大和魂を持っているのは誰か?

いつの時代にも、「予言」(預言)というものは後を絶たないが、そのなかで根強くあるもののひとつが、「日本から新しい文化が誕生する」だとか「日本が次代のリーダーだ」というような主張だ。私は日本生まれで日本国籍を持ってはいるが、この表現の遣われかたには違和感がある。

ここから派生するテーマは数多いので、今回はひとつに的を絞ろう。

それは「『大和魂』とはなにか?」

というものである。「スピリチュアル」界において日本が極端に賛美される場合、その「日本人」が持つとされる「大和魂」に時代を拓くカギがあるとされる。この場合の「大和魂」がもし、今現在「日本」という名前で呼ばれる土地に住むひとだけに与えられていると、もし本気で思っているひとがいるとしたら、その考えは危険だし、なによりそのひとに「大和魂」はないだろう。

「大和」とは「大きく和する」と書く。だから

「大和魂」が次代を拓く

などと言われる場合の「大和魂」は、ある特定の土地に住む、ある特定の集団に特権的に与えられているものではない。「他者と和する心を持っている存在」、そのひとがどこにいて、どんな言葉を話し、どんな肌の色をしていようとも、彼/彼女こそ「大和魂」の持ち主なのだ。

「日本」という言葉にしてもそうだ。

日本人が次代のリーダーだ

というような場合の「日本」とは、決して現在の「日本国」のみを指すのではない。「日本」とは「日の本」であり、「太陽が昇る場所」という意味だ。そして、太陽は輝いている。こう書くと、私がまるで「光」だけを賛美しているかのようだがそうではない。「太陽」とは、あなたであり、私のことなのだ。私やあなたが真の「喜び」を表現しているとき、あなたも私も「太陽」であり、その居場所はどこでも「日の本」なのである。

つまり、他者と和し、自らと和し、それぞれの「喜び」を体現して生きること、それが次代を拓くカギであり、それができた者が次代のリーダーなのだ。そしてそんな者たちが集まったとき、そこが「日の本」であり、新しい文化ができる場所なのである。

だから、高潔な「外国人」を見る度、私は思う。私が真の「大和魂」を得て、「日本人」となる道は、未だはるかに遠いと。