師がいるという喜び。悠久の営みを知り、謙虚さを知る

黒澤明の初監督作品、『姿三四郎』は「師弟」を主題とした作品とされる。また、『スターウォーズ』シリーズにも「師弟」という主題が流れている。私はこれらの作品を全編通して観たことはまだないが、「師弟」を主題とした作品を挙げればきりがないだろう。

私にも師がいる。さらにその師にもまた師がいて、私を様々に助け導いてくださった。彼らは現在霊存在となられているが、師弟関係は今でも続いている。師がいるということは、本当にありがたいことだと思う。

まず第1に、彼らは非常に懐が深く、魅力的な存在であった。その結果、私も

このひとにはかなわない

と心底感じさせられた。それは腕力や霊能力の高さだとか、容貌だとか、地位だとか財力といったものから出てくるものではない。ただひたすらに、「大きな」存在だと感じさせられるのである。かといって、彼らは私にとって、「手の届かない」存在ではなかった。いつも私の話を真摯に受け止め、なんらかの示唆を与えてくださった。自らを「崇拝」させることはなく、私をいつも見守ってくださった。そして、自らの弱さも見せてくださる方々であった。この存在のありがたさは、どれほど言葉を尽くしても表すことはできないだろう。

そして、師の存在は私に「悠久の時間」の存在を実感させてくれた。この霊世界というものの存在に気付き、悩んだのは私だけではない。私には先人がいる。そして私の師にも師があり、それぞれの生を受け、それぞれ悩み葛藤しながら、生を全うなさったのだという事実は、「いのちのつながり」を実感させ、私の孤独感を払拭してくれた。そしてまた、先人がいるということは後進がいるということも意味する。だから私はなんら特別な存在ではないし、私だけの力でなにかを成し遂げなければいけないということもない。私にできないことは、他の誰かがしてくださるのだ。これは私に真の「謙虚さ」を教えてくれた。そして同時に、虚ろな「無力感」に陥ることも防いでくれたのである。

私が敬愛する方々は数多い。それはなにも、シャーマンの方々に限りはしない。だが、私が「師」と呼べるのはそうそういない。しかし、確かにそう呼べるかたがいるということが、私の大きな支えとなっている。

そして最後に付け加えるとすれば、たとえ今あなたに「師」と呼べるひとがいないとしても、嘆くことはない。なぜならあなたの周りにはあなたを支える無数の方々がいらっしゃるからだ。仮にあなたが「天涯孤独」を自認していたとしても、あなたにも「守護霊」がついている。これは間違いのないことだ。それにそんな私たちが手を組み合ったとき、そこにはさらに大きな力が生まれるだろう。そしていつか私たちみなが喜び合って暮らせる世ができたとき、そのときはきっと、私たちの先人たちもまた、喜んでくださるはずだ。