師が語った王の器。王になるのにふさわしい者とは?

もし、私が世界の王であれば、もっといい世界(社会)にするのに……

程度の差こそあれ、誰もが1度はこんなことを考えたことがあるはずだ。「いい世界」がなにを指すのかにはそれぞれの差異があるにしても、現状の世界が最高であると考えているひとなどいない。どう考えてもなにかが間違っている。この世界で生きていることに心から満足できていない。私が王であれば……。たった1日でも、世界の未来を左右できる、絶対者になれたら……。こんな夢想は、非現実的でありながら、しばしば強く私たちの心を捉える。

では、どんな人物(存在)が王にふさわしいのか? 王とはどんな資質をもった存在であるのか?  私との問答のなかで、師はこのように語った。

最も優秀な者が、王にふさわしいのではない

当時の私にとって、この言葉はすぐに理解できるものではなかった。師は「優秀」の定義を問うているのか?

「最も愚かな者が、最も優秀である」

というような禅問答なのか? 少しして、師はこう続けた。

最も優秀な者が王ならば、国(集団)が必要なくなる。誰に任せるよりも自分がやったほうがいいとなれば、王は他者を頼れず、ひとりで動き、そして自滅する。個の力には、超えられない限界があるからだ。

では結局、どのような者が王にふさわしいのでしょうか?

私が問うと師は、

他者を集められる者。磁石のように、多様な存在を魅きつけられる者だ。「臣」(民)あってこその「王」であることに気付いていないなら、それは真の王ではない

と語った。

一見答えのないような問いにも真摯に答えてくださる師に、私は敬服していた。師の答えかたは決して高圧的・独善的ではなく、明快ながらも深みと余地があった。師はゆっくりと、語り続けた。

だから王とは、誰よりも周りを理解し、愛し、信じることができる者だ。王は任せなければならない。委ねなければならない。そのうえで、起こることに責任を持っていなければならない。なぜなら、臣は王であり、王は臣であるのだから

どんなものでも、中心の核はとても小さい。しかし、周囲の物質を凝集させる雲核がなければ、雲も生まれない

集めること、魅きつけること、導くこと。これが王の極意だ。真の王がいるところは、どこであれそこが中心になる。見ておきなさい。王になったときから自分の利益のために動く者は、そのときすでに「王」の座を自ら棄てている。

極論を言えば、最も無能な者が王になってもいいのだ。なにもできなくとも、それだからこそ、周囲が「なにかしよう」と思えるのなら、それで王の役割は充分に果たしている

師は特別な役職に就いたこともなく、表立って説法のようなことをしたこともなく、特筆すべき業績を残したわけでもなく、いかなる集団の「王」になったこともなかった。しかし師は、いつも愉しそうであり、私を受け止め、愛し、信じてくださっていた。師は私に身を以って、王とはなにかを示していた。