閻魔大王も地獄もない。あるのは「自責の念」と「改心」だ

私たちが死ぬと、「閻魔大王」のところへ連れて行かれ、生前の所業をすべて暴かれる

というような考えかたがある。そして、相当の「悪いこと」をしたものは、それに応じた「地獄」に連れて行かれるのだと言われることもある。似たような思想は、きっとどこの宗教にもあるだろう。しかし、はっきり言えば、あなたを裁くのは「閻魔大王」ではない。そして、「地獄」もあなたが思っているような場所ではない。このあたりの仕組みを深く知ることは極めて重要だ。これからの生きかたの指針に関わる問題だからである。

結論から言ってしまおう。「あなた」を裁くのは「あなた自身」である。だから、あなたが自分の人生に「罪悪感」を持っていないなら、あなたに対する「世間的評価」がどうであれ、あなたは「天国」に行ける。だから、極端な例でわかりやすく言うなら、あなたが殺人鬼であって、何百人のひとを殺めたとしても、「あなた」が罪悪感を持たずにいられるなら、あなたは天国にいられる。ただし、私たちは死ぬと、生前の行いを文字通りすべて見せられる。これが「閻魔帳」と言われたものの正体であると言える。あなたがもし何百人のひとを殺めて、最初は罪悪感を持たずにいたとしても、あなたのその行為が、誰にどんな影響をもたらしたのか、それらも含めすべてを、まざまざと見せつけられるのである。

さらに、死後は似たような想念のひとびとが集まるので、この例に即して言えば、あなたは「何百人のひとを殺めても、罪悪感を持たないひとの集団」のなかで生きることになるのである。だから、「サイコパス」や「ナチュラル・ボーン・キラー」にも同じことが言える。そうするとどうなるか、少し想像してみてほしい。私はその想念界を何度も見てきているので言っているのだが、まさに「殺伐」とした「凄惨」な状態である。これを「地獄」と呼んだのである。なお、「地獄」とは「喜びの小さな想念界」の総称であるのだが、地獄へ行っても他者を殺める者は、「殺めることが喜び」なのである。だから、彼らにとってはそこが「天国」なのである。だからその意味において、「地獄」はないと言えるのである。

この話を聴いて、あなたはぞっとしないだろうか?この「ぞっとする」という感覚が、「良心」と呼ばれる心のはたらきである。そして実際には、かなりの人々は「地獄」(と言ってもいいような凄惨な世界)に行く前に、「閻魔帳」を見せられた段階で、「良心」に導かれ、「自責の念」を起こす。しかし、あなたはもう肉体に戻ることはできない。直接謝罪に行くこともできない。だからこそ、あなたは強烈に「反省」する。 そしてその結果、「反省するための場所」に行くのである。この「反省するための場所」というのが、もうひとつの意味での<地獄>である。しかし、どちらにしても地獄は誰かに「強制的に堕とされる」場所ではない。「自発的に赴く」場所である。そこにどのくらい留まり、なにをするかもあなた次第である。「自分自身を許す」ために、必要なことをする。これは、容易ではない。だが、それをする。ただただ、永遠とも思える時間のなかで。

しかしいつの日か、自分を許せるときが来る。あるいは、許せないけれども、「次へ進む」決意(覚悟)が固まるときが来る。それが「改心」である。そして、改心したあと、どうするか?それもあなた次第だが、多くの場合は「生まれ変わる」ことになる。 これを安直に捉えると、

病人や障碍者、貧困者などは、「前世の報い」によってそうなるのだ

というような意見が出てくるが、これはそんなに単純なものではない。むしろ、一見して非常に「恵まれた」境遇に生まれる場合すらあるのだ。かつて自分が憎んだ「しあわせな」ひとびとの境遇に身を置くことで、そこにある苦しみを知ることになる。そして、さらに前世の行為の反省を深めるのである(もちろん、肉体の記憶にはないのだが、魂にはすべての記憶が蓄積されている)。

これらの話はすぐには受け入れられないかもしれないが、よく考えてみてほしい。この仕組み(「神」)は不公平だろうか?自分のしたことをすべて知っている自分に裁かれる以上に、公平なことがあるだろうか?そして実際には、この「刑罰」は他のあらゆるものより「恐ろしい」のである。しかし、ひとによってはこんなに嬉しい仕組みはないと感じるだろう。

善悪とはなにか?

