予言(預言)から学べること。明日世界が滅びる確率

2012年12月21日も、22日も、なにも起こらなかった。これで、有害なオカルト陰謀論・運命論は消えていくだろうと思った。しかし、話はそう簡単ではなかった。どうやらもうすでにマヤ暦を換算する際の「計算間違い」であったということにしたり、年末に巨大な「太陽フレア」が起きて大天変地異が誘発されるといった別の話につなげたりする動きが出てきているようだ。まったく、問題の根の深さには驚くばかりだ。

しかし、結論から言えば、年末にも世界は滅亡しない。2015年にも、2039年にも、世界は滅亡しない。だが、ここであえて逆に言えば、明日にでも世界が滅びる「可能性は」ある。

これは「予言」(預言)ではない。しかし、人間は総体的に見れば自然環境を破壊し続けており、地球環境のすべてを破壊し尽くしてもなお余りある量の兵器を持っている。これは「事実」だ。そして、環境が破壊されればいずれ自分たちも生存できなくなるから、その意味では私たちは確実に「破滅」への道を突き進んでいると言ってもいい。繰り返すがこれは「予言」ではない。ただ、現状の「傾向性」を考えてひとつの「予測」を立てているだけだ。それに、言うまでもなく、私たちが予測すらしていなかったようなことが突如として起きて、私たちの文明を滅ぼす可能性はいつでもある。全体的な視点から見れば、どの日も、その確率は平等だ。

だから、もし誰かが手を替え品を替え、

明日世界が滅びる

と言い続け、なにもなければその都度

延期されただけだ

と言っていればいつかは当たる。だが、それになんの意味があるのか?

地球のエネルギーは増大し、寒暖の差は激しくなり、人口は増え続け、食糧はじわじわと減り続けている。そして、未だに私たちは原子力発電から卒業できていない。

このような現状を見て、ただ手をこまねいていつか来る「滅亡」を待つと言うのか?「予言」の本質は「警告」にある。とすれば、悪い予言は外されてこそ意味がある。もしそうでなく、自分の予言で周りが恐怖に震えているのを見て喜ぶようなひとがいたら、そのひとは少し休息を取る必要がある。

最後に、私も戯れにひとつ予言してみよう。これからも紆余曲折はあるが、私たちが本気を出せば、私たちの未来はきっと明るい。信じても信じなくてもいい。問題は、あなたがどう行動するかだ。実は、この世界で最大の預言者は私たち自身だ。未来のカギは、私たちの掌のなかにこそある。