自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜなら、ここには「変死」が含まれていないからである。このあたりの諸事情は、今では誰でも調べることができる。
そしてそれを踏まえればなおさら、私がなにより強く言いたいのは、
自殺はどんな状況でもやめたほうがいい
ということだ。だがそんなことはもう多くのひとが言い尽くしていることでもあるし、もしあなたが自殺を真剣に検討しているとしたら、誰になんと言われても、そんな言葉など聴こえないかもしれない。しかしあなたは信じないかもしれないが、私はあなたにこれだけははっきりと言える。私は今まで、自殺して後悔しなかったひとに出会ったことはないのである。
自ら死を選んでしまうほどこの世に絶望しているのに、なぜ死んでから後悔するのか?
とあなたは思うかもしれない。しかし、私もそれなりの数の自殺した霊に関わってきたが、その多くが3日以内、あるいは当日のうちに(もちろん肉体人の感覚で言っている。霊界には時間の概念があるともないとも言える)、後悔の念を口にする。その理由を最大公約数的に3つ挙げたい。
ひとつは、「死後の世界が存在すると思わなかった」ことによる後悔である。自殺したひとは、
死ねば無になる
死ねばラクになる
と思っている場合がある。確かに、あなたをいじめていた相手は霊界にまでは手を出してこないし、周囲の人々に傷つけられることもなくなるかもしれない。しかしそれでも、「あなたは存在し続ける」のである。そもそも、自殺するひとの多くは
周囲との関係を断ち切りたい
という想いを持って死ぬので、死ぬと孤独な世界に行く。さらに、そんな状態に「喜び」が多いはずはないので、結果として「暗い、寒い、淀んだ」ような世界になる。あるいは、自殺の際に傷つけた箇所の痛みを感じ続けることさえある。肉体が消滅しているのになぜそのような「感覚」があるのかと驚愕するかもしれないが、「苦しみ」の根源は「心」なのであるから、「苦しい」と感じる心が変わらない限り苦しみは続くのである。また自殺者は「自殺」という行為を通じて強烈に「肉体を意識して」死ぬ。だから、あれほど消し去りたいと思っていた肉体への執着は、むしろ強まるのである。だから、肉体意識から逃れられず、死後もその感覚に縛られることになる。この「現実」が、あなたを後悔させる。
次は、「自身の思い込みに気づいた」ことによる後悔である。自分のことなどなんとも思っていないと思っていたあのひとがあんなに悲しんでいること(霊の眼には、相手の「想い」が見えるので、表面的な「演技」であればすぐに見抜ける)、自分を嫌っていると思っていたひとがとても寂しがっていること、つまり、「自分が愛されていたこと」に気づくのである。
自分にはそんなひとはいない
とあなたは言いたいかもしれない。それでは100歩譲って「肉体人」にはいないとしても、あなたには絶対の味方である「守護霊」がいる。守護霊は、いつもあなたを見守り、励まし、愛している。ただ、あなたがそれに気づいていなかっただけなのである。この「現実」が、あなたを後悔させる。
最後は、「自分にも未来があったことに気づいた」ことによる後悔である。自殺するひとは、
自分にはこれ以上生きていく術がない
自分の人生はもう終わりだ
などと思うからこそ死ぬのだろう。しかし、私たちが生まれてくるのはなんらかの「やりたいこと」があったからであり、「自殺」して生を終えるつもりで生まれてくるひとなどひとりもいない。ということは、本来喜びの大きい選択を続けていけば、誰しも素晴らしい人生を送れるはずなのだが、たとえ死を考えるほど追い詰められていたとしても、本気で考えるなら、まだ「生きる道」はあるのである。さらに言えば、たとえ最期が「餓死」でも「事故死」でも「病死」でも「悪い死にかた」ではない。「生き抜いた」という価値は、それだけでかけがえのないものである。
それに、現代日本で言えば、生活保護を受けるとか、自己破産するとか、路上生活するとか、本気になれば様々な方法で、曲がりなりにも「生き延びる」ことができる。実際にそういった生きかたをしているひとびともたくさんいる。しかし、なぜあなたがそれをしないのかと言えば、それはその方法を知らないからではない。
そんなことをするくらいなら、死んだ(自殺した)ほうがましだ
と思っているからである。しかし、「自殺したほうがまし」だということなど、ひとつもないのである。あなたは、自殺の意味を、ちっともわかっていないのだ。
どうしても言うことを聴かない霊もいる。「自己選択の尊重」は絶対法則なので、本人が変わろうとしないなら、私にはそれ以上なにもできない。しかし、私はいちど関わった以上、できる限りのことをしたいので、最後にはそのような霊を、ある場所に連れて行く。そこはまるで「魂の墓場」とでも言える場所だ。
勘違いしているひとも多いようだが、
「魂が抹消される」
などということはない。ただ、
「限りなくエネルギーを失う」
だけだ。どんな状況になっても、存在(魂)は消えない。いつまでも、あなたが変わるのを待っている。それこそが、真の「愛」なのだ。そしてその結果として存在するのが、この「魂の墓場」だとも言えるだろう。
そこで私が見るものは、ただ石のように動きを止めた、無数の「眼」である。彼らとはもはや会話もほとんど成り立たず、憎しみや妬みすらも向けてこない。なにを与えるでもなく、奪うでもなく、ただ、そこに「在る」だけの存在。これに比べれば、岩の下に「わずかの間」封印されていた(とされる)孫悟空への仕打ちもかわいらしく思えるかもしれない。
これならいっそ、消えてしまいたい
そう思うひとも多いだろう。特に自殺を選んだようなひとならなおさらだ。しかし、神(いのちのはたらき)は
生きろ
としか言わない。もっと言えば、「存在」に「消滅する」という選択肢は用意されていない。何度も言うがこれこそが、真の「愛」なのである。究極の愛は、一見すると「罰」のようだ。しかし、「あなたがいつか喜びを見つけ出すことをいつまでも信じている」この態度を、愛でなくていったいなんだと言えばいいのだろう?
だから私は、どうしても変わろうとしない自殺した霊を、最後にここに連れて行くのである。そしてこう伝える。
あなたは、こうなりたいのですか?あなたが今のままでいれば、いつか必ずこうなってしまうんです。ここまで来ると、「他者」があなたを助けることはできず、私も手が出せなくなります。これがあなたの未来です。「知らなかった」と言うのなら、伝えなかった私にも責任がありますが、私が持っている情報はすべて与えたのに、それでもあなたがこの道を変えなかったのなら、もう「知らなかった」では済まされません。私は私にできることをしたつもりですし、もうこれ以上何度も同じことを言っても意味はないと思います。だからここからは、今度こそあなたの責任で決めてください。ですが私としては、どうかもういちど、「生きる」ことを、選んでほしいと思っています
「魂の墓場」については、ここで補足して書きました。

もし、あなたが自殺を考えているのなら、私はあなたにもこう言いたいのである。「知る」ということは責任が伴う。そしてもちろん、「伝える」ということにもだ。ただそれでも、どうしても伝えておきたいから、どうしても自殺してほしくはないから、私はここにこれを書き記しておく。ここまで伝えて、それでも行くと言うのなら、今の私にはもう打つ手がない。しかし、いちど死んでしまったら同じ人生はもう2度とない。5分後に後悔しても遅いのである。私は自殺を乗り越えた霊も数限りなく見てきた。だから、真の意味で「遅い」ということはないのだが、彼らと同じ後悔を、あなたにはしてほしくない。死ぬ方法を考えるより、生きる方法を一緒に考えてはもらえないだろうか?これは私だけでなく、多くの存在の、心からの願いである。
併せてここに、萩原朔太郎という詩人の随筆を引用しておきたいと思います。
自殺の恐ろしさ
自殺そのものは恐ろしくない。自殺に就いて考へるのは、死の刹那の苦痛でなくして、死の決行された瞬時に於ける、取り返しのつかない悔恨である。今、高層建築の五階の窓から、自分は正に飛び下りようと用意して居る。遺書も既に書き、一切の準備は終つた。さあ! 目を閉ぢて、飛べ! そして自分は飛びおりた。最後の足が、遂に窓を離れて、身体が空中に投げ出された。
だがその時、足が窓から離れた一瞬時、不意に別の思想が浮び、電光のやうに閃めいた。その時始めて、自分ははつきり[#「はつきり」に傍点]と生活の意義を知つたのである。何たる愚事ぞ。決して、決して、自分は死を選ぶべきでなかつた。世界は明るく、前途は希望に輝やいて居る。断じて自分は死にたくない。死にたくない。だがしかし、足は既に窓から離れ、身体は一直線に落下して居る。地下には固い鋪石。白いコンクリート。血に塗れた頭蓋骨! 避けられない決定!
この幻想のおそろしさから、私はいつも白布のやうに蒼ざめてしまふ。何物も、何物も、決してこれより恐ろしい空想はない。しかもこんな事実が、実際に有り得ないといふことは無いだらう。既に死んでしまつた自殺者等が、再度もし生きて口を利いたら、おそらくこの実験を語るであらう。彼等はすべて、墓場の中で悔恨してゐる幽霊である。百度も考へて恐ろしく、私は夢の中でさへ戦慄する。(『セルパン』1931年5月号)
タイトル
また、私に自殺決行時の体験談を直接語ってくださった肉体人のひともいて、そのときのことはここにまとめました。

あなたの苦しみを癒やすにはまだまだ力不足だとも思いますが、それでもどうか私たちの想いを汲み取っていただけたらと、いつも切に願っています。

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私は、死ぬ夢ですが5回ぐらいみました。そのときいつも思うことは死んでからやり残しているすべてことに気づくのです。さらにつらいことは、友人や、身内などが目の前にいるのに何を言っても、聞こえていないということです。焦ります。目が覚めてから家内と何気ない、おはようの挨拶がとても新鮮であり、胸が熱くなるほどうれしくなりますよ。夢ですら、そうなのですから自殺した人の魂は、本当に後悔の固まりだろうと推測します。
だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
誰もがいずれは死を迎えることになりますが、自殺がその他の死と大きく異なるのは、
「死の原因がまぎれもなく自分にある」
ということです。
ですからその後どんな未来の可能性を見せられても、どんなに多くのひとが哀しんでいることを見せられても、その責任はすべて自分自身にあるという事実からは逃げられません。それはある意味生前に自分を苦しめたはずのどんな「現実」よりも厳しいものなのではないかと思います。
生きていれば様々な出来事があり、それは決して喜ばしく思えるものばかりではありませんが、そのなかでも少しでも多くの喜びを感じ、大切なひとたちと分かち合いながら生きていっていただければと思います。
そしてなにより、私自身もそのような生きかたに近付いていきたいと、心から思っています。
貴方は霊能者ですか?
たまりさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
「霊能者」や「霊能力」という言葉になにをイメージするかはひとによって違いがあるので、一概に言えないところもあるのですが、ともかく
「霊存在と対話することができるひと」
という意味で霊能者を捉えるなら、私も確かにそのひとりだと言えます。これは私がここに書いてきた他の文章も併せてお読みいただければ、より深くご理解いただけるのではないかとも思いますし、なにかあれば直接ご連絡いただければお答えしたいと思いますので、これからもお気軽にお付き合いください。よろしくお願いします。
はじめまして、こんにちは
私も自殺は絶対にいけないことと思っています
でも、最近はそのことさえわかっていても、、、
死んでしまいたいと言う願望が襲ってきます
良く私も考えます
生まれる前は何を思い、何をするためにこの世に
生まれてきたのだろうって・・・
もちろん今考えてもわからない(思い出せない?)
ですけどね(笑)
今朝もふとそんな想いから、ネットで
検索してました・・・
まだ、インターネットが出来るくらいなら
自ら命を絶つなんて事しないですよね(笑)
今日も朝、目覚めて、あ、生きてるんだな・・・
って思いました
最近は、本当に精神的な波が激しくて
生きる希望が湧いては、消えて。。。
そんなことの繰り返しです・・・
自ら死んでしまったら、大切な両親や
大切に思う人に・・・二度と会えないんですよね
死んだ祖父や祖母にも、、、会えないんですよね
今日も頑張って生きていこうと思います・・・
ホームページ時折拝見させて
いただきますね
ありがとうございました
Kさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
私は自殺した霊とも本当に数多く対話してきているのですが、ここに書いているように多かれ少なかれその全員が後悔しているのを見て、私なりに言えることを伝えてみるとはいえ、やはり「生きていてほしかった」という想いが強く湧いてきます。
それは死んでからでも変われるというのも確かなのですが、やはり肉体を持って生きているからこそできることもたくさんあるからです。そして、同じ人生は2度とありません。
ですから、どうかKさんも生き抜いてください。それは私だけでなく、多くの存在が、心から願っていることです。そしてなにかあればいつでもお気軽にご連絡くださいね。よろしくお願いします。
初めまして。
自分はいま自殺を考えています。理由は他人からすればそんなに大した事は無いのかもしれません。
そしてこのページの文章を読ませていただきました。
この文章が正しいとすると自殺していなくなったとしても生前の苦しみは永遠に残り、ただ肉体のみが失われるということですよね。今の自殺しようとしている根本的な問題を解決できるのは肉体のある時のみということですか?
消滅がありえないとすればそれは自殺することなんかよりも想像を絶する事ですよね。いま現在心の中にあるこの悩みとかのモヤモヤしたものがずっと残るということですか。
ということは少しでも楽になれるのは、自殺を実行する前のほんの少しの時間のみでそれ以降永遠に絶望が続いてしまうわけですね。
自分はいまこのような状態なのでどんなことも信用というか、信じることができない状態なので、ここに書かれた文章を信じれないのですが、心のどこかで信じたい気持ちがあります。
自分自身でここに書かれていることを実感することは可能でしょうか?
自殺を常に考えていた日々の中で唯一興味がもてたというか惹かれたものだったので…
自分自身で実感、体感できるのならもう一度スタートしてみたいです。
長々と失礼しました。
だんさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
そうですね、ここに書かれていることは私にとってはもはや明白な「真実」なのですが、それを「実感」する方法となるとそう簡単には提示できないかと思います。
もちろん、実際に自殺すればだんさんも確実に「実感」することになるのですが、それでは取り返しがつきませんので、意味がありません。
となるとあとは、自問自答するようなかたちで、
守護霊さん、私は自殺すると、しあわせになれるんですか?死ねば無になるんですか?
と何千回でも問いかけてみてください。
ここで、「守護霊さん」という言葉を付けるのは、その限定をしなければ、あなたを苦しみに誘おうとする霊団からの答え(感情)が返ってくる可能性があるからです。
ですが、ずっと守護霊さんに向けての問いかけ(自問自答)を繰り返せば、その答えはだんさんご自身のなかから、湧き上がってくると思います。
そして、いずれにせよ私は、あなたにも生きていてほしいと心から思っているということは、渾身の力で、お伝えしておきたいと思います。どうか、生き抜いていてください。
死後の世界というのが本当に実在するんですか?
また、それが自殺であっても80歳まで生きた後の死であっても魂が残るなら、それなら予定より少し早く死ぬことはいけないことなんですか?
生きている間に自分のことを愛してくれる人がいないように感じていて、死んだら自分のことを本当に愛してくれていた人が分かるなら、それを知るためだけにでも死ぬことに価値があるのではないかと思ってしまいました…
若いうちに死んでしまえば多くの人に記憶されるだろうとも思い、死ぬことの長所しか分かりません。
自殺する痛みと、親を悲しませることさえなければ死は魅力に溢れているように感じます。
Rrrtさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
死後の世界の実在性について議論があるのは百も承知ですが、私がはっきり言えることは、
少なくとも自分が確信してもいないことについて、4年もの間書き続けるということは不可能だ
ということです。
だから私はいつも、
私が少なくとも意図的に騙そうとしていないことについては、わかっていただけるはずだ
という気持ちで、これを書いています。
また、
自殺であっても80歳まで生きた後の死であっても魂が残る
というのは事実ですが、そのあとのあなた自身の状態はまったく違うものになります。なぜなら、霊存在とは「想いそのもの」であるからです。
そしてもちろん、それはあなたを愛していたひとたちを多く傷つけることになります。
その想いが深ければ深いほど、相手が受ける傷も大きなものになります。
そしてその姿を見たあなたも、なおさら苦しむことになります。
だからそんな負の連鎖に、自らを堕とし込まないでください。
どうか自殺した後でなく、自殺する前に自殺の苦しみに気付けるひとでいてください。
言葉を重ねればわかっていただけるというわけでもないのは知っていますが、たとえばせめて
「魂の墓場」とそこに至る過程について、もっと詳しく知りたい
という趣旨のメッセージをいただいた。そこで今回は、現時点で私が理解している範囲で、これについてより深く掘り下げて書いてみたいと思う。 まずこれは私の推測だが、お...
なんか楽しいことないかなぁ……
私たちはふとこのような想いに駆られるときがある。これは別の言いかたをすれば、
私の人生には生きる価値があるのか?
という問いであるとも言える。そし...
なども読んでいただければと思います。
そして、言いたいことはこれからもいつでもおっしゃってください。
死んだあとではなく、死ぬ前に、言いに来てください。
今のあなたにいちばん言いたいことはこれです。
どうか、生き抜いていてください。
死にたい
だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
今のあなたがとてもつらい状況にあることはわかっていますが、それでも
「死にたい」というのが自分の本当の願いなのか?
ということを何度でも自分に訊いてみてください。
あなたは自殺するために生まれてきたのではなく、楽しく生きるために生まれてきたはずです。
まずはそれを、認めてあげてください。
そして、生き抜いていてください。
それができたら、あなたがいずれ寿命を迎えて死ぬときに見える景色は今とはまったく違うことを、私が保証します。
だから、死なないでください。
たまに死んでもいいやと思ってしまう…。
メロン記念日さん、ようこそ、闇の向こう側へ。
それなら、生きてもいいやと思ってみてください。
メロンも、熟したほうがよりおいしいですよね。
最愛の、人に置いていかれました。
自殺で。
子供も、まだ、小さいのに置いていかれました。
彼がいないこの世で何年も生きなきゃいけないのがかんがえられません、一人でいきていけません、
きえたいです、
いちごさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
それが家族であれ友人であれ知り合いであれ、あるいは見ず知らずのひとだとしても、誰かに自殺されるというのは苦しいものですよね。
ただ、自殺してもなにをしても「存在を消す」ということはできません。
そして、たとえあなたが彼を想って自殺しても彼のもとには行けません。それにそれは、彼の助けにもなりません。
さらになにより重要なことは、
「あなたが自殺したら、あなたが受けた苦しみ以上のものを、あなたの周りのひとに与えることになる」
ということです。
ですから私もこうした「真実」を踏まえたうえで、これからも私なりに自殺をなくせるように力を注いでいきたいと思います。
そして私はあなたに、まずゆっくり休んでいただきたいと思っています。
それに私はたとえ今のあなたに拒絶されてしまうとしても、あなたのしあわせを、あなたより深く、心から願っています。
だからあなたは絶対に、独りではないです。
それに私はあなたに死なれたら、とても寂しいです。
このことを何度でも、私はあなたに伝えたいと、そう思っています。
私は、つい先ほどまで自殺を考えていましたが、ここに 出会いやめることにしました。これも何かのお導きかなと思います。
としさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
とてもつらい状況にあるだろうところ、私の文章を受け入れ、生きることを選んでくださって、ありがとうございます。
まずはゆっくりと、ご自分をいたわってあげてください。
そして少しずつでもいいですから、自分が嬉しいと思えることを探し、実践してみてください。
どうか、よろしくお願いします。
そして私もあなたのしあわせを、いつも願っています。
記事を興味深く読ませていただきました。
自殺を遂げた人の気持ちは一般人の私にはわからないが、
ほぼ毎日自殺できたらと思う私の場合、「死にたい」 のではなく、「消えたい」のです。
見栄と性欲から私を産んだ両親には決して感謝はできない。
存在を強制している神(悪魔)をとても恐ろしく思う。
生まれた事(存在している事)を良かったと思った事は一秒とてありません。
しらさぎさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
あなたがとてもつらいということを、軽んじるつもりは決してありません。
ですがひとつの事実として、たとえ自殺して肉体を離れても、消えることは決してできません。
それを恐ろしいと思ってしまう見かたがあるのも理解はできます。しかしその事実が変えられないのなら、それを喜びへと向かわせることはできると、私は考えているのです。
スピリチュアル系の方々はよくこんなことを言う。また、
言葉には光のエネルギーがあります
などとも言う。私もそれには賛同する。しかし、そこに込められた意味には、少なからぬ差があるかもしれない。
私も、日々その方法を、試行錯誤している真っ最中です。
そしてそんな私は、あなたとも最期まで一緒に生き抜きたいと、心から、願っています。
せめてここに書いてある文章をすべて読むまでは、生きてみようと思っていただけないでしょうか?
どうか、よろしくお願いします。
はじめまして。
4カ月前に統合失調症の診断を受け
だんだん、不眠症にもなり、前向きになれないで悩んでいます。
病気になる前までは、こんな事はなかったのに…自殺の事ばかり考えてしまいます。
死後も苦しむと知って、少し心の穴があいたような…
病気になる前の身体に戻りたいのに
戻れない。この先、生きていても色んな人に迷惑をかけてしまう。と思って前向きになれないです…。
陽子さん、ようこそ、闇の向こう側へ。
今までも何度か書いていますが、私も生まれてからずっと、平均的なひとよりはるかに弱いからだで生きてきました。
ですからあなたのお気持ちは、私なりにではありますが、想像することができます。
そしてだからこそ、これは私がずっと自分に言い聴かせてきたことでもあるのですが、たとえ多くのひとが普通にできるのに、あなたにはできないことがあったとしても、たとえ経済的なことや表面的な意味で、あなたに「価値」がないと言ってくるようなひとがたくさんいたとしても、それでもあなたは、ただあなたにできることを、できるだけやればいいんです。
そして私も、私にできることを、これからもし続けたいと思います。
そうやってこれからも、支え合っていきましょう。
よろしくお願いします。
興味深く読ませていただきました。
だが、死にたい。
もう、死にたい。もう嫌だ。
見栄と性欲で自分をこの世に生み出した両親を深く恨む。
自殺しても救いがないのなら、せめて自分が自殺したことにより、親と兄弟をはじめ、憎い者達に苦しみを背負わせたい。
7死さん、ようこそ、闇の向こう側へ。
あなたがとても苦しいのはわかります。
ですが、苦しいあなたがその苦しみと憎しみによって、世界にさらなる憎しみと苦しみを拡げたら、それがあなたにどんな感慨をもたらすか、もういちどよくよく考えてみてください。
そしてどうか、あなたが本当にしたいことはなんなのか、自分をよく見つめて、考えてみてください。
本当の意味で、素直になってください。
どうか、よろしくお願いします。
ブログ、拝見させて頂きました。
感じた事は、極めて強い理不尽です。あなたの仰る通り、自殺後苦しむのであれば、そんなシステムをつくった存在はあまりにも醜く、残忍で下劣なものになります。
「奇蹟の輝き」という映画をご存知ですか?ロビン・ウィリアムズが演じる主人公が、人命救助中に亡くなり、天国に行きます。主人公の奥さんは悲観し、後追い自殺を行います。そして地獄へ。
天国でその事を知った主人公は、憤ります。「一体、これ以上何を苦しめと言うんだ」
それが本質です。もし魂があり、同時に慈悲が死後の世界にあるならば、苦しみがあってはならないのです。自殺者の魂がどんな形を取ろうが、助けるべきなのです。不平等な世界に生まれ、充分に苦しんだのですから。
皮肉な事に上記の映画の、ロビン・ウィリアムズは少し前に自殺しましたが。それも当たり前のように存在するこの世の不合理ですね。
今私は自殺を考えています。散々不幸な目に合い続け、理不尽な人生ばかりだからです。親も二人共早いうちに亡くし、複数の人間から傷付けられ、差別され続けました。守護霊だとかの話がありましたが、ならば私の守護霊は無力であり、むしろ、昔から全力で自殺を後押ししているのではないのでしょうか。
そんな不条理まみれるこの世界と、残酷なあの世が存在するならば、存在させられる事自体が不幸になります。生まれ落ちた時点でただの罰。なぜそんな目に合わなければならないのか。魂の修行とか結構です。必要ありません。
死んだら無になります。でなければ、不条理かつ、残酷で無慈悲な死後の世界が待っている事を認めないと行けないからです。不条理かつ、残酷で無慈悲なこの世を抜け出したのに。
そんな二つの世界やそんなシステムを作った存在がいるならば、身の毛がよだつような醜悪な奴でしょうね。少なくともそんな奴がいるような世界には行きたくないです。
ただ、あなたが思いやりを持ってこのブログを書いた事は伝わります。醜い存在がこの世を作ったかもしれませんが、そういった行為は僅かばかりの光になりますね。
柴犬さん、ようこそ、闇の向こう側へ。
あなたのようなことを考えるひとはたくさんいると思いますし、そう言いたくなるのは苦しみがそれだけ深いからだということも、私なりにではありますが、理解しています。
ですがその「理不尽」という感覚や疑問は、ただひとつの真実を前提することによって一変します。それは
「私たちは、自ら望んだからこそ、この世界に生まれてきた」
ということです。
このことを腑に落とすと、なぜ自殺が「最大の禁忌」のひとつなのか、そしてそれがなぜこれほどまでに自分自身を苦しめることにつながるのかも、はっきりすると思います。
ただそれを踏まえたとしても、やはり私たちを、そしてあなたを、喜びから遠ざけ自滅(自殺)に追い込もうとする存在(負の霊団)がいることも確かです。
だからこそ、どうか、それに屈しないでください。
そして一緒に、支え合いながら、生き抜いていきましょう。
どうか、よろしくお願いします。
毎日死にたいと思っています。これから先どうやっても幸せになれるとは思いません。少し前に両親を亡くし、家で一人でいると本当に決行してしまいそうです。
仕事も失敗ばかり。発達障害の疑いもあります。死んだ方がまだ楽だと感じます。
学生の頃にイジメられた記憶が頻繁にフラッシュバックして、それも自殺念慮に拍車をかけます。
多分、そう遠くない内に自殺するかもしれません。辛いです。
ハートさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
今のあなたがとてもつらいのは事実だと思います。
ですが死んだほうがまだラクだというのは、事実ではありません。
この先どうやってもしあわせにはなれないというのも、事実ではありません。
どうか、事実ではない思い込みによって、取り返しのつかないことをしないでください。
あなたがすべきなのは自殺ではなく、自分をいたわり、他者の助けを、求めることです。
どうか、よろしくお願いします。
文章が長すぎて途中から読む気がなくなってしまいましたが、一人でも多くの人が自死を思い留まるといいですね。
これからも頑張ってください。
私は行ってきます。
どうかお元気で。
スズキさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
私としては、せめてこの文章を最後まで読み通してみてほしかったですが、私は私にできることをやるしかありませんので、それでもあなたが強い覚悟を持って自殺すると言うなら、もうどうしようもないのかもしれません。
ただ私は、あなたがどういうお気持ちでこのコメントを残していかれたのか、それに想いを馳せています。
そしてあなたが
行って「きます」
とおっしゃるなら、あなたもたとえ無意識であれ、あなたがいつかまたこの世界に戻ってくることになることを、予期しているのでしょう。
そうなのです、たとえ魂の墓場に行こうが、それでもいずれは、いつかは、あなたはまたどこかで生きることになります。
私はそのときのあなたが、少しでも今回の経験を正しく活かせることを、心から願っています。
そして来世で私があなたと巡り合うことはないかもしれませんが、どうか、今度こそは、お元気で生きてください。
このブログの中でもとりわけ説得力と愛にあふれた記事を深い感謝とともに拝読しました。これまでの人生で幾度か自殺を考えたことがありましたが、そのつど不思議にも生き延びて参りました。Dilettanteさんと同様、人間への愛に満ちた幾人かの方の著書やブログに出会えたおかげと申しても過言ではありません。
ただ、自殺を戒める数々のすぐれた文章も、私の見たところ、ある一点についてあまり触れていらっしゃらないように感ぜられます。その一点とは、何か宗教上、倫理上、あるいは法律上の罪を犯したとして、それでも生きてゆかねばならないのか? その際の心構えはどうかといった点についてであります。この点、Dilettanteさんが世の多くの宗教家やスピリチュアルの専門家さんたちよりもいま少し踏み込んで何かお書きくださることを切望してやみません。
私の念頭に浮かぶのは半世紀前、北日本で飛行機同士の衝突事故があり、パラシュートで脱出したパイロットさんのその後であります。相手側の飛行機は100人を越える乗員乗客全員が死亡したと聞きます。一方、パイロットさんはその後、引退するまでレスキュー飛行機の操縦士としてずいぶん多くの人を救ったと聞いております。彼には世を去ってのち、どういう運命が待っているのでしょうか。昔ふうに切腹して責任を取った場合よりもさらに重い罰が待っているのか、それとも……。とりとめもない文面で恐れ入ります。取り急ぎかねて申し上げたかったことを文字にさせて頂きました。Dilettanteさんのいよいよの御活躍を私自身のためにも念じつつ。
考える葦さん、ようこそ、闇の向こう側へ。
あなたのこのコメントには短くお返事するのが難しかったので、
このブログの中でもとりわけ説得力と愛にあふれた記事を深い感謝とともに拝読しました。これまでの人生で幾度か自殺を考えたことがありましたが、そのつど不思議にも...
という文章としてまとめました。お読みいただければ嬉しいです。
またなにより、私はあなたがいろいろあるなかでも生き続けることを選んでいてくださっていることを、とても嬉しく、ありがたく思っています。それにあなたの励ましのお言葉は、私に大きな力を与えてくれました。本当に、ありがとうございます。これからも私にできることで、支え合っていければと思っています。どうぞよろしくお願いします。
そもそも、死んだ後の世界はどうなるんでしょうね。
個人的には異世界転生できる(こう思わないとやっていけない)とか思ってますが(笑)
もし霊界があって、永遠に一人で過ごすことになるなら死なない方がマシでしょうけど、そもそも魂なんてものが存在するかも我々には分りませんしね。案外、死んだら意識も感覚も何もかもなくなっちゃうかもです。正直、これは一番考えたくないですけどね~。
名無しさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
霊界も「異世界」の一種と捉えていいと思いますし、地球以外の星に生まれ変わることもできるわけですし、そもそも未来の地球はいずれにせよ今とはだいぶ変わっているのですから、あなたの
というのは、そのまま叶うと言ってもいいと思います。
もちろんあなたの言うとおり、私の言っていることが「真実」かどうか、あなたが「確信」を持つことはまだ難しいかとは思いますが、私は私なりにこれからも伝え続けていこうと思いますので、よかったらあなたもそれを共有して、吟味して、検証してみてください。
よろしくお願いします。
死にたいです。
自殺したら、後悔するって言うけど生まれてきたことを後悔してしまいます。
なんで、生まれたくて生まれてきたのなら、こんなに死にたくなるのでしょうか?
自殺しても後悔しますか?
自殺しても痛い、苦しいのが嫌で消えてしまいたいです。
存在を消せないのなら、もう生まれ変わりたくないです。
霊界にいた時に、また生まれ変わっても自殺したくなって、自殺しても後悔して苦しむと分かっていたのなら、もう生まれて来たいとは思わないと思うのですが、本当に自分の意思で生まれたいと願ったのでしょうか?
何で、リスクがあるのにそれでも生まれて来ようとしたのか、神様に強制されたのでしょうか?
私は、前世で自殺したことがあって、それで死んでも苦しかったから、今回の人生はどんなに自殺したくなっても、出来ないような気がします。
じゃなかったら、とっくにもう自殺しています。
もし、分かったら何でまた生まれ変わって来ようとしたのかを教えて下さい。
死にたいけど、潜在意識が死なせてくれないのです。
どうしたら、いいでしょうか?
