想いが力を持つことは、この世界にも言えることだ

しあわせになりたい

そう思ったからといってすぐしあわせになれるとは限らない。しかし、「しあわせになりたいと思わなければしあわせにはなれない」ということは事実だ。想いは未来そのものではないにしても、少なくともその起点ではある。

以前、

うまく行かないのは、想いが足りないからだ できると思えばできる 「精神力が足りない」など、精神の大切さばかりを説かれると、げんな...

と書いた。そこでも多少述べたように、想いが力を持つのは、この世界にも言えることだ。「想いがすべて」とまでは言わない。だが、想いがなければなにものも成就しない。というより、始まりもしない。

そして、私たちは、自らの世界や日常生活に「想い」というものがどれほど大きな影響を及ぼしているのかについてあまりにも無頓着だ。しかし、想いというものは、その時間的、空間的距離さえも超越して、すべての存在を結び付けている。言い換えれば、

「想いの世界(レベル)ではすべての存在はつながっている」

ということだ。しかし、この「想いの世界」というものをどこか「遠くの世界」のように考えるのは早計だ。なぜなら、私たちは肉体(からだ)を持つ存在である一方で、それに宿る「霊」でもあるからだ。だから、私たちがどこまで意識しているかに関わらず、私たちもまた互いに影響を及ぼしあっているのだ。

もしあなたが誰かに好意的な感情を持ち、そのひとのしあわせを心から願っているとすると、その心は必ず、相手にも伝わっている。相手はそれを意識まではしていないかもしれない。また、仮にそれが届いたとしても、そこから「相手がどうするか」は相手の問題であり、自由である。「相手のあることだから」というのはこういうことだ。ただ、繰り返すがあなたが「想いを寄せている」ということが事実である以上、それは相手にも必ず影響を及ぼしている。あなたが相手のしあわせを願ったなら、それは想いの世界(レベル)において相手の「守護」となる。

気をつけてね

という言葉ひとつの力を、侮ってはいけない。

しかし、このように考えると次のように思うひともいるはずだ。

好意的な感情で相手を護れるなら、逆に悪意によって相手を苦しめたり、不幸にしたりすることもできるのではないか?

と。これはごくまっとうな、そして無視できない疑問だ。これについては、次回に書いてみることにしよう。