守護霊と肉体。「悪意」からあなたを護る最大の味方

好意的な感情で相手を護れるなら、逆に悪意によって相手を苦しめたり、不幸にしたりすることもできるのではないか?

前回、

しあわせになりたい そう思ったからといってすぐしあわせになれるとは限らない。しかし、「しあわせになりたいと思わなければしあわせにはなれ...

の終わりで、私はこのような問いについて触れた。想いが力を持つというなら、このように考えるのもごく当然だ。そして、この考えはあながち間違っていない。しかし、このことは必ずしも絶望を意味しない。なぜなら、誰にでもこのような「悪意」から身を護る味方がついているからだ。その味方とは、「守護霊」と「肉体」(からだ)である。

守護霊は誰にでもひとり以上はついていて、そのひとが喜び多い日々を送れるよう、想念のレベルからいつも支援し続けている。だから、誰かがあなたに悪意を向けてきたとしても、守護霊がそれを緩和してくれるのだ。

それに比べて、「肉体」(からだ)があなたを護ってくれるというのは、あまり実感が湧かないかもしれない。しかし、考えてみれば肉体は常にあなたのいのちを護り、育むようにできている。さらに言えば、「肉体」というのは「強固な実体」である。「霊体」が想いによっていくらでもその姿を変えるのに対して、肉体はそう簡単に姿を変えたりしない。もしそのときそのときの想いによって肉体が即座に変化してしまうなら、多くのかたにとっては大変なことだろう。だから、その意味で肉体は「想い」に対してある程度の「抵抗力」を持っていると言える。肉体はときに

「重たい鎧」

のように感じることもあるだろうが、鎧には当然善い面もある。

より具体的な例から考えよう。誰かがあなたに、

死ね!

と言ったり、想ったりしたとする。それはあなたに通じ、影響を与えようとする。しかし当然ながら、からだは命を守るためにはたらき続ける。また、守護霊はあなたに喜びの念を流し続ける。だから、あなたは死なない。

ただし、あなたが精神的に弱り、わかりやすく言えば「捨て鉢」になっている場合、自分の生を肯定できないでいる場合などは、守護霊の流す喜びの念を、あなたは受け取ることができない。そして相手の

死ね!

という想いに同調しやすくなってしまう。結果、からだも本当に弱ってしまう。最悪の場合、本当に死んだように空虚な気持ちになったり、自殺を選んでしまうようなこともあり得る。

ふたつのケースでなにが違うのだろうか?それは他でもない、あなた自身の意志、選択だ。どんな存在があなたに悪意を向けようが、好意を向けようが、最後にそれらに決定的な力を与えるのは、あなた自身だ。それが私がずっと言い続けている、

「主体」はあなたにある

ということだ。

だから、あなたを護る最大の味方として、守護霊と肉体(からだ)に加えて、あなたの意志を挙げることもできる。しかしそれはときにあなたの最大の敵にもなり得るものだ。自らの友となり、理解者となるのは意外に難しい。そんなときには自らの存在価値を否定し、消えてしまいたくもなるかもしれない。しかし、それではいけない。絶対にいけないのだ。だから、私はあなたに対し、精いっぱいの想いを込めてこう言いたい。

生きろ!生きてくれ!

私もたいした人間ではないが、あなたとともになら、明日も生きていける気がするから。