助けて下さい。
えりさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
あなたが今とても苦しいのは確かだとわかっていますが、それでも私の見解を、はっきりお伝えします。
まず、
に関して言えば、これは当初の想いが逆転していると捉えればいいです。
つまり、あなたは生まれてくる前には
死にたくなるリスクもあることはわかっているけれど、それ以上に生まれたい気持ちのほうが強い
と思っていたということです。
世界で最も強い力を持っている存在(仮にこれを「神様」と呼ぶとしても)であっても、あなたになにかを「強制する」ということはできません。
ましてや、
「生まれ変わるかどうか」
といった重大な決断ならなおさらです。
ですから多少なりとも「周りの意見を参考にする」ことはあったにせよ、最終的にはあなたが選んで生まれてきたことは間違いないです。
別の言いかたをすると、自分で望んでもいないひとを地球に無理やり送り込むなどということをしなくても、地球に生まれたい魂はたくさんいます。
そんななかで「強制する」理由はまったくないのです。
そして、自殺は運命に組み込まれた決定事項ではないので、
という前提は間違っていて、生まれる前のあなたは自殺することを考えていません。
先ほどの繰り返しになりますが、
自殺したくなってしまう可能性はあるけど、乗り越えられる(乗り越えたい)
と思っていたということです。そうでなければ、生まれてきません。私たちはそれほど「自虐的」ではないからです。
そして私はあなたのことをまだほとんどなにも知りませんが、あなたの問いの答えは、あなた自身が既にはっきりと持っていると思います。
つまりあなたがご自分で
と感じているのなら、あなたが今回また生まれ変わってきた理由は、
今度こそは、自殺せずに最期まで生き抜いてみたかったから
で間違いないでしょう。
ですから、「あなたを死なせない潜在意識」というのは、あなた自身なのです。
守護霊ですら、本当には、私たちの一部なのですから。
まずはそのことを、何度でも、噛みしめてみてください。
そして、今度こそは、最期まで生きてみてください。
その結果がどうなるにせよ、自殺した人生よりはいいはずです。
ですからその意味で、あなたは
「いい人生を送る」
ことを目標にする必要はないということでもあります。
「人生を最初から最期まで生き抜く」
ということができれば、それだけであなたにとっては、素晴らしい進歩だからです。
そしてこんなことは私が言うまでもなく、誰よりもあなた自身がそう思ったから、生まれてきたのです。
ですからあなた自身のためにも、生きてください。
そして私だけでなく、あなたが生き抜くことを願っている、多くの存在のためにもです。
どうか、よろしくお願いします。
丁寧なお返事ありがとうございます。
生まれる前は、自分が望んで自殺のリスクよりも生まれたい気持ちが強くて生まれて来たというのは、想像出来ません。
なら、何で今はこんなにも死にたい気持ちに支配されているのでしょうか?
神様は、なぜ人間を霊的成長させたいと思ったのでしょうか?
それは愛なのですか?
私も、死にたい、生まれて来たくなかったという相談を受けるのですが、自殺して今の肉体での病気から解放されるのなら、自殺するのもひとつの手だと思うのですが、今より確実にもっと苦しむことが分かっているのなら、そんな愚かなことは、したくないしさせたくありません。
あなたは、自信を持って自殺をしないほうがいいと言えますか?
体調がすごく悪くて、肉体からもう解放されたいのです。
いろいろ質問してしまい、申し訳ありませんが大事なことなので、よろしくお願いします。
死にたい気持ちを抑える方法は、精神科の薬を飲む以外にもあったら、教えて下さい。
生まれる前というのは想像できないとしても、
「少なくとも生まれてから今までの間に、死にたいという気持ちがない期間もあった」
というのは、思い出そうとすれば思い出せるはずです。
それに、生まれた途端に死にたがったわけではないというのは、納得していただけるのではないかと思うのです。
しかしそれでも、あなたが今は死にたい気持ちになっているのは、もちろんいろいろな
「状況の変化」
のせいでもあると言いたいとも思いますし、それも確かに部分的には真実なのですが、あなた自身が
とおっしゃるとおりで、あなたは今、死にたい気持ちに圧倒されて、呑み込まれようとしているのです。
そしてそのなかには、私が
「負の霊団」
と呼ぶ存在の影響も、含まれているのです。
だから私は、そんなものに屈しないでほしいのです。
そして私は、もちろん
どんな場合でも、自殺だけはしないほうがいい
ということに、確信を持っています。だからこそ、私も自殺しないのです。迷うことすらありません。
いったいどうしたらいいんだ……
と思うことは多々あります。ですがそれでも、自殺だけはしないですし、そもそも「選択肢」として考慮すらしません。
それは私が、
「もはや言い逃れの余地がないほど、確信してしまったから」
で、それは体験者の想いを聴けば聴くほど、深まる一方なのです。
ですから私はあなたにも、自殺してほしいとはまったく、一厘も思いません。
そしてそれはあなたが
とおっしゃるのと、同じ気持ちだとも言えるはずなのです。
だからどうか、生き抜いてください。
そのためにも私は今までにもたくさんの文章を書いてきたので、まずは少しずつ少しずつでもそれをお読みいただければと思います。
少なくともそうしている間は、あなたはまだ自殺しないでいられるからです。
そしてそのなかでも特にひとつを挙げるなら、それは
です。
あなたが自殺することで、いったい誰が喜ぶのかということを、考えてみてください。
私は、とても哀しいです。
そのことは、はっきりとお伝えしておきます。
どうか、よろしくお願いします。
ありがとうございます。
確かに生まれた時から死にたかったわけではないのですが、高校生の時にうつ病になってからは、毎日死にたいです。
死に方をネットで検索すると、いろいろな楽に死ねる方法が出てきますが、やってみても私は、すごく苦しかったです。
負の集団は、死んだ悪霊だけではなくて、生きている人の中にも見ず知らずの人を自殺させたい人が多いのでしょうか?
ネットで楽に死ねる方法を書いている人の目的は何なのでしょうか?
この記事にある負の集団の目的は何なのでしょうか?
自殺してしまったら、もっと苦しむのでしょうか?
生きている人も死んでいる霊も、自分が苦しい状態だから、人を巻き込みたいのでしょうか?
逆に、自分が自殺して苦しんでいるから、自殺しようとしている人を助けてくれる人もいますか?
せっかく自殺したのに、また同じ課題をやり直しで、また死にたくなる人生に転生させられるのだとしたら、人生を乗り越えていく自信がありません。
安楽死したら、死んだ後も苦しまないでいられますか?
やっぱり、自分殺しも殺人になるからたぶん罰は受けますよね?
うつ病だったら、病気だから許される説もあって、どっちなんだか分かりません。
死んで、確かめたくなります。
今もけっこう自殺衝動が強くて、このまま死んでしまうかもしれません。
ごめんなさい。
まず、
に関しては、そのとおりだと言っていいです。
ただ、自分が自殺してしまったうえで、誰かを同じ哀しい結末から外れさせようとできているなら、そのひとは既にかなりの程度回復してきているとは言えます。
そうでなければ、自分の苦しみで頭がいっぱいで、誰かを助けようという発想に至れません。
そして、誰かを助けるより、誰かの足を引っ張るほうが簡単であるというのにも、納得していただけるのではないかと思います。
肉体人と霊存在の差は肉体があるかないかに尽きるので、結局は同じように、それぞれの考えかたで動いていて、似通った意志を共有するひとたちが寄り集まっているということです。
それから、
「ラクに死ねる方法」
を説いているひとのなかには、もしかしたら心から
苦しまずに自殺させてあげよう
と思っているひともいるかもしれませんが、そもそも死ぬ前の段階で
「ラクに死ねる」
と言い切ること自体に無理があり、精確には
「ラクに死ねると自分が考える方法」
でしかないということを考えてみたらいいと思います。
死んだときは既にこの世にいないのですから、それはあくまで「想像」でしかありません。しかし自殺したあとの霊が、私の知る限り全員後悔しているというのは、私の「想像」ではありません。このことを、洞察してみる価値は大きいと思います(もちろん、霊的なこと自体すべてを「妄想だ」と考えるひとたちがいるのは重々承知していますが、だからこそ誰より私自身が私の真実を、日々検証したいと思っています)。
それでも安楽死なら、まず間違いなく「安楽」なんじゃないか?
と思うかもしれませんが、それもあくまで
「肉体が機能を停止するまでが安楽(ほとんど無意識である)」
ということにすぎず、死んだあとの葛藤や苦しみを減少させるものではありません。
また、
についてですが、これは実際には
「罰」
だとか
「許される」
という感覚そのものが間違っていて、それはあくまでも自分のなかで起きるものです。だからこそ、それが最も厳しいのです。なぜならそこには言い訳の余地が存在しないからです。そして、すべての可能性が余すところなく開示されるからです。
だから私としては、その可能性を、生きて確かめてみてほしいと思います。
そしてもしあなたが自殺したとしても、私はあなたの肉体を蘇らせることはできません。そのときにどれだけ謝られてもどうにもできないので、今もし私に本気で謝ってくださっているなら、どうかもう少し、踏みとどまっていてください。私は心から、そう願っています。
ありがとうございます。
やっぱり自殺しようとしたけど、怖くなって出来ませんでした。
自殺するというのは、ものすごくエネルギーがいることなので、うつ病でエネルギーが不足している時に、出来るわけ無いのです。
なるべく、前向きに考えて自殺を回避する方向に行けました。
守護霊様、私の自殺した前世の記憶が必死に守ってくれたのでしょう。
自殺した霊の話は、とても納得出来ました。
確かに、苦しいと人の足を引っ張ってしまうほうが楽なのかもしれませんね。
罰を与えられるのではなく、自分自身が後悔して苦しむだけなのですね。
自殺サイトにつきましては、確かに出来るだけ苦しまない方法で死なせてあげたいと思う人もいるとは思いますが、もし本当に苦しまないと思っているのなら、自分がその方法を実行していると思うし、昔の硫化水素自殺のように、本当はとても苦しむのになぜか楽な自殺方法として出回ってしまう場合もあり、鵜呑みにするのはとても危険だと思いました。
また、痛みを認識出来るのは脳だから、霊界に行くともう脳が無いのだから、痛みも苦しみも感じないという意見もありましたが、肉体を失ってからも、肉体的な痛みも感じるのでしょうか?
逆に肉体のクッション剤を失うので、10倍以上もの痛みを感じると言う話もあり、もし本当なら、ぞっとします。
Dilettanteさんが、私の自殺を止めてくれたなら、私も元気になったら絶対に人の自殺を止められる人になります。
それが、うつ病であり希死念慮のある私の生まれて来た使命であると感じるからです。
こういう考え方で生きていると死にたくならないという考え方はありますか?
私も、自分が死にたくなるので、死にたいと言って来る人にあなたにいなくなられたら嫌だから、死なないでとしか言えませんでした。
直接、関わりはなかったのですが、同じうつ病の人を自殺で失ったこともあります。
これ以上、犠牲者を出さないために死なないほうがいい理由が知りたいのです。
少なくとも、私はここで死んだら後悔するかもしれないという気持ちが芽生え始めました。
心から感謝致します。
ええ、そもそも
「自分で生まれたくて生まれてきたのに、それでも自ら死んでしまいたくなる」
というのは、明らかな
「異常事態・パニック状態」
なのですが、だからと言ってそれが短期的・一時的なもので収まらないというのは、いかに今のこの世界が病んでいるかの証だと思っています。
だからその意味において、あなたが自殺したくなってしまうのが、あなただけのせいだとは、まったく思っていません。
私の目的は、あなたを責めることではないということです。
ただどんな世界であろうが、
「自殺してしまったら同じ人生にはもう復帰できない」
という事実は揺るぎないので、そしてそれはあまりにも哀しすぎるので、私はなんとか、あなたに生きていてほしいと思って、必死に言葉を紡いでいるということです。
ただ私にとっては、
「真実を理解する」
というのが大きな役割を果たしてくれていて、だからこそ自殺が引き起こす事態のひどさが骨身に沁みているというのがあります。
ですから私はあなたにも、ひとつひとつ理解を深めることで、想いを整理しつつ、生きることを選んでほしいと思います。
別の視点から端的に言ってしまうと、
自殺はあまりにも、割に合わない
のです。
また、
については、
「肉体がない」
という意味では、確かに痛みは減少するはずなのですが、本当には
「痛みや苦しみというのは肉体的である以上に精神的なものだ」
ということを考えれば、肉体を失おうが痛みを感じたり、むしろそれが強まって、ときには10倍にも100倍にもなるというのも、理解していただけるのではないかと思います。
このあたりについては、
なども参照していただければと思います。
それから、どうやったら死にたくならないですむのか、あるいは自殺したいひとを止められるのかは、私もいつまで経っても試行錯誤の最中で、
「万能の答え」
はわかりません。
ただだからこそ、私は今までたくさんの文章のなかで私の思索を共有してもらおうとしているので、そこからご自身なりの答えを見出していっていただければと思います。
その前提のうえでひとつ挙げるとしたら
などの考えかたはぜひお伝えしておきたいもののひとつです。
いずれにせよ、今のような社会では、流されるだけで簡単に死にたくなることができるのに対し、生きる意志を保ち続けるのはとても難しいと思います。
ですから私も自分自身にさえも油断せずいようと思っていますし、日々自分と向き合っていきたいと思っています。
あなたにも現実的な問題がたくさんあるだろうなか、それでも生きようとしてくださって、ありがとうございます。
これからも少しでも、支え合っていけたらと思います。
どうぞよろしくお願いします。
生きようとしてくれて、ありがとうございますと言われて、涙が出そうなほどに感動しました。
世の中には、自殺を止めようとすることは常識のように言われていますが、実際は一部なのかもしれませんが、自殺サイトで自殺の方法を教えたり、薦めたりする人もいます。
そういう人は、いずれ罰を受けるとは思うのですが、例えそれが自殺をすることで救ってあげようという思いからなのだとしても。
自殺しても、それで楽になれることなんてないんだと何とか自分に言い聞かせて、踏み止まっています。
罰を与えられるわけではないと言われましたが、やっぱり自殺して安らかになれることは無い、また同じような人生をやり直さないといけないと思うと何としてでも、生き抜かなければと思います。
不幸だから〜の記事を読んで、幸せになれるまでは生きなければと思いました。
もし、霊界での記憶があってこのことがみんな分かっていれば、誰も自殺しなくなり人殺しもしなくなって、平和な世の中になれると思うのですが、なぜ神様は生まれたら霊界での記憶もなくなるように人間を作ったのでしょうか?
それも試練だということなのでしょうか?
でも、潜在意識での記憶があるので、人は誰に教えられなくても自殺や殺人が悪いことだと分かるのでしょう。
こんなふうに霊界に関する無知が跋扈しているのは、私たちの
「初期設定」
に由来するものではありません。実際に、肉体人がもっと霊の存在を自然に受け入れ、霊とひとと自然(神)が調和的に暮らしていた時期というのはありますし、これからもそうできない理由はないので、私もそのような世界にしたいと思っています。
ただ、そうは言っても過去生の記憶が肉体にすべて引き継がれていくと、その情報だけで肉体に多大な負荷をかけてしまいますから、実際には常時肉体に保存するのではなく、必要なときに必要なデータを引き出すという感じにはなります(このあたりは、パソコンなどの「端末」とNASなどの「外部記憶装置」の関係を考えてみてもいいと思います)が、それでも完全には情報を読み込めないのは、
「あまりに『過去』を引き継ぎすぎると、それが『しがらみ』にもなってしまうから」
だと言っていいです。
「自分の親がかつては自分の妹だった」
とか、
「過去生の自分の玄孫が犯罪者になっている」
などという事実を知っても、どうしたらいいか困ってしまうことも多いでしょう?
ただ、どんなに表面を「リセット」したとしても、環境や肉体が変わっても
「魂の核心」
と言えるようなものは変わらず、あなたのおっしゃるとおり
「潜在意識(魂)の記憶」
というものはずっと引き継がれるので、端的に言えば
自分が自分であることからは、永遠に逃れられない
ということです。そしてそうであるなら、なんとかしてそれを喜びに向けたいと、私自身も切実にそう思っていますし、あなたもそう思える道を、いつかには、見出してほしいと思っています。
そういう前世に関する話は、聞いたことがあります。
偶然、生まれて来たように見えても、生きていくための様々な配慮が含まれているのですね。
自分が自分であることからは、逃げられないことは分かりました。
他の記事に書いてあったのですが、死んだら天国に行けるというのは、幻想や思い込みだとありましたが、例えばいじめられて自殺したり、過労やうつ病で自殺すると、かわいそうに、天国で安らかにお眠り下さいなどの言葉を多く見ますが、死んだら楽になれるというのは、人間の理想でそうだといいなという思いから作り出されたことなのでしょうか?
だとしたら、いくら身内に死なれて悲しみのやり場が無い気持ちはよく分かりますが、安易に天国で幸せになって下さいというべきでは無いのでは無いのでしょうか?
そういう人の言葉を信じて、自殺、後追いなどが出たら、そういう人の責任は殺人になります。
ひとりだけじゃなくて、何人も犠牲者が出たら最悪です。
遺族の方には、酷なことかもしれませんがしっかりと死後の現実と向き合うことが必要です。
逆に、死後の苦しみが分かっていたら、今どんなに苦しくても誰も自殺しようとはしなくなると思います。
私は、今までいいことよりも悪いことをしてきたほうが多いし、物事を途中で投げ出したりもしましたが、今からでも自分と向き合ったら、幸せな世界に行けるのでしょうか?
とりあえず、弱っている時は死んで安らかに眠れるなどの言葉を信じたくなりますが、信じないようにして何とか生きていきます。
そうですね、たとえいじめが原因でも、過労状態やうつ状態にあったとしても、自殺でラクになれるということはありません。
ただもちろん、死んでラクになれるというののすべてが間違いなわけでもありません。
できると思えばできる
「精神力が足りない」など、精神の大切さばかりを説かれると、げんなりすることもある。だが、確かに精神には強い力がある。ただし、この世界では、様々な立場の様々な存在の「...
にも書いたとおりで、霊界というのは、想いがすべてなのですから、清々しい気持ちに至ったひとは、霊としても清々しい気持ちで存在します。
ですからある意味では肉体界よりも多様で千差万別だとも言えるのですが、だからこそ
「死んだからと言って『自動的に』ラクになるわけでもなく、永遠にラクになれないひともいない」
というのが、答えなのです。
ですから肉体を持っていようが持っていまいが、
「天国も地獄も、自分たちで創り、維持発展させるもの」
だという認識が、すべての基礎になると思います。
そしてあなたのおっしゃるとおり、こうした認識が浸透しさえすれば、自殺などはいずれ一掃できると、私は信じています。
それにそれは
「誰かの強制」
ではなく、
「当然の流れ・自発的な意志」
によって、そうなっていくというのが、醍醐味だと思います。
死によって簡単にしあわせになれるなら、生きる必要はありません。
逆に言えば、しあわせな場所から、わざわざ苦労するだけの場所に生まれてくるわけがありません。
そう考えると、
「生きることには、それだけの価値がある」
ということが、明らかになってくると思います。肉体界も霊界も
「現実」
の一部なのですから、どちらかでだけしあわせになれるということはあり得ないのです。
しかしそれは、
「どちらの世界でもしあわせになれる可能性はある」
ということなのですから、私もあなたと一緒に、その可能性を、自分自身の人生のなかで、追求し続けたいと思っています。
そして自殺した過去生があるとご自身で感じているあなたが、それでも今後は最期まで生き抜くことができれば、まずそれだけで大きな一歩だというのは、先にも申し上げたことですが、そんなあなたがさらに
「しあわせ」
を感じるところまで至れるときが来たら、それは多くのひとびとにとって希望になることは間違いありません。
ですから少なくとも
「あなたに生きる意味がないなどということはあり得ない」
ということを、いつも覚えていていただきたいと、そう思っています。
ありがとうございます。
体調崩していました。
では、思いが死後の霊界での環境を作るということなのでしょうか?
思ってみたら、死んだら楽になれるという根拠もないのに、今が苦しいから、今の状態から解放されて楽ということから、当たり前のように信じられているのはおかしなことです。
死後の世界なんか無い、死んだら無になると思っている人が生きているのも矛盾しているように感じます。
確かに、すべての霊能力者やスピリチュアルカウンセラーが正しいということは無いし、彼らのお金儲け主義を批判するのも分かりますが、だからと言って目に見える物しか信じないのでは、毎日を無意味に繰り返して、最後は死んでいくというのは虚しいです。
霊界での記憶が生まれる前に消されるのは、魂の目的が分からないほうが学びになるからでしょうか?
生まれた時から、魂の目的が分かっていれば、いじめやパワハラ、自殺、殺人もなくなって住みやすい世の中になるとおもうのですが。
霊能力者には、魂の目的と死後の世界を伝える義務がありますか?
まず、
については、概ねそのとおりだと思っていいと思います。
ただだからと言って
自殺したらラクになれる
と思い込んで自殺してもラクになれるわけではないので、その意味ではやはり
「奥底の想いがあぶり出されて結晶化する」
と言ったほうが精確だと言えそうです。
また、思い込みが強い力を持っているのも間違いないことなのですが、それでもやはり
「真実」
と呼べるものもあるということ、これもこの世界の奥深さというか、醍醐味だとも思います。
また、
というご意見については、確かにそのとおりだとも言える半面、
「このような仕組み(現状)になっているのは、私自身の意志の顕れでもある」
ということも、大切なことだと思っています。
ですからたとえば霊存在についても、
霊なんてものはいないと見なして生きてみたい(そのほうが自分にとっては都合がいい)
と思うようになったひとたちが多数派を占めたので、こうなったということです。
それから、
については、それはあくまでも「義務」ではなく、
「自分自身の意志と選択」
によって行われるものですが、とはいえそのような想いから始まったはずのものさえも、少しずつ少しずつ歪んで喜びから離れていった実例がそこらじゅうにあるわけですから、私もそのようなことを常に意識しつつ、
自分をどう活かすか?
ということを、考え続けていきたいと思います。
最後に、少なくともこないだは確実に自殺を意識していたあなたが、今回体調を崩したとき、それは嬉しいことだったか哀しいことだったかなんだったのかということ、そしてそれはどうしてなのかということを考えてみるのは、あなたにとって大きな意義のあることだと思いますので、気が向いたら考えてみてください。
どうぞよろしくお願いします。
お返事ありがとうございます。
霊がいないほうが都合がいい人と言うのは、この世でどんな悪いことをしても死後の世界がなくて無になったほうが都合がいいと言うことでしょうか?
私も、出来るならば死後の世界は、無か天国のような場所のほうがいいのですが、自殺してあの世に逃げて幸せになれる気がしない、これは本能的なストップがかかって自殺を実行出来ないのです。
例え、自殺時の痛みや苦しみがなくても、どこに行くか分からないと思うと、足がすくんでしまいます。
でも、本当は死ぬのが怖いから無理やりに生かされているような人生は、嫌で心から楽しめて、幸せに生きたいです。
うつが重症化すると、自殺サイトの閲覧癖が出てしまい、ここにたどりついたのですが、多くの人が楽に死ねる方法を探していると思うと、また憂鬱になりました。
楽に死ねると想像している方法や自殺未遂者の体験談でも、言っていることはばらばらですが、あまり人のいうことは、参考にはしても鵜呑みにする必要は無いという記事をみて、実際自殺サイトには、記事をみて自殺してしまった未浄化の自殺霊が自殺に誘導しようとするから、本当は見ないほうがいいという話しを聞きました。
だけど、止められません。
だから、とりあえずは鵜呑みにしないようにしています。
負の集団の話しにもありましたが、なぜ人を巻き込みたいのでしょうか?
自分だけ苦しい目に合うのが嫌なのでしょうか?
負の集団がいなくなったらいいのにと思います。
やっぱり、霊能者には全員ではないけれど、伝える役目はあると思っています。
これもひとつの答えだと思います。ただそれ以外の理由でも、霊存在を認めないことでいろいろ都合がよくなる立場や目的というものはあるものです。そのようなことをときどき考えてみるのも、いいことだと思います。
そして
という感覚は、大切にしていただけたらと思います。
仲間がほしいという感覚は、私も持っている普遍的なものだと思います。ですがだからこそ、もともと負の霊になるために生まれてきた魂はないのですから、私は彼らにも、本当の喜びに向かっていってほしいと思います。
そしてもちろん自分自身の生きかたも含めて、これからも考え続けていきたいと思います。
霊存在がいないほうが都合がいい人がいるというのが分かりません。
そもそも、霊がいなくて死んだら無になれるなら、何も頑張って生きなくても自殺したほうが楽だし、賢い気がします。
死んだら無になれると思っているのに、生き続けてるとか、生きる意味は無いと思っているのに生き続けている人に、大きな矛盾を感じます。
それとも、そういう理屈は理屈だけど、やっぱり本能的には怖いということなんでしょうか?
自殺サイトや完全自殺マニュアルでは、大半が全然痛くも苦しくも無い自殺方法が紹介してありますが、それらも一緒に死んで欲しいという負の集団のようなものなのでしょうか?
自殺サイトによって、自殺してしまった人もいるのに、とても無責任に感じます。
そういう人の霊は、やっぱり自殺サイトの管理人を恨んでいるのでしょうか?
死にたいと思うのに、恐怖がストップをかけてくれているのは、恐怖さえなかったら死ねたのにと恨みたくなりますが、大切にしたほうがいい感覚なのですか?
肉体を持っている間はまさに
身に覚えがない
というので言い訳ができますが、本当には自分が望んだからこそ生まれてきたというのは魂に記憶されているわけですし、そうした意味でも「本能」では死にたいひとはいないと思います。
「生まれたくて生まれてきたのに自殺する」
というのは、最大の矛盾とも言えるからです。
これは個人差があるものだと思いますが、ただ自殺について誰かを恨んでもどうにもならないということに気づくまでは、いずれにせよ時間と心の整理が必要だと思います。
これはむしろ、
恐怖があるから生きられている
と考えたほうがいいと思います。
いいことがあるとわかっていることに対して、勇気が出ないことでできないのなら、その妨害に対して憤慨する意味もあるでしょうが、今の場合はむしろ逆で、生きていたほうが自殺するよりははるかにいいのにもかかわらず、その「生きる勇気」を出させないように妨害されているのなら、それに対して正しく憤慨すべきだと思います。
そのあたりの本末転倒が解消されたとき、自殺したいと思うひとはいずれ必ずいなくなると、私は思っていますし、なにより私自身がそんな世界を、創りたいと思っています。
自殺しようとしてしまいました。
毎日の憂鬱感から解放されたかったのです。
すごく苦しかったです。
思ってみれば、自殺サイトで楽だ、簡単だと自殺方法を吹聴しながら、まだ生きている管理人を信用出来るわけありません。
人のせいにしても、意味が無いとは言いますが、私が騙されて苦しくないと思い込んで、自殺して苦しかったとしたら恨んでしまいます。
だったら、自殺サイトなんて見なければいいのにと思われるかもしれませんが、もしかしたら楽に死なせてくれるんじゃないか?の思いが捨てられません。
確かに恐怖に生かされています。
いつの日か、恐怖感に感謝出来るといいのですが。
生きていても苦しいのですが、生きているほうがいいのでしょうか?
ここにもはっきり書いていることですが、自殺することで憂鬱感から解放されることはありません。
それに、もう
「自殺という仮初めの逃げ場」
が完全になくなるぶんだけ、生きているときよりも苦しいと思います。
死んでしまえばもはや
知らなかった
では済まされないからです。まして、あなたはこの文章を読んだので、なおさらです。
私は、誰かが苦しむのを見て喜ぶような趣味も、一時しのぎの嘘で煙に巻く趣味もありません。
ですから私は何度でも
生きていても苦しいのだとしても、自殺するよりははるかにいいですよ
と言い切ります。私に訊いたらいつでもこう答えるので、そのつもりでいてください。
どうぞ、よろしくお願いします。
お返事ありがとうございます。
何か、不安で眠れなくてここを見に来てしまいました。
てか、そもそも人間がどうやっても自殺なんか出来ない存在だったら、また開き直って仕方ないから人生を生きていこうとも思えるのに、自殺しようと思えば短時間ですぐに自殺出来るからこそ、また悩んでしまいます。
生きている限り、死にたくなるからならいっそ死んでしまったらもう死にたくはならないという考えが浮かびました。
でも、死んだら死んだで消滅したいのにと思うかもしれませんけど。
神様が幸せになるために人間を作ったって言うけど、この世に産まれて来たくなかったのに生まれて来て死ぬに死ねない人を作って何が楽しいんだろう?と思います。
世の中、いじめで死んだらいじめから解放されて良かったですねって言っている一方でいじめ対策をやっていて、死んでいじめから解放されるならみんな死ぬのが一番のいじめ対策じゃないですか?って言う矛盾。
頭がごちゃごちゃしていて、でも、恐怖で自殺出来ないのなら、一生死にたいままで生きていくのか?と思うと憂鬱です。
自殺を止めてくれて、ありがとうございます。
潜在意識は自殺したくないんですけど、表面的な意識が自殺したいから戦っているのが分かります。
私が
と書いたのはまさにこのことを指したものです。
私たちにできるのは
「自殺すること(肉体を殺すこと)まで」
であって、どうやっても
「存在を抹消すること」
はできませんので、その事実を突きつけられたとき、苦しみはより深くなるということです。
そして、
については、神様(と呼ぶのに最も近しい存在)が創ったのは人間ではなく
「世界の仕組み」
です。というより
「世界の仕組みそのものが神」
だと言ってもいいです。
そのうえで、生まれてきたくないのに強制的に生まれさせられた存在はありませんので、生まれてきたのはあなた自身の選択によるものです。
だからこそ、自殺して後悔しないひとはいないということです。
今は、私の話の半分も浸透しないかもしれませんが、いずれ少しずつ少しずつでも、いろんなことを整理していっていただければと思います。
そして1日1日を、生きていてください。
ありがとうございます。
もう、死ぬのも思考するのも面倒に感じます。
確かにネットには検索すると、すぐに楽に死ねる方法が出て来ていますが、自殺未遂者の体験談であっても、自分で再度自殺を試みてはいない、一瞬で苦痛無く死ねる方法があるなら、世の中もっと自殺する人は多いのでは?と考えて思い留まっています。
最近では、麻布の白石容疑者のようにネットで自殺志願者を募集しては、殺していたなどの事件もあるので、あまり信用しないようにはしてるのですが、魚の骨のように喉に引っ掛かって苦しくなります。
世の中、見ず知らずの人を恨みがあるわけでもないのに、殺そうとする人なんていないだろうの前提が壊れました。
自殺志願者の弱みに漬け込む人達は、ちゃんと裁かれていくのでしょうか?
自殺したい人が、どうか思い留まれるようなサイトが出来て、自殺を後押しするサイトがなくなりますように。
本当に、死にたい人はたぶんいないと思うから。
そういう時の誰かの一声で、自殺に踏み切ってしまうものだから。
私も、昔ずっと死にたいって言ってくる友達がうっとおしいし、どう言っていいのか分からなかった。
その人が、そんなに死にたいんだったらもう死なせてあげたいと思い、死ねば?と言ってしまいました。
正解なんて無いけど、どうにか思い留まってくれるように考えるべきだった。
それが、自殺サイトで自殺を促す人であっても死んでいいわけじゃないから。
自殺を止めるのは、難しいですよね?
うっとおしく感じる時もあるし。
ありがとうございます。
たびたびの投稿失礼します。
疑問が沸いたのですが、自殺した人の死後って暗くて孤独な場所のはずなのに、どうやって負の集団の仲間を集めるのですか?
孤独な場所にいても、自殺した霊同士は波動で分かるものなのですか?
