霊存在は肉体を持たない。だから、霊存在がこの世界に対してなんらかの影響を及ぼしたい場合には、肉体人に「思考」を通じて入り込み、代わりに行動を起こしてもらうしかない。このあたりの事情については、以前にも触れたことがある。

しかし、今回はそれを別の側面から見てみたい。それはつまり、
霊存在はなぜ、あなたの肉体を羨み、欲するのか?
という点である。そしてその最大の理由はそれほど難しくない。それは
彼らに「やり残したこと」があるから
なのだ。
やり残したことがあるから、それをなんとか実現しようとする。しかし、自らはからだを持たない。だから、「仲間」を探すのである。その「やり残したこと」というのが具体的になにか、それは千差万別である。
地球をより調和した星にしたい
とか、
自分たちの子孫が住む世界を美しいものにしたい
というような願いを持つ霊存在もいる。一方で、
もっとラーメンが食べたかった
宇宙飛行士になって、宇宙に出てみたかった
というようなもっと個人的な願いを強く持つ者もいる。
しかし、私たちが無視できないことは、霊存在のなかには自らが果たせなかった「邪な」願望、たとえば
他者を支配したい
未来永劫にわたって崇め奉られたい
などというものを持ち続けている存在もいるということだ。そしてそのような存在と、似たような思考を持つひとが手を組み、願いを「実現」しようとした場合、この世にもまた大きな混乱が起こることがある。
しかしもちろん、先に述べたように、霊存在のなかにも、総合的に見てこの世界を「より善い」ものにしたいと思っている者も大勢いる。そしてどんなに私たちにとって「迷惑な」もっと言えば「邪悪な」考えを持つ霊存在がいようとも、私たちがそれに力を貸さなければ、彼らは文字どおり「手も足も出ない」というわけだ。
だからこそ、やはりなによりも先に問われることは、私たち自身がなにを選択するかということに尽きる。そして、私たちが今肉体に宿り、ひととしてこの世に存在しているということの尊さと意味を、もっと真摯に考えてみることだろう。もちろん、いちどの人生でなにもかもを成し遂げることはできない。だが、私たちもいずれ必ずからだを離れるときが来ることもまた、厳然とした事実である。だとしたら、からだを離れたあと、
もっとこうしておけば……
と後悔することが少しでも少ないように、
やれることはやった
と晴れやかに後進の成長を見守ることができるように、そしてまたいつか新たな気持ちで生まれ変わることができるように、生きていたいものだと思う。それは言うほど簡単ではないかもしれない。しかしまずは、やれるだけやってみるしかない。「なにかができる」ということそのものが、生きている証であり、意味であり、希望なのだから……。

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