なものを取りだして比較すると、それぞれが同じひとの思考だとは思えないこともある。あのひとに自分の想いの丈をすべて伝えてしまおうか?それともとっておきの意地悪を仕掛けてやろうか?あるいは、自分のものにならないなら、いっそ殺してしまおうか?

思考は「私」だけのものではない。このことを理解すれば、ある意味気がラクになる。自分のなかにある「邪悪な」、あるいは「不道徳な」想いに、いちいち落ち込む必要はないのだ。大切なのは、自分が選びたくない想いを選ばないことだ。どんな想いが浮かんでもそのこと自体に失望する必要はない。自分にとってなにが「喜び」なのか? それを吟味し、その「喜び」を選びとることに集中すればいいだけだ。実はそれが、いちばん難しいのだから。

あなたのアタマのなかでも、私のアタマのなかでも、日々、もっと言えば毎瞬毎瞬、それぞれの「会議」が行われている。出席者(想い)は星の数ほどあるが、最終的に決断を下す「王・議長」はあなたであり、私だ。さて、もう少し本でも読んで起きていようか? それとも誰かを呼んで酒でも飲み交わそうか?いや、やはりぼちぼち、寝ることにしよう……。