あくまで「裁き」は自分自身の良心によって自分にもたらされるものではありますが、死んですべての因果を突きつけられたときには、少しずつでも反省していただけると思います。
また、私はこの世界からまずなにより自殺をなくしたいと思っていますし、真実が広く共有されるようになれば、遠からず実際に自殺はなくなると確信しています。
ただ確かに、自殺を思い留まってもらうのは簡単ではなく、万人に通用する方法はありません。
それに、自殺願望があることすら表に見せないひとも多々いますし、そうでなくても24時間付きっきりでいることはできませんので、本人がどうしても決行しようとしている場合は、誰にも止められないと思います。実際に、私の知人でも複数の自殺者がいます。
しかしだからこそ、私も本気で自殺をなくしたいといつも思っています。
それから、
については、負の霊というのは
「他者のしあわせを願わない(自分と同じように苦しんでほしいと思う)存在」
のことですので、自殺者に限ったものではないです。
それを踏まえたうえで、自殺者は大概の場合鬱々とした孤独な世界に至るのですが、そこで自分と向き合い改心して生まれ変わるほうではなく、他者を同じように苦しめようとする想いのほうを選んだ場合、その想いによって共鳴した存在と徒党を組み、負の霊団の一員となることになります。
ただこれも、負の霊が必ずしも集団化するわけではないということも付け加えておきます。
また、負の霊団とは言うものの、そこに本当の意味での
「団結」
があるかは非常に疑わしく、実際には
「たまたま一時的に利害が一致しているから集まっている」
というだけだと思っています。そのため、
「仲間意識」
のようなものが見られることは極めて稀で、いざというときには容赦なく切り棄てられます。
ですからあらゆる意味で、負の霊団に加入するのは、誰にも勧められるものではありません。
丁寧な説明をありがとうございました。
負の集団については分かりました。
生きていて、自殺を推奨するようなサイトを作っている人もそれと同じでしょうか?
自殺方法を公開しておきながら、私は自殺に反対ですとかサイトでメッセージのやり取りをしていた人が死んで悲しいなど言っていますが、本心なのでしょうか?
まだ、人を自殺させたい人は目的がはっきりとしていますが、完全自殺マニュアルの鶴見氏のように、いざという時に楽に自殺出来る方法を知っておいて、今は思い留まろうとか、自殺防止サイトと言いつつ、自殺を勧めてたりするのを見ると、何がしたいのか?混乱します。
白石容疑者のように、偽善を装い、自殺志願者に近づくのが目的なのでしょうか?
そもそも、完全自殺マニュアルでは、自殺を大絶賛して、芸術品とまで言っておきながら、なぜ著者がいまだに生きているのでしょうか?
負の集団も自殺を勧める際に、似たような死への絶賛、誘導をしていると聞いたことがありますが、それと同じことですか?
逆に、この本によって命が救われたと言っている人も多いようなので、悪いとは言えないのでしょうか?
前に、自殺サイトの中には本当に楽に死なせてあげたいと思っている人もいると書いていましたが、なぜそれを自分で試さずに、他人にやらせようとするのでしょうか?
ノイローゼになっています。
芥川賞作家の金原ひとみさんのインタビュー記事を読みました。
10才の時には、もう非常階段から飛び降りたかったそうです。
結婚しても、母になっても、フランスに移住しても、少しも死にたい気持ちは軽くならないと言われていました。
痛みでしか生きる実感が沸かずに、リストカットやピアス、タトゥーなどを入れて何とかやり過ごして来たようなのですが、やっぱり小さい時から理由も無く死にたい人って過去世で自殺してると思ってしまいます。
産まれてから、一度も自殺を考えたことが無いという人も稀かもしれませんが、死にたいと思いながら生き続けるのもしんどいです。
昔、リストカットを繰り返して、楽にきれいに死ねると思ってガスを吸い、苦しんで、さらに霊界でもまた苦しむのかと思うとやりきれません。
だからって、自殺して楽になられても困るんですけど。
自殺志願者は、確かに健康な心を持った人よりは漬け込みやすいのかもしれませんが、本当に楽に死ねるのならいいんですけど、苦しんだりその後障害を抱えたり生きないといけなくて、白石容疑者に殺された被害者は自己責任で、死にたくて死ねたのだから良かったとまで言っている人がいて心が痛みました。
自らが自殺未遂の経験者でも、そんなこと言うんだから、余計自殺志願者が救われません。
有名ないのちの電話も、ボランティアで研修費用は自己負担でなる人が減って来ているらしく、日本政府も自殺予防と言っているわりには偽善者だと思います。
少なくとも、有害自殺サイトは強制閉鎖にして欲しいです!
私も自分の体調が治ったら、何か自殺防止になるような文章を発信していきたいと思っています。
まずお伝えしておきたいことは、ひとつの手法として
「問題提起のために、過激な手法を選ぶ」
とか、
「極端を提示することで、逆方向への揺り戻しを起こさせる」
というものもあるということです。
ですから、自殺を過度に勧められることによって、却って自殺から遠ざかるというのも、充分にあり得ることだと思います。
その意味では、発信者がそういう意図に基づいて行っているとしたら、それはそれで悪いとも言えないと思います。
ただもちろん、その手法も全員に通用するわけではないですし、私自身としては、そんな手法は選択しないということは言えます。
それから、あなたはとても生真面目なので想像できないのかもしれませんが、なかには
自分にはできないからこそ、誰かにやってほしい
と思うひともいるものです。
ですからその本人のたとえ自殺願望が強固なものだとしても、
「自分独りだけ」
ではそれを実行できないから、それを誰かに実行してほしいと思うこともあると思います。
極論を言えば、
世界のすべてのひとが自殺したあと、最後に自分も自殺したい
と思っている場合もあるということです。
しかし、他者の真意というのは結局どこまで行っても完全には解明できないものでもありますし、まず誰よりも
「自分の気持ち」
を整理して、大切にしたほうがいいと思います。
また、
というご意見に関しては、私としてはむしろ
いちどでもあんな場所に行ったら、2度と行きたいとは思わないと思うんだけど……
と思うのですが、一方で
「自殺が癖になる」
というようなこと、それから虐待などでもよく知られているように、自殺にも同じような
「連鎖反応」
があることを踏まえると、そう簡単な話ではないのだろうとも思っています。
「大切なひとに自殺されることの苦しみを最も知っているはずの遺族から、また自殺者が出てくる」
ということは、そういうことなのだろうと思うからです。
ですからこれは本当に複雑で難しい問題だとは思っているのですが、少なくとも
「自殺して解決する問題はない」
ということと、
「スッキリと自殺できる方法はない」
ということが、明らかに共有されるようになれば、今よりは確実にいい方向に変われるのではないかと、私はそう思っています。
なるほど。
確かに自殺サイトでも、いろんな意図があるのか同じ首吊りだったとしても、苦しかったという話しから、むしろ気持ちよかったという人まで様々です。
個人差があるとはいえ、ここまで違うものなのか?と思ってしまいます。
あるいは、苦しかったや痛かったけどその時の記憶が無いというのもあるのかと思います。
だったら、自殺した後の世界でも自殺しなければ良かったと言う人から、自殺して良かったと言う人がいてもいいような気がしますが、みんな後悔しているんですね。
一度、自殺した人はカルマによって、自殺の誘惑を強く受けると聞いたからそう思いました。
もちろん、潜在意識ではもうあんな怖い所には行きたくないと強く思っています。
自殺した人の遺族から、また自殺者が出るについては、死んだ人に会いたい、死を美化しているのだと思います。
だから、やっと自殺で安らかにとか悩みから解放されて、安らかにお眠り下さいなど言うから、また自殺者が出るのです。
これも、言っている人自身は本心で思っていないのは自分が自殺してないことから明白なのに、他人を自殺させることになるのです。
遺族が、苦しんで自殺したのだから、あの世では安らかにしていて欲しいという気持ちは分かりますが、事実として死ぬ前よりも苦しんでいるのなら、気持ちを分かってもらえなかった、安らかになんてなってないよ、助けて!と言う声を無視されて、寂しくて苦しいから負の集団になってしまうという悪循環が起きます。
自殺サイトなどで自殺を勧める人は、生きながらにして負の集団とも言えます。
かなり、自殺願望高まって来ていますが、死ぬの痛いし、苦しいしなかなか難しいです。
楽に死ねるとか嘘ばっかりです。
やり方が悪いのかな?
もう、分かりません。
死にたいのに、死ねないです。
どうしたらいいでしょうか?
率直に申し上げると、おそらくあなたはどこかに本当にラクに、後悔することもなく自殺できる方法があるなら、ぜひそれを実行したいと思っているように見受けられます。
ですが、そんな方法はありません。やりかたが悪いのでもなく、あなたが特別にいじめられているのでもなく、誰でもがそうなのです。
そしてその最大の理由のひとつは
「私たちは、たとえ忘れているとしても、自分が生まれたいから生まれてきたから」
というものです。
生まれたい魂は他にもいっぱいいて、それでもどうしても生まれたいと決意して生まれてきたのに、それでも自殺を選んでしまって、後悔しないはずがないということなのです。
そして自殺は
「避けられない運命」
では決してなく、
「取り返しのつかない未来」
を棄て去ってしまうことだからこそ、誰もがどうしようもなく後悔するということなのです。
ですから、死にたいのに死ねないなら、生きるしかありません。
それはラクではないのは私も知っていますが、自殺するよりははるかにいいです。
それは私が、私の責任において断言します。
ですからどうか、生きてみてください。
どうぞよろしくお願いします。
その通りです。
楽でネットで見るように一瞬で苦痛無しの方法でなら死にたいです。
だけど、苦しかったし死ねなかったです。
時限爆弾のスイッチ押したのに、死ねなかった感じで、もう諦めようかな?と思っています。
死後の世界が確実に無だと分かったら、どんな苦しい方法でも死ぬとは思いますが。
死んでも楽になれなかったら、意味無いですからね。
やっぱり、自殺サイトなんて当てにならないのかな?
変な事件に巻き込まれた人達だって、きっと楽に死ねる、自分で殺さなかったら、他人が殺してくれると思ったのに、楽に死ねなかったんだから。
今は、小学生でも自殺を考えない人のほうが少ないらしくて、負の集団はきっとやりたい放題なのでしょう。
死の直前には、エンドルフェルとかの快楽物質が脳から出るらしいから、それで一時的には気持ちいいのかもしれません。
私は、あまり気持ちいいとは思わなかったけど。
そんなに都合のいい死にかたなんて無い!
ネットの自殺サイトなんて、人を自殺させたい人ばっかりなんだから、信じてはいけない。
もし、本当に一瞬で苦痛無く死ねるなら、いったいどれだけの人が死んでいくのだろう?
半分もいなくなるかもしれない。
死ねないから生きてるだけでもいいのでしょうか?
生きたくて産まれて来たのなら、ずっと生きたいままでいてくれたらいいのに。
このまま、毎日死にたいと思いながら、生きていくと考えるだけで憂鬱になります。
それでも、自殺した後の世界よりはましなら、生きてみてもいいのかもしれません。
世の中からしたら、どっちでもいいような命なのに、何とか生きさせようとしてくれてありがとうございます。
ええ、死ねないから生きているだけでも、自殺するよりはずっといいです。
そして、生まれたくて生まれたのに死にたくなったなら、死にたいと思っていたのに生きていたくなる可能性もあるということです。
ですからどうか、生きていてください。
少なくとも生まれてみる価値はあると思ったから生まれてきたのに、それをまったく味わえないまま自ら死んでしまうなんて、あまりにも哀しいですから。
なすびです。やりとりを拝見していました。
私からもお願いします。どうか生きてほしいです。
そうですか?
死にたいのに、なかなか死ねない自分が嫌でたまりませんでした。
首吊りも、うまくいきませんでした。
苦しいだけで、意識は飛びませんでした。
すぐに意識を失ったという書き込みもあるのに、何で私は意識飛ばないんだろう?
やり方が悪いのかな?と考えていました。
ですが、例えば結婚したからとか子供が出来たからといって、死にたくならなくなったという話しは聞いたことがありません。
効果的なのは、自殺して後悔している霊の声を直接聞いてみたいです。
そういうのは、いきなり入って来るのですか?
自殺した霊に聞いてみるんですか?
自殺した霊の声を直接聴くというのは、かなり決意が必要なものでもあります。
いずれにせよあなたの場合はたとえば私などを介して聴くしかないと思いますが、たとえ私が立ち会っている場だとしても、自殺者のエネルギーはとても独特なので、それに引きずられてしまう可能性も高いです。
自分が後悔しているからこそ、誰かを道連れにしようとしているひともいますので、そういった意味でも私はあなたにおすすめできるものではありません。
また、自殺者の霊というのはあまりにもたくさんいますので、すべてのひとに話を聴いているとそれだけで人生が終わってしまいます。
ですから、私の場合は縁がある存在と対話する機会のなかで、そこから共通項を見出しているというのが実際のところです。
しかしこちらからはたらきかけなくても起きてくる数々の出会いと経験のなかで、ここに書いてあるような想いや見解は、むしろ執筆当時よりますます強まっているというのが、断言できる実感です。
なすびさんへ
コメント、ありがとうございます。
精神障害があり、支離滅裂な長い文章になりご不快な思いをさせてしまったら、申し訳ありません!
本当は、死にたくないからここに書き込んでいるんだと思います。
そうなんですね。
私も少し霊感はあるんですけど、今はめったに見えなくなりました。
他サイトで、霊能力者の方がうつ病で自殺した父親の霊を呼び出したら、生前はとても苦しんでいたようで、家族の事まで考える余裕が無く死んだ今の環境に大変満足して穏やかな波動を送って来ています。と言うのを見かけたのですが、後悔してない人もいるって事なんでしょうか?
それとも、負の集団に騙された通信だったのでしょうか?
自殺サイトから、死に引っ張り込もうとする波動を感じたことがあるのですが、あれが自殺した霊だったのかもしれません。
驚くべき事に、死んだら無になれるよ!と言うのも聞いた事があります。
いやいや、あなたは無になっていませんよね?
いくつかの自殺方法を試して、楽だと分かったのに死ねません!という投稿も見かけたのですが、それならなぜ今生きているのか不思議です。
自殺サイトの生霊も死霊もなぜか、つじつまが合わない事を平気で言って来るので混乱してしまいます。
今は、なぜか若い世代が負の集団に狙われているようです。
洗脳しやすいからかもしれません。
少なくとも私が対話してきたひとたちのなかには、後悔していなかったひとはいませんでした。
また、素朴に考えてみるだけでも、自分が自殺したことによって、家族に取り返しのつかない衝撃を与えたにもかかわらず、それを意に介することなく穏やかでいられるというのは、とても考えにくいことだと思います。
ですから、仮にその意見のすべてを否定しないとしても、せいぜいが
「いちど思い切り後悔し、反省したうえで、再び未来に歩み出そうとするところまで至れたから穏やかになってきた」
というくらいで、まったく後悔していないということはあり得ないと思います。
というより、もしまったく後悔していないとしたら、自他に向き合いきれていないということだと、私は思います。
世界にはあらゆる意見や立場がありますが、すべての基礎になる大原則のひとつに
同じ人生は2度とない。自分と同じひとは誰もいない。そして、自殺は「寿命」(運命)では決してない
ということがあることを念頭に置いたうえで考えることがとても大切だと、そう思っています。
そうなんですね。
まだ、自殺したばかりで気持ちの整理がつかずに反省にまでは至れていなかったのかもしれませんね。
霊能力者の方もご遺族の気持ちを考えてなのか、苦しみから解放されてもう安らかにしていらっしゃいますよとか先祖の供養が足りないので、自殺を促されていますと言う信じがたいような事を言う方もいました。
また、自殺する人生を選んで産まれて来ていましたので、大丈夫です。
今は、菩薩となり神様になるために修行中でいますと言う話しまでありました。
自殺した人が神様になれるのか?
自分が自殺しておいて、どう救うんだ?と思いました。
失礼ですが、霊能力者の方が必ずしも人格が優れているとは言えずに嘘をつかれた事もありました。
追及したら、誤魔化されました。
私は、この世で考えても絶対にありえないような事は、あの世でも無いのではないか?と思っています。
この世で泥棒だった人があの世では警察官になってたり、この世で暴力的な人があの世で急に穏やかになってたりはしません。
正直、そういう事を言う霊能力者の方は信用出来ません。
本当に少しずつだけど、自分の力で生きようと思えるようになりたいです。
まったくおっしゃるとおりで、霊界と肉体界の違いは
「からだがあるかどうか」
にほぼ尽きるので、死んだからといって急に変わることはないです。
ただ、霊界も肉体界も
「いろいろな経験を積んで、視点をいろいろに変えながら、成長する」
ということに主眼のひとつがあるとは言えるので、無限の時間のなかで、どんどん変わっていくのも確かです。
ですからその意味では、今生で泥棒のひとが永遠に泥棒でい続けるということもないですし、今暴力的なひとが永遠に暴力的だということでもありません。
私は世を経てもいかにひとが変わらないかということと、一方でいかに劇的にひとが変わり得るかということの、両面を見てきたとも言えると思います。
そのうえで私はあなたにも、本当にあなたが望む姿に、少しずつ少しずつでも近づいていってほしいと、心から思っています。
一日中、死にたい気持ちに支配されていると大変しんどいので、なるべく考える時間と考えない時間を分けるようにしてみました。
それでも、考えたくなくても死にたい気持ちが入って来る事も多いのですが。
私が精神障害を抱えて生きる事は、産まれる前から決めていた事なのでしょうか?
そういう人生を生きたいと願ったのでしょうか?
カルマ的なものなのでしょうか?
今は、安楽死に賛成する人が多くて、実際安楽死が認められると8割の人は、もう安楽死を望まなくなるという結果が出たようなのですが、つまりいつか死ねる事が分かったら、安心して死を急ごうという気持ちがなくなると言う事で、人間は死なない人はいないんだから、死を急がなくてもいいような気がします。
自分の意思によってという事なのか、いざ死を目の前にしてみたら、急に恐くなってしまったという事なのでしょうか?
天邪鬼のようだけど、死にたい、死にたい言ってても、結局死なないとどこかで思っているのかもしれません。
逆説を示す事で、返って死にたい気持ちがなくなるというのが、少しは理解出来ました。
その一方で、それを乗り越えて死を選ぶ事も簡単に出来てしまうというリスクもあります。
死後にこの世以上に幸せな世界が待っていると信じている人にとっては、自殺の一時の痛みや苦しみぐらいは軽々と乗り越えられるのかもしれません。
私は潜在意識が、たぶん死後の世界を覚えているので、死に踏み切れ無いんだと思います。
シルバーバーチの霊訓などには、自殺した霊に憑依されたり、精神病者には自殺した事の責任は無くて、憑依した霊のほうが罰を受ける事になる、罰などは無い。自分の良心による後悔があるだけだとは言われましたが。
憑依されるような状態は、元々は責任からの逃避から始まっているから、憑依されたとしても本人にも責任がある説があるようなのですが、どちらが本当なのでしょうか?
責任がなかったとしても、しばらくは反省の闇の中に置かれると書いてありました。
私は、今は単にうつ病から来ている症状で死にたくなっているのか、何か自殺した霊にそそのかされたりしている状態なのかは分かりますか?
確かに自分の意思とは別に死なせようとしてくる感じは感じています。
お忙しそうですね。
ごめんなさい。
ここに書き込む事が精神安定剤代わりになっていて、書かずにいられませんでした。
精神的にかなり不安定な状態で、お仕事をお休みしていたのですが、そろそろ戻って来るように会社の方に声をかけて頂いたのですが、迷っています。
人のために頑張る事で、私自身の体調が安定してくる事もありますが、余計に負担になってくる事もありますので。
いろいろ相談に乗って頂いて感謝しております。
こころの健康の相談電話や病院でのカウンセリングも検討してみたのですが、やっぱり霊的な問題が根本的にありますので、ここが一番心が落着きます。
一方的に書き込んでしまうと思いますが、それで心を落ち着けて自殺を思い留まっていると理解して下さい。
私も自殺を考えている人を思い留まらせる必要があるので、そのためには自分がまず納得出来る霊的な真理を学習しないといけないのです!
私は、今回の人生でわざわざ精神障害を背負い、それでも生きていく事に意味があるのか?
どうして、普通の精神障害が無い人生じゃだめだったのか?
と疑問に思います。
普通の人生のほうが、はるかに生きやすかっただろうにと思うのです。
精神というのは
「感受性」
というものでもあるので、そのなかに「悪いもの」というのはないと思います。
ただ、それが周辺の環境(社会)との間で大きな摩擦や葛藤を生みやすいものである場合は、それを指して
「障碍」
と呼ぶのだと、私は考えています。
こうした理解を踏まえたうえで、あなたの精神の在りかたが、いわゆる「罰」というような意味合いでの「カルマ」かと言われれば、そんなことはないと言い切ります。
そして、あなたのあらゆる苦しみは、あなたのなかだけの問題から生じるというわけではなく、周りとの摩擦・不調和において起きるものだと考えれば、自分だけを責める必要がないということは、おわかりいただけると思います。
うつ病自体が霊の影響も含むものなので、このふたつを峻別することは実際には無意味だと思っていいと思います。
ただ、霊の影響を受けるというのは、
「少なくとも自分の一部が、多少なりとも相手と共鳴した結果、増幅した」
ということなので、責任はお互いが持ち合っているというか、両方にあると言えます。
ええ、よろしければこの他の文章も少しずつ少しずつでもお読みいただいて、総合的に検証し、少しでも役立てていただければと思います。
どうぞよろしくお願いします。
お返事ありがとうございます。
だいぶ落ち着いて来ました。
うつ病や精神障害になったのも、きっと必要な経験なんだと思うようにしました。
神様とか死後の世界の説は、いろいろあり過ぎて迷ってしまいますが、死んだ事が無いからみんな想像しているだけなのかもしれないし。
生きている意味は、まだよく分からないけど幸せに近付けるように生きているんだと思うようにします。
自殺しても何も解決しないし、後悔して苦しむなら、死ねないから生きているだけでもまだいいのかもしれません。
死んだ時に、何とか生きて来て良かったと思えるようになりたいです。
そうですか、気持ちには誰にでも波があるものではありますが、少しずつでも落ち着いてきたなら、私もとても嬉しいです。
そしてあなたがおっしゃる
という気持ちは、私とも完全に共通しているものです。
お互い1日1日を、生き抜いていきましょう。
お久しぶりです。
他の文章もいろいろ見てみたのですが、前世で悪い事をしたから、生まれ変わったら貧乏とか障害者に生まれたという事は無いのでしょうか?
逆に魂のレベルの高い人は、難しい人生を選んで生まれて来ているという話しは聞いた事がありますけど。
シルバーバーチの霊訓とこちらの文章では違う所がありましたが、こちらのほうが人間らしく感じました。
例えば、地上での肉体関係や同性愛については、動物的な行動でありいけない事とありますが、こちらでは愛情表現であるとありました。
前世の記憶も、地上の人間の霊性のレベルでは分からないとありますが、こちらでは自分の前世の記憶と話せたとありました。
前世でやり残した事があったり、今の人生をよりよく生きるためならば、守護霊も前世を教えてくれると思います。
だから、Dilettanteさんの話も嘘ではないんだろうなと思います。
私も前世の自殺した記憶が潜在意識に強く残っているので、どうしても死ねないんですよ!
性行為は、生殖のためにだけに許されるっていうのもロボットみたいだし。
死んでみないと分からないから、死んで確めてみたいという気持ちと死んだら後悔しても、もう元に戻れないから辞めておこうという気持ちの板挟みになっています。
霊界テレビがあったら、いいんですけどね(笑)
そういえば、仏教のお話しで将来霊界テレビが発明されて、死後の世界が幸せで皆死んでいって、一人だけ生き残った人が、ブルドーザーで死体の山を片付けていて、あなたはなぜ死ななかったのですか?と聞かれて俺には、生まれつき信じるという事が出来ないんだ!と言ったというお話しを聞いた事がありますけど、何が言いたい話しだったのでしょうか?
つまり、どんなに人から死後が幸せな世界だと聞かされても、自分が信じられない限りは死ねないという事ですかね。
死んだ後にばかり興味があるのっておかしいでしょうか?
でも、私は結局今楽しく生きても、人間は絶対に死ぬんだから生きていても何か虚しく感じて、死に引っ張り込まれます。
これじゃ、いけないんだろうけど。
どうしたら、いいんだろう?
せっかく自分を責めないで下さいと言ってもらったのですが、やっぱり周りとの不調和については、元は私の精神的な不安定さが原因だと思って、それで心無い言葉を言われた事もたくさんあり、それは言った人のカルマになるんだからと思って我慢して来ました。
四六時中、死にたがっていたら、例え言葉に出さなくてもやっぱり人にも伝わるものだと思うし、私がいけないと思います。
だから、死にたいでは無くてだからカルマを解消するために生きなきゃと思えるので、大丈夫です。
だから、気を使わずに本当の事を言ってもらいたいです。
カルマと言われるものはあると考えています。
ただ、確かにそんなに分かりやすい形には現れるものでは無いのかもしれません。
私がDilettanteさんに話しを聞いてもらうのも一種のカルマにはなりますが、それは今度は私がちゃんと死にたい人を止める事で解消されると思っています。
失礼ですが、Dilettanteさんは霊能力者の一人だとは思いますが、私のオーラやついている霊までは見えているのでしょうか?
あまり邪悪な霊がついていると、霊能力者さんのほうが参ってしまうみたいで避けられたりするんですよ!
あまり霊の事は考えないほうがいいと言われた事もあって、不安です。
分からなかったら、分からないと言ってもらったらいいんですけど。
何か見えているのかな?と思って。
私の周りで、霊障が起きた時もあったので。
ご理解いただきたいのは、「悪いこと」というのは誰かが決めるものではないということです。ですから、「罰」というのはなく、あるのはただ
「自分と向き合い続けている」
ということだけだとも言えます。
そもそも、貧乏でいるというのは不幸なのでしょうか?逆に言えば、お金を持っていたらしあわせだと思いますか?
少なくとも、必ずしもそうとは言えないと思います。
ですから、貧乏が罰とか、障碍者と呼ばれる立場に置かれることが罰だとかいうことではないのです。
ある意味では、あまりにも裕福であることのほうが、あまりにも健康であることのほうが、罰なのかもしれません。
つまりこれは、自分で選ぶしかないのです。そしてそれはすべて、究極的には
「様々な体験を積みながら、様々な想いを学び、自分を深めていくこと」
につながっていくということなのだと、私は思っています。
私は他者の見解について詳細に知っているわけではなく、『シルバーバーチの霊訓』についても、名前は知っていますが、詳しく読んだことはありません。
ですがどちらが間違っているとか正しいとかいうこと以前に、まず両者の間には時代の差があり、そうである以上、霊媒にも霊のほうにもその時代に影響されている部分があるということを踏まえる必要があると思います。
そして、地球の状態も霊界の状態もときを経て変わっていますので、当然
も変わっているわけです。
そういうことを考えると、世界には
「間違っているけど正しいこと」も、「正しいけど間違っていること」もある
とさえ言えてしまうのですが、それは結局は
自分はどう生きていたいのか?
という問いに収束されるということさえ忘れなければ、それでいいのだと思います。
こういう気持ちにも一理あるとは思いますが、これはさらに先を見ると
今回死んだとしても、結局はまた生きることになるのだから、生きることを考えるしかない(死は一時的な「区切り」でしかない)
と言うことができます。
「死んだあと」
というのは
「また生きる前」
であり、その意味でも私たちは、本当には、ずっと生きているだけだということです。
だからこそ、それをどうするのかということを、ずっと考えながら実践するしかないのだと思います。
私がずっとわかっていることは、
あなたは自殺したがっているけれど、それはあなたの本来の意志ではなく、あなただけによって引き起こされているものでもなく、そこには「あなたを自殺させようとしている存在」の動きも影響している
ということです。そして、それ以上詳しくわかってしまうと、私の手に負えない責任が与えられてしまうので、それは隠しているのではなく、本当にわからないのですが、逆に言えば、これだけわかっていれば充分だとも言えます。
だからこそ、私は私として、あなたに
生きていてほしい
という想いを、かけているということです。
結局は、世界は想いによって動くということなのです。
あなたがあなたにとって本当によい、あなたが本当に想っている想いを育てていけることを、私も心から、願っています。
分かりました。
不思議なのは、Dilettanteさんは他の記事を読んでみても生きる事に対してとても前向きな考え方なのに何で自殺した低い波動の霊の声が聞こえるんでしょうか?
高い波動の人は、低い波動の霊とは共鳴しないのでは無いのでしょうか?
最近、もう何年もうつ病で死にたい気持ちと戦って生きて来たんだから、もうそろそろ死んでも許してもらえるよ。
もう、楽になってもいいよ。
という声が聞こえるようになりました。
霊が憑依していて、自分の意志では無い自殺だったら、後悔する事はありませんか?
潜在意識では、前世の自分が自殺してひどい目にあったから、絶対に自殺してはダメ!と強く止めています。
もしかしたら、前世の自分を殺した霊と今ついている霊は同じなのでしょうか?
そんなに長い間ついてるのは、何か私に恨みでもあるんでしょうか?
強制的にでも自殺させる事も出来るはずなのに、じわじわ自分で自殺するように仕向けて来ます!
お金持ちで、健康過ぎるのが不幸だとか意味が分かりません。
貧乏で不健康は不幸です。
私がそうだから、分かります。
それでも、それが不幸だと言うのならば、その状況が新たなカルマを作り出すからにしか考えられません。
うつ病でも、自殺したら後悔するんでしょうか?
Dilettanteさんの文章を読んでから、ひどい頭痛がするのですが霊が怒ってるんでしょうか?
たぶん、私はついている霊から一生逃れられないし、また来世でもつかれるのかもしれません。
それでも、生きていたほうが幸せになれますか?
生まれ変わりが強制では無いんだったら、あの世で幸せに暮らせないのでしょうか?
Dilettanteさんは、自殺を止めようと思ってこの記事を書いているのだろうけど、この記事を読んで逆に自殺したら悲しんでくれるのが分かるなら、自殺したいとか思って自殺したくなってしまった人もいて、Dilettanteさんに助けを求めているのを感じました。
自殺したいという気持ちは、一時的なものでこの記事を読んで辞めた人もいるけど、けっこう根強い人もいます!
憑依霊による自殺は仕方ないという考え方もあるようなのですが、シルバーバーチもそうです。それでも、やっぱり自殺したら後悔するんでしょうか?
すいませんが、精神的にかなり不安定なのでなるべく早くお返事もらいたいです!
私を死なせようとしてくる存在もいるけど、死なないようにしている存在もいる感じがしています。
これが、守護霊なのかは分かりませんが、実際に何度も死のうとしているのに死ねませんでした。
何より潜在意識での私が必死に止めているのが実感出来ます。
Dilettanteさんは、こうしてみんなの自殺を止めてくれていますが、前はすごく死にたかったのですか?
じゃないと、こんなサイトを作りませんよね。
私も無理にでも前向きに考えるようにしたら、今ついている霊も離れていってくれますか?
うつ病にならなかったら、もっと幸せに生きられたのかもしれないけど、うつ病になった事にも意味はあるんでしょうか?
そうですね、私の場合は霊媒師として生きているということ、そしてなにより、私が
理解したい
という想いを強く持っているということが影響していると思います。
あとは単純に、私はあなたが思うほど、
のひとなどではないということです。
ええ、そういうお気持ちはわかるのですが、だからといってお金持ちで健康だとしあわせだとも限らないということを考えてみてほしかったということです。
もししあわせがそんなに単純なものなら、誰もがお金持ちで健康で、ついでに見栄えのいい容姿に生まれようとするでしょう。
しかし実際には、そんな
「争奪戦」
にはなっていません。それはいったいなぜなのかということを考えてみることは、とても意味のあることだと、私は思っています。
死んでもからだがなくなるだけなので、本当にはたいして変わらないです。ですから、
「たかだか死んだくらいのこと」
で、急にしあわせになるということはないです。それを思い知るから、どんな自殺者も後悔するとも言えます。
だからこそ、なぜわざわざ生まれてきたのかを、考えたほうがずっといいと思います。
厳密に言うと、生きる意味がまったくわからないうえに、自分の存在が肯定されていると思えず、
世界に殺されるまでは生きるしかないけど、それが今でもいい
と思っていた時期はありますし、今でもそう思うことはあります。
ただ私の場合は、自殺についての現実をこれ以上ないほど思い知らされているので、自殺は選択肢にすら上がらないということですね。
しかしもしそういった霊的な事実をまったく知らなかったら、自殺していた可能性はないとは言い切れません。
ですがそうは言っても、やはり私には
こんなどうしようもない状況で終わりたくない!
