霊媒(シャーマン)と言ってもいろいろなタイプがあり、ひと括りにはできない

あなたは、「霊媒」(シャーマン)という言葉からどのようなひとを想像するだろうか? 山奥に住んでいて、一風変わった身なりをし、香を焚いた部屋で静かに過ごしている……というようなイメージがあるかもしれない。あるいは、特殊能力で「真実」を解き明かし、迷宮入り事件を解決するようなひとを思い浮かべるかもしれない。または、干渉させた霊存在にからだを完全に委ね、トランス状態に入り「お告げ」をするような人物こそシャーマンであると思うかもしれない。しかし、現実には霊媒(シャーマン)と言ってもいろいろなタイプがあり、ひと括りにはできない。

シャーマンの「嘘」を証する理由として、

言葉遣いが以前と違う

というのを挙げていたひとがいたと聴いたことがある。

私の娘は私のことを「ママ」と呼んでいた。だから、私を「お母さん」と呼ぶこの子は私の娘ではない。あなたは偽物だ

というように。これは確かに説得力があるようにも思える。しかし、これだけの理由では、彼/彼女が偽物だとは必ずしも断定できない。ここにシャーマンの「タイプ」が関係してくるからである。

それは率直に言って、シャーマン本人の「(自我)意識」の問題である。考えれば当然のことだが、シャーマンにも普段は自分自身の「自我意識」を持っている。だが、霊存在にからだを貸すときには、その自分自身の意識をいったん脇に置くかなにかする必要がある。

このとき、シャーマンがその意識を完全に肉体から離して、思考もからだも含めたすべての権限をいったん霊存在に預けるような(ことができる)タイプのシャーマンだった場合は、言葉遣いや記憶、使用する言語に至るまで、すべてが生前そのままの「生き写し」になることもある。しかも、この場合、シャーマンはその間自分の肉体を通して霊が伝えた内容について、ほとんど記憶していない可能性が高い。

しかし、そこまで完全に相手に委ねるのではなく、あくまでシャーマン本人の肉体を基礎にして、意識の表層だけを霊に預ける場合は、たとえば「記憶」や「使用言語」はシャーマン本人のものによることも多い。だからこの場合は、霊が生前外国人でも日本語で話したり、「ママ」と呼んでいたはずが「お母さん」と呼んでみたりすることも起こり得る。そして、霊との話し合いや関係にもよるが、このときの記憶はシャーマン本人にも残る場合がある。そして、霊はシャーマン本人の記憶の範囲内で話すのだから、家族しか知り得ない「秘密のお話」を語ってもらうことで本物か偽物かを見極めようとしても、意味を成さない。しかし、話す間の取りかたや速度(口調)、選ぶ言葉などによって生前の「個性」がにじみ出ることは多い。

あるいは、シャーマンの意識は保ったうえで、霊にからだを預けることもなく、ただ伝えたい霊から内容を聴きとったうえで、伝える相手にシャーマン自身が伝えるというタイプもある。この場合は、シャーマンは「伝言役」なのだから、たとえばいろいろなことを伝えたがる霊の内容を一部省略したり、まとめたり、必要に迫られれば解釈したりして伝える場合も多い。そして、この場合はかなりの確率でシャーマンの記憶にも会話内容が残る。

だから、先に挙げた例のように、言葉遣いが生前と(微妙に)違っているからといって、すぐさまその仲介役のシャーマンが偽物だとは言い切れない。それに、こどものほうも親とふたりきりなら

ママ

と呼ぶが、他者の眼を意識しているときは

お母さん

と呼んでいたのかもしれない。霊界で精神が成長したから呼びかたが変化したのかもしれない。だからそういった意味において、シャーマンに降りてきている霊存在は、必ずしも生前の彼/彼女が「そのまま」来たものではないのである。

また、ここで挙げたような区分けは必ずしも固定的なものではない。だから、シャーマンにも本当にいろいろな方々がいる。そう言うと、相手のシャーマンが偽物であった場合どのように見分ければいいか混乱するかもしれない。しかし、方法はある。霊存在の言葉ではなく「想い」に着目すればいい。生前からは考えられないくらい態度が乱暴になっていたり、伝えてくる内容から愛情がまったく感じられなくなっていたり、いろいろな意味での「そのひとらしさ」が失われていないかどうかを見ればいい。それは、内面に宿る。

とはいえ、現代には権威やカネ目当ての意図的な偽物や、面白半分の霊にからかわれているだけのシャーマンも山のようにいる。だから、特段の事情がない限り、そのような巷の「スピリチュアル有名人」には関わらないほうがよっぽど無難かもしれない。仮に協力が必要だとしても、相手からの情報は「参考」程度に留めておくのが賢明だろう。

しかし、それでは「本物」はひとりもいないのかと言えば、そんなことはない。「本物」であれ、「偽物」であれ、シャーマンにもいろいろなひとがいる。この世にはいろいろな存在がいて、「シャーマン」もそのひとつの分類に過ぎないのだから。