「曇り」・「穢れ」・「邪」・「魔」(負の霊団)とはなにか?

「スピリチュアル」の世界でよく言われるのが、

(魂の)曇りを取りなさい

邪気を払いなさい

私たちは度重なる輪廻転生のなかで魂を穢し……

とかいう話である。

そしてそれに対しての対処は、

光を取り入れなさい

心の闇を浄化しなさい

想いを澄ませなさい

だとかと言われる。ここでも「闇」の立場は悪くなる一方である。

「曇り」・「穢れ」・「邪」・「魔」といった言葉は、まとめて「負の霊団」と言い換えてもいいが、これは端的に言って「喜びを失った状態」を指している。そしてこれは「闇」とはまったく別の概念である。私たちは本来、それぞれ自分が「喜び」と感じるような行いだとか生きかただとかを持っていて、それがそれぞれ違うことから、おのおのがやりたいことをやれば世界が調和し、うまく回るようになっている。

しかし、私たちは社会体制や、思いこみなどによって、本当の喜びを見つけられず、見つけたとしてもそれを追求できないという状態に陥りがちだ。

夢じゃ食えない

という言葉や、

その夢は定年後に取っておきなさい

などの言葉は、この現状を端的に表している。自分の喜びを追求するのは容易なことではない。私自身もそうだ。だからこそ、世には「曇り」・「穢れ」・「邪」・「魔」があふれている。

自分自身の喜びを追求できないだけならまだましだ。そこからさらに進むと、他者が喜びを追求することを妬んだり、非難したり、あからさまに妨害したりするようになる。

俺だって必死に生きてるんだ。きれいごとじゃ食えない。生活にはカネがかかるじゃないか

といった嘆きが、この世にはいつもはびこっている。このような発言が出てくることは理解できる。それにそれなりの理由があることもわかる。ただここで言いたいことは、このような現状が、「曇り」・「穢れ」・「邪」・「魔」を産み出し続けているという厳然たる事実だ。

では、どうしたらいいのだろうか。実行がたやすいとは言わないが、それでもできることはある。環境が変えられないのなら、「心の在りかた」を変えることだ。たとえば、現代日本において1日の多くの時間が費やされているのは「仕事」であろうと思われるが、まず、どんな仕事も誰かの支えになっていることを理解し、そこから「喜び」を見出す努力をしてみることだ。小さなことでもいい。トイレに立ったとき、鏡に向かって笑いかけてみるだけでもいい。私たちは、嬉しいから笑うだけではない。笑うことで嬉しくなることも多いものだ。

それでも、どうしても「喜び」を見出せないなら、たとえば仕事を替えるという方法もある。仕事はあなたの一部にすぎない。それにすべてを明け渡す必要はない。

そうは言っても……

とあなたは言うかもしれない。特に、

現代のような時代にあって、「仕事を替える」などということが簡単にできるわけがない

と。そういう想いは確かに一理ある。だから、周りを変えるのではなく、「心の在りかたを変える」という手がある。上でも述べたように、これは誰でも、いつでも始められる。必要なのは、「意志」だけだ。

また、このことも付け加えておこう。今は世界そのものが「大変化の時代」にあるのだ。だからあなたが変わろうとしなくても、周りから「変えられてしまう」可能性もとても大きい。つまり、もはや「無難」ということはないということだ。

人生の時間は限られている。あなたがあなたでいられるのは1度きりだ。次の生での「あなた」は、今生での<あなた>と同じであって同じではない。だから、あなたはあなたの「喜び」を追求してほしい。あなたの選んだ道が他人に「穢れている」だの「邪悪だ」だのと言われても気にすることはない。なにを「喜び」とみなすかは、ひとそれぞれなのだから。喜びこそ、私たちがいのちをかけて追求すべきものだ。その道を行くのは決して簡単ではない。あなたにとっても、私にとっても。だが、多少無理をしてでも、胸を張って言おう。お互いの人生に、たくさんの喜びあれ。