という気持ちが昔から強くありましたので、なんだかんだ言ってやはり自殺はしないと思います。
そしてその気持ちは、今もこれからも、ずっと持ち続けていくものになると、そう思っています。
と書いたのも、そういう気持ちからです。
いろいろ答えてくれて、ありがとうございます。
確かにDilettanteさんは、他人霊存在でも理解したいと思う気持ちが強いのは感じていました。
見ず知らずの人に、何の迷いも無く生きて欲しいと言える事に疑問すら感じていました。
そうですか。
死んでも幸せにはなれないんですか、少しがっかりしました。
少なくとも、うつ病が治るんじゃないかな?と思ったのですが。
今、生まれ変わって来た理由は、前世で自殺して後悔したからかもしれません。
うつ病で死んでも後悔するんでしょうか?
実際、精神疾患で自殺した人でも後悔してるものなのでしょうか?
人によっては、ある意味寿命だとも思えるのですけど。
精神疾患で自殺した人が死んだ時に、もう病気から解放されて良かったね!という言葉を聞きますが、死後でも病気のままなのでしょうか?
お金持ちで健康なら、幸せだとは限らないけれど、持っている事は持ってないよりも幸せな事が多いと思うし、選択肢が広がります。
健康な人は、働く事もスポーツをする事も寝ている事も選べるけれど、病気の人は寝ている事しか選べません。
自殺した霊が後悔して苦しんでいるから、自分は自殺したいとは思わないようになったんですね。
私も、前はいつ殺されてもいいし、このまま目覚めなかったらいいのにとよく思っていましたが、そんな事は起こりませんでした。
私は、生きていたほうが幸せになれますか?
私についている霊は、私を恨んでいるのでしょうか?
えりさん、こんばんは。
えりさんは、「メンヘラ.jp」というサイトをご存知でしょうか?
少しヤバい内容のものもありますが、生きづらさを抱えている人が、自分だけではないし、どのように解決していったのか、という内容も投稿されてて、非常に勉強になりますよ。
私はこのサイトで、かなり救われてます。
よかったら、訪れてみてください。
決して回し者ではないです。
参考までに、と言ったところです。
えりさんへ。
ちなみに、「メンヘラ.jp」は、自殺を決行して助かった人の体験談がかなりあります。
何回も決行したけど、生きている人の体験談もあります。
苦しんでいる人は確かに多いですが、
克服した人の体験談は、涙がでるものもありました。
お悩み投稿もできますし、決して回し者ではないですが、このサイトに立ち寄る事も考慮に入れてはいかがでしょう?
中には、こっちが苦しくなるようなものもありますが…ご参考までに。
ねこさんへ
ありがとうございます。
メンヘラのサイトを見てみますね。
個人的には、あまりメンヘラという言葉が好きではありませんが。
何かばかにしているように感じて。
私の苦しみが私自身のカルマでは無いと言うのは、何かそう見えているのでしょうか?
確かに周りとの不調和での苦しみもあるとは思います。
でも、それだけじゃなくてやっぱり何かしら背負って産まれて来たように感じています。
もしかしたら、前世とかもっと前に人に恨まれてるような事をしたのでしょうか?
そして、それは例え死んでからも逃れられないものな気がしています。
失礼ですけど、Dilettanteさんも霊が見えるようになったのは、運命的な霊の気持ちを理解するように仕向けられた気がします。
うつ病になると、霊感が強くなると聞いた事がありますが、私についている霊は何か恨みなのか、私がうらやましいみたいな気を出しています。
けっこう前からついている気がします。
Dilettanteさんに指摘されてから、さらに体が重くて頭が痛くなったりしています。
私に何か伝えていますか?
うつは精神の状態なので、肉体がなくなったからといって治るということはありません。もちろん、気持ちが変わればすぐ変わることになりますが、そう簡単ではないということです。
そして、精神疾患で自殺することは寿命ではありません。それで後悔から逃れられるのであれば、実際に自殺者のほとんどはなんらかの精神疾患を抱えているとも言われているくらいなのですから、ほとんどのひとは後悔しないということになります。
というよりも、自殺したいという精神の状態が、「正常」であるはずがないとは思いませんか?
つまり、自殺者が後悔するというのは、少なくとも私の知る限りでは、例外はありません。もし見つけたら、この文章を改訂しなければいけないと思っていますが、そのような事態にはなっていないということです。
私としては、まず前提となる
「カルマ」
という言葉の定義から、すり合わせてほしいと思っています。
あなたは自分の状態や苦しみを
「過去の罪に対する罰」
というふうに捉えてしまいがちなのだと思いますが、そういう単純なものではないということなのです。
もしこの「カルマ」というのを、
「この選択に至る背景・理由」
という意味で言うなら、当然あらゆる行動にはカルマがあることになります。あなたが生まれた環境をそのように設定したのには、もちろん理由があるのでしょう。私もそうです。しかしそれは、
「自分に対する罰」
というように、ひとことで片付けられるものではありません。
そして、仮に誰かから恨まれているとしても、だからと言ってあなたが悪いと決めつけられるものではありません。
冷静に見てみれば、あらゆる状況のひとを恨むこともできるし、あらゆる状況のひとを羨むこともできると思います。そして、あなたが羨まがられているということは、つまり少なくとも誰かには、今のあなたの状況さえも、「しあわせ」に見えているということです。
ですから、おそらくあなたが感じていることは、少なくともかなりの程度正しいのだろうとは思います。あなたは過去生で自殺したのかもしれないし、なにかの原因で誰かから恨まれているのかもしれません。そもそも
「自殺した」
ということ自体によって、恨みを買うことすらあり得ます。
しかし、だからこそ、あなたが自殺してもどうにもなりません。そして、あなたがもし、選択肢を多く持つことがしあわせだと思っているなら、なおさら生きていたほうがいいです。こっちのほうが向こうより、はるかに選択肢は多いのですから。だからこそ、驚くほどの変化を遂げることもできるということです。私はその力を、いいほうに向けてほしいと、強く思っています。
お返事ありがとうございます。
このサイトは、ゲートキーパーの方が多いようですね。
お気持ちは、とてもありがたいのですが、私はひねくれ者なので、メンヘラっていっしょくたにしないで!
あなたの死にたさと私の死にたさは違うの!とも思ってしまいます。
過去の罪に対する罰という単純なものじゃないなら、他に何があるのでしょうか?
例えば、うつ病の人の気持ちを体験してみたかったとかなのでしょうか?
精神疾患での自殺については、私もまさにDilettanteさんと同じ事を考えていました。
自殺する人は、冷静な状態では無いし異常な行動なのに、うつ病で死んだ人だけが病死っていうのも変な話しだなと思っていました。
遺族としては、自殺じゃない。病死だったんだ。と考えたほうが気が楽になれるのかもしれません。
Dilettanteさんは、数多くの自殺した霊と話して来て、死に引き込まれそうになったりはしませんでしたか?
精神的な病気は難しいです。
周りから見たら、ただの怠け病みたいにも見えるみたいだし。
闇の向こう側のサイトに出会えて良かったです。
暗いんだけど、何か少しほっとするような暗闇の中にも光りがあるような感じです。
ありがとうございます。
そういえば、聞いてみたかったのですけど自殺した霊は、自殺した場所に留まっているんですか?
それとも、霊界で孤独な環境にいたり、自殺した人が集まって暮らしているんですか?
人によるのかな?
中には、天国に行っている人もいますか?
自殺した霊には、何て言ってあげたらいいんだろう?
また、生まれ変わりたいと思っているんだろうか?
それとも、もう絶対に生まれ変わりたくなくなんか無いと思っているんだろうか?
弟を自殺で亡くしました。
お葬式が終わるまで自殺の理由がわかりませんでした。
家庭不和でした。結婚して四年で自殺に追い込まれました。
とても正義感が強く優しい弟でした。
弟がひどい仕打ちを受けているのを全然見抜けませんでした。ちょっと変わった普通の嫁だと思っていました。
相手の女が憎くてたまりません。
気が付くと相手の女に思い知らせてやりたいとか復讐したいとか醜い考えばかりが思い浮かんで、私自身も嫌になってしまいます。
葬式の途中で私は過呼吸になりその時に自殺の理由も解らないのに「あの女が憎い」という強烈な感情が入ってきました。
これは弟の感情だと思います
弟はいろいろな感情を振り切って成仏することは出来るでしょうか?
四十九日もまだ済んでいませんが、弟の遺骨の前で助けれあげれなくて、苦しさを気づくことができなくてごめんと対話しています。
もちろん返事はありませんが
母も感情の波が激しく自分を律するのが難しいようです。
ただただ地獄の苦しみから解放されて成仏することを願っています。
生前に救うことができなかったので、せめて死後安らかに成仏できるように私たちに出来ることは何なのでしょうか?
残された私たちに出来ることはあるのでしょうか?
ご専門ではないかもしれませんが質問をせずにはおれませんでした。
救いが欲しいです。
どうか、ご教示お願いいたします。
かわのさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
まずなにより、あなたの大切な弟さんをそのようなかたちで亡くされたことについて、心からお悔やみ申し上げます。
ただそのうえで、私も私なりの立場から、率直に申し上げたいことがあります。
それは、自殺の理由についてです。あなたが自殺の理由を
「家庭不和」
にあると思った理由がなんなのかはわかりませんが、たとえ弟さんご本人の遺書があったとしても、そして今の弟さんが実際にその女性を憎んでいるのだとしても、それでもその自殺の原因が、その女性だけにあると言い切れるものではありません。
「死んでしまった」
というのはあまりにも強烈な事実であり、ましてそれが
「自殺」
であるなら、なおさら故人の主張や想いに寄り添いたくなるのは、そのひと、今回で言えば弟さんが、あなたにとって重要なひとであるならなおさら、自然なことだと思います。
しかしそれでも、たとえ死んだとしても、そのひとの視点が個人的なものである以上、そこにあるのは「認識」であり、「絶対的な事実」ではありません。
だからこそ、自殺者は自分の生前の思い込みから離れたとき、いずれ必ず、後悔することになるのです。
ですから、私があなたに強く申し上げたいことは、あなたがその女性を恨むことは、あなたのためにも、弟さんのためにも、誰のためにもならないということです。
あなたの弟さんが自殺してしまったというのは、それだけで既に最悪とも言えることですが、あなたやあなたたちがそこから憎しみを拡げることは、最悪のうえに最悪を塗り重ねるようなもので、どこまでも最悪に向かって堕ちていくようなものです。
しかし、だからといって私がこんなことを言ったくらいで簡単に変われるものではないでしょうし、あなたご自身が感じているように、今のあなたの気持ちには、今の弟さんのお気持ちも、確かに影響しているでしょう。
ですがだからこそ、あなたが本当の意味で弟さんのしあわせと安らぎを願うのであれば、あなたがしてあげるべきことは、
「弟さんと一緒に、弟さんの認識を拡げてあげること」
だと思います。
その方法はひとつではありませんが、ひとつの重要な切り口を提示するなら、それは
少なくとも一時期はお互いを想い合って、愛し合っていたはずのふたりとその家庭が、なぜどちらかを自殺させてしまうほどに荒んでしまったのか?
ということを考えることです。
今の弟さんは頑として認めたがらないかもしれませんが、弟さんは知らないうちに勝手に結婚させられてしまったわけではないのですから、少なくとも一時期は、両者の間には合意があったはずです。そしてそこには、愛があったはずです。今は思い出せないような楽しい思い出も、たくさんあったはずです。これは間違いないことです。
しかしそれが、いつの間にか弟さんを自殺させてしまうほどに荒んでしまった。先ほど申し上げたように、自殺の原因が家庭の不和だけにあるとは言い切れないと思います。しかしそれでも、家庭が円満であれば、支え合える関係性があれば、苦しみがあっても乗り越えることはできたと思いますから、その意味ではやはり、家庭の不和がもたらした影響力は大きいと言えるでしょう。
だとしたら、なぜそんなことになってしまったのでしょうか?
それは直接はふたり自身とは直接は関係のないところ、たとえばこどものこととか、仕事のこととか、その他諸々の副次的な要因から来たのかもしれません。あるいはもちろん、その複合なのかもしれません。
ですがどこかには必ず原因があります。
本来であれば弟さんは、生きてそれと向き合い、その結果たとえ離婚するとか、どんな結果・結論になるとしても、もっとしっかりと考え、よりよい未来を模索するべきだったのです。
弟さんの自殺が本当の意味で本人にとって最悪なのは、彼が自殺してしまったことで、少なくとも肉体を持った状態では、もうそれができず、解決できなくなってしまったからです。そして、今から彼が霊として向き合っていくことになるのも、まさにこういうことなのです。
ですから、もしあなたが弟さんを手伝ってあげたいなら、こうしたことを一緒に考えてみてあげてください。そしてもし、あなたが弟さんと同じ立場なら、つまりあなたが愛していたはずのひとと、あるいは現在でも本当には愛しているひとと、いがみ合わなければいけないような状況になったら、あなたならどうするかを考えてみてください。
そしてそれは、あなたまでもがその女性を憎んでしまったら、決してできないことだと、お気づきになられると思います。ですからこれは本当には、単なる「綺麗事」よりも、もっとはるかに切実なものなのです。
苦しいなかで、ここを見つけてくださって、そのうえでこうして私に直接関わってくださって、ありがとうございます。最初に申し上げたように、あなたご自身がとても苦しく哀しいということを、無下にしたいとは思っていません。しかしだからこそ、ここで憎しみといがみ合いの連鎖を断ち切って、そこまでできなくてもせめて、押し止めてあげてください。そして弟さんを、助けてあげてください。
有難うございます。
この私の心の闇の部分を聞いてくださって本当に有難うございます。
家庭不和と申しましたのは、お葬式が終わった後日、弟の職場の上司の方が「お話があります。お母様方には聞く権利があります。」とわざわざ家を訪ねて来てくださいました。
その方は警察とも繋がっている方でした。
内容は省きますが、弟から相談されていたことを全て話してくださいました。
「あの女には警察からはっきり言われていますよ。家庭不和による自殺です。原因はあなたですよ、と。あなたが殺したんですよ」と。
それを葬式後に聞かされた私たちは。あの女の悲劇のヒロインのような振る舞いは。
やり切れなさが、無念が。感情が悲しみから怒りに変わりました。
そしてあの女は葬式の二日後には当初から予定していた通りに社員旅行に行きました。こんな人間がいるなんて
いわゆるサイコパスという人間だったようです。
負の言葉を吐き出すのはこれでやめにします。
自殺者の魂と検索をかけこちらにたどり着きました。
他にも色々と読ませて頂きました。
涙が次々に溢れてきます。人間とは一体何なのだろうか。とてもとても深い生き物なのでしょうね。
また、私たちがこのような苦しい経験をするということは前世で足りなかった部分を今世で補っているのでしょうか。
この険しい山のような試練の後には、自分自身の財産とすることができるのでしょうか。
私の魂は成長しているのでしょうか。
弟が亡くなってからこっちいろいろと不思議な体験が身の内に起こっています。
いい方向へと導いてくれているような気がします。
弟の私たちへの謝罪なのかなと勝手に解釈しています。
弟は絶対に後悔しています。
顔が腫れあがり変形するまで泣きとおした母を見て、苦しんでいる私達親族を見て。
自分は何と馬鹿なことをしたのだろうと思っていてほしいと思います。
これから生きていく私たち家族はずっとこれらを背負って生きていかなければならない。
このようなことがあったからこそ言えるのでしょうかね。
「生きていれば絶対に絶対に何とかなる。大丈夫、絶対に大丈夫!!」
しばらく時間はかかると思いますが、容認と否定を繰り返しながら自分の気持ちを少しずつ落ち着けていきたいと思います。
Dilettanteさん、本当に聞いてくださって有難うございました。
そうですか、そんなことがあったのですね。
職場の上司にも警察にも相談できていたのであれば、気持ちをまったく整理できていなかったわけではないのでしょうから、あとは本人同士で話し合うことができれば少しずつ少しずつでも解決に向かえたとは思うのですが、やはり自殺の前から、諦めと憎しみで心が埋もれてしまっていたのかもしれません。
どうしてこのひとと一緒になろうと思ったのか?
という、その核心の部分を理解できるのは本人同士だけなので、そこが遺されたひとたちにとっては、少なくとも生きている間は手のつけようのない謎になってしまったということが、私にとってはとても哀しいところです。
その女性にしても、自分の感情を表現するのがとても不得意であることは確かだと思いますので、それが事態をより複雑にしてしまったのでしょう。
そしてあなたのおっしゃるとおり、今回の死は本人も周りのひとたちも、それぞれがそれぞれの立場で、ずっと背負っていかなければいけないものです。
しかし私は誰にもそんなものを背負ってほしかったわけではありませんので、私なりにこれからもそんなことが延々と起こることのない世界に、近づけていきたいと思います。
とはいえもちろん、それはあなたの身に起きてしまった事実を変えることができるものではありません。ですからそれは本当にどうしようもないほどに哀しいことではあるのですが、だからこそ私もあなたの心が少しでも安らかなものになることを、そしてあなたが自分の心を安らげていいと思えるような状況になっていくことを、心から、願っています。
どうか、ご自分を大切に、いたわってあげてください。
まだ、かなり気持ちが不安定な状態です。
自殺した遺族の方のブログには、死ねて天国に行けて良かったね!などとよく書いてありますが、やっぱりそれは遺族がそう思う事で気持ちが落ち着いて、前向きになれるからそう思い込みたいという事なんでしょうか?
前にDilettanteさんが言っていたように、死んで幸せになれるならそもそも産まれては来ていないと言うのが本当だとしたら、それは遺族が都合のいいように解釈しているという事になります。
自殺で本当に天国に行けるんだったら、自分も自殺したら、その先に自殺した人とも会えるんだし、天国にも行けるんだったら、進んでみんな自殺しだすと思うんですけど。
それをしないのは、自殺した人には天国には行っていて欲しいけど、自分は生きていたいという矛盾が出て来てしまいます。
前々から、とても不思議で疑問に思っていました。
自殺した人が死後苦しんでいるのなら、今は苦しいけどちゃんと反省して、生まれ変わったら、今度こそ寿命まで生き抜いてね!というのが正しい供養になるでしょうか?
自殺してからも、楽しいとかうれしいと感じる時もあるんでしょうか?
自殺した人は、確かにかわいそうだという気持ちはよく分かるのですが、それでまた新たな自殺者が出る世の中もどうなのかな?と思って。
だからと言って、自殺者は犯罪者だから葬式はしないというのもいけないと思います。
日本人は自殺を自己犠牲の精神として、美化する文化があるんですか?
それがなくならないと、自殺者はいなくならないのでは無いのでしょうか?
あなたがずっと感じているように、あなたが過去生でも自殺したことがあって、それを踏まえて今回も生まれてきたのだとしたら、あなたは生まれる前からうつ状態のようなものだと思うので、
ということではないと思います。ただ私がずっと申し上げているのは、それは「罰」でも「強制」でもないということです。
なぜならそれを選んだのは、あなた自身だからです。
霊というのは肉体を喪っているわけですが、念を飛ばしたりすることでどこにでも存在できるので、確かに自分にとって思い入れが深いこちらの世界の場所に執着することもあります。これはある意味では
「地縛霊」
という言葉からイメージするものに近いのではないかと思います。
ただこれも、
というのと同じで、ひとによりますね。ただいずれにせよ、誰もがいつかはまた必ず生まれ変わることになります。
それから、自殺者は自殺者同士で集まることはまずありません。
それはあなたが、
とおっしゃるのと同じ理由です。彼らは、
「自殺した」
という一点を以って、一緒くたにはされたくないと思っているので、誰かと一緒にいる気にはならないということです。
そしてそんな世界を、
「天国」
だと思うひとはいないと思います。
ええ、それもひとつの強力なメッセージになると思います。ですからぜひ、あなた自身がおっしゃるように、それをあなたの人生で体現していってほしいと、私も思っています。
そうなんですね。
自殺者の森とかで自殺した霊が集まっていると聞いた事があるので意外でした。
でも、メンヘラ専用サイトに自殺志願者が集まる事を考えたら、一部集まっている人逹もいるのかもしれません。
負の集団は、仲間が欲しいと思っているわけですし。
天国に行っているというのは、遺族の方の想像なのかもしれませんね。
本当は、苦しんでいるのに天国に行っていると思われたら、霊も違うんだよ!苦しいんだよ!と伝えたくて現れるかもしれません。
難しいですね!
本当は生きたいんだけど、生きる理由よりも死ぬ理由のほうが多いから死にたくなります。
まず、特に生きていてどうしてもやりたい事が無い、あるとしても体調不良で出来ない状態だという事と、死んだら楽になれるという情報に溢れた世の中で暮らしているからです。
生きる方法は教えてもらえないのに、死ぬための自殺情報や死後楽になれるという情報はすぐに見つける事が出来ます。
それらの誘惑に負けずに嫌々でも生きていく事がとても難しいです!
でも、自殺するのも怖くて難しいです。
死ぬ時に、もっと早く死んどけば良かったと思うのか、何とか死なないで生きて来て良かったと思うのか?と考えています。
前々から、ずっと思っていたのですが遺族の方のブログが府に落ちません!
自殺した人が天国に行っているに決まっていると書いてあるのに、書いている本人は後追い自殺をしないし、同じような悲劇が起きないようにブログを書きましたとありますが、うつ病だから自殺しても天国に行けるのなら、それは悲劇になるんでしょうか?
同じように、いじめや過労などで自殺した人に安らかにお眠り下さいと言うのも違和感を感じます。
そう思うたびに、私は苦しんで死んだ人の冥福を祈ってあげられない人間なんだと自分を責めてしまいます。
でも、自殺者が天国に行っている事を認めてしまったら、やっぱりみんな自殺したほうが幸せになれると思って、すごく死にたくなってしまいます!
もちろん、遺族としては自殺でも天国に行っていて欲しいという気持ちを否定するつもりはありません。
どうしても、自分の中で矛盾が生じてしまい、気持ちの整理がつけられずにいます。
数多くの自殺志願者と自殺した霊の両方の立場が分かるDilettanteさんは、どう考えていますか?
遺族の方には、申し訳ありませんが私にはこの天国思想が自殺幇助に思えて、ゾッとしてしまいます。
鵜呑みにしないようには努力してはいますが。
それだけ、もう自殺して天国に行きたいという気持ちが強いんです!
でも、潜在意識が必死にそれを止めていて、板挟みになっています。
うつ病の人は、私よりもひどい自殺衝動と戦っていたり、リストカットなどで体を傷つけながらも本当に必死で生きていて、そういう人のブログで死んだら天国に行けるなら死にたい!と書いてあるのを見かけると、この人が遺族の言葉を鵜呑みにして自殺してしまったら、どうしよう?と思います。
霊存在がいない、死後の世界が無いと思っている人が自殺を選ばないのも、ずっと不思議に思っているのですが。
どうしても、考え始めると止められなくてすごく苦しいです!
何か気持ちを整理出来る方法を教えて欲しいです。
率直に申し上げると、天国と言えるようなところからでも生まれ変わってくるひとはたくさんいますので、天国に行けるなら死にたいというのは、わざわざ天国からこちらに飛び込んできた自分との間で自己矛盾を引き起こすことになります。
ですから、その意味では、
ということを心配する必要はないです。そんなことをしても結局後悔してそこを「天国」ではないところにしてしまうので、問題の本質はそこにはないということです。
それから、本当にあなたが気持ちを整理したいのであれば、あなたがすべきことは本当の気持ちに向き合うことです。
それは遺族の方々と表面的なところで対立することでも、自殺者が死んだら天国に行くのかどうかを考えることでも、表面的な質問をすることで誰よりも「自殺」について詳しくなることでもないと思います。
それに、先ほど申し上げたとおり、たとえあなたが自殺して、客観的には「天国」だと言えるような場所に行けるというのが事実なのだとしても、それでもあなたはしあわせになれないでしょう。なぜなら、今のあなたが求めているのは「ゴール」であって、それは「存在の消滅」だからです。ですからその意味では、今のあなたにとっては、天国も地獄も同じものなのだと思います。あなたにとって本当に重要なのは
「天国か地獄か」
ではなく
「有か無か」
であり、存在が続くのであれば、天国だろうが地獄だろうが、あの世だろうがどの世だろうが関係ないのだと思います。
私は今までのあなたの話をお聴きして、ますますこのような感慨を強める一方なのですが、いずれにせよここを確認することはあなたにとってとても大切なところなので、このあとの話を続ける前に、まずいったん、ここでやめておきましょう。
今申し上げたように私としては一貫してこのように見えているのですが、だからといって絶対に正しいわけではないのはわかっていますので、なにかご意見があれば、遠慮なく聴かせていただければと思います。
説明して頂いて、ありがとうございます。
いくら精神を病んでいるからと言い、さすがに遺族の方をさらに追い込むような事は言えませんので、こちらで聞いてみました。
それでも、天国に行って幸せに暮らしているんだという事がいくら矛盾した考え方であっても、それで気が楽になれるという人もいるならば、それを取り上げる事は出来ません。
そもそも、今よりももっと苦しみたいから自殺します!と言う人なんていないのを考えたら天国を目指すのも分かります。
確かに、出来るならば存在の消滅を希望していますが、それが無理な事ならば、なるべく苦しみたくは無いというのは万人に共通する考え方なのでは無いでしょうか?
本当の気持ちは、消滅したいけど、自殺しても消滅せずに今よりもっと苦しむんだったら、生きたい!
生きるんだったら、もう自殺願望から離れたいという事です。
いざ、死のうとしてみたら心残りや恐怖が憂鬱に勝るためにブレーキがかかって、あと一歩踏み出せません!
だったら、死ななきゃいいのにと思うのかもしれませんが、死にたいという強烈な欲求はお腹がすいたというような本能的に沸いて来る欲求なのです!
と言っても霊能者さんが誰が正しいとか人によって死後の状況は違うとかの正解は死んでみないと分からない事なのですが。
私が自殺したら、言っていた事は本当だった。ばかな事をしてしまった!と思うかもしれません。
私の周りにも、生まれて来たくなかった、もう死にたいと言っている人がいるのですが、とりあえず止めていますが、もしかしたら止めずに自殺していたほうが楽になっていたのでは?とフッと頭をよぎる時があります。
だから、そんな事は無い。
自殺を止めるのは正しい事なんだ!
と言ってもらいたかったのかもしれません。
自殺した人が、どんなにこれから楽になれるんだから、悲しまないで!と言ってもそれはあくまで死ぬ前の気持ちであって、死んでから後悔しているかもしれません。
でも、安らかになっているという言葉では自分を騙せないから、死んだ後の真実が知りたかったのです。
後悔しているというのは、おそらく本当の事だと思います。
うつ病で死んでしまった人は、もう生き返らないけど、何かしてあげられるとしたら、苦しくても、もう逃げないで生まれ変わって今度こそ寿命まで生きて欲しい!と訴える事ぐらいです。
そして、私も自殺願望と共に生きる事です。
やっと分かりました。
私は、この世から逃げたいんじゃなくて、自分自身の自殺願望から逃げたいんだって!
でも、逃げられないから自殺願望と共存しながら生きる事しか出来ません。
とりあえず、ここに書き込んでから徐々に自殺行動が辞められました。
ありがとうございます!
あと、私は確かに自分という存在の消滅を望んでいますけど、今の苦しい状態から抜け出して、天国に行ければ、それもいいな!と思ってはいますが、いくら自殺したのは病気で病死だったんだから、もう天国に行けているよという主張を読んでも確信が持てずに、やっぱり自分とはいえ人を殺すという事と周りの人を傷つけてしまうという罪悪感がとても怖いので、死ねずにいます。
本当は、出来れば死にたくないんです!
でも、生きているのが苦しいし、何とか頑張って生きようと思って死後の世界を調べたりして、それで自殺はいけない事だけど、病気なら憑依霊によるものならば天国に行けると書いてあったから、そうなのかな?なら、死んだら幸せになれるかな?と思ってそれが希望に見えて来て。
私だけじゃなくて、そういうのを根拠に精神病で天国に行こうのスレが出来たりしているのを見て、また死にたくなってしまって。
それが、もし嘘だったら許せません!
精神的に不安定な人逹は、そういう情報にすがりたくなるんです。
自分の大切な人が、うつ病で自殺して、自殺したんじゃない。病死だったんだから、天国で笑っているよ!と書いてあって、分からないんだから鵜呑みにしてはいけない!
とは思ってはいるんですけど。
逆にDilettanteさんみたいに自殺した人が後悔しているって人もいるけど、それは自殺を止めるための嘘なんだ!と書いてあったりして分からなくなって来て、でも死のうとすると潜在意識の私が死にたく無いって言って来るから、やっぱり死ぬのは怖いです!
ええ、やはり核心のところでは、存在の消滅を望んでいるところがあるのでしょうね。
しかしだからこそずっと申し上げているのですが、存在を消滅させるのは肉体を離れようがなにをしようが無理です。
ですから、その意味では私たちは、覚悟を決めるしかないのだと思います。
結局、からだがあろうがなかろうが、消滅してしまいたいとまで願ってしまうのは、しあわせを感じたことがないか、少なくとも今は感じていないからなので、そこから脱するためには、あなたの言うように、自殺願望から逃げ切るためには、しあわせになるしかありません。
それがどんなに険しい道でも、途方もないほど時間がかかることであっても、それしか方法がないのなら、なおさらそこを追求するしかありません。
ですから私自身も、少しずつ少しずつでも進んでいきたいと思っていますし、あなたにもそうしてほしいと心から願っています。
そしてともかく、あなたが少しずつでも自殺行動をやめられてきているのであれば、ひとまずは本当によかったです。
こちらこそ、ありがとうございます。
ありがとうございます。
いろいろ言ってしまって、嫌われたかな?と思っていたので安心しました。
否定するようで申し訳ありませんが、私や他の自殺願望がずっとある人って幸せでも死にたいんですよ!
だから、結婚しても子供が出来ても毎日変わらずに死にたい!って言うんですよ。
私も、別に特に不幸ばかりなわけでも無くて、幸せを感じる事もあります。
消えたいって思うのは、生きる意味が分からないからです。
よく魂の向上とか言いますが、私は別に魂の向上とかを望んでいません。
生まれ変わりで、少なくとも今の自分の自我が無くなるのなら死んでもいいかな?とも思いました。
アンケートで、死後の世界を信じて無い人が半数近くもいるのに、死後が無いと思っているのに、何で死なないんだろう?とすごく疑問に思いました。
そういえば、虐待されて亡くなった子供の霊を呼び出したら、もうお腹がすかない、痛くも無いし幸せって言ったみたいで、なら何でわざわざ産まれて来たんだろう?と思いました。
天国妄想って書いてありましたけど、それってマッチ売りの少女とかフランダースの犬から来てて、この世は理不尽で辛い所だけど、死んだら天国に行けて幸せになれるって所から来てるのかな?と思います。
とにかく、一日中死ぬ事が頭から離れません!
自殺未遂するのは、痛いし苦しいから辞めようとしてるんですけど。
だって、楽になりたいから自殺するのに苦しむのはおかしいじゃないですか?
一度、自殺した後の世界を体験してみたいと思いますけど、怖いです。
後悔するのは分かるけど、また生まれ変わって同じような人生を繰り返すのはゾッとします。
乗り越えられない試煉は与えられないというのは、本当でしょうか?
いつか死にたい気持ちを克服したいです!
まず、このような不安は今後も一切持つ必要がないものなのでご安心ください。
これも定義からすり合わせなければいけないと思うのですが、そもそも死にたい気持ちをなくせないような程度のものは「しあわせ」と呼ばなくてもいいのではないでしょうか?それに、「結婚」や「こどもができる」というのは、あなたが思う一般のひとたちがしあわせと感じるだろうものであって、あなたのしあわせではないのではないですか?
