「昔は、肉を食べているひとがいたらしい」。未来の食卓には、なにが並んでいるのか?

あなたは、「菜食主義者」と聞くとどのようなイメージを持つだろうか? 信仰者、アレルギー体質、動物愛護家、あるいは、偏執者……。日本人の多くはこのようなイメージを持っているのかもしれない。私も、昔はそうだった。そして、そんなことは自分には関わりないと、なにも気にせずに肉を食べている方々も、そう遠くない未来には、そんな生活を続けられなくなるかもしれない。

たとえばネット上にもこんな論説がある。

ストックホルム国際水研究所の気がかりなリポートだ。いまより20億人も多くの人々が西洋風の食生活をできるだけの資源はない。唯一の持続可能なシナリオがこれだ。

これは最後の「!?」に驚きと疑いの意が込められているようで、若干コミカルな題にはされているものの、提起されている問題と、その論拠は決して一笑に付せるような類のものではない。

「肉を食べる」という行為を「環境問題」として考えるなら、そこからはある意味「魂」などを考える「精神の問題」よりもはるかに深刻な結論が出てくる。これは「信じる/信じない」の話ではないのだ。だから、誰にとっても笑いごとではない。

肉を食べることは、穀物や野菜類を食べることに比べて、はるかにエネルギーを浪費している。「食肉」という「食糧」を作るために、そこから得られるエネルギーよりもはるかに多くのエネルギー(動物に与える穀物、水……)を使うからだ。これらは間接的なものなので、普段は目に見えにくい。しかし、これから人口がますます増え、肉を食べるという「グルメ」(美食)がもてはやされるなら、この問題は確実に私たちの生活を揺るがすことになる。

そもそも、私たち人類は未だ「飢え」を克服していない。食べ物がなくて死にゆくひとがいる一方で、健康を害するほどに過食するひとがいる。これは異常だ。異常だと思えないほうがどうかしている。今までは、自分が飢えていなかったからよかったのだ。しかしこれからは、あなたも私も、傍観者ではいられない。

ざっくり言えば、私たちの前には2つの道がある。今までどおりの食生活を続け、減少していく食糧を奪いあい、最後は「共喰い」に陥っていく道である。この道を選べば、人類は自滅することになる。私はそうなってほしくないが、しかしもしそうなったとしたら、人間などしょせんその程度の存在だったのだということだ。そのときは、もちろん私も他の人類とともに、飢えて死んでいくことになる。

もうひとつは、人類が食生活を根本的に転換し、「環境」と真摯に向き合っていく道だ。この場合は、食生活以外にもあらゆるものを見つめ直していく必要があるのは言うまでもない。だが、もしそれができたなら、いずれ

昔は、肉を食べているひとがいたらしい

と言って不思議に思うような時代が来るかもしれない。

どちらに進むにしても、結果が出るのはそう先のことではない。遅くても、せいぜい40年ほどのことだ。できるなら、そのとき私も、笑っていられるような世界であることを心から望まずにはいられない。

参考資料動画:”What If The World Went Vegetarian?”(世界中のひとたちがみんなベジタリアンになったら?)

What If The World Went Vegetarian?