「数字遊び」に惑わされるな。もともと私たちは多重次元存在だ

「アセンション」とか「次元上昇」とかいうような言葉を見かけるようになって久しい。2012年12月22日(21日)の話はメディアによって流布され、果ては映画にもなった。

そして、その流れのなかで、ほとんど興味本位でときどき取り沙汰されるのが、「現在・未来の地球の次元の状態」だ。しかし、実際のところ、このような話にはどれだけの意味があるのだろうか?

私たちが今いる世界は、通常「3次元世界」と言われる。これは、科学の現場でもそう定義されている。だから、スピリチュアルの世界で語られる場合も、この「3次元」というのがひとつの基点になる。

そのうえで、多くの方々は

これから、地球の次元は3次元から5次元へと移行する

などと説明しているようだ。それだけならまだいいのだが、さらには

2012年◯月◯日には3.5次元になり、その後いついつには4.2次元になり……

などと「具体的な」日付と数字を挙げて説明されることさえあるようだ。

そしてこの説明には最後に大概、

この次元(波動・波動領域……)について来られないひとは、徐々に振り落とされていく

などという言い回しがくっつく。

しかし、この説明に納得するかどうか以前に、これには最も基本的な、「次元」とか「私たちの存在」そのものに対する共通了解がまだない。その意味で、まずはそこをはっきりさせることが重要だと思うのだが、他人のことをどうこう言うよりも、まずは私の見解を、改めて述べたい。

この場合の(科学的な意味ではない)「次元」とは非常に多義的な概念なのだが、ひとつは「想念の状態」であるという捉えかたができるだろう。そして、その想念が、「喜び」に満ちていればいるほど、それをわかりやすく「便宜的に」数字の上下で表したものが、「◯次元」という語だということができる。

だが、これはあくまでも「便宜的な」ものなので、「2次元界の喜びは4次元界の半分」だとか、「3次元から5次元に移行すると喜びは約1.7倍になる」とか、そういった「数学的」な概念ではない。簡単に言ってしまえば、

より喜びが大きい存在を、より大きな数字の次元存在として表そう

というひとつの「決めごと」だ。

だから、高次元の存在が低次元の存在よりも「上層」にいるとは限らない。このような考え方が「天国」と「地獄」という概念を生んだのだが、そういう「物理的」な考え方は、まったく意味がない。

それに、私たちひとはもともとが「多次元存在」なのだ。だからこそ、多次元(他次元)の存在からいろいろな影響を受けて生きている。それは決して一方向的なものではなく、各人の「主体的な選択」に基づく。「選択」はいつも行われているので、あらゆる意味で存在は「変わり得る」。このようなことは、ここでは今までも何度となく書いてきた。

だから、

これから次元が上昇しますよ

というのを私なりに言い換えるなら、

これからは、霊存在と私たちの存在の関係性がより間近になり、お互いを意識しやすくなりますよ。それぞれの存在が望む「喜び」に沿った世界が現れてきます。地球は「調和の星」を目指して変化していきますので、「調和」を喜びと感じられない方々は、どうぞ他の世界にお移りください。そしてみんなで、「しあわせ」になりましょうね

ということになる。これがわかっていれば、「◯次元」だとか「上昇/低下」というような「言葉遊び」に付き合わなくてもいい。ましてや、「◯.◯次元」などというのは私にとって、単なる「数字遊び」でしかない。「うるう秒」が私にとって気にならないのと同じくらい、どうでもいい情報だ。気にしたいひとはすればいいが、私にその気はない。

そんなことよりもはるかに大事なことは、

私にとって、「喜び」とはなにか?

という問いだ。これはみなが真剣に考えていい問題である。なぜなら、その「喜び」なしには生きる気力を持てないうえに、今後はそのことが持つ意味が、ますます大きくなるからだ。「数字」や「表記」などの「上っ面」に囚われているのは、あまりにバカバカしいし、貴重な時間の無駄だ。楽しんでいる方々には申し訳ないが、私は一足先に抜けさせてもらう。