私たちはまだ、真の「文明」に達してはいない

民を殺すは国家を殺すなり。真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし。

これは田中正造の言葉である。この言葉は時代を超えて、今も生きている。それどころか、今こそ強い意味と問いを持って立ち現われてくるとも言えるだろう。

田中正造の生涯については、今さら私が言うまでもないだろう。彼は思想のひとであり、行動のひとであった。表面的には「闘争」とも見える行為にも、常に深い「想い」の裏打ちがあった。彼は文字通り、行動にいのちを懸けていたのである。彼は自然を、宇宙を、そして万物を愛し、そして人間の可能性を信じていたのだろうと思う。

人間は万物の霊長ではなく、万物の小使い、奉公人、奴隷でいい。

とまで言い切る彼を、単なる卑屈な人間とみるのは早計だ。

私たちはまだ、真の「文明」に達してはいない。それどころか、その偽りの<文明>さえ維持しきれずに、崩壊させようとしている。それは、私たちが<文明>と呼ぶものの脆弱な構造を考えれば当然である。しかし、新しい文明を創り出すことができるとしたら、それはいったん現在の<文明>が行き着くところまで行った後なのかもしれない。そうでなければ、私たちはそこから充分な教訓を学び取れないまま、またいずれ同じような結果を生み出すのであろうから。

あの大地震からまもなく1年が経とうとしている現在でも、未だ<文明>からの新たな方向性が共有されているとは言えない。しかし、正造が希望を失わなかったのなら、私たちが失うわけにはいかない。先人たちの眼は、今私たちに注がれている。