かつて「結界など要らない」と言われ、今でも納得している

スピリチュアルの世界の方々や、「霊感」を持っているという方々のなかには、空間になんらかの「結界」を張ろうとする方々も数多い。もちろんそれぞれの考えがあっていいのだが、私は基本的に、そういったことを行わない。そしてそれには理由がある。

それは、かつて師にこう言われたからである。

結界など張ろうとしなくてもいい。結界とはガラスの鎧のようなものだ。身を護るために役立つようでも、破られればそれは自らを傷つける凶器になる。そして、護りを固く硬くすればするほど、いたずら心を出した霊にちょっかいを出されやすくもなるものだよ

私は確かにそうだと思い、それ以来「真言」や「祝詞」といった類のものを学ぶことも最小限に抑えるようになった。併せて、あらゆる意味における「結界」の張りかたを学ぶことも止めた。しかし、そのこと自体によって厄介事が増えたという印象はまったくない。むしろ、気分がとても軽くなった。そしてこの姿勢は、今でも変わってはいない。

付け加えておくと、私自身霊存在からの接触を受けたとき、「みぞおち」のあたりに違和感が現れることはよくある。だから、その意味ではみぞおちのあたりになんらかの「防御策」を講じているような方々の気持ちもわからなくはない。だが、私の場合そのような「違和感」を覚えたら、できる限り早くその霊存在と「対話」する場を設けるようにしている。そして話が落ち着くと、違和感も消える。それだけのことだ。

相手のことを「排除」するのではなく「理解」するというのは、総じて手間や労力がかかる。そして、どこまで行っても「完全に」理解するなどということはありえないだろうとも思う。だからといって、それをやってみるのに意味がないということもないだろう。なぜならもしなにかを理解しようと思ったのでないなら、そもそもあなたも私も、この世界に生まれてきていないのだから……。