戦国時代の武将はみな地獄行きか?

そんな疑問を解消するカギもここにある。昔から、

お天道様はいつも見ている

と言われてきたが、これは完全に正しい。「お天道様」の正体は他の誰でもない、「あなた自身」だったのである。

コメント

  1. リヨン より:

    私が最初に『闇の向こう側』を知った記事がここでした。

    地獄は無い

    と検索しヒットしたからです。

    ここにも『自分を許す』とありますが、先日の愛について語る霊の方の記事を見てから

    『もう、自分を許してあげたら?』

    と心に伝えて来る声があります。

    真摯にその声を受け止め『自分も他者も幸せにしていける』思いを深めて行きたいと思います。

  2. リヨン より:

    だいぶ秋めいて参りましたが、その後主宰者様、お変りございませんか?

    こちらの記事の中の『反省するための場所』がもう一つの地獄であると言われてありますが、具体的にはどのような場所ですか?

    先日、夢でトンネルの中に独り閉じ込められる夢を見てあまりにリアルで怖かったので、そのような場所なら嫌だなと。

    • Dilettante より:

      ここで言う「反省するための場所」というのは文字どおり、自分がなにをして、それがどこにどんな影響をもたらしたのかをどこまでもつぶさに「反省」させられる場所ということです。

      そしてそのひとつの極地が「自殺者」が赴く場所であるとも言えるのですが、そのイメージは、あなたが夢に見たものとも近いと思います。

      ただし、そこですら本当には

      「(誰かに)閉じ込められる」のではなく、自ら閉じこもる場所」

      だということが、この文章でも私が伝えていることです。

      ところで、ここに私が書いたように、

      この「反省するための場所」というのが、もうひとつの意味での<地獄>である。

      と定義するなら、まさに私たちが今生きているこの世界こそが、<地獄>だと言ってもいいのでしょう。

      そしてこれは、別に私が言うまでもなく多くのひとたちが言ってきたことではありますが、ただ私にとってはこれは、単なる「絶望」を意味しません。なぜなら

      <地獄>で正しく「反省」することができれば、そこ自体を天国に変えることもできるはずだ

      と、私は思っているからです。

      そして、これは私自身の単なる「推測」ではなく「願望」でもありますので、私もそれを実現するために、日々反省しながらも、私なりに最善を尽くしていきたいと、そう思っています。

  3. ヤード より:

    スウェデンボルグの本と共通していますね。

    管理人さんが体験した詳しい霊界の様子の記事はありますか?

    また現代における無神論者が亡くなった場合、通常どういった世界に行くのかが気になります。

    • Dilettante より:

      ヤードさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですね、私が体験してきたことを最大限凝縮するなら

      肉体界も霊界も、同じように多彩多様であり、ほとんど唯一最大の違いは、「からだがあるかどうか」に尽きる

      というものです。ですから、肉体界のすべてについて詳細に描写しようとするとキリがないのと同じように、霊界のすべてについても、描写しきれるものではないというのが私の立場です。

      しかしそれでも

      うまく行かないのは、想いが足りないからだ できると思えばできる 「精神力が足りない」など、精神の大切さばかりを説かれると、げんな...

      と書いたようなことが、ひとつの基礎であるとは言えると思います。

      また、無神論者はたいていとても驚きますね。無神論者であるという信念は容易には変えられず、かといって眼の前の「現実」を否定することもできないので、ゆっくり消化するしかないといったところなのだと思います。

      今までに私が出会ったひとのなかで最も興味深い反応を見せてくれたひとは、「自分の死」を認めると「死後の世界」を認めることになるため、

      これは夢だ!俺はまだ病院にいて、今は長いリアルな夢を見ているんだ!

      という主張を最後まで覆しませんでした。

      ですが彼もいずれは、夢ではない「現実」を受け入れるときが来ると、私は思っています。