守護霊(指導霊)というもの

ひとは独りで生まれ、独りで死ぬ

とはよく言われる。もちろん、そのような言葉を語る方々も、「生きている」ときにはひとりではないし、独りでは生きていけないということはわかってくれるのではないかと思う。しかしそれでも、

結局他人なんて信用できない。だから生きているときも「独り」さ

などと胸を張って言い切るひともいる。こんな言葉が口に出てしまうほど、確かにこの世はときとして生きづらい。

だが、だからこそ、あなたは独りではない。たとえ肉体界において独りだとしか思えなくても、あなたを常に見守っている存在がいる。それを、「守護霊」、あるいは「指導霊」と呼ぶ。これは広い意味では「喜び」や「いのち」を育む「神霊」の一種だと考えて差し支えないが、「神霊」が個人の枠を超えて「全体」の喜びや「いのち」のために活動するのに対して、守護霊は主に「個人」にはたらくという点に大きな特徴がある。

守護霊はひとり、つまり単一の存在とは限らない。ただ、どんなひとにもひとり以上いるのは間違いない。先祖であったり、他の生で関わった存在だったり、広く言えばそのひとに「縁のある存在」がその役を担う。複数の場合は「守護霊団」といって区別する場合もあるが、守護している存在の数が多いからといってそのひとが特別だというわけではない。また、守護霊が誰かというのも、あまり意味を持たない。自分の守護霊が「有名人」だからといってなんだというのだろうか? 私自身も自分の守護霊に関して、「自分に縁のある霊存在」ということしか知らない。それで充分だ。

そして繰り返しになるが、守護霊はそのひとの「喜びを育む」手助けをする。「喜びを育む」というのは、俗に言う「現世利益」を与えるのとは違う。宝くじを当選させたり、組織内で昇進させたりするようなことを安易に行うことはない。逆に、「守護霊がいるならなぜ自分は事故に遭ったりするのだ」という意見もあるだろう。しかし、霊にとって、特に守護霊と言われるほどの存在にとっての「善悪」や「幸不幸」の判断基準は、現在の社会で「常識」とされているものとはだいぶ異なる場合があるのだ。

つまり、すべては「経験」になる、そして一般的に見て「苦しい状況から喜びを見出す」ということが真の「強さ」なのであり、それが「(魂の)成長」なのだという考え方である。それはときとして薄情にも映るだろう。しかし、だからこそ、守護霊は「どんなときにも」あなたを見守っているのである。

そして実際に、守護霊はあなたを護ってもいる。守護霊は、常にあなたに「喜びの想念」を流し続けている。それがときに「ひらめき」として人生を変えるきっかけになることも多い。「自分」と対話したとき、守護霊が「ヒント」をくれることも多い。ただし、前にも述べたように「思考」には多種多様な霊存在が関わっているので、どれが「守護霊の想い」(=喜び)なのかはある程度慎重になったほうがいい。簡単に例を出せば、

私が守護霊であるぞ

とか

願いを叶えてやろう

わしのために祈れ!

などと言ってくるのはたいていまがいものである。

ただ、あなた自身が信じていようといまいと、守護霊は確かに存在する。それは、あなたの人生を陰で支えてくれる存在だ。あなたが喜べば、守護霊も喜び、あなたが哀しいときは、守護霊もあなたを励ましている。その意味で、守護霊は「あなた」というチームの一員である。だから、

「守護霊とは<あなた>の一部であり、『あなた』そのものである」

とも言うことができる。その意味において、守護霊はあなたにとってとても身近な存在である。私にとってもそうだ。私もまだまだ未熟であるが、そんな私を支えてくれる守護霊にはいつも感謝している。あなたも、神社で何者かわからない霊に掌を合わせるよりは、守護霊に感謝してはいかがだろうか。そこで、あなたの守護霊が微笑んでいる。