霊存在との対話。守護霊という存在について

「守護霊」という存在がいることは、これまでに何度も書いてきた。

ひとは独りで生まれ、独りで死ぬ とはよく言われる。もちろん、そのような言葉を語る方々も、「生きている」ときにはひとりではないし、独りで...

しかしそれでも、霊そのものの存在も含め、これはまだまだ私たちの共通認識というにはほど遠い。だが一方で霊存在のほうは、自分たちの存在と、世界の仕組みについて、もっと数多くの方々に知ってほしいと切望している。なぜなら、この事実は私たちの人生観(世界観)を変え、社会の在りかたをも変えるきっかけになり得る、大きな力を秘めているからだ。

霊に対しての対応法を一般化することはとてもできない。けれども、最初から物腰の柔らかい態度を取っていたにせよ、紆余曲折を経たあとにせよ、お互い...

とはいえ、「霊存在」という出発点は広すぎるので、今回はもう一度改めて、「守護霊」というものから考えてみたい。

以前あるひとがこんなことを言っているのを耳にした。

守護霊が付いているのは10人にひとりくらいの特別な役割のひとだけらしいです。それで見てもらったんですけど、僕にはいないみたいなんですよね。だから、僕はこんなたいしたことない人生なんでしょうねぇ……

それでそのひとの話し相手は、

そうか、そういうもんなのかねぇ……

と言ってなんとなく納得してしまっていた。私は、なんとも言えない気持ちだった。

こんなことを誰が言ったのか知らないが、守護霊は誰にでも必ずいる。その話をしていたふたりにも、間違いなくいた。「いない」と言ったその誰かには、見えなかったのだろうが。

ただ問題は、そう言われた彼自身が、守護霊の存在を確かめる術を持っていない、ということである。だから、「いない」と言われたらそうなのかと納得するしかない。もしくは疑うこともできるが、結局本当のところはわからない。

これを解決するには、誰もが実際に霊存在を認識できるようになればいい。だから、それを実現させるために力を尽くしている霊存在も数多くいる。もし、全員が存在を認識できるようになったら、「いる・いない」の論争には意味がなくなる。私自身は、霊の存在を認識して生きているが、これは本来特別なことではないのである。

霊の存在を認めれば、自分の思考(想い)になにが影響しているのかが見えてくる。自分が多様な影響関係のなかで生きていたことも理解できる。善くも悪くも自分がひとりで生きていたわけではないこともわかる。これが腑に落ちれば、世界は変わるというのも大げさではないとお分かりいただけるだろう。

だから、今私が書いていることは、いずれ「言うまでもないこと」になる。しかし、現に実態がそうであるなら、先に知っておいてもいいだろう。そして前にも書いたが、私がこれを書いている目的は、既に霊媒体質になっている方々に、自分は異常でないこと、霊への対応方法を知ってもらうためでもある。私ももし師や仲間がいなければ、精神が持たなかっただろう。

これから、ますます霊媒は増えていく。それは、様々な「出会い」を引き起こすことになるが、もちろん悪いものだけではない。なぜならあなたのすぐそばにいた、最大の味方の存在にも、気付けるのだから。