激動の世のなかであなたに「自由」があるのならなにをするか?

未来は誰にもわからない。なぜなら、世界とはその成員の意識、行動の総和によって動くものだからだ。だから、ある特定の期日になにか特別なことが起こるなど、誰にも言い切れない。しかし、

自分は今なにをするか?

ということであれば、誰にでもある程度「選択の自由」がある。

有限の地球のなかで無限に増殖するものを作り上げ、それを尊重することを「主義」として「グローバリズム」の名のもとに世界中に広めている現在のシステムが永続するはずがないことは当然だ。このことは、以前にも書いたので多くは繰り返さない。

現在の社会は、「経済危機」の真っただなかだ。以前は「資本主義」に対する「社会主義」(共産主義)があり、互いに覇権を争っていたが、今や「経済」...

だから、今多くのひとびとが己の「資産防衛」を考え始めている。なぜなら、資本主義の下では、「資産」とは生活の基礎だからだ。

どのような方策を採るかは様々に考えられるが、そのなかでも一定の支持を集めているのが、「金(ゴールド)」や「土地」、「絵画」といった「現物資産」に換える方策と、食糧や電池などを「備蓄」する方策(広く言えばこれらも「現物資産」であるが)のように見受けられる。

しかし、カネを「現物資産」に換えることで資産防衛を図れるという考え方に私は賛同できない。このような方策を採る方々は、程度の差こそあれ、なんらかの「世界的不況」が起こると考えているものと思うのだが、もしそれが最も激しいかたちで起きたとすると、誰が「ゴールド」や「一等地」や「絵画」をありがたがるだろうか?そんな「食えもしないもの」を食糧などの「生活必需品」と交換してくれるひとなどいるのだろうか?「現物資産派」の方々は自らの「資産」が「カネ」や「株式」に比べて優位だと説くことが多いが、本当にそう言えるのだろうか?

それに比べて、食糧や電池や衣服などを「備蓄」するという方策は、本来の意味での「生活」に直結するという意味で優れた方策に思える。しかし、「備蓄」するといっても、どのくらいの期間に対応できる量が必要なのだろう?1か月?1年?はたまた10年だろうか?そして、忘れてはならないことは、食糧は必ず「劣化」するということだ。「休眠米」のようなものや「宇宙食」のようなものを備蓄する手もあるが、それもどこまで持つだろうか?

もしあなたがこれから起きることを「一時的なもの」だと考えるなら、上のどちらの方策も、それぞれそれなりの効果があることだろう。しかし、私はそうでない可能性も大きいと考えている。だからもし、あなたもそう考えているのなら、以下の案も検討してみてほしい。

それは「食糧生産手段の確保」だ。「備蓄」してもいずれ底をつくならば限界がある。どんな「現物資産」も腹を満たすことはできない。そのうえで「生きていきたい」と思うのならば答えはひとつ。自ら食糧を継続的に生産するしかない。とはいえ、それには「土地」や「体力」、そして「仲間」が必要であるし、今から本気で準備しようとしたら、多くの方々にとってそれは少なからぬ「生きかたの転換」を迫るものになるだろう。しかし、もしあなたが現在の社会の持続性に期待しておらず、どんなときにも「いのち」を最優先に考えるならば、たとえどんなに困難に見えてもこの道はいずれ必ず考慮に入れなければいけないだろう。

かくいう私はというと、現在資本主義の下で「資産」と呼ばれるようなものはほとんど持っていないし、「農地」も持っていないし、「体力」もない。だから、「人脈」と「知恵」をつけることでこの考えを少しずつでも実践していきたいと考えている。もともと、農業は個人で行うものではない。「共同体」(コミュニティ)で行うものだ。そして、これからの「経済崩壊」を念頭に置いて育まれている共同体は実のところ各地にある。そして、「共同体」として生きるならば、そこにはどんなひとにも必ず「役割」が生まれる。それが「社会」の意義だ。

未来は誰にもわからない。とはいえ、現在の社会になんらかの「動き」それも「激動」と言えるようなものが近いうちに起こるだろうということは、もう多くの方々の間での共通認識となっているようにも思われる。それに、そのような「変化」の兆しは既にいくつもあり、もはや「いつか」の話ではなくなっているとも言えるだろう。そんななかで生きている私たちは、

自由なようで自由でない

とも言えるだろうが、

自由でないようで自由だ

とも言えるだろう。だとしたら、私は、あなたは、これからどのように生きていこうか?