「自分と違う存在がいる」というのはこの世界の醍醐味である

この世界で多くの他者と関わると、どうしても「自分とは合わない」という存在に出会う。それはひとであったり、動物であったりする。それがあまりに高じると、

こんな世界に生まれたくて生まれたんじゃない!

などというような言葉が出てくることもあるかもしれない。ただ、私自身はそういった不平を言うことができない。なぜなら、自分が自ら望んでこの世に生まれてきたことを知っているからだ。そして実のところ、あなたもそうなのだ。

なぜ、霊はこの世に生まれ変わるのだろうか。この問いに対するひとつの答えは、

「自分と異なる存在に出会うため」

だ。以前にも述べたように、霊界は基本的に「想いがすべて」なので、良くも悪くも「似たもの同士」が集まっている。

うまく行かないのは、想いが足りないからだ できると思えばできる 「精神力が足りない」など、精神の大切さばかりを説かれると、げんな...

これは、

「『自分の世界』にないものは、永遠に現れない」

ということでもある。よく、

趣味がない

と言って休みなどをどう過ごしていいかわからないというひとがいるが、霊界では「しなければならないこと」もなければ、「予想外のこと」もない。これがずっと続くのは、ある意味でとても退屈である。

だから、私たちは生まれ変わるのである。「生まれ変わる」、つまり霊存在から肉体を持った存在となり、この肉体界にやってくるということは、大きな「変化」である。それは決して「お気楽」なことではない。だが、この肉体界で多くを学びとることができれば、その肉体を離れ再び霊界に戻ってきたとき、「自分の世界」をより豊かにできる。それはある意味で、「魂の進化」とも言える。

肉体界では、霊界と違い、自分と違う存在が多くいる。列車で警察官の隣に座っている男が、犯罪者だったりする。夜の繁華街を歩けば、とても面白い世界が広がっている。また逆に、自分の想像をはるかに超えた美しいものも、この世界にはある。もっと言えば、ただ単に美しいだけではない、この世界の「猥雑さ」そのものが、この世界の「美しさ」だとさえ言える。

とはいえ、そんな猥雑な世界をいつもいつも愉しく見つめ、

あぁ、生まれてきてよかったなぁ……

とばかり言ってもいられない。肉体は霊体と違い、黙っていても腹は減るし、眠くもなる。誰がどんな考えを持って行動しているかもわからない。「予想外」、「想定外」のことが山のように起こる。

だがそれでも、あなたも私も生まれたくて生まれてきたのだ。ある意味、生まれる前の自分は「青かった」のかもしれない。しかし、私たちが経験してきた酸いも甘いも、この世界に生まれたからこそ「肌で」感じることができたのだ。「ビールの苦さをおいしく感じられるようになったら大人だ」とはよく言われる。しかし誰しもがビールを飲む必要はない。苦いものは苦いのだから。そして実はまさにこのことが、世界の醍醐味でもあるのだ。だから今このときも多くのいのちが、この世界に生まれようとしている。ようこそ。よい一生を……。