「因果関係」と「対応」。あなたが変われば世界は変わるのか?

熱く燃える火に触れればやけどする。これは皮膚が炎で燃えるからだ

これは「科学的」な「因果関係」による説明だ。対して、

あなたが変われば世界は変わる

日本が善くなれば世界も善くなる

などというようなものは、科学的ではない。これは「因果関係」ではなく、「対応」による説明だからだ。

科学により発見、提唱された多くの因果関係は、主にその「実験」と「実証」によって成り立っている。もちろん、それを拡張させた「推論」によるものも多いが、身近な「科学的法則」や「因果関係」は、誰しもが自ら実験、体感することができる。しかし当然、世界は人間がすべてを把握するにはあまりに広大で、複雑で、変化と流動性に富んでいる。だから、それがどれほど立派で強固で、「私たちの知る世界」をうまく説明できているように見えても、それは世界のすべてではない。また、私たちが説明できるのは、私たちの知る世界のうちのさらにほんの一部でしかない。

では、「対応」という考えかたの根底にあるものはなんだろうか? それは一言で大雑把に言えば、

「すべてのものはつながりあって存在しているはずだ」

というものであると言えるだろう。それを最も端的に表現したのがゴータマの「縁」だと言ってもいい。そしてこのような考え方から派生して、

すべてのものはお互いに影響を及ぼしあっている

という考えが生まれた。これが「対応」の考えのひとつの基盤である。

だから、「対応」という考え方は、科学的な「因果関係」を大幅に拡大したものだと言える。そして、「あなたが変われば世界は変わる」ということを科学的に実証するのは不可能だ。しかし、「対応」の考え方に則ればそれは可能となる。

だが、この「対応」の考え方にも落とし穴がある。それは「なにとなにを対応させるのか」が曖昧で、恣意的にもなり得るということである。だから、

前世の報いだ

などということが得意げに語られたり、

世界の滅亡を防いだのは私だ

などというひとが現れたりする。このような考えかたは、本質的に誰のためにもならない。

しかし、この「対応」の考え方の基となっている

「すべてのものはつながりあって存在しているはずだ。だからすべてのものは互いに影響を及ぼしあっている」

という考えは私にはとてもまっとうに思えるし、奇妙なものでもないと思われる。それに、科学の世界でも、小さな事象が巡り巡って大きな影響力を持つ、「バタフライ効果」などが理論的に提唱されるようになって久しい。それに、科学法則のような100%の厳密さを持って言わなくていいのであれば、おおよそ私たちは好意を与えれば好意を受け取るようにできている。あえてさらに「科学的な装い」で言えば、そこにたとえば「ミラーニューロン」のはたらきを見ることもできるだろう。善くも悪くも、私たちは他者の影響を受けやすい。

だから、私はいきなり「あなたが変われば世界は変わる」などと断言するつもりはないが、少なくとも「あなたが変わればあなたの周りのひとびとにもなんらかの影響を与えうる」ということは言えると思う。それになにより、「あなたが変わった」ということ、それ自体がすでに喜ばしいことではないか。そしてあなたが変われば間違いなく、あなたのこれからの日々も、変わるのである。