少なくとも、私自身に関して言えば、私は結婚やこどもそのものがしあわせの要素だとは思っていないです。ただこれももう少していねいに補足しておくと、
「それそのものがしあわせの要素だとは思っていない」
というのは、
「そこからしあわせが生まれるとは思えない」
ということではないということは、はっきり付け加えておきたいと思います。
そのうえで言い換えると、私にとっては
結婚できなかったからしあわせじゃなかった
こどもが生まれなかったからしあわせじゃなかった
などということはないということです。
ですからあなたにも、「あなたにとってのしあわせ」がなんなのかを、よくよく考えてほしいと思います。
そしてそのあなたのしあわせが実現したら、きっとあなたは死にたくなくなると思いますし、
こんなしあわせを味わうために、生まれてきたんだなぁ
と言えるようになると、私は思っています。
これは私もよく考えることなのですが、私としてはこれは精確には
乗り越えられる可能性のない試練はない
と言い換えたほうがいいのではないかと思います。なぜなら世界は、可能性の宝庫なのですから。
ただ誰かが乗り越えられる試練だからといって、私が乗り越えられるとは言い切れませんし、私について誰かと同じ方法が通用するとは限りません。
ですから私自身も私の人生について、その「活路」をなんとしても見出したいと、いつも思っています。
優しいんですね!
私の体調と精神状態が不安定だから、彼氏も嫌気がさすみたいで、定期的に別れたいと言って来ますが、それに振り回されていると私まで不安定になるから、なるべく相手にしないようにしています。
結婚と子供が幸せと言ったのは、金原ひとみさんが言っていたのと、女友達が結婚と子供が幸せだと言っていたから、そう思い込んだのかもしれません。
旦那さんに浮気されたり、子供が障害があるので、ゆっくり出来ないみたいであまり私には幸せには見えないけど、少なくとも私よりは幸せそうです。
私の思う幸せは、とりあえず心身共に健康であり、お金に不自由しない事です。
存在の消滅が本当に一番の幸せだとは思うけど、無理だから。
虐待される子供は、虐待されるために産まれて来たのですか?
わざわざ苦しむために産まれて来る人もいるんでしょうか?
虐待されて死んで幸せやいじめられて自殺して天国に行けて幸せと言っている人は、つまり人類は不幸な人は死んだほうが幸せだと思っているんでしょうか?
死後の世界が無いと思っているのに、なぜ死なないんでしょうか?
家族が悲しむから死なないとよく言いますが、なら家族も人類も滅亡したら、みんな無になるから、誰も悲しんだり、苦しんだりしないから幸せですよね?
幸せとも感じる事も無いですが。
人類天国救済説は、オウム真理教の考え方らしいのに、今だに芸能人の自殺のニュースが出ると、天国で安らかにと平気で言うのは間違っていませんか?
この頃、体調が特に悪くて頭が割れるほど痛かったり、体がものすごくだるくて息をするのも苦しいです!
Dilettanteさんも書いていましたが、世の中お金を取ってやろうとか自殺志願者を騙して死なせてやろうとする人が多過ぎます!
もう、混乱するから自殺サイトを見るのは辞めましたが、頭の中に浮かび上がって来ては私を苦しめます。
自殺サイト、宗教の教えも本当にばらばらなので、何を信じていいのか?分かりません。
私は、潜在意識の自殺を止めているのと憑依霊?が病気だから大丈夫だよ!
自殺してごらん。とそそのかしているのが聞こえました。
普通に死んだ人も自殺した人も行く所は皆同じという説もあるようなのですが、やっぱり自殺した霊は、普通に死んだ霊とは波動が違うのでしょうか?
自殺者の後悔は、ずっと続くのでしょうか?
ええ、あなたがそのお友達に対してそう感じるように、あなたのことを見て
私よりもしあわせそうだなぁ……
と思うひとも、確かにいると思います。たとえばあなたに彼氏がいるというのも、誰かから見れば、それだけでしあわせなことかもしれません。
だからこそ、あなたも少しずつ少しずつでも、あなた自身のしあわせに向かって、歩んでいってほしいと思います。
「先天性の病気(状態)」
については、間違いなく生まれてくる本人の選択なのですが、
「虐待を受ける」
ことに関しては、保護者の選択も大いに影響しているので、
「絶対に虐待を受ける」
ことを前提として生まれているとは思えません。
ただ、
「このような環境で、このようなひとを保護者として生まれたら、虐待を受ける可能性もある」
ということは、もちろん充分に予測して生まれているとは思います。
ですがそれでも、苦しむために生まれてくるひとはいません。
そのように「他者の声」として聴こえてきたのであれば
「自分の想いではない」
ということは明らかにわかるので、あとはそれを選ばないようにい続ければ、自殺しないでいられると思います。
「信じる」
ということは、
「力を与える」
ということなのですから。
「どんなひとも霊界に行っている」
という意味で、
「みんな同じ場所に行っている」
と言っても間違ってはいないです。
ですが霊界は肉体界よりも想いの持つ影響力が強いので、存在する場所(のエネルギーの質=波動)は、まったく違います。
「いつかは必ず晴れる」
という意味では、ずっとではないです。
ですがそれでも、後悔はしないで済むならしないほうがいいでしょうし、なによりその大きさが半端ではありませんので、自殺はなによりも避けたほうがいいと、私はずっと思っています。
でも、虐待を受けると分かっているならば苦しむのも分かっていたのでは無いのでしょうか?
そういう子供に限って、やたら愛されているような素敵な名前だったするので、少なくとも産まれた時には親に愛されていたのでは?と思うのですが。
それか、この世で苦しんだなら死んでからは幸せになれるという事なのでしょうか?
女友達からしたら、独身で自由な身である私がうらやましいのかもしれません。
だから、結婚して子供を持つ事を薦めているのかもしれないし、本当に自分が幸せだから私にも幸せになって欲しいと思っているのかもしれません。
死んだほうがいいよ。って言うのが本当なのか?分かりません。
唯物論者ならば、死んだら無になれるから死んだほうがいいというのは分かります。
でも、考えてみたら唯物論者は人には死を薦めるのに、自分が自殺しないのはおかしくありませんか?
結局、唯物論だけど死んだ事が無い(あっても忘れている)から分からないから自分は死なないけど、人には自殺を薦めているとしか思えません。
唯物論者って何を考えているんでしょうか?
彼氏も元リストカットしていて、気分に波があるし、先天的な病気も持っているので自殺を止めないといけない人の一人なのですが、他にも止めないといけない人はいるし、私と同じうつ病でもう自殺してしまった人もいます。
だから、自分も自殺したいけど本当は自殺はいけないし、人にもされたくないから止めなくてはいけないという状態なんです。
てか、やっぱり波動が同じなのでそのような人が集まるんだと思います。
Dilettanteさんが説明してくれて、だいぶ死にたくないとは思えるようにはなって来ましたが、唯物論自殺推進派と宗教自殺推進派の意見が分かりません。(自殺遺族)このような人逹は、自殺を薦めながら、決して自分達は自殺しません。
だから、何を考えているのかが分かりません。
なら、無視すればいいのでは?と思うかもしれませんが考え方が分からないのだから、正しい事なのかもしれないと思い、私を悩ませて蝕みます!
霊なんていないと思って生きてみたかったと言ってましたが、逆に霊がいないのならば、何のために生きているのでしょうか?
好き放題やって死んだら全部終わりと思って生きているのなら、世の中に強盗や殺人もする人がもっと増えてもいいと思うのですが。
唯物論だけど、生きて来た霊は何て言ってるんですか?
潜在意識では、死んだら無にはならないという事を覚えているんでしょうか?
私が寿命まで、きちんと今度は生き抜く事が出来たら、もう消えたいという思いからは解放されるんでしょうか?
それとも、これはずっと永遠に続く物なのでしょうか?
自殺した後悔の念は、ずっとは続かないんですよね?
少なくとも、私の潜在意識では自殺した事を今でも後悔している気がするのですが。
「苦しむために生まれてきたわけではない」
というのは、
「まったく苦しむつもりなく生まれてきた」
ということではありません。
そもそも、こんな環境に生まれてきて、まったく苦しまないと思っていたというような見当違いはあり得ないと思います。
ですから、苦しみを目的とせず、苦しみを避けられない罰とも思わず、それを糧にして、どう成長していくかが、大切なカギなのだと思います。
大切なことは、唯物論者だからといって必ずしも非倫理的だというわけでもなく、他者を思いやれないというわけでもないということです。
「唯物論」というのをどう定義するかにもよりますが、ひとまず
「霊的なものを一切認めない」
という主義だとしても、その主義自体が人間性を堕落させるというわけでもないと思います。
まして、現代の社会のほとんどは法治国家なのですから、その意味でもわざわざ違法行為をするのは割に合わない(よくない)と考えるのは、自然なことだと思います。
そしてそこから考えていくと、自殺というのは少なくとも現時点では「違法ではない」のですから、
そんなにつらいなら自殺してもいいとは思う。でも私は自殺しないよ
という主張があっても、それほど矛盾してはいないとも言えると思います。
これはひとによりますが、基本的に少なからず驚いてはいますね。
これは誰もがそうです。そしてそれは、あなた自身もよくわかっていると思います。
いちど喪ってしまった人生は2度と戻らないので、その意味ではずっと後悔することになるとも言えるかもしれません。
ですがその取り返しのつかなさを噛み締めたうえで、だからこそ未来に歩み出すことはできます。
そしてそれができたら、自分を本当の意味で許すことができたら、消えたいと思う必要は、なくなると思います。
こんにちは。
人は死のうと思えば今すぐにでも死ねますが
生き返ることはできません。
それならばいつでも死ねるのだから
今死なずともいいのではないでしょうか。
どんな人も最後は死にます。
ならば自分で死なずともいいのではないのでしょうか。
私も8年前まで30年間ずっと
死にたいと思って生きてきました。
いまはなぜか毎日死にたいと思う事はなくなりました。
時々、死にたいほどのつらい事はありますが。
ゆるく生きればいいのです。
時には人に頼っても、国に頼っても。
困った事がおきたら逃げても良いし。
そうは言ってもつらい事は次々起こりますね。
死にたい、そう思う事こそ生きているという事、
命こそ大切なものです。
生きて良いと思います。
そうなんですね。
確かに唯物論者が必ずしも悪人だとは私も思っていませんが、結局人は物と同じと思っているわけですから、少しでも追い詰められる状況になったら、人の命を大切には思えないんじゃないのかな?と思って。
逆に唯物論者じゃなく、熱心なキリスト教徒だとしても戦争をしたり人の命を大切に思えない人はいるとは思います。
私もうつ病になる前は、そんなに霊的な事は考えていませんでしたが、死にたいと思うようになってからは潜在意識での記憶を強く感じるようになりました。
死んだら皆天国に行ける説は、やっぱり否定します。
いじめや虐待から、もう解放されて天国で安らかにと言うのは、遺族にとっては慰めになるかもしれませんが、今現在苦しんでいる人には死んだほうがいいよ!と言う薦めでしかありません。
仮に何か間違っていたとしても死後に幸せになれる確証があるのならば、そう言うのも分かりますが、この世で苦しんでいたから、死後にまで苦しむのはかわいそうという理由だけでそう言うのは、とても危険な事です!
遺族だって、自殺されてかわいそうだからあなたも後を追って自殺したら、先に自殺した人にも会えるし、天国に行けるよと言われても困ると思います。
もちろん、だから永遠に暗闇で苦しむと言うつもりはありませんが。
やっぱり、生前の性格や自殺した動機によって、死後の環境も変わって来るのでしょうか?
中には、仕方なかったような場合の自殺もありますか?
例えば、うつ病の薬の副作用での自殺だったり、家族に迷惑をかけたくないと思っての自殺だったら、霊能力者の方は今はもう苦しんではいませんよ!と伝える事が多いように思うのですが。
それとも、ただの遺族への慰めや励ましとして言っているだけなのでしょうか?
言えるのは、死者への供養の気持ちは大事なのですが、自殺を美化する事は辞めて欲しいです!
確かに、生前の性格や動機は、自殺者の死後の世界に影響します。
ですがそれでも、
というふうに言っていいものがあるのかどうかについて、私自身はとても懐疑的です。たとえば戦争中での
「特攻」
や
「集団自決」
については、限りなく
「殺人被害者」(自殺ではない)
と言ってもいい要素があるとも言えるかもしれませんが、それでもまったく後悔しないというわけでもなかったりします。
なぜなら実際に同じような状況でも、
それでも、生きる
ということを選んだひともいるからです(この点について、たとえば「万朶隊」の佐々木友次伍長や、「満蒙開拓団」のひとたちになにがあったのかを参照してみてもいいかと思います)。
ですから私自身は、
を言うことはありません。
ですが本当に本人がもう苦しんでいない場合には、そのことをお伝えはしますが、それは本人が深い反省を経て、もういちど歩み出そうとし始めたからであって、
「いちども苦しまなかった」
わけでは決してないということ、そしてそんなふうに反省したひとこそが、誰よりも切実に、
自殺なんてしなければよかったです
としみじみ言うことを考えると、やはり私の立場が変わることは、これからもないと思います。
そうなんですね。
お寺の住職さんでも、自殺の話しを相談されて阿弥陀仏様がどんな人でも救って極楽浄土に連れてってくれますよ!と言っていたのに、後からそう考えると遺族も少しは気が楽になるでしょうと答えていたので、けっこういい加減な事を言う人も多いのかな?と思いました。
私の場合で考えると、もう何十年も死ぬ事ばかり考えて来たのに、自殺して後悔で反省して、すぐに次の同じ試煉があると分かっている人生にまた挑もうと出来る自信がありません。
だから、だらだらと生き長らえているのもあります。
今、くじけてまた1からやり直したら、出来るか?と自問自答してみたら、やっぱり無理!また、自殺してしまうと思い、もう死にたくなる人生をこれでおしまいにするために生きています。
もしかたら、うつ病の薬の副作用でのやむ終えない自殺、統合失調症で自分の意志では無い自殺と言えるものでも、薬の説明をきちんと聞いていたらとか、入院して見張ってもらっていたならば防ぐ事は出来たのかもしれませんね。
だって、自殺する寿命は無いんだとしたら矛盾してしまいますから。
自殺したからと言って、皆同じ環境に置かれるわけでは無いんですね。
Dilettanteさんが出会った霊は、皆自殺した事を後悔していたようですが、中には死んだ事に気付いていないや周囲のせいにして自殺した事と向き合えていない人もいるのかな?と思っています。
気持ちを落ち着かせるために、いろいろとブログを見てみましたが私と同じように自殺肯定する人のブログを見て、自殺する人がいなくなりますようにと逆に自殺者に対して厳し過ぎるような話しもありました。
いじめ、パワハラなどの理由に関係無く、自殺者は皆同じ罪になる。
地上を永遠にさまようなど。
自殺した霊でも、どんな自殺方法もそうとう苦しむから絶対自殺しないほうがいいと言っている物もありました。
自殺しても幸せになれる気がしない。
死ぬのが怖い。
だから、死ねないから自動的に生きてる状態が続くんでしょうかね?
虐待された子供についてですが、やっぱりこの世には魂の修行で苦しむ事で魂を向上させて、天国へと旅立ったのでしょうか?
逆に自殺以外の寿命による死の場合は、幸せになれるのでしょうか?
自殺は幸せな死に方では無いのは分かります。
私も出来れば、寿命で家族に看取られて死にたいのです。
生きている限りは死にたくなるという矛盾を克服しなくてはいけませんね!
聞いてみたかったのですが、自殺したら一切の気分転換が出来ない説とある程度は楽しく暮らしている説がありますが、本当の所はどっちなのでしょうか?
生まれ変わりの村という本があって、私が今まで考えていた輪廻転生説と全然違って混乱しています!
中国の一部の地域に前世の記憶がある人達が暮らす地域があるらしいのですが、自殺した人も犯罪をした人も一切裁かれる事は無いらしいです。
死んだ後でも全然平気だって事は、後悔もしていないって事なんでしょうか?
裁かれないほうが悪い事はしなくなるとありましたが、この世で考えると裁かれないなら、悪い事をする人はいると思うのですが。
どう思いますか?
生まれ変わりの村は、嘘か勘違いなんでしょうか?
ええ、そうした霊に対して、自分と向き合ったり考えたりするきっかけを与えるのも、私の役目のひとつだと思っています。これは自殺者ではありませんが、唯物論者として亡くなったあと、
これは夢で、俺は本当はまだ病院のベッドで眠ってるんだろ?
と言い張って、どうしても納得してもらえない事例もありましたが、こういう場合は、時間が必要だとも言えると思います。
大切なことは、
「魂の修行=苦しみ=人生の目的」
というふうに、短絡的に結びつけないことです。
もし苦しめば苦しむほど魂が成長すると言うなら、みんな自殺したほうがいいということになってしまいます。
ですが、実際にはそんなことはあり得ない結論だと、おわかりいただけると思います。
これもそう単純に言えることではありません。
自殺しなかったからしあわせ(天国に行ける)
というようなことではないということです。
ですがそれでも、
どんな終わりかたでも、自殺するよりははるかにましだ
ということは、言い切ることができるということです。
もし「一切の気分転換ができない」のだとしたら、誰も永遠に変わることはできないということになってしまいます。しかし「ある程度は楽しく暮らせる」のだとしたら、それなら自殺してもそんなに悪くないじゃないかということになってしまいます。ですから、これは一種の両極端であって、真実そのものではありません。私なら、
自殺すると後悔や様々な苦しみにより、他のことはなにも考えられないのではないかというほど重い環境に身を置くことになりますが、それでもそれを乗り越えることができたら、また楽しく前を向けるときも、いずれは必ず来ることになると思いますし、ぜひそのときを迎えてほしいと、私も強く思っています
と、言い換えると思います。
「誰か他のひとに裁かれるわけではない」
という意味では、私の見解と同じです。
しかし
「裁かれない」
からといって、
「なにをしてもいい」
というわけではないです。
これはさらに言い換えると
なにをしても、結果は同じというわけではない
ということです。このことを深く理解したら、明らかに自分にとって望ましくない結果を生むような行動は、自ら慎むようになるでしょう。
ですから私は、いずれ法律というものは、必要なくなるときが来ると思っています。
自分の行動を律するのに、他者の存在そのものは関係ないのですから。
それから、私も『生まれ変わりの村』についてもだいぶ前に少しだけ読んだくらいなのですが、あの本の最大の主眼は、
「前世の記憶(死後の記憶)を持ったひとの実在を明らかにする」
という点にあるのではないかと、個人的には感じました。ですからその意味では、あの本にも大いに意味があるとは思いますが、自殺に関しての結論には、やはり少なからず違いがあるという、そういうことだと思います。
そうなんですね。
中々難しいお話しなんですね!
一切の気分転換も出来ないとあれば、確かに自殺の抑止力にはなりますが怖いし、それなりに楽しいと言われてしまうとなら、自殺してもいいのでは?と思ってしまいます。
生まれ変わりの村は、前世の記憶のある人スープを飲まなかった人達が中国の一部にだけ存在するというのは納得出来ませんし、全体的におとぎ話的なおもしろさはあって、映画化もされていておもしろいとは思いましたが、物質欲は無いとしながら、あの世でもお金はある、この世からお金や物を燃やす事であの世に送れるとかカルマや善悪は無いと言いながら、前世の記憶があると悪い事はしないとあり矛盾を感じました。
今まで考えていた自殺者は後悔して苦しむというのとは180°違う考え方だったので、とても混乱してしまいました。
ただし、本の著者さえもこの本に対してコメントはありますか?と聞かれ、それならば神様(自然の働き)は、何のために人間を作ったのかが全く分からなくなってしまったと答えている事からもカルマが全く関係ないというのは間違いなんじゃないのか?とは思います。
人間というのは、罰はありません!と言われたから好き放題していい、罰がありますと言われたから正しい行いをするというような単純な物では無いのは分かっているのですが。
前に前世の記憶は無いほうがいいというような事をおっしゃっていたかと思うのですが、生まれ変わりの村の人達のように前世の記憶があるから悪い事はしないという考え方になるんだったら、全人類が前世の記憶があったら、幸せに暮らせるのではないのかな?と思うのですが。
私は、記憶があるから悪い事はしないという人もいるけど、する人もいると思いますが。
この世だって、前科がある人は必ずしもまた悪い事はしないとは言えない、逆に再犯率が高いという事を考えたら、そういうのは間違いと考えるのが自然だと思います。
自殺をするというのは、やっぱり自然の流れから見たら不自然な事だから、何とか頑張って逆らって自殺出来た所で、また簡単にこの世に戻されるという所だけは自殺を思い止まろうと思ったけど、あの世は快適な所、自殺者も犯罪者も一切罰を受けたり、来世に影響を受けたりはしないのが本当だとしたら、やっぱり死にたいほうに傾いてしまいます。
ですが、それを知ってもまだ死への恐怖が消えない所を見るとそうではないとの警告なのかな?と思っています。
法律については、罰を重くした所で年間の殺人事件の件数は変わらなかったと結果が出ていて、本気で人を殺したいと思った時に法律の罰は抑止力にはならないと、昔公民の授業で習ったのを覚えています。
まとめると、生まれ変わりの村でも自殺はある。
外部からの裁きは一切無い、自責の後悔の苦しみがあり、もう二度と自殺はしないと決意すると言った所が近いのでしょうかね?
でも、善悪が無い世界なのに悪い事はしないっておかしいですけどね。
そもそも、悪い事は存在しないはずなんだから。
そこは、著者が誤解した解釈をしたのかもしれませんけど。
いろんな説があって、死んでみないと分からないんだけど、人生の目的は無いという結論では虚し過ぎます!
魂の向上なんて、目指して無いよ!と思う事もあるけど、元々人間は目指すように作られている宿命という言葉で、何とかそこに向かって生きようという意欲が沸いていたのに、それが無いんだったら本当に消えたいってだけです!
自殺じゃないからって皆天国には行けないと言うのは分かりますけど、せめてまじめで努力して生きたら何か魂が向上しないと生きているのが、無駄に思えてばからしいです。
まじめに働いて頑張っても、さぼって人をいじめてこき使っても、皆同じ給料だったら、働きたくなくなるじゃないですか?
やっぱり、一説ではあってもほとんどは鵜呑みには出来ない気がしています!
生まれ変わりの村では、悪い事が好ましくない結果になる事は無くて、カルマも存在しない。魂は自由であると書いてありました。
三州の川でお婆さんの配っているスープを飲むと前世の記憶を忘れる忘却スープらしいです。
これは、もしかしたら中国の村の言い伝えによりスープを飲んではいけないとの考えがあるから、そういう場面に出くわすのかもしれません。
日本人の臨死体験ではスープの話しは、聞いた事がありません。
私も、昔臨死体験をしていますが(自殺ではないのですが)懐かしい感覚とトンネルを昇っていって上のほうに光が見えたのと安らぎを感じて全然怖くありませんでした。
Dilettanteさんが見た死後の世界は人によって違うのですか?
スープが出て来た人もいますか?
死後の世界が見れたら、死ぬのは怖くなくなりますか?
ふっと思ったのですけど、魂の墓場にいる人達はもう感覚を失っているのだから、後悔もしていないんじゃないですか?
存在は消えないのだけど、何も感じないと苦しくも無いわけだし、それがかわいそうだと言うけれど、本人からしたらもう何も感じなくていい状態は無にとても近くて幸せなんじゃないですか?
少なくとも、私はもう何も感じなくていいから、存在だけしてて!と言われたら喜びます。
魂の向上も無いんだったら、もう生きなくてもいいんだし、だったら何のために人間が存在するのか?考えると苦しむためにしか思えないのですけど。
喜びを見つけ出すためなんだったら、やっぱりカルマ的な物は無いとおかしいと思います!
生まれ変わりの村を考えてみる事で、やっぱり目的が無いのはおかしいと思うようになって来ました。
私は、前世の記憶はあったほうがいいと思うので、スープは飲みません。
そうですね、霊界は想いの世界ですので、ある程度はひとそれぞれなのですが、それでもその根底には真実がありますので、徹底的に考え抜いた結果どうにも理に合わないのではないかという感覚は、大切になさったらいいかと思います。
もし後々自分の見聞が拡がって、その見解と自分の考えが一致するときが来たとしても、そこまでの思考過程は、決して無駄になるものではありません。
あとはそのうえで、
「魂の向上」
というのが、誰より自分にとって、なにを意味するかだと思います。
もしこの世界が、
もっと楽しんでほしい。もっと理解し合って、愛し合ってほしい
という意志に基づいて創られているとするなら、魂の向上というのは、まさにそんな自分になることなのではないかと思うわけです。
ですからその意味では、
というときの
「給料」
というのは、なんら本質ではないということになります。
これについては、なにもない、なにも感じないというのは、実際になってみると、あまりにも哀しいというのが、いつかはおわかりいただけるときが来ると思います。
なぜそうなのかと言えば、最も単純に言えば、
私たちは決して、そんなふうになるために、生まれてきたわけではないから
というのが、答えなのではないかと、私は思います。
これはある意味では、そうだとも言えるし、そうでないとも言えます。死ぬというのがどこまでも、
「ただ、からだを失うだけ」
だということを知るのですから、生きるのが怖いひとは、死ぬのも怖いかもしれません。
というのは結局、私が何度も申し上げているように、自分自身からだけは、誰も、どうしても、逃れようがないからです。
ですから私も、私が私であるということを、全うしていきたいと、そう思っています。
そうなんですね。
どっちにしろ、魂の墓場で人生が終わるんだったらいいけど、結局また生まれ変わって来るんだったら、今の人生を全うしたほうがいいかもしれません。
体がなくなったら、病気の苦しみや欲からも解放されて幸せかな?と思ったんですけど、体が無くても負の集団になっている所を見るとあまり幸せそうでもないのかな?
体がなくなるだけ以外にもこの世で生きるのとあの世で生きるのは違うんじゃないですか?
負の集団からのメッセージは長過ぎて、全部は理解出来なかったけど、あの世で幸せじゃなかったから、この世に生まれて来ようとしたんだったら、自殺してあの世に行った所で、またこの世に生まれて来たい、あの世なんて嫌と思って、生まれ変わって記憶をなくしてるから、また死にたいってなってぐるぐると堂々巡りする可能性があるから、毎日死にたいんだけど、とりあえずは生きています。
喜びを見つけ出して、もう死にたくなくなるといいんですけど。
自殺するほどのエネルギーが無いし、生きてたらいい事あるなんて思えないし、うつで楽しい事も楽しめないんだけど自殺して今より、もっと苦しむよりはましかな?と思ってます。
自殺した人をお坊さんや霊能力者が供養してあげたら、成仏出来るのでしょうか?
手を当てるだけで、すぐに苦しみがなくなるとか1000万円払ったら成仏出来る。
自殺したかったら、お金を払ってから自殺したほうがいいとか何かとんでもない物を見かけてしまいました。
供養されない人は苦しんで、供養してもらったら苦しまないというのは不公平では無いでしょうか?
自殺した人は長期間、自分が死んだ事に気付いていないと言うのもありましたがそれだと後悔しないというか出来ないのでは無いでしょうか?
死後の世界の話しは、皆ばらばらなのでどれを信じていいのか分かりません。
魂の修業は、人生の目的と結びつけないほうがいいのなら、人生の目的は何なんでしょうか?
お坊さんが病気をきっかけに霊能力に目覚めて、自殺した人を霊視してみたら、とても幸せそうで自殺が悪いのかどうか分からなくなって来たと言われたようで、そのお坊さんは自殺を勧めるような人では無いし、本当の話しなんでしょうか?と書いてあった質問を見かけたのですが、皆後悔しているって話しとかなり違うので、中には(例えば生前の行いが良かったから)などで幸せにしている人もいるんでしょうか?
前に答えてもらった一度思いっきり反省したけど、その後前向きになれたんだとしても、とても幸せそうという表現との違和感があるし、まず家族と話せるのならば、最初に自殺してしまってごめん!の言葉ぐらいはあってもいいんじゃないのかな?と思うのですが、家族が自分だけ楽になって、子供がまだ小さいのに自分勝手じゃないのか?と怒ったら、霊能者の方がご家族は奥様に自殺された事を乗り越える試煉を選んでおられるので大丈夫です!と答えていました。
それで、私ももう一度守護霊さんに自殺したら幸せになれるんですか?と問いかけてみたら、なれないと返事が返って来てから、立ち上がれないぐらい体が重くてだるくなりました。
また、自殺しようとするから動けないようにされたようです!
起きた時に体が少し宙に浮いた感じがする時があって、もう肉体に戻りたくないんだなと感じました。
自殺しないようにお腹の辺りで何者か(たぶん前世の私の意識)で止めているようです。
体が不思議な感じです。
今年に入ってからだそうですが、
母の仲の良い友達の息子さんが自殺したそうです。
母の友達は、社会的に非常に地位の高い人が多いのですが、こう言った話を聞いたのは、少なくとも3人目です。
そのお母さんは、旦那さんからは「お前が悪い」と責められ、息子さんからは、何も言わずに死なれたため、自責もするし、家族からも責められるし、兎に角、哀しくて辛くてどうしようもないそうです。
私が自殺をしてしまったら、ほぼ確実に同じような状況になるでしょう。
自殺だけは、しないようにしようと思いました。
本人も、魂の墓場に行くのなら、自殺は百害あって一利なし、の行為ですね。
かく言う私も、日々生きづらさを抱え、何とか乗り越えよう、としていますが、
負けないようにしたいです。
ねこさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
地位や収入に関しては、低いよりは高いほうがいいと考えるひとが多いと思いますが、かと言って社会的地位も収入もあるひとが自殺しないかと言うと決してそんなことはないので、やはり誰にとっても、自殺は遠い世界の話ではないんだと、いつも身につまされています。
あなたもどうか、生きていてください。私も、生きていようと思います。
まだ気持ちが混乱していて、しんどいです。
前に自殺者の魂は集まっている事は無いと言われましたが、魂の墓場にいる魂の無数の目が見えるという事は集まっているという事ではないのでしょうか?
どこの誰であっても想いはすべてつながっているので、その意味では労りや慈しみの想いを手向けてあげれば本人の助けにはなります。
しかし最終的には、本人の自覚と意志によってしか変われないのも確かなので、その意味では完全に公平だと言ってもいいと思います。ある視点から言えば、
これだけ想ってもらっていたのに、自分から離れてしまったんだ……
という後悔を味わうことにもなるので、単純に
ということではありません。
自殺しているのにもかかわらず、
と判断されることは、まずあり得ないと思います。
それに、最初から一貫してそうですが、あなたは自殺についての真実を、現代の平均的なひとたちよりははるかに強く「体感」しているのですから、なによりその感覚から逃げずに、徹底的に向き合ったらいいと思います。
「修行」
というとどうしても、
生きるのはどうしたって、苦しみに満ちたものだ
というような考えになってしまいやすいので、その意味で私はそういう表現を選ばないということです。
そのうえであとは、自分がいちばん納得できる人生の目的を、自分で見出すしかないと思いますが、私自身はと言えば、
どうにかして、もっと生きやすい世界に変えたい
という気持ちが、強くあるのだと思います。ですからその文脈では
そもそも修行だと思わなければ生きられない世界が、このままでいいはずがない
と思っているのが、私です。
魂の墓場に堕ちてしまった存在は、もはや
「意志」
とか
「個の感覚」
といったもの自体が極限まで希薄になっているので、その意味で
「集まっている」
というのは適した表現ではないと思っています。
それと、自殺者と魂の墓場に堕ちたひとというのは、必ずしもイコールではないです。
自殺したらすぐ魂の墓場に堕ちるというわけでもないですし、そこに至るまでにはものすごく永い時間がかかるものです。ですがそんなところにたくさんの存在があるのですから、そのことは決して、軽視してはいけないと思います。そしてこの世界で選択できる行動のなかで、最も魂の墓場への近道になるものが、自殺だということだと思います。そしてそれは、誰にとっても他人事ではないと、いつも思っています。
そうなんですね。
無知な質問で、すいませんでした。
魂の墓場にいる人が自殺者だけでは無いのは気付いていました。
絶望したり唯物論者はそうなるかもしれません。
生前の行いが良かったら、自殺しても天国や極楽浄土に行けるは、仏教と幸福の科学の考えです。
スピリチュアルでは、否定はしていますが、悪霊の憑依と精神病は例外とされているのですが、悪霊を呼んだ低い波長のためにしばらくは暗闇に置かれるとありました。
確かにこの世を修業だと思わないといけないのは辛い事です。
修業もあって、楽しい事もあってがいいと思います。
ただ、うつ病だとあまり楽しいと感じられないので、死ぬ事ばかりを考えてしまいます。
自殺した人でも、よく見守ってくれてると言いますが、それも本当のようですね。
自殺者で供養されたら、すぐに楽になって、天国に行けるのに供養されないと何百年も成仏出来ずに苦しむというのを見かけたので気になって聞いてみました。
一方で、自殺した人に死んだら合図を送るように言ったから、死後の世界は無いと言うのも本当なのかな?と思いました。
やっぱり、霊感が無いと合図されても感じなかったのでしょうか?
正直、認めたくは無いのですが、これだけ死にたいのに生きないといけないというのは、確かに死にたい気持ちと向き合う宿命なのかもしれないとは思っています。
少し気持ちが落ち着いて来ました。
ありがとうございます。
ええ、これと似たような話で
死んでからも世界があったなら、夢に出てきて教えてほしい
と言ったのに夢に出てこないから、やはり死後の世界などないんだと思ってしまう例などもありますが、
「自分が感じられないからといって、存在しないとは限らない」
ということは、何度考えてみてもいいことだと思います。
そして本当には、あなたもそうであるように、誰もがなんらかのかたちで感じていることがあるというのも事実です。
ですから自分には
「様々な情報源からの感覚」
があるというのを前提に、それを吟味して選択するというのも、大切なことだと思います。
確かにそうですね。
また、死にたくなってきてしまいました。
肉体がなくなったら、肉体の本能から来る欲や嫉妬からは解放される、霊界人は生きていた時の恐れから一切解放されていると書いてありましたが、本当なのでしょうか?
シルバーバーチも自殺は止めているはずなんですけど、よく読んでみると肉体がないほうがいいって結論になるんですよ!
それとも、それはきちんと寿命を全うして人のために尽くした人に限る話しなんでしょうか?
こういう書き方だと誤解してしまいます。
あと、お金儲けばかり考えていた人は地獄に落ちるって書いてありましたが、人のためにした仕事でのお金儲けも悪い事なのでしょうか?
まず間違いないことは、霊になればトイレに行く必要はなくなりますし、食べなければ死ぬということもなくなります。
ですがそれでも「餓え」を感じている霊はいますし、嫉妬する霊もいます。
そういった意味においては、やはり死んだからと言って、すべてが自動的に解決されるということではないということです。
それから、霊になったのであれば原理的に
「死ぬ恐怖」
からは解放されるでしょうが、一方で
「生まれ変わることに対する葛藤」
を持っている霊はたくさんいますから、その意味では立場が替わっただけだと言っていいと思います。
ただ、本当に
肉体がないほうがいい
と思っている霊は、生まれ変わろうとしないです。
これはそのひとにとって
「お金儲け」
がどんなものだったかによると言えます。
お金自体が目的なら、それがなんの力を持たなくなった霊界は
「地獄」
のようなものに映るでしょう。
しかしお金があくまでも
「自他のための手段」
であったなら、それに囚われることなく好きなことができるようになることは、まさしく喜びでしかないだろうと思いますし、その意味で私はこちらの世界も、そろそろそういうものに変わっていい時期だと、そう思っています。
なるほど。
自殺で恋人と心中した霊は、寒さも暑さも感じるし、これからどのような事が起こるのか恐怖を感じると言っていたみたいなので、霊によるのかもしれません。
世の中には、人の幸せのためと言いながら、高い祈祷料金などを取る人達がたくさんいますけど、高い祈祷料金を取る人が守銭奴なのか、お祓いなどのサービスを受けたいけど、お金を払いたくはない人のほうが自分勝手なのか分からなくなりました。
永遠に地獄に落ちるというのは、確かに極端だし本当に人のためにヒーリングをしてあげたいという思いからやっている人もいるとは思います。
でも、確かに利他愛は大切ですが、利己愛が無いと、自殺したくなるし、肉体の本能がなくなっても死んでしまうので人間の慾望すべてを否定は出来ないと思います。
暑いので、お体に気をつけて下さいね!
ええ、私としては、結局のところ
自分に与えられた時間と力をどのように活かすか?
の問題だと思っていて、どのみち永遠なのであればなおさら、少しずつ少しずつでも成長していきたいと、強く思っています。
私にお気遣いくださって、ありがとうございます。
あなたもどうか、ご自分を大切になさってくださいね。
今年の春に、自殺によって娘を亡くしてしまった父親です。
世間では四十九日までは自宅にいて、それを過ぎると次の世界に旅立つ、、、そのように言われているようです。
娘の死があまりにも突然だったので、葬式を始め一連の儀式を行なったにもかかわらず実感がなく、あるいは認めたくない気持ちがそうさせるのか、霊になったと思えなかったんです。
葬式から2,3日後、家内は夢で娘がものすごく暗い顔をして、自殺したことをとっても後悔している様子で現れた、みんながこんなに悲しんでいるのを見て、本当に後悔している、そんな内容だったそうです。
霊になったとは思っていなくても、やっぱりそのようなことを聞くと辛い思いをしているのかと悲しくなりました。
次の話も家内の夢の中での話しなんですが、四十九日が迫った5月上旬、娘が「もうそろそろ、次のところへ行かないといけない」と言ったらしいのです。母の日ももうすぐだったので「そんなに早く行かなくても、、もうすぐ母の日だから、それまではお家にいればいいじゃない。行かないといけない決まりになっているの?」と尋ねたら「いや、決まりはないけど、自殺してお母さんを悲しませたのに、母の日を祝うなんて自分にはそんな資格はない、だからもう行くんだ。」
その後、夢の中に娘がよく出ていたのに、ほぼ出なくなったそうです。
同じ頃、祖母(私の母)の夢にも娘が出てきて「おばあちゃん、そっちに行ったら危ないよ」と腕を引っ張り「もう行くね」と。ドアが開き、目も開けられないほどの紫色のまぶしい光の中にあっという間に吸い込まれていったそうです。
どこに行ったのでしょうか?
私の母は、それからしばらくは娘(孫)の夢は見なかったけど、百か日の納骨の直前に何人かの友達とキャッキャ言いながら楽しそうにしている夢を見たそうです。
「ああ、あちらの世界でも、似たような年頃の女の子と友達になったんだな」と安心していたのですが、つい2,3日前祖母の夢に出てきたときには、まるで水を被ったくらいに汗をかき「おばあちゃん助けて、殺される」と泣いていたそうです。
先週は家内の夢の中で「お母さん、今まで本当にありがとう、ごめんね」と泣きながら何度も謝っていたそうです。
私が気になっているのは、自殺で親より先に死んだ人は重い罪を背負っていて、次の世界で罰を受ける、ということを以前聞いたことがあって、今、まさにその罰を受けているのではないかと、今すぐ助けに行きたいくらい心配しています。
長々と失礼いたしました。
娘のパパさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
まずこの度はとてもつらく哀しい状況であるにもかかわらず、このように想いを共有していただき、ありがとうございます。
私はあくまで私なりにではありますが、私が感じることを、お伝えさせていただこうと思います。
自殺したからといって守護霊や縁ある存在との交流が絶対に起きないというわけではありませんので、
というようなものは、そういった状況を示しているものと解釈してもいいと思います。
ただやはり、自殺者には自責の念や後悔、それに負の霊団からの唆しなど、様々なものも巻き起こりますから、
というのは、そうした状況が顕れているものだと考えていいと思います。
しかしこれは、あなたが思っているような
というようなものではありません。
確かにある部分では、これは自殺者が自分のしたことの結果として経験し得ることではあるのですが、これは
「誰かから強制的に与えられる罰」
でもなければ、
「永遠に終わらない責め苦」
でもありません。
そしてなによりもしあなたが自殺したりしたとしても、
「娘さんの後を追って、同じ世界に行って、助ける」
ということができるわけではありませんので、あなたは生きているなかで、ご自分の日常と向き合いながら、大切な娘さんに対して、いたわりと慈しみの想いを手向けてあげてください。
それがなにより、娘さんの力になるものです。
ですがもちろん、あなたはあなたご自身の苦しみや哀しみもあるのですから、それを抑え込んだり否定することでもなく、どうかご自身のことも、大切になさっていただければと思います。
そしてどうか、1日1日を、生き抜いていってください。
どうぞよろしくお願いします。
コメントを読ませてもらいました。
こちらは、先日の大雨被害で停電と断水を繰り返して、今も断水したままになっています。
自殺した人が他の霊との交流があると言うのは、やっぱり自殺した霊同士なんでしょうか?
たまに自殺した霊も姿を変えて、楽しそうにしているという方がいますけど、自殺した後悔でとても苦しむけど、気分転換に楽しい事も出来て、反省してだんだん前向きになっていき、また生まれ変わるという理解でいいんでしょうか?
これは必ずしもそうとは限らないです。
同じようなエネルギーを持つ者同士が集まるという意味では、このような考えはおおよそ正しいのですが、自殺者でもたとえば近親者であるとか、強く気にかけている存在の想いの力によって影響され、関わり合うことはあるからです。
ものすごく単純かつ広い目線で言えば、そう言ってもいいです。ですが、
というのはそう頻繁にあることではないですし、前向きになるまでに数千年、あるいはそれ以上かかる場合もありますので、やはりそう簡単な話ではないということです。
それにあなたが今回のできごとによって、いのちを大切にしようと思えているか、あるいは逆により絶望的な気分になっているのかはどちらの可能性もあるとは思っていますが、あなたが今生きているということを、よく噛み締めていただけたらと、私は思っています。
ご丁寧に、そして暖かなお言葉を頂きまして、ありがとうございます。
娘が亡くなった直後から、今現在まで娘の後を追うことは考えてはおりません。私には妻も、亡くなった子供以外にも子供がおり、また親も存命で仲のよい友達もおります。
私は過去に経験したことのない悲しみを体験し、その苦しさや辛さが身に染みて、後を追うことでさらに悲しみを広げるようなことはいたしません。ありがとうございます、大丈夫です。
亡くなった娘も、自分が死んでみてよく理解したことと思います。後の祭りですが、、、。
とにかく最も心配していたことが「自殺したことによる罰」でした。娘が全うすべき大切な人生を自らの手で終わりにしてしまったことへの懲罰があるのではないかと心配しておりました。
しかしながら、今日も仏壇のご本尊に向かって「娘が誤った道を選択して誤った場所へ行くことのないよう、よろしくお導きください。」とか「自殺も罪をお許しください、少しでも軽くなりますように」とか、自分勝手なお願いをしております。
娘は中学生の頃から、心身に不調を訴え、さらにここ3年ほどは精神科に通う日々を送り、せっかく頑張って入学した国立大学も入学後、わずか2ヶ月ほどでまともに通うことが出来なくなり、時には自傷行為などで隔離病棟に保護入院などということも何度かありました。
同級生を始めとする娘の周囲の人たちは、学生生活やアルバイトを楽しんだり頑張ったりして青春を謳歌しているのに、自分だけ取り残されて、焦りと孤独感と少しも改善する様子のない精神の不調による苦しみと辛さは、身近にいた家族でさえなかなか推し量ることが難しい面もあり、私たち夫婦も随分と悩み苦しみました。
娘に言いたかったことは「もうちょっと待ってて欲しかった」ということですかね。待っていて、娘の抱えていた辛さが改善する保証は何もなかったんですが、万策尽きたとはどうしても思えなくて、とても残念なんです。
娘は、ただ今の苦しみや辛さから逃避したくて、自ら命を絶ったとは思えなくて、それで与えられた人生を放棄したことで罰を受けるなら理不尽だと思った次第です。
そうやって生きることを選んでいただけて、よかったです。そしてそのうえで、娘さんに手向けていらっしゃる想いは、確かに娘さんの力になります。ですからあなたは、確かに娘さんの助けになれているということです。
もちろん、本当は生きている間にもっと助けたかったとは思いますが、それでも過度に自分を卑下したり、責めたりしないでいただけたらと思います。
そして娘さんも、これから長きに亘り様々なものと向き合わなければいけないことは確かですが、それはむやみやたらな罰ではなく、娘さんの意志によって乗り越えられるものでもあります。
ですからあなたも一緒に、寄り添ってあげていてください。
どうぞよろしくお願いします。
説明して頂き、ありがとうございます。
そうなんですね。
やっぱり、自殺したけど死後も楽しそうだとか幸せだといった姿は、ご遺族の希望によるところが大きいのかもしれません。
今回の大雨被害について思った事は、生きたかったであろう人達が亡くなり、死にたい私が助かった事への矛盾と申し訳なさです。
あとは、まだしばらく断水が続いたり、食料品が手に入りにくかったりはしていますが、生きていると思っていたけど自然物によって人間は生かされているという事です。
災害で亡くなった人は、この世の苦しみから解放されたから幸せで喜ばしい事で、何も悲しんだり追悼する必要はありませんという記事も見かけましたが、前に言われたあの世がそんなに幸せな所だったら、わざわざこの世に望んで生まれて来てはいないという話しから、それは違うのかな?と思いました。
死んだら、一人残らず皆幸せになれるという発想だと、皆殺されたら幸せになれるという事になってしまいます。
地震などの災害が起きると、神様はもう人間を滅ぼしたいのかそれとも災害から命の大切さと助け合いを伝えたいのかと考える事があります。
また、うつがひどくなって来たので、今までのやり取りを振り返って見てみました。
結局、人間は何のために存在するんでしょうか?
幸せになるためなら、何で幸せにならないといけないのか分からなくなって来ました。
幸せになれないから死にたいと思っても、肉体をなくすだけで、後悔して苦しむと思って、何とか思い止まってはいるのですが、どこに向かって生きたらいいのか分かりません。(泣)
霊界では、生きる苦しみの生、死、病、老が無い世界ですけど、やっぱり幸せじゃなかったから、わざわざ肉体を持って生まれて来たんでしょうか?
それで、この世の寿命を全うしたら、生まれる前の自分よりは少しでも幸せになれるんでしょうか?
そもそも、幸せとはどういう状態を言うんだろう?と考えています。
もし、私が今まで幸せではなかったとしたら、もう死んでいるだろうし、今まで生かされて来たという事はそれだけで幸せとも言えるし、こうして質問に答えてもらえるのも幸せな事なのに、もっと幸せになりたいと思うときりが無いです。
死にたい=もっと、幸せになりたい!
幸せになるためには、自殺はだめ!
生きていたら、生き抜いて死んだら幸せになれるわけでは無いとなると、どうしたら幸せになれるのでしょうか?
ええ、しかしもう一方では、生きたいという想いがまったくなくなってしまえば、自殺などによって死ぬことができることも確かなのですから、その意味では
「生きている」
というのも正しいと言えると思います。
ですからその意味において、
「私たちは生かされているから生きていて、生きているから生かされている」
というのが、より精確なのではないかとも思っています。
これについて全員が統一された、ただひとつの定義にまとまることは、おそらく限りなく無理ではないかと思います。
そしてだからこそ、そこにそれぞれの「個性」が生まれるのだろうとも思います。
それにもちろん、しあわせには様々な側面があるので、同じひとのなかでもひとつに定まることはなく、私自身もいつもいろいろな観点から考えています。
しかしそれを前提したうえで、今の私がひとつ考えるとすれば、
しあわせは、自分のことを、どれだけ認め、肯定できるかにかかっている
とも言えると思います。
もし自分が生まれてから死ぬまでのあらゆる瞬間を、一片の澱みもなく肯定することができたら、自分のすべての選択を、ひとつの例外なく肯定することができたら、そのひとはおそらくほとんど完全に近いしあわせ者だろうと、私は思います。
しかし少なくとも私自身の現状は、まったくそんなところにはないわけですが、だからこそせめて、
「明らかに後悔するとわかりきっていること」
くらいは避ければいいと思っていて、その最たるものが自殺なのであれば、自殺だけはなんとか踏みとどまろうと思っているわけです。
そしてなによりあなた自身が、かつて自殺したことによって後悔した自覚があるのであれば、今生では自殺しないで生き抜ければ、少なくとも自殺したときよりは自分を肯定できるのではないかと、そう思っています。
なるほど。
自分を肯定できる事ですか?
そんなふうに考えた事はありませんでした。
後悔もしたのかもしれませんが、怖かった、苦しかったもうあんな所に行くのはこりごりだという寒気や震えを伴うような感覚があるのは確かです。
それに、そんな事をして自殺したって、どうせまた戻されるんだから無駄な抵抗なんだと分かっています。
だから、たぶん普通の人よりは自殺に対するハードルは高いんじゃないのか?と思います。
一方、スピリチュアルではよく死ぬ事は喜びで祝福される事ですと言いますが、また自分自身の意思でこの世に生まれ変わる事を望むぐらいなら、そんなに幸せではない、幸せだと思ったけど飽きたという事なので、霊界も幸せだとは言えないという事になります。
確かに自殺するよりはましなのかもしれませんが。
だから、病気や震災でライフラインが供給されなくなっても人間は必死に生きる道を探すのでしょうね!
神様(世界の仕組み)は、どうして人間を幸せにするように作ったのかは分かりませんが。
死ぬ事に対する恐怖心というのは、誰でも持っているものなのでしょうか?
よく死期が近づいて来ると、自分自身でそれが分かり、もう恐怖心はなくなると聞きますが、皆があてはまるんでしょうか?
死ぬ事が怖いって事は、死後に苦しんでいる、後悔している事を本能的に感じ取っているのかもしれません。
楽しい、幸せな場所に行くのならば、恐怖は無くて、喜びとか幸せに感じていると思います。
いつか、死が恐怖から幸せへと変わったら、その時に、私は死ねるのかもしれません。
自殺した、正確には未遂者の話しを聞くと自殺した先に幸せがあると感じて恐怖心がなくなっていって、自殺出来るようになったと言います。
これを負の集団が見せている幻覚なのだとしたら、守護霊は止めてくれないんでしょうか?
私の場合は、知識として自殺した後に幸せになれると聞いた事はありますが、実感を伴って幸せになれると思った事は一度もありません。
だから、何とか生きていられるというか、死にたくても物理的に死ねないという状態を作り出しています!
死にたいと思ったら死ねる、殺そうと思ったら殺せるというのも事実ではありますが、物理的に手が動かないというのは自分の良心による止めがかかるからです。
殺人犯(自殺者)というのは、自分の良心がある意味麻痺した状態だと思います。
他の記事も読ませてもらいましたが、今日明日に死ぬというのは悔しい、心残りがあると言われていましたが、私はいつ死んでもいい、むしろ死にたいと思っていますが、それでも後悔するんでしょうか?
死んだ後に、自分の良心が自分自身を裁くと言われましたが、サイコパスなどの良心が無い人は何とも思わないんでしょうか?
負の集団は、確かに脅して来たりして怖い存在だとは思いますが、話し合いをしたら分かってくれたりして、けっこう素直な所もあると思いました。
良心が無い人はいない、隠されているだけなのかもしれませんが。
確かに自殺したら、自分の中の良心は自分を苦しめて後悔するかもしれませんね。
自殺がいい事だとは思えないから。
そういえば、私が小学生の時に起きた神戸の連続児童殺傷の少年A酒鬼薔薇聖斗も、何で人を殺してはいけないのかは、分からないけどそんな事をしたら、自分自身がとても苦しむからという結論を出していました。
遺族が苦しむからでは無くて、自分が苦しむからというのに批判の声もありましたが、彼が何十年も考えて自分なりの正直な気持ちなんだと思いました。
だから、殺人を楽しむような人も年月がたったら、苦しむようになって後悔するという事は考えられる事ではあります。
(それが、建前の演技で無いとしたら)
私も、今死にたいと言われて何で死んだらいけないのか?と聞かれたら、あなた自身がとても後悔して苦しむし、また生まれ変わっても同じ事の繰り返しになるけど、今自殺して現実から逃げたのに、来世では逃げないなんて出来ると思う?
それは、出来るんだけど、とても難しく苦しい道になる!
と言って止めるでしょう。
今は、9割の人が病んでいて生きる喜びを感じていないのはなぜなんでしょうか?
生きる事は、修行だと思わないといけないのは嫌だと言われていましたが、自然物や他人に生かされている事に感謝して自分も他人も大切に出来るような世の中になったら、生きる喜びを感じられるでしょうか?
Dilettanteさんは、生きる事を愛しているんだと思いました。
それは、スピリチュアリストやキリスト教徒が信じている現世は理不尽で苦しいけど、自殺しないで乗り越えたら、天国に行って幸せになれるという考え方と相反するような考え方です。
天国に行くのではなくて、この世を天国にしていこうという事なんですね。
私も、難しいのですが少しはこの世を愛せるようになるといいのですが。
霊界では、皆それぞれに合った喜びの階層に行くと書いてありましたが、霊界で喜びがあるんだったら、何でわざわざこの世に生まれ変わって来るんでしょうか?
飽きるからですか?
死んだからといって、皆楽になれるわけでは無いけど、楽になれる人もいるというのは、この世で善人であり利他愛を持って寿命まで生き抜いた人は楽になれるんでしょうか?
自殺した人は喜びの階層には行けませんか?
生きるは難し、死ぬは易しと言って、困難に耐えて生きていく事は死ぬよりも難しいとは言いますが、私には生きるは難しだけど、死ぬはもっと難しに思えて自殺出来ずにいます。
自殺を考えた事がある人の中でも、実際に自殺を実行する人はほんの少しなのは、やっぱり死ぬのも難しいからでは無いのでしょうか?
実際に自殺してしまう人は、きっと今の苦しみがひどくて、逃げられるから楽になれると思って、死後の苦しみまでは考えられない状態なのかと思います。
この世では、本当の幸せにはなれないと言うのは、やっぱり死の恐怖があるからなのでしょうか?
一方、Dilettanteさんは、生きる事はやっぱり喜びであるとも書いていました。
これは、シルバーバーチの霊訓や他の霊界通信には書いてない事で新しいと思いました。
霊も肉体があるのをうらやましがっている。
だから、また生まれ変わる。
あの世で、もう死ぬ恐怖も生まれ変わる葛藤も無く、欲も無い状態が一番幸せなんでしょうか?
神様は、なぜ人間を幸せにしないといけないんでしょうか?
疑問がいっぱいです!
これはひとそれぞれだと思います。
実際私自身は、死の恐怖はないですね。霊存在のときは霊として、肉体人のときは肉体人として役割を果たすだけだと思っているので、その意味では怖がるようなことではないと思っています。
守護霊さんはもちろん違うエネルギー・思考を送っているのですが、どちらに強く影響され、最終的にどちらを選ぶかは、私たち次第だということです。ですから、自殺すると守護霊さんも、とても哀しみます。
私もそうですが、あなたも現時点であなたの「可能性」のすべてを把握しているわけではないです。
自殺するとそれが明らかになることで、
自分にもしあわせになれる可能性があったのに……
という、後悔に陥るということです。
えりさんも、ご自分がしあわせになれる可能性が、確かに存在しているということを確信できたら、それを投げ棄ててまで死にたいとは、思わないでしょう?
これはまさにそのとおりだと思います。そしてこれも、
「相手の可能性を信じる」
ということだと思っていて、これは
「自愛」
と呼ばれるものの、ひとつの側面なのだろうと思います。
私の場合、生きることを愛しているというよりは、
「生きる可能性に賭けている」
ということだと思います。
実際、霊界がどんなに変わろうが、その受け手の肉体人が荒みきっていれば、ほとんどなんの力も発揮できません。
ゴータマもイエスも霊界から私たちのしあわせを願っていて、ひとりひとりに守護霊さんまでいるのに、それでもこんな世界になるということが、その証です。
ですが逆に、霊界からどんなエネルギーを送られようが、肉体人がしっかりと見定めて選べるようになれば、それで済む話です。
ですからその意味で、
「最前線」
はいつも、肉体世界のほうなのです。だから私は、こちらにいるほうが好きです。それはまさに、世界を変えたいからです。
実際、霊界の「天国」というところですら、それほど素晴らしいわけではないので、だったらこっちで可能性を追究したほうが、やりがいがあると思います。
「それぞれに合った喜びの階層」
というのは、
「それぞれが喜びだと思っている(思った)世界」
ということです。そして
「なにを喜びと見なすか」
がひとつではないから、多様な階層があるということなのですが、やはり大きく変化したいときには、生まれ変わったほうがいいです。同じ素材だけでは、永遠の暇潰しにはならないので。
そうですね、周りの評価がどうというより、結局は自分に誇れる生きかたを完遂できたら、達成感はあると思います。自殺者の場合もある意味では、
という理屈が成り立つということです。
先ほど
「それぞれが喜びだと思っている世界」
と言ったのは、そういう意味でもあります。
これは考えかた次第だと思いますが、こちらの肉体界でしあわせを実感できたら、その難易度から言って、しあわせの度合いはより深いのではないかと、私は思っています。
ですからその意味では、
「本当のしあわせ」
というのは、こちらにあるのではないでしょうか。
はっきり言って、こちらの世界でしあわせを実感し続けて生きられたら、それはもう絶対的に、自分を誇っていいことだと思います。
そう思うひともいるでしょうが、私はそう思わないほうですね。永遠の時間のなかで
「欲・目標」
をなくしたら、あとは虚脱感に潰されそうだと、個人的には思いますので、そんなふうにはなりたくないです。
神はすべてを含んでいるからだと言えると思います。ですからその意味では、神をことさらに特別視する必要もないと言えます。ある意味、神も人間の一部なのですから。
自分が喜びだと思っている階層だったら、やっぱりずっとその場所に留まりたいと思うはずだと思います。
でも、そうでは無いと思ったから自ら、生まれ変わる道を選んだのでしょう。
私は、多くの人がそうであるように自殺したいのは、幸せになるためなので、例え自殺しても今よりさらに苦しい状態に置かれるなら、目標達成にはなりません。
今まで読んだ本では、霊界の上部はこの世とは比べものにならないぐらい美しく、争いも一切無いこの世では絶対にありえない幸福に包まれる世界と書いてありました。
ただし、自殺だと行けないみたいですが。
目標は、人類の霊性を向上させる事になって喜びが得られるようです。
私は、とても死にたい一方、とても死ぬのが恐ろしいです!
それは、やっぱり私がこのまま死んだら、地獄のような世界に行くと感じとっているからなのでしょうか?
天国のように幸せな世界に行けるのなら、怖くは無いはずでは無いのか?と思っています。
生は難く、死は易しならば、何でわざわざ難しいほうを選択して生きなければいけないのでしょうか?
やっぱり、苦しい時は切羽詰まっていて本当は生きる事よりも苦しい道なのに、死ぬのが楽に解決出来ると間違って思い込み実行してしまったと考えるしかありません。
水が出るようになりました。
自分のことすら癒やせていないひとが、誰かを癒やせるはずがない
こうした意見というのは、洋の東西を問わずどこでもいくらでも見つけることができる。しかし私は、こうした意見に一定の理...
の文を読んで、確かに私もうつ病の医者や体調不良のカウンセラーさんに出会った事があり、Dilettanteさんも生きる事に前向きには一見見えますが、心に傷を抱えている一人だろうとは思っています。
これについては、いちがんに自分と同じ思いをしたから、他人の気持ちが理解出来るという単純なものでは無くて、かつて自殺未遂をしたにも関わらずに自殺者を責める、同じ女性のほうがセクハラの発言をするという人もいます。
同じ苦しみを持っている人によって、救われる可能性はあるという事は言えると思います。
霊界の素晴しさ、地上の悲劇を伝える霊界通信が多く、でも自殺はいけないという文にかろうじて救われてはいますが、生きる事が喜びであるというのはここで初めて聞きました。
果たして、生まれて来て良かったと本当に思っている人なんて、どのぐらいいるものなのでしょうか?
情けは人のためならず、自分に返って来ます。
理想的な死に方は、どんな感じですか?
自殺しないように、自分をごまかして生きて来ましたが、これが正しい事なのかが分かりません!
死んだほうがましだ!という言葉は、生きていて死んだ記憶が無い人なのに、何で死んだ後と比べられるんだ?とは思いますが。
寿命で死んでも、また生まれ変わって来るのは、やっぱり霊界での生活に満足出来てないからだと思うのですが。
それか、どうしても心残りがあって霊界でゆっくり休めずにいるとか。
生きていたら、もしかしたら幸せになっていたかもしれない未来があったとしても、その未来よりも霊界のほうが幸せならば死にたいと思ってしまいます。
本当は、家族も悲しませたり、傷つけたりはしたくないし、死なないで済むのなら死にたくは無いのですが、たまに霊界のほうが幸せになっているじゃ無いのか?と妄想したり、夢で霊界で苦しんでいて、体の痛みまで感じました。
自分に合った階層に行けて皆喜びの中にいるわけでは無いのでしょうか?
この世で幸せな人は、あの世でも幸せなんだとしたら、幸せだから自殺する人なんていない事を考えたら、やっぱり死んでも幸せでは無いんでしょうね。
うーん(-_-;)
よく分からないけど、生きてたほうが幸せなのかな?
もちろん、実際に自殺してみたらどっちが幸せなのかは、はっきりするけどそしたら戻りたくなっても戻って来られ無いからなぁ。
分からないから、いつまでも考えてしまいます!
考えてみたのですが、死んだ時点では、例えば自殺したくて自殺して幸せ、人をいじめるのが喜びだから、それが幸せだと思っていても、霊界での後悔や反省が始まると、それが本当の幸せではなかった事に気付いて、またこの世に生まれたくなるのかな?と思いました。
寿命を例え、どんな生き方であっても全うしたというのは、それだけで喜びであり霊界での祝福されるけど、自殺したら守護霊や霊界での先祖の霊などに悲しまれたり、怒られたりするのかなと思いました。
お墓は、本当に死者の霊が眠っているわけでは無いけど、その人を思い出したり、子孫に伝えていくためには、やっぱり必要だと思います。
私の場合、もし前世で自殺しているのだとしたら、今の人生を自殺しないで乗り越える事が出来たら、前世での後悔の苦しみを癒す事が出来るから生きている。
そう自分に何度も言い聞かせています!
この世で幸せになる事も出来ますが、それは永遠では無いから、この世で幸せになれた人は、あの世でも幸せなままでそれが永遠に続いていくのが最終目的の地点になり、人間が幸せだと神様も、もっと幸せになれる、それでハッピーエンドって考えました。
この世で幸せな人とあの世で幸せな人は比例していると言う事なのですが、それはこの世で幸せな人がそのままあの世に行っても幸せだという事なのでしょうか?
それとも、この世で幸せだけどあの世では苦しむ、この世では苦しむけどあの世では幸せというパターンもありますか?
この世で幸せになるほうが難易度は高いんだったら、やっぱり死んだほうが幸せなんじゃないでしょうか?
でも、本当にあの世で幸せだとしたら、わざわざまた生まれて来る必要は無いだろうから、少なくとも生まれ変わりを自分から希望しているのだとしたら、やっぱりそれはあの世でどこかしら幸せでは無い、生まれ変わって幸せになりたい!と思って生まれて来たのだと思います。
幸せだと感じるのは、自己判断なので不幸だと人から思われる人だとしても、その中で幸せを感じていたり、人からうらやまれるぐらい何不自由無く、美しい人だとしても自分が不幸だと、思い込んでいたら不幸だし、それはあの世でも同じだから難易度という点では同じだけど、あの世では魂の目的が分かっていて、何のために生きているのか?という虚しさを抱えなくていいからその意味で難易度は低いのかもしれませんが。
実際、不思議な事に経済的にある程度恵まれた人のほうが引きこもりや生きる事に悩みやすくて、貧しい人は生きるのに必死だから、そういう事を考える余裕が無いという話しを聞いた事があります。
その結果、貧困層よりも裕福な人のほうが自殺してしまうので、幸せとは言えないと思います。
もちろん、経済的な貧困のために自殺する人もいるでしょうけど。
一番多い自殺の原因は、警察の発表によると、病苦、特に私のように精神的な病気を抱えた人のようですが。
あの世では、もう肉体的な病気は無いようですが、生きていた時の後悔でとても苦しむようですが。
精神的な病気は、死後も治らないんですよね?
認知症は死後は治るんでしょうか?
いっぺんに質問してすいませんでした!
私にとっては、切実な問題なので。
霊界通信では、霊界での景色の美しさなど霊界の素晴しさが語られていますが、例えそういう、いわゆる天国と思われる所だったとしても、前に言われていたように本人が後悔していたら、結局霊界でも苦しみ続けるんでしょうか?
Dilettanteさんが、ずっと言われているように、わざわざ苦しむために幸せだと思える世界から飛び込んで来るとは、どうしても思えません。
仮に万が一あったのだとしたら、それはこの世のほうが幸せな所だと思い込んで来たぐらいです。
今すぐにでも死にたいぐらいですが、とりあえずお返事をもらうまでは生きてみます。
私の選択肢は、死んでこの世から逃げるか自分自身の死にたい気持ちから逃げるかなのですが、どちらもとても難しいです!
死にたい気持ちは、影のようにいつも付きまとって来ます。
自殺した人が後悔が付きまとって来るようなものだと思います。
それでも、死なないほうがいいと言われるなら、理由が知りたいです!
私としては、
というのがあるのかというのは、もう少し吟味してもいいのではないかと思います。
逆に言えば、
「あの世では絶対にあり得ない幸福」
というものがこの世にある可能性も、充分にあると思います。
そのひとつを端的に言うなら、
「制限のなかでそれを乗り越えながら生きる幸福」
がそうなのではないかと、個人的には思っています。
しあわせになっていた可能性があったにもかかわらずそれを棄てて自殺したのに、その未来より霊界でしあわせになれることはないです。ですから、やはり自殺が生き抜く以上の解決策になることはないということです。
ええ、大まかに言えばこの捉えかたで充分だと思います。ですからやはりあなたは、この答えを自分で既に持っているということです。だからそのことを、ずっと掴んでいられるようになっていけばいいということだと思います。
そうですね、これは単純に言えば、
自分がしあわせだと思い込んでいたことが、本当はなにもしあわせではなかった
ということに気づいたことによって苦しむことだと言えると思います。
と思って、ある種晴れやかな気持ちで自殺しても、やはり苦しむというのも、この端的な例だと思います。
一方で
生きているときは理解してくれるひとがいなかった(自分も自分を理解できなかった)けど、死んだら霊存在が理解して、励ましてくれた
というような場合には、肉体界では苦しくても、霊界では少なくとも多少は、しあわせを感じられるのではないかと思います。
精神的な状態には、相当程度他者からの想い、エネルギーも影響していますので、そのぶんは確実に、死ねば和らぐと言えます。ただ
と気づいて、さらに絶望してしまうこともあり得ますので、そこまで踏まえると、死ぬことですべてが解決するわけではないとは言えると思います。
それから、認知症は魂の問題ではないので、治ります。
というかある意味では、肉体人は全員が、ある種の
「認知症」
だとも言えると思います。
ということを、正しく認知できていないんですから。
これは大切なことなのですが、死んでしまいたいという気持ちは、本当にはあなた自身の気持ちではありません。
あなたが本当に生きていたくなかったのなら、そもそもここにいないからです。
そしてそのうえで、あなたがおっしゃる
という表現はあなたが自覚している以上に重要な意味があって、端的に言えば
「あなたに自殺を選んでほしくて、唆し続けている存在がいる」
ということは、ぜひご理解いただければと思います。
そしてそれはまさに、
「私と対極の立場にいる存在」
だと言えます。
そして最終的には、選ぶのは、選ぶことができるのは、あなた自身だけです。
ですから私はあなたに、ぜひ悔いのない選択をしていただきたいと、心から思っています。
ありがとうございます。
自殺したほうが今よりも幸せになれる事は無いんですね。
死んだら、霊存在が理解してくれたり、励ましてくれたから幸せになれる事はあまり考えられないのですが、今うつ病で理解してくれたり、励ましてくれたから幸せを感じる事はほとんどありませんので、同じ事だと思います。
他者の念を受けて、精神的苦痛を受ける事はあるとは思います。
私が自殺してしまったら、自殺を薦めている霊も目的達成したから離れてくれるかもしれませんが、また生まれ変わって同じ事を繰り返すのならば、今の人生を全うしたほうが傷を長引かせないで済むかもしれません。
そのように考えて、何とか自殺しないようにしたいのですが。
それは、私以外の(例えば守護霊)からの願いでもあります。
生きたいのか?死にたいのか?と言われると、本当は心の奥底では生きたいと願っているんだけど、目の前に幸せな幻想(マッチ売りの少女でいうごちそう、優しいおばあちゃん)が自殺する道であって、それに飛び付きたいのを耐えている感じで、それは本当に幸せな世界に行けるのか?を確かめるために死後の世界を調べていたら、このサイトにたどり着いたのです!
それは、私がけっして特別なのでは無く、この世で本当に生きたくて生きている人がどれだけいるのだろう?と思うと、負の集団さえも呆れるほどに毎日、仕事に行きたく無い、家事はしたくない、あんな旦那や妻と結婚しなければ良かった、もっと成績のいい子供が欲しいとあれこれ毎日不満を言いながら生活している私達への一種の警告なのだろうと思います!
負の集団も、もしかしたらそんなに生きるのが辛いのなら、死んだらいいのにと思い自殺を薦めて来ているのかもしれませんね。
あの世ではあり得ないような幸福もこの世にはあると思います。
だから、生まれ変わって来る霊もいるのでしょう。
結局、多くの霊界通信にある霊界は光り輝く何一つ不満の無い幸福な世界だとしても、自分自身が後悔していたり、利己的な心を持っていると苦しむのかもしれません。
他者からの思いやエネルギーからは、死んだら逃れられるのでしょうか?
自殺されて傷ついた、悲しいなどの思い、負の集団からの自殺させられた喜びの念を受けて、苦しみませんか?
霊界通信で、自殺してしまってからも苦しんでいる霊もいるようでしたので、(生きている時の)他者の思いからは逃れられるだけでは無いのでしょうか?
自殺したからといって、そういうものから解放されて楽になれるとは思えないのですが。
人から操られていて絶望的になるとも考えられません。
どっちにしろ、そういういわゆる試煉からは乗り越えるまでは逃げられないはずです!
元々、うつ病になったきっかけが学校での課題が多過ぎて、寝る時間もあまり無く、私生活まで時間単位での報告があり、自由が無く、ノイローゼ気味の時に何のために生きているのか?分からずになったので、他者というよりは置かれている環境によるものが原因だったので、余計にそう思えます。
確かに人間関係のトラブルも同時にありましたが、私が精神状態が悪化していなかったら、それぐらいはやり過ごせたんじゃないのか?と思います。
私の他にも精神的な病気を抱えた不登校やリストカットをしている生徒もいましたが、頑張り過ぎて、もう頑張れない所まで来た人を親と先生が追い詰めていくというのは今でも許しがたい事です!
他者から逃れられて楽になれるのならば、いじめられた人も皆自殺したほうがいいという事になります。
死んで楽になれるのならば、むしろ負の集団では無く、この世からの救世主集団では無いのでしょうか?
でも、負の集団も後悔している事を考えると、やっぱり自殺後は楽にはなれないという事では無いのでしょうか?
出来れば、この世を楽しく幸せに生きたいのだけど、苦しい事が多くて、どうしても修行みたいに思ってしまいます。
となると、やっぱり寿命を何とか全うしたら、あの世では幸せになれると考えないと生きていけません。
でも、生きている時にあまりいい事をして来なかったし、自殺する事ばかり考えていたから地獄行きでしょうか?
生きていても地獄、死んでも地獄では救いようがありません!
どうしたら、幸せになれますか?
生きる方法を考えたいのですが。
私に付きまとって自殺を促している霊は、分かったらでいいのですが、いつごろにつき出して、やっぱり自殺した霊なのか?
一人なのか?集団なのか?は分かりますか?
前に言われた事があるのは、悲しみの霊団と言われました。
特に凶暴で無理矢理自殺させるほどの事はしていないのか出来る力が無いのか?
その霊能者の方は、自分には手に負えないので、あなたはあまり霊的な事を考えないほうがいいと言われました。
霊に憑依された状態でも、自己判断が出来るぐらいだったら、自殺は自己責任になりますか?
徐霊、浄霊しても、私自身が病気を治す事に前向きにならないと、また同じような霊がつくだけなのでしょうか?
心当たりとしては、うつ病になった時に通っていた高校が前は戦時中の病院だったらしくて、私は白く天上に向かう道(霊道)を見たり、母が保護者懇談の時に戦時中の子供達の霊が見えたと言っていました。
そんなに長い間、さまよっているんでしょうか?
あと、通学路に移転した病院がありなぜか電気経路が悪くて、停電になる事が何回かあったと新聞に載っていました。
精神科もある大きな病院です。
後は、特に霊のいそうな場所には行っていませんが、けっこう霊ってどこにでもいるらしいから分かりません。
やり取りのなかで感じたのですが、お気づきかもしれませんが、Dilettanteさんにも霊は何体か憑依されている気がしました。
その中に若い女性の霊がいて、たまにあなたも自殺するの?可哀想に。と言って自殺を肯定も否定もしないで、見守ってくれています。
このサイトで私のコメントを見ている方からいくつかコメントを頂きましたが、他にも見たよ!という波動はたまに伝わって来ていました。
私自身、そんなに霊感が強いほうでは無いのですが、けっこうインスピレーションをもらうと見ていないのに分かったりするみたいです。
私自身は分からないので、当たってると言われるとびっくりしますが。
インスピレーション的には、自殺すると真っ暗な寂しい孤独な世界に行き、今までの行いを反省しているうちにまた呼ばれて生まれ変わってリピート人生をおくる事になるような気がして、自殺するのが無駄な抵抗に思えるのですが、自殺して幸せになった人もいるみたいなので、どれが本当なのやら?
周囲との関係がたち切れるから、断然楽になれるとの事ですが、アンジーの自殺した臨死体験によるとこの世で感じた事の無い孤独の苦痛を味わったや、自殺して夫や子供の悲しみを感じて苦しんだという人もいるようなので、皆が皆というわけでは無いようです。
何とか、今度こそは自殺しないで済むようにお力をお貸し下さい。
寿命で死ぬ事が出来た時に、霊界でお礼に参ります。
ええ、そのように、
というその感覚を、なんとか掴んでいていただければ、そこに希望があると思います。
そうですね、だからこそ負の霊は、ほとんど例外なく
俺たちは、コイツに引き寄せられてコイツを知ったんだ!だから、俺から無理が強制してるわけじゃない!
というようなことを言います。
ですからやはり、それを「煽る」ほうにも問題があるとはいえ、その「種」をどうするかは、こちらの課題でもあるのだと思います。
そうですね、ですからやはり根本的には、死んでからだを失ったとしてもなにも変わりません。ただ死んだことで
「視点が変わる」
ことは確かで、そのことによって、さらに理解が深まったり、あらゆる意味で
「現実に直面させられる」
ということはあり、その意味では、
「生きているときとまったく同じではいられない」
というのも、事実だと思います。
ええ、今生をきちんと最期まで生き抜くことができたら、少なくとも今よりは、しあわせになれると思います。
それは
「少しは自分を許せる、少しは自分を褒めてあげられる」
という意味でもです。
もちろん自殺はいちどもしないのがいちばんいいですが、それでも繰り返さなかったのなら、それだけでも素晴らしいことなのですから。
少なくとも、ひとりではないと思います。あとは、あなた自身が自殺願望を強めたのがいつなのかを、ご自分で振り返ってみたらいいと思います。そしてもしほとんど生まれたときからそうだというなら、そのくらい長い付き合いなのかもしれません。
そうですね、ですから本当には、あなたが根本的に変わらない限り、対症療法では一時しのぎにしかなりません。ただ、それは今のあなたのすべてが悪いというわけではないです。
「変えたいところを変えればいい」
ということなのですが、自殺願望を持ち続けるのはつらいでしょうから、そこは、変えていければいい部分だと思います。そして、それについても別に独りだけでやらなければいけないわけではないので、私も含め周りの存在の力は、いいように活かしていただければと思います。
そうですか、私の周りには数体どころではない様々な霊が(味方としても妨害者としても)関与していますので、あなたがそのように感じるのは、まったく間違ってないです。
もちろん
「自殺したからもう永遠にしあわせになれない」
というわけではないです。ただそうなるまでにはあまりにもハードルが高いことは確かなので、わかっていてわざわざ飛び込む必要はないということです。
あなたが生き抜いてくれれば、それだけで充分に
「私へのお礼」
になります。
ですからいつも申し上げているように、こちらこそどうか、生き抜いていてください。
丁寧なお返事、ありがとうございます。
Dilettanteさんが他人の生死に、そこまで真剣になってくれて、とても勇気づけられました。
まして、見も知らずの私の事を考えて頂いて、とてもありがたい事だと思います。
これまで、自殺したいと散々書いて来たのですが、うつ病になった高校生の時までは一度も自殺なんか考えない男子に混じって遊び、喧嘩して、時にはいじめたり、いじめられたりする学級委員をするような活発で、でしゃばりな性格でした。
影が出始めたのは、父の転勤による毎度の転校で、田舎の小学校に行き、初めて一目惚れされ、男子に告白されて、女子同士のいじめ、仲間外れにあってからでしょう。
うつ病になり始めて、眠れなくなってから、高いビルから若い女の子が飛び下りる夢を見たのが、前世の私なのかもしれません。
母が小さい頃から、私はジャングルジムなどの高い所を怖がっていたと言っていたのも関係があるのかもしれません。
負の集団なのですが、いじめっこがよくいじめられるやつにも原因があるというのは、確かにいちりあるとは思いますが、原因があるからといって、いじめてはいい事にはならないとも言えます。
私も、いじめる側の時はいじめられる人というのは、体からいじめて下さいと言わんばかりの陰気な負のオーラを放っていました。
関わらなければいいというのに、その子はわざわざ自分から私の所に寄って来て、いじめられても意思表示が全く無く、嫌がっているのか?もよく分からないような人でした。
たまに勉強を教えてあげたりもしましたが、無反応でした。
私についている霊も私が前向きに病気や自分の置かれている環境と向き合えるようになったら、自分も霊界へと自主的に向かうかもしれません。
それは、簡単な事ではありませんが、私自身長いうつ病の中で、自殺は解決にはならないと少しずつ体感しているのも事実です!
自分で生まれて来たのに、いつも不平不満を言っているというのは、私達が自分で好きで結婚して子供を産んでおいて、相手や育児に不平不満を言っているようなものなのでしょうかね?
その中でも、本当は幸せを感じているんだったらいいのですが。
結局、天国に行っても自分で後悔して苦しんでいるなら、自分の中から後悔の原因になる悪い感情を追い出すしかありません。
魂は消滅しないのなら、神様がノアの方舟のように悪い人間を滅亡させる事は本当は無いんでしょうか?
負の集団が滅亡していないのだから、そうなのかもしれません。
特別に悪い事をした魂は、罰として消滅させられるという話しもあるようなのですが、私にとっては罰では無く、救いですが、自分が滅亡するのが怖いという人もいるようです。
年配の人の中には、家の跡継ぎ問題に悩んでいて、子孫や残した家が自分の生きて来た印になると聞きましたが、どうしてそんなに自分の生きて来た印を欲しがるのかが私には理解出来ませんでした。
自分の存在を認めて欲しいという本能があるのかもしれませんが。
人生は修行であるというのは、ある意味正しくてまた間違ってもいるのかもしれません。
世の中、お金と時間を常に気にしていて、時には命さえもお金で買えるような事もあるので、どうしても心が殺伐としてしまいます。
その中で、少しでも生きる喜びを見つけられるといいのですが。
自殺した人には自殺して霊界に行っても会えないんですよね?
Dilettanteさんの自殺しても、縁のある存在との交流があるとおっしゃるのは、霊界に行ってから、必ずにも自殺した霊とは限らずに自分と同じようなおそらく低い波動を出している霊という事なんでしょうか?
自殺した人の霊に会えるという話しは、ほとんど聞いた事がありませんが、(生まれ変わりの村では、自殺した罰が無いので会えるのかもしれませんが)それは自殺した霊に限りますか?
生きている人間の気持ちは、一方的かもしれませんが自殺した霊には伝わるんですよね?
なら、まだ生きているほうがある意味では交流出来るという事になりますね。
自殺した霊が、皆が皆、負の集団のようになって、生きている人を自殺させようとしているわけでも無いんですよね?
自殺した親が子供が自殺しないように見守るというような事もありますか?
難しい事なのは、よく分かりますが自殺した人が皆悪者になるというのも悲しいです!
生きている人に恨みを持ったまま、自殺した霊は自殺させようとするかもしれませんけど。
そのような事(霊との交流)は、めったに無くて、前向きになれるまでにすごく時間がかかるとおっしゃっていたので、基本的にはやっぱり自殺した霊は孤独の中で苦しんで、後悔して反省しているんでしょうか?
取り返しのつかない事をしたからこそ、それを噛みしめながら次の人生にやっと歩み始められるようになったら、乗り越えられた事で幸せになれたというような感じなのでしょうか?
もちろん、個別のケースであるとか人によって捉え方が違うという事はよく分かってはいるのですが、今まで聞いた事をまとめるとおおよそは、そんな流れなのかな?と想像してみました。
それだと、自殺した人を霊視したら、すごく幸せそうに見えたという説明がつきます。
自殺した人も幸せになれるけど、長く苦しんでやっと掴んだ幸せの人生だから、絶対に自殺しないで生き抜くとしたら、皆が幸せになれると思います。
霊能者からしたら、今さら当たり前のような話しなのかもしれませんが、私にはやっと迷路から出られたように感じます。
自殺した人がすごく幸せになれるなら、自殺してもいいのでは?から始まって様々な人の死後の話しを聞いてみて、いろいろと考えました。
そうですか、やはりいろいろな変遷があって今のえりさんがあるということなのですね。
ただ、うつになっていなくて、自殺衝動もなかった頃があるということは、逆に言えば今ここからまた少しずつ少しずつでも、自殺衝動を晴らしていけるというひとつの具体的な希望とも言えると思います。
ええ、そういうふうに解釈してもいいかと思います。そして率直に言ってしまえば、これは
「実際に体験するのは、机上の計算より大変なことも多い」
ということの表れだとも言えるのだろうと思います。
そうですね、どんな存在であれ、
「強制的に消滅させられる」
ということはないです。
ただ、本当の喜びにならないことを続けていると、歪んでくすみ続け、エネルギーが減少していくので、負の霊団もさらに時間が経つと、だんだんと意識が希薄になっていきます。ですからそれは、
「限りなく消滅したに近しい存在」
になっていくとは、言えると思います。
そうですね、ただ自分が自殺せず生き抜いたひとであれば、自分から自殺したひとのところに出向くことはできます。ですから、本当の意味で自殺したひとの
「後を追う」
ことを望むのであれば、自分は生き抜かないといけないということです。
同様の事情により、心中しても死んだあと同じ場所に行けるということはまずないです。
そうですね、生きている肉体人というのは、気分の変化なども大きいので、よくも悪くも様々な世界につながることができますから、それがまさにこの世界の醍醐味と言えるとも思います。
ええ、そのような捉えかたでいいと思います。そのうえで、自殺者を
「悪者」
として糾弾することに意味があるというよりは、
「そもそも、自殺は誰より自分自身の人生に対する最悪の行為だ」
ということを踏まえれば、もっと根源的なところで自殺を踏み止まれるのではないかと思います。
ですからその意味で、
自殺したら誰かが哀しむかもしれないけど、それでもそんな誰かのことを考える余裕なんかないから、自分のために死ぬことにする
というのも、やはりそもそも間違っているということです。
ええ、そうですね。ですから私はせっかく掴んだその感覚を大切に、なによりあなた自身にも最期まで生き抜いてほしいと、いつも思っています。
ありがとうございます。
だいたいは、分かりました。
魂の墓場で感情が希薄になっては来ていても、完全に消滅出来ないのなら、やっぱり後悔や自己否定感は少ないとは言えど、自分の首を締めるような苦しみが長く続くんでしょうね。
神様は、やっぱり自分が作り出した人間なのだから、どんなに良心が無いように見える人間でも愛してるから、消滅しないで幸せを追求していって欲しいと思っているのでしょうか?
親が子供がどんなに悪い事をしても、かわいいようなものなんでしょうか?
自殺した人の後を追って、自殺しても会えないのはなぜでしょうか?
それは、自殺した人の身内などを自殺させないためのルールのようなものでしょうか?
自殺した人にも自分が寿命まで生き抜いたら会えるというのは、初めて聞きました。
自殺しても、楽になれる場合もあるという事もあるとおっしゃられていましたが、総合的に見たら、やっぱり生前よりもさらに苦しみ、周りの人まで苦しませる事になるんですね!
うつ病でも、ひどい人は解離性障害といって、記憶や痛みの感覚がなくなったり、体が動かない、声が出なくなるなど体の一部を神経と切り離して、また二重人格や多重人格者になったりして、自分を本能的に守るというので、魂の墓場の魂も魂の一部を切り離したような状態なんでしょうね。
また、寿命での死は別に怖くは無いのですね!
私も、自分が完全には癒されていないのですが、人を癒す事でパワーを頂き、自分を癒しています。
前に、私は癒す事を使命として生まれて来ていると言われた事があります!
Dilettanteさんも、きっと癒す事が使命なんでしょうね。
出来れば、もう少し生きやすい世の中になるといいのですが。
そうですね、ただ
という捉えかたは、かなりの影響力を持っているものではありますが、精確に言うと微妙なところではあります。
ですが、神を
「いのちを育む仕組み・環境そのもの」
と捉えるなら、
「神のなかで人間が育っている」
とは言えると思います。またこれは少し視点を換えてみると、まさに
こどもが生まれるのは、確かにかなりの程度親の意志が反映された結果だとも言えるけれど、だからと言ってこどものすべてを親が創り出したわけではない
ということと、同じことだとも言えると思います。いずれにせよ神に悪意がなく、愛があることは、確かだろうと思っています。
ええ、確かにそういう見かたもできるものだと思います。ただでさえ自殺は連鎖しやすいという現実があるなか、自殺することで自殺したひとの後を追って会える仕組みになっていたのなら、なおさら生きる気力を見出すのが難しくなってしまうと思いますし。
そうですね、魂は本来
「喜びを追求し、みんなで深め合う」
というものが根源にあるのにもかかわらず、その想いが長年の歪みによって極限まで薄まってしまって、ついには墓場にまで堕ちるというのは、まさに
だと言ってもいいと思います。
そうやってお互いを慈しみ合い癒やし合うことができれば、それはひとつの理想的な状態だと、私も思います。
いずれにせよ今のような社会の在りかたではあと50年保つかどうかさえ疑わしいと思っていますので、未来があるとすれば、生きやすい世のなかになっているしかないと思います。
そしてもちろん、私もその可能性を信じていますし、自分でもできることは、続けていこうと思っています。
好きなホラー映画は何ですか
たんぽぽさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
ホラー映画ですか、私は基本的にまったく観ないですね。
いわゆる
「心霊特集」
などもそうで、そもそも日常的に負の霊団たちと関わっているので、さらにわざわざ飛び込んで行くほどの余裕がないというのが、率直な感想です。
こんにちは。
なかなか興味深い内容ですね。
一部の国では安楽死が合法化されており、医者に頼むと薬を打ってもらえるみたいです。
このようなケースで亡くなった場合、自殺と同じ扱いで死後苦しむのでしょうか?
ヤードさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
このような問いについて考えるには、まず
「安楽死」
をどう定義するかということも関係してきます。
たとえばそれが、
「延命措置の拒否」
であれば、それは
「自然死」
と言ってもいいものであり、基本的にそれほど後悔することはありません。
しかし、それが
「病気の苦しみから逃れるため、まだ死が確定したわけではないのに自ら死に飛び込む」
ということであれば、それはやはり
「自殺」
となり、苦しむことになるでしょう。
そしてこれは結局、
「いったん始めたものは、終わりまできちんと見届けたほうがいいし、そうでなければ後悔する」
ということでもあるのだろうと思いますし、もうひとつ大きなものとしては、
そもそも、自分のいのち(特に肉体)は自分のものなのか?
という問いに向き合わなければいけないということなのだとも思います。
こうした観点からすべてを見直してみると、いろいろなことがまた違った景色を見せ始めることになると思います。
お久しぶりです。
という事は、神様の一部が私達人間という事なのでしょうか?
ツインソウルが一つの魂が分かれるみたいに、今の自分の魂もいくつかに分かれる事もあるのでしょうか?
前世の自分の魂が守護霊になっているのは、そういう事なのかな?と思って。
お盆で、普段会えない親戚と会って来たのですが、神様から来てご先祖様や親から繋がって産まれて来たから、命は自分だけの物では無いから自殺は罪深いんでしょうね。
死にたくなっても、罪を持っていてもご先祖様は生きている事を喜んでおられるんだと直感的に感じました。
魂を向上させるために産まれて来たのに、逆にカルマを増やして心を曇らせてしまっていて、何のために生きているのか分からなくなりますが、少しずつ自分自身と向き合っていきたいと思っています。
これからも、よろしくお願いいたします。
お久しぶりです。
そのように捉えてもいいですし、以前のコメントにも書いているように、逆に神のほうが私たちの一部だと言ってもいいと思います。
神がなければ今の私たちもないのは確かですが、私たちがなければ、今の神もないからです。
つまり結局のところ、私たちはお互いに影響を与え合っているということに尽きるのだと思っています。
いわゆるツインソウルについての私の立場は
というものを書いた。ここで示したように、私は基本的に、
「私が相当程度の確信を保っている真実をあなたと共有し、検証して活かしてもらうこと」
を第1目的にしている。だから
「自分と異なる意...
に書いたとおりですが、おっしゃるとおり前世の魂の意識の影響も考えると、
「魂は多様性を深めながら成長し、深化している」
と言えるのだろうと思います。
ですからそれは
「分かれた」(分離した)
というよりむしろ
「多面性が育まれた」
と捉えたほうが愛おしく思えると、私は思っています。
そしてそれは肉体世界における生殖も同じことで、あなたの
というご感想からも、それが伺えるとも思います。
自殺せずに生き抜こうとしているだけでまずはいいことで、
「魂の向上」
という観点からだけ考えれば
「後退や停滞」
の感覚によって苦しくもなってしまうかもしれませんが、
「いろいろなことを学んでいる」(経験を積んでいる)
という観点でみれば、すべては自分の糧になるので、まったく無意味なものはないと思えると思います。
少なくとも私は、あなたがこの期間も死なずにいてくれたというだけでも、とてもよかったと思っています。
これからもお互いに、生きていきましょうね。
ありがとうございます。
何かコメントがうまく送れなくなっていて、不安になっていました。
人間死にたくなっても、そんなにすぐには死ねないもので、死ねないんだからもう死にたいと考えるのを止めようと思ってはいるのですが、やっぱりたまに無性に死にたくなってしまいます。
神様が人間を何で作ったんだろう?って憎らしい思いを持っていたけど、考えてみたらだったら神様は誰が作ったんだろう?神様だって、私達みたいに自覚的な意識があったとしたら、自分だって好きで神様になったわけじゃない!って思ってて、誰もいない世界で永遠に存在しないといけなかったら、おままごと遊びのように人間を作ってもしかたないのかもしれないとか考えていました。
そしたら、案外人間が神様を助けている、助け合えているのかなと。
私も誰もに魂の片割れがいる説は、正直あまり信じられませんが、ロマンチックで女性受けするだろうなとは思いました。
ソウルメイトはいると思っていますが、前世からの縁があるからとか無いからとかは恋愛にはあまり関係無いかなと思っています。
産まれ変わりの村の話しもだけど、私はわりと全否定してしまうのに、考え方は違うけど、この部分は参考になるとか考えられるのは器が大きいと思います。
何か自分が頭が硬くて嫌になりました。
このサイトがあってくれて、本当に良かったです。
また、死にたくなってもサイトがあると思うと安心します。
ありがとうございます!
そうですね、以前
という文章をまとめたこともありますが、もし私が
「最初の存在」
だったとしても、私も
「仲間」
を探したと思いますし、求めたと思いますし、できるならどうにかして創ろうとしたと思います。
ですから私は、少なくともその点においては、世界の意志を尊重し、肯定しています。
そしてだからこそ、世界は私たちを苦しめるためにあるわけではないと、そう思っています。
そう言っていただけるなら、とても嬉しいです。
こちらこそ、ありがとうございます。
コメント、届いていたようで良かったです。
何度も同じ文章を送ってしまっていたら、すいません。
画面上には、反映されなくなっているみたいです。
私と同じ事を考えている人もいるんだなと思いました。
一方、キリスト教などでは神様は全知全能の完璧な存在で、人間などいなくても全然困らないけど、神様の遊戯のために人間を作ったとありました。
全知だけど、全能では無い神様の文章も読みましたが、小さい頃は、親とか先生って大きくて完璧に見えていたけど、だんだん子供が成長してくると、親も自分と同じ人間で欠点や分からない事もたくさんあるんだと気付くみたいに、神様も本当はそんなに完璧な存在じゃなくて、人間に助けられているから、人間を愛してくれているのかな?と思いました。
世界の始まりとか何で人間が存在しているのかは、やっぱり知りたいです!
何か科学的には人間は存在しないはずという説もあるみたいだし。
幽霊とか死後の世界なら、存在しないはずという考え方も分かるけど、現に存在している人間が存在しないはずと言っても、人間はやっぱり存在してますよね。
神様自身が何のために神様として存在しているんだろう?とか考えているんですかね。(笑)
神様が人間を作った理由は、両親が子供を作った理由とだいたい似たようなものかもしれません。
仲間が欲しい、子供の成長を見るのが喜びになるからとか。
進化向上のゴールは、神様に吸収されるけど、個別性は失わない魂になるとありましたが、魂はいくつかに分かれたり、また合併したり出来るんでしょうか?
ソウルメイトは、現世で必ず出会うという説がありましたが、前世で出会った人とまた兄弟だった人が今度は夫婦になっていて縁がある人ですよ!とか言うけど、いつも同じ人とばかり関わっていたら、魂の成長になるんでしょうか?
ここのコメントは以前からずっと承認制になっているので(メールが送れないひとから私信を受け取るためでもあります)、投稿後すぐには反映されませんが、基本的には数日以内に、私の返信と併せて公開しますので、そのつもりでお待ちいただければと思います。
そうですね、少なくとも私は、
「完全な存在」
というのはいないという立場なので、その点であなたのご感想は私自身のものともそう違わないです。
そうですね、
「すべてがまったくの偶然」
なんだとしたら、そんなことはありえないと言えるくらい、少ない確率ですよね。
でも私たちは、存在してますよね。
まぁこれも、
私たちは本当は存在していなくて、「存在していると思いこんでいるだけ」の、シミュレーターのなかのキャラクターだ
という、説もありますけどね。
これは大真面目にそうだと思いますね。自分の存在意義についての問いは、「最初の存在」にとって最も切実なものだと、私は思います。
そうですね、ただもしかしたら
「創ったつもりはなかったけど、できてた」
という可能性もありますね。
私からすると、
存在はそれぞれにあるままで、経験だけが吸収(共有)される
と言いたいですね。存在ごと吸収されたくはないですし、もしまかり間違ってそんなことが起こりそうだったら、誰を相手にしても抗いますね。
それと、魂自体が分かれるというのは基本的にはないと言っていいと思いますが、魂のこどもが生まれるということはあると言えますね。
それから、魂のエネルギーが相当高まったうえで、やりたいことがよほどたくさんあって、そうするに足る意義があると思われる場合には、ひとつの魂がエネルギーを分けて、複数の肉体に宿る場合はあるようですね。これは言ってみれば、
「影分身」
みたいな感じですかね。
自分が肉体に宿っている間に、ソウルメイトに守護してもらうパターンはよくありますので、その意味では
「現世で必ず出会う」
とは限らないと言えると思います。
それに魂の縁はどんどん深まっていきますので、必ず出会うのだったら、会うひとが増えすぎて時間が足りなくなってしまいますからね。
ですが、別に同じ魂と何度も会ったとしても、魂の成長にはなります。
私だったら好きなひとの多面性はどこまでも知りたいですし、私だって様々な面を持ってますし、それになにより
「信頼できるひとだからこそ、痛みを与えてくれる役(敵役)を任せる」
というパターンも、よくありますからね。
そうですね。
以前は、私のほうではコメントを送ったら、承認待ちのメッセージと共に自分の送ったコメントも画面上で見れたのですが、今はなぜか見れなくなってしまいました。
人間の存在が幻説は、よく科学的には幽霊なんていないよ!と言いますが、物質の粒子で、物質と反物質は必ずセットで出来て、互いに打ち消し合うはずだから、物質(人間)が存在するのならば、反物質はどこにいったのか?という理論のようです。
ただ、幽霊なんていないと笑う人も人間なんていないよ!とどうしても言えないのは、もちろん自分が存在しているのは確かだという事実からでしょうけど、そうして考えると唯物論者が死後に魂になっても、魂なんて無いよ!と言っていると言うのも納得出来ます。
陰陽に分れたツインソウルの魂の片割れは、実はツインソウルは自分自身だった。片時も離れずに、ずっとここにいたという話しもあるようです。
IS両性を持って産まれる人から分かるように、人間は元々は両性を持っていたのだったら、一人だけで子供が産める体を持っていたとしたら、人間は恋愛する必要がなくなって経験出来なくなってしまうかもしれませんね。
創ったわけでは無いのに、出来ていたというのは、私の両親もなのですが、子供が出来たから結婚したという話しで、確かに別に子供を作る目的はなかったのかもしれませんが、父親だけでは無く、自分が身ごもった母親でさえ子供が出来たのは、どこか他人事のような話し方をするのが不思議でした。
神様が両親の体を借りただけなのかもしれません。
ツインソウルを否定されていましたが、実際ツインソウルに出会った人の話しだと相手の気持ちが自分の中に入って来て一体化して双子になったらしいのですが、これは単に恋愛中にお互いの魂が共鳴し合ったエネルギーを二人で共有したから、双子みたいに感じたという事なのでしょうかね?
また、歴史に名を残すような偉人だと魂がいくつかに分かれると聞きました。
自分がいくつかに分れたら、希薄にはならないんでしょうか?
私も改めて試してみたのですが、そのときは投稿と同時にページが再読み込みされました。
ともかく、エラーが出ない限りは無事投稿されたと考えていただいてもいいと思います。
もちろん、いつまで経っても返信がない場合は、お知らせいただけたらと思います。
単純に言ってしまうと、
理論が現実の事象を説明できないのなら、理論のほうが間違っている
ということだと思います。
ただ、認識が間違っている(思い込みで、正しく事実を認識できていない)ということもあるので、もちろん実際にはもっと複雑なんですけどね。
そういう意味で言っていいのなら、守護霊をツインソウルと呼んでもいいということになりますね。
狭義の守護霊さんは自分自身と言ってもいいので、それなら単に呼びかたの違いということになります。
また、人類以外の動物のなかには雌雄同体の種もありますし、別の星の知的生命体のなかにも、雌雄の区別がないものもあるかもしれません。それに、そうやって考えていくと、性同一性に不一致を抱えているひとたちも、それほど奇異だとも言えないと思えてくると思います。
人類には「発情期」もありませんし、妊娠を自分で確実に認識するのは難しくなっていますから、そんなものかもしれませんね。人類の性の多様さと独特さは、とても興味深いです。
私もそのように解釈しますね。今のひとたちはエネルギーを体感することがそれほどないとは思いますが、実際には縁の深いひとたちとは、誰でも日常的にエネルギーを交流させているものです。
まぁ、これは本当にエネルギーが大きな霊の場合ですからね。
「希薄になったとしてもなお大きい」
というところでしょう。
ただ結局はどんなエネルギー量や過去生や目的があったにせよ、生きるのはそう簡単ではないですけどね。
なるほど。
私自身は、自分がいつ死にたくなって実行してしまうのかも分からないのに、子供まで責任取れないから産みたく無いと思っていますが、確かに経済的にも身体的にも別に問題もなかったら、どっちでもいいし、出来たから産んだぐらいの認識なのかもしれません。
その意味では、人間は年がら年中発情期にあるとも言えますが。
守護霊がもう一人の自分という考え方もあるようです。
自殺した後で、自分とそっくりな人に出会ったら、それは守護霊だったとか言うお話しもありました。
ツインソウルだと信じ込まないと、不倫や不毛な恋愛のやり場が無いからそう思い込んでいるだけなのかもしれませんが。
好きな人が、自分を好きになってくれないと攻撃して来る人は、本当にその人の事を好きだと言えないと思っています。
古代文献から、ツインソウルはあるそうですが源氏物語のように昔から報われない恋愛はあったのでしょうから。
魂が分かれる人は、例えばエネルギー量が150%ぐらいあったら、100%の人は普通だけど、50%しか無い人は短命での命しか無いんでしょうか?
普通の人のエネルギー量の30%ぐらいで生きている人がいると聞きましたが、生霊で魂のわずかなかけらだけ飛ばすだけでも、体力の低下や思考力がなくなり、心身共に弱っていくらしいのに、30%しか無くて普通に生きていけるとは思えませんでした。
そうですね、私がこないだ
と書いたのは、あなたが
というのと同じ意味だと言えます。
ですから、人間ほど選択の幅が広いからこそ、そこからはいろいろな可能性と、多様なものが生まれるのだろうと思います。結局のところ、その「力」をどう活かすかということなのでしょう。
私の観点から言うと、
守護霊は私のチームメイトだ
と言ってもいいと思うのですが、こないだから言っているように、別に
「もうひとりの自分」
だと見なしてもいいものだとは思います。
最も大切なことは、私たちは誰も独りではないということだと思いますから。
あまりにも愛しているからツインソウルだと思える
というならいいのですが、
不毛な恋愛のやり場がないからツインソウルだと思い込みたい
というなら順序が逆でしょうね。
ともあれ、本当に愛せるなら、その愛を深めるためにどんな考えかたを採用しても悪くはないと思いますけどね。いったいなにをどうしたいのかということだと思います。
永遠をかければ報われないものもないのではないのかと思いますが、永遠に愛し続けるのは、やはりかなり難しいのだと思います。それに、永遠には終わりがないですから、
永遠に愛し合えた
と言える日は来ませんからね。
それと、
というのは、確かにそうだとも思う一方で、完全にそうだとも言い切れないところがあるとも思います。
ただ私としては、
その行動は、あなたの目的(相手と愛し合いたい)ということに適していると思いますか?
とは考えてほしいと思いますけどね。
そういう捉えかたよりは
「エネルギーが1000%くらいあるひとが、100%ずつ10人に分けて宿る」
というような感じで考えると、理解しやすいのではないかと思います。
ただ
に関しては、みんなあまりにも弱りすぎていて、本来の力の1%未満のひとですら珍しくないと言えます。ですからそれを「普通」(平均)と見なすのであれば、その30%というのはつまり
「0.3%未満」
ということになりますね。ですがそんな低いところで比べても本当にはたいした意味もないですし、ともかくみんなでできるだけ力を発揮し合えばいいということだと、私は思っています。
それにもちろん私自身も、まだまだ力を引き出せてないと、いつも思っています。それこそ、30%なんてぜんぜんないでしょうね。まだまだです。
こんばんは。
いつも楽しく記事を拝見させて頂いています。
尊厳死について質問させて下さい。
私は現実 身体障害と脳障害を抱え、更に激しい痛みにも苦しめられています。
この状態になった際、私の周囲は私を助けるどころか、罵詈雑言を浴びせ、私を捨てていきました。
上記の哀しい思い出もありますが、病気がきっかけで現在はヘルパーさんに来て頂いて優しくして頂いていて過去の恨みも薄れ 「もうこの世には未練がない。全身の痛みから解放されたい」と願うようになりました。
「自殺はいけない」←これには納得できますが、尊厳死の場合 魂がどうなるのかが気になりますので、記事にして頂きたいです。
ゆきさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
それは、哀しいご経験でしたね。もちろん周囲のひとたちにも相当なストレスがかかったこととは思いますが、だからといって
というのは、あんまりだと思います。
そしてそのような経験に加え、現実の日々での様々な制約と、特に激しい痛みまであるというのは、心が折れそうになるのもしかたがないと思います。
それに、私自身もむやみな延命措置などはしないでほしいと思っている人間ですが、だからこそ
それでは「自殺」と「尊厳死」の微妙な境界線をどこに引くのか?
というのは突き詰めていくとかなり微妙なところに行き当たりますので、私も簡単なことは言えないところです。ただそれは結局は
「気持ちの問題」
だとも言える部分があるのだと思います。つまり
それは「生の苦しみからの逃避」なのか、「生きる道を最大限模索したうえでの、死の受容」なのか?
ということに、自分自身がどう答えるのかというのが、大きなカギのひとつなのだろうと、私は思っています。
そしてそのうえで、私としては
という想いを強く抱いているのと、
死を恐れたり忌避する必要はないけれど、自分から死に飛び込むものではない
という考えを持っているとは言えると思いますが、ぜひこれからもあなたと一緒に、考えを交流させ、深め続けていきたいと思います。
そしてこれは実はとても大切なところだと思うのですが、私は本当は、
自殺はいけないことだ
とは言っていないのです。そうではなくて私が言っているのは、
自殺してもなにもかもが終わる(あなたのすべてが苦しみごと消えてなくなる)わけでもないし、私の知る限りみんなが後悔しています。だからきっとあなたもそうなると思いますし、歪んでしまっている負の霊団以外には、誰もそんなことは望んでいません。みんなが、とても哀しむことです。それになにより、私はあなたが自殺してしまうととても哀しいです。だからどうか、自殺だけは、しないでほしいと思っています。そして一緒に、生きていきましょう
ということなのです。ですから私はもちろんあなたにもできるだけ生きていてほしいです。そして肉体的な痛みも精神的な痛みも少しでも和らいでほしいと心から思っていますが、もしあなたが耐え難いと言ってしまってもいい痛みのなかで、にもかかわらず最期まで生き抜くことを選ぶというなら、私はあなたの尊厳を決して忘れることなく、深い敬愛の想いとともに私の身と魂に焼きつけておきたいと、そう思っています。
分かりやすい説明をありがとうございます。
確かに、いつも産まれて来なければ良かったのにという思いと、産まれて来た以上何とか生き延びる方法を考えなくてはという思いもあります。
私もいわゆるストーカーに近いような、(だいたいお客様な事が多いです。)に持ち上げられたり、ひどい時には、お前は精神障害があって気違いだから生きている価値が無いとまで言われるんですけど、それでも本当に私の事が好きだから、言っていると思いますか?
ただ、自分のプライドが傷ついたから反撃?で攻撃して来るんだと思います。
体目的の人なんて、もう人間扱いすらしてくれませんし、体調悪いのにしつこくて怖いです。
30%の話しは、今顕在意識で発揮出来ているエネルギーが30%以下ならば、別に問題無いし、0.1%の人もいるでしょう。
魂の奥の潜在意識が普通の人の3分の1ぐらいでは、やっぱり寿命が短いような気がしました。
だから、ツインソウルだから寿命が短いわけでは無いと思うから、ツインソウルは思い込みか、すべてが思い込みでは無いけどすごく少ない確率で誰でもいるというのは違うのか?と思いました。
皆、人生に不平不満を毎日言いながらでも、当たり前のように生きる事を選択して生きているのだから、やっぱり本心から自殺したい人はいない、というかそれならそもそも産まれて来てはいないと思います。
仕事、毎日行きたくない人は、3人に1人らしいけど、本当に死にたいほどに会社に行きたく無いのなら、生活に困ろうと生き延びる道はあるのを知っているのに、それでも会社に行くんだから、辛さはそんなに深刻では無いんです。
そうですね、率直に言うと、もし私も今この瞬間に死んでしまったら、100%その気持ちだけではないにしても、10〜30%くらいは、
生まれてこなければよかった
と、思ってしまうかもしれないと思います。つまりこれは、
こんなことになるために、生まれてきたわけじゃない。ほんとはもっとうまくやれる道があったはずだったのに、こんなことになるくらいなら、これが最終的な結末だと言うなら生まれてこなければよかった
という意味であって、本当には、未来に期待したがっているのだと思います。
「持ち上げてダメだったから今度は貶したり落としたりしてみる」
というのは、恋愛関係における「駆け引き」の一種としてはわりとよくあることだと思います。しかし私個人的には、そういうことをするのもされるのもとても嫌です。
それに、
「好き」
というのはとても広い意味を持っていますが、
いったい相手(私)になにを求めているのか?
というのは、よく考えてみなければいけないと思います。
それに、精神的な受容を伴わずに、無理に相手の肉体だけを搾取できたとしても、そこからはなにも得られないどころか、ただ喪うだけで意味がないということを、もっと認識すべきだと、私は思います。
本来、どんな魂にも生命力を無限に生み出す能力が備わっているので、その意味では差がないはずです。しかしそれを引き出す意志、そして経験値などの様々な要因によって差が生まれるのは確かで、そこを負の霊団に利用されると、生命力を削ぎ落とされることはありますね。そしてそれは、多かれ少なかれ、今の社会の誰にでも、起きていることだと思います。もちろん、私にもです。
ですからそれを認識したうえで、自分がどうなっていきたいかを考え続けることが、切実に必要なことなのだと、そう思います。
そうですね、自殺するために生まれてきたひとはいないということ、これはどんな時代の誰だろうと、揺るぎない真実です。そしてそれは、本当は、誰もが気づいていることだと思います。だからこそ、その事実と向き合い続けることから、すべてが始まるのだと思います。
もしかしたら、
「生き延びる道がある」
ということを、知らないのかもしれません。これは、「信じられない」と言い換えてもいいです。
「生きていたら、今よりもいい未来が必ずある」
ということを信じきれていたら、自殺などしないでしょう。ですからそこが、ひとつの大きなカギなのだろうと、そう思っています。
涙が溢れてきました( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)
死にたいなんてリアルで言えないし、生きていてほしいと言われることが嬉しいんです。
実は私は小学3年の頃からずっとイジメられ続けていて、クラスの男子から集団で思いっきり殴られる&家でも両親がDVで、社会人になってもイジメは続き、私が被害に遭った交通事故を会社は揉み消すくらい、毎日 酷いイジメを受け、遂には精神病になり、毎日 恐怖が止まりません。
何かやりたくても、身体が悪い為 動けないし、寂しいのに人との会話が辛いです。一時は私が生きていることが他人に迷惑かと思ったほどです。上記の尊厳死 安楽死のブログありがとうございます。これから読ませて頂きます
そうですか、そんなご経験があったら、それはつらいですし、怖くもなりますよね。
私としては、あなたに生きていてほしいと思う気持ちに一点の曇りもないのですが、もしそれだけでは先に進めないのなら、
私の存在を迷惑だとか、忌々しいとか思うひともいるけど、それと同じくらい、私の存在を嬉しいとか、大好きだと思ってくれるひともいる
というふうに、考えてみたらいいのではないかと思います。そしてこれは毎日のように負の霊団から(そしてときにはもちろん肉体人からも)悪罵されている私が自分自身に言い聴かせているものです。
ですからどうか、自分の生きる道と生きる場所を見つけることを、諦めないでください。
どうかよろしくお願いします。
そうでしたか?
恋愛の駆け引きにおいて、相手を貶めたりいじめたりしたからといって、相手が自分を好きになるとでも思ってるんでしょうかね?
自分の思い通りにならなくて、腹が立ったから八つ当りしてやれ!みたいな感じかと思っていましたが。
偏見もあるかもしれませんが、風俗店が多くある事を考えると、男性は体の関係だけが目的という事もよくあるのか?と思っていました。
もちろん、男性に限らずですが戦地でも必ず慰安婦がいる所を見ると、本能的に男性が特にそういう性的な欲求は大きいでしょうし。
それで思い出したんですけど、慰安婦って1日70~80人ほどの相手をさせられて、トイレに行く暇さえ与えてもらえずに配給のおにぎりだけだったとか聞きますが、戦後賠償だとか問題になっていますが、そういう人は死んだほうが楽だったんじゃないのか?と正直思っていました。
死んでからも、戦争やいじめなどは続くのでしょうか?
死んでも負の集団がいるぐらいだから、魂だけになってもいじわるな人は生前と変わらずにいじわるなままなんでしょうか?
ええ、確かに腹を立てているという面もあるでしょうね。ただいずれにせよ
「相手に自分のことを意識してほしい」
という想いから、いろいろなかたちになるのではないかとも、私は思っています。
確かに一般論として、男性のほうが女性より強い性欲を持っているとされていますが、おっしゃるようにたとえば風俗店の多さや、その多くが男性向けであるというのは、単純に
「男性のほうが性欲が強いから」
という理由だけだとも言い切れないのではないかと、私は思っています。
一例を挙げれば、男性が性サービスの提供者になった場合、女性が提供者になる場合よりも、
「お金のため」
と言って割り切ることが難しいのかもしれません。
また、現在のような資本主義社会において、特に性的な場面における男性の肉体と女性の肉体につけられる価値には圧倒的な差があるため、そうした理由によって提供者を見つけるのが難しいというのもあるのではないかと思います。
それに加え、戦争中というのは確かに、人間をひどく追い詰めるという意味では人間の根底にあるものをさらけ出すかもしれませんが、それが必ずしも
「本性」
だとは限らないとも思います。
ただ、女性ホルモンと男性ホルモンにはそれぞれに違うはたらきがあるのは確かでしょうから、やはり男女にまったく差がないとも、もちろん思っていません。そしてお互いに反省し合うところは反省し合わなければいけないとしても、そのうえでお互いに対する理解を深めていくことができればとは、私も強く思っています。
ここでひとつ意識してほしいのは
「死ぬ」
というのと
「自殺する」
ということの間には圧倒的な差があるということです。
ですから私も、どんな状況でも長生きすることがしあわせだとか、必ずしも事故で死んだひとは不幸だとも言えないとは思っていますが、それでもやはり、
「自殺したほうがラクだったということはない」
ということは、強い確信を持って言うことができます。
そうですね、だからこそまさに
「からだがなくなっただけだ」
と、言うことができると思います。
でもそんなひとたちも、いつかには変わることができるので、世界はそれを、ずっと待っていると言えると思います。それにもちろん、私もそうです。
自殺したほうがましだと言う事は無いとおっしゃいましたが、前に生きている時には誰にも理解されなかったのに、死後に霊存在に理解してもらえたなら、死んだほうが良かった人もいるのかもしれません。とおっしゃっていましたが、それでも自殺したほうがましだと言う事は無いとは言えるんでしょうか?
理解出来るとは言っても、一般的なレベルで共感出来る部分があるぐらいの理解なのか魂の一心同体のように手に取るように分かるのか、どっちなんでしょうか?
いずれにしろ、誰かが自分の代わりになって同じように感じて行動してくれるわけでは無くて、やっぱり自分と全く同じ魂はいないと考えて、苦しくても自分自身でしか前には進めないんでしょうけど。
霊界でも騙し合いや嘘もつけるという話しもあるのですが、考えている事がすべて筒抜けになっているのなら、嘘もすぐに分かりますよね?
霊界の話しは、矛盾が多いから何を信じていいのか分かりません。
理解してもらいたいという気持ちもありますが、人でも霊でも完全に他人を理解する事は出来ないのだからこそ、理解されない事を恨まないで、それで当然の事なんだ、私も他人を100%理解するなんて不可能なんだから理解されなくても何とか頑張ろうとか耐えようと思っていたので。
カルマがあるんだから、憎い人でも復讐しなくても自然に自分に返って来ると思って我慢してたので、カルマなんて無いと言われたら、その場で復讐していたかもしれません。
間違っていますか?
そうですね、
「生きているときには誰にも理解してもらえなかった」
というのはあくまでも
「最期まで生き抜いたからこそわかる結果論」
であって、もしかしたら生きているうちに理解してくれるひともいるかもしれませんし、それならそのほうがいいですよね。
ですから自殺してしまって、自分からその可能性をまったくなくしてしまったら、それはやはり、後悔の種になってしまうだろうと思います。だからやはり私は、自殺したほうがましだとは思えません。
霊界が肉体界とはっきり違うのは、
「肉体という器・壁がないぶん、エネルギーの質・在りかたがわかりやすい」
という点にあると言ってもいいと思います。そしてそのエネルギーのなかには
「想い・考え……」
なども含まれているということです。
ですからその意味で、霊存在になってしまえば肉体を纏っているときよりはずっとお互いを理解しやすくはなるのですが、それでもお互いには経験や意志、やりたいことに少なからず違いがあるのですから、どの程度理解し合えるかというのは、相手によります。ですが場合によっては、ほとんど一心同体かのように、わかり合える相手もいると思います。そんな相手と巡り逢えたら、それは嬉しいですよね。ただそれでも、
「自分とまったく同じ存在はいない」
というのは、あなたのおっしゃるとおりです。ですからあなたが
というそのお気持ちは、私の気持ちとも、かなり共通していると思います。
それから嘘や隠しごとについては、先ほども言ったような理由で、少なくとも肉体人どうしよりは霊存在どうしのほうがずっとしにくいのですが、それでもまったくできないというわけではないです。そしてもちろん、そのなかには
「意図的な悪意」
によるものもあります。あるいは
「生前の思想(思い込み)を引きずっていることで、結果として嘘になっている」
という場合もあります。ですから、一筋縄ではいかないところは、やはりあるということですね。
私としては、
「与えたものは、少し大きくなって返ってくる」
ということだと思って理解しているのですが、これは過去生から来世以降まで含めてのとても永い永い時間軸に基づくものなので、
「返ってきた/返ってきていない」
という判断は、あまり気にしないと言うか、固執しないほうがいいと思います。
もしかしたら、
いつか復讐してやろうと思っていたら、実は自分のほうこそが、復讐を受けていた
ということなのかもしれませんし。
ですからそういうことをすべて踏まえると、
「できるだけ相手を恨まずに、相手のいいところをほんの少しでも見つけてあげるか、それもできなければ、お互いにとってできるだけ適度な距離を取る」
のがいいのではないかと、私は思っています。
ですがもちろんそれも簡単なことではないので、これからも私なりに考えながら、私の人生のなかで、実践していこうと思っています。
少し理解出来ました。
嘘や隠し事がすべて悪いわけでは無くて、本音と建前がある事で何とか表面的には平和な状態であるという事が多いのですから、例えばこの世で、皆が皆他人の考えている事が筒抜け状態になってしまったら、恋愛や仕事、お金に対する執着や恨みが多くなって、感情的になってしまいいじめや殺人にまで及ぶと思うと、人の考えはある程度はオブラートに包まれていたほうがいいのかもしれません。
なるほど。
確かに自分のほうが復讐を受けていたという事もあるかもしれません。
体調や精神状態が悪化していて、ぎりぎりのような時にいじわるや暴力などを受けて余裕が無くて、一歩間違えば殺していたかもしれないという事が日常茶飯事にありました。
だから、自分や相手を客観的に見る余裕がありませんでした。
攻撃的な人間は、私に付きまとっては始終監視のような事をしているのに、いつも自分のほうが被害者であり、私に例えば仕事を辞めろ!などと訴えかけて来ました。
負の集団も付きまとって来ているのに、自分に付きまとっているのは私のほうだと思っているのでしょう。
それは、私の放つ負のエネルギーに集まって来ているのだから、絶対に嘘だとも言えませんが。
霊感なのか単に勘が鋭いのかは分かりませんが、小さい頃から一人で読書するのが好きだったのでそれで鍛えられたのかもしれませんが、自分の潜在意識が少し分かるように相手の潜在意識も感じてしまい、それで相手にとっては死んで欲しいぐらい邪魔な存在になってしまうようです!
そういうのもあって、自分が産まれて来たらいけなかった存在なんじゃないのか?と思うようになりました。
はい。
なるべくカルマに固執しないように努力してみます。
一方では、カルマがあるんだからなるべく正しく人に感謝しながら生きたほうがいいという思いは持ち続けたいと思います。
考え方が硬いとよく言われるので、反省してなるべく柔軟に考えられるように努力してみます。
失敗したら、もう死にたいと極端な結論になってしまい、自分を苦しめるので自分を許す事で他人も許せるようになっていくといいのですが。
このあたりは本当に微妙なところで、簡単には言えないことだなぁと思います。もしかしたら、お互いの考えや想いが筒抜けになってくれたほうが正しく諦めることができて、素直に話し合ったりぶつかり合ったりできるのかもしれないと思うところもあります。表面的な平和というのは、内面がドロドロしているなら、むしろ戦争状態よりひどいのではないかとも思いますが、これも程度によるとも言えそうですし、本当に、難しいです。
なるほど、ご自分が負のエネルギーを放っているという認識があるんですね。
ただたとえそうだとしても、それを増幅されるのは嫌ですよね。
それにいずれにせよ、あなたがその殺意を実行に移すことがなくて、本当によかったです。あとはそれを自分自身に向けることもなくなれば、あなたはその殺意に打ち克ったということになりますが、それもきっと、もう少しだと思います。
わからなくていいことまでわかってしまうというのはつらいですよね。ただそれは本当は、自覚していない自分の本当の気持ちに向き合えるということで、相手にとってもいい機会であると言えるのですが、自分自身に向き合うというのは、やはり誰にとっても、難しく避けたくなってしまうようなことなのでしょう。
ですがだからと言って、あなたがどんなひとであれ、生まれて来なければよかったということはないです。もしそうなら、そもそもあなたは生まれて来られていないです。
ですからそこまで、ご自分を責めなくていいです。
ええ、あなたが少しでもラクになっていただければ私も嬉しいのですが、一方で考えかたが硬いということは一本気だとも言えるので、それがいい方向にはたらけば一気によくなっていけるということだとも思っています。
結局すべてはどう活かすかなので、あなたもあなたとして、あなたの速度で、あなたが本当に望む方向に、変わっていっていただければと、そう思っています。
ありがとうございます。
本音が筒抜けになったほうがいいと言う考え方もあるんですね!
確かに本当に難しいのは理解出来ますが、やっぱりこの世での本音が見えない事は何かしら意味がある事だとは思います。
いくら、本音が見えないとは言っても、勘の鋭い人なら感じ取ってしまうのでしょうけど、自分の本心でも欲や嫉妬などの醜い感情が嫌になるのに、他人の醜い感情が分かってしまったら、生きていくのが余計に辛くなってしまいそうです!
後は、他人の感情が見えないからこそ、いろいろと自分がどう思われているのか?想像してみるのが楽しいというのもあります。
一方で、本音が分かったほうが安心出来る、理解し合えるという場合もあるとは思います。
こればっかりは、どっちもやってみてどっちが平和に暮らせるのか比べてみるわけにはいきませんしね。
もちろん、うつ病になってから負の感情を持っている自覚はあります。
少しでも、無くしていけるように試行錯誤しています。
霊になったほうが肉体を脱ぎ捨てた分、神経が鋭くなるようなのですが、一方で肉体を持っている時にしか経験出来ない感覚の鮮やかさもあるようで、結局どっちが感性が敏感になるんでしょうか?
それとも、霊が感じる感覚の鋭さと肉体の感覚での鋭さは、別の種類の感覚なんでしょうか?
混乱して来ました!
霊になると、天国と地獄のように両極端な話しをよく聞きますが、中間は無いのでしょうか?
これに関しては、ここでもかなり初期の頃から、たとえば
人生は「選択」の連続である。もちろん、「選択しない」というのも「選択」の一種である。なぜなら、世界は常に流れているからだ。あなたが「選択しなかった」ということは、「現状維持を選んだ...
などで書いてきたことでもあり、とても重要なことだと思っているのですが、
思考(感情)というのは自分だけではない他者との相互作用によって生まれるものなので、そもそも「自分の思考(感情)」などというのはないとも言える
ということを腑に落とすと、だいぶ考えかたが変わるのではないかと思います。つまり、自分や他者のなかに醜い感情があろうが(与えられていようが)それは本当にはたいした問題ではなく、要するにそれを選ばなければいいということです。これは日々ひどい思考を植え付けられそうになっている私だから、より実感を持って言えることでもあります。ただもちろん、それはわかっていても簡単ではないので、私もいつも、自分と向き合っていたいと思っています。
そうですね、これは言ってしまえば
「立場の違い」
でもあると言えると思うのですが、たとえば霊存在でいるときは、時空の縛りがなくなるので、自分だけでなく他の肉体人の過去や現在、それに未来の可能性についてまで、網羅的に把握できるようになります。ですからその点では、確かに
「感覚が鋭くなる」
と言ってもいいと思います。
一方で肉体人というのは、やはり
「肉体に宿っている」
ということが最大の特性ですから、たとえば食べたり風を感じたり、互いに触れ合ったりなどしたときの感覚というのは、圧倒的に深いというか濃いと言えると思います。
ですから結局は
「それぞれにいいところがある」
ということだと思います。
これについては
「中間」
というよりも、
「あまりにも多様なので、中間もなにもあったものではない」
と言ったほうがいいと思います。
ですがそれは、この肉体界にもほとんど同じことが言えると思いませんか?
ですからやはり、
ただからだがあるかないかの違いだけだ
ということなのだと、私は思っています。
解答ありがとうございました。
なるほど。
少し難しかったけど、ある程度は理解出来ました。
つまり、例え私の中に自殺したいとか人を殺したいという感情が確かにあっても、それを選んで行動しなければいいという事なのでしょうか?
中間も何も無いについては理解出来ました。
単に生きている人間が、亡くなった人には天国に行っていて欲しいとか悪い事をすると地獄に落ちるから気をつけようという意味で使われる事が多いから、極端に感じてしまうのかもしれません。
魂や霊体にも重さや質量はあるんでしょうか?
質量が無いとしたら、存在していないと聞きましたが。
私も、たまに体が動かせないほどに重い霊にのしかかられる時があるのですが、悪霊のほうが重たく感じてしまうのでしょうか?
中には、助けて欲しいというメッセージを送って来る霊もいるようなのですが、私にはお祓い出来るような力が無いので、離れてくれるのを待つしかありません。
最近は、自殺という選択肢はだいぶ消えかかっては来ました。
それは、前向きになったというよりも本能的に今世では、どうやっても自殺出来ないという事を感じるから諦めがついて来ているような感じなのですが。
自分の体調と精神状態が不安定なのにも関わらずに、人や霊によく道を尋ねられるのですが、これも天命なのでしょうか?
本音は、自分が大変だから人の事どころでは無いと思ってはいるのですが、やっぱり恩返ししなさい!という事なのかもしれません。
言葉を発しなくても、考えただけで意思疎通が出来るなら楽なのでしょうか?
それとも、自分の他人に知られたく無い気持ちが伝わってしまって苦しいのですか?
よく言わなくても分かって欲しいという人がいますが、霊界ではそれが実現するんですよね?
そういう人にとっては、霊界は理想的な世界なので、やっぱり死んだほうがいい事にはなりませんか?
最近、体が重くてまた悪霊のような霊に取り付かれてしまったようで体調も悪くて、不安定になります。
死んだほうがまし、楽になれる事は無いんですよね?
霊のほうが、時間的な縛りも無いし、肉体的なわずらわしさも無くなって、自由になれるのなら霊になったほうが楽で幸せな気がします!
まとめると、おっしられたようにどっちにもいい所も悪い所もあるという結論だと、生きたほうが幸せになれる人も死んだ(自殺した)ほうが幸せになれる人もいて、どっちを選んでもいいという事にはなりませんか?
自殺したほうがましだという事は、絶対に無いともおっしゃられていましたが、考えているうちに矛盾して来ました。
ただ、今言った考え方をしているのは実は私ではありません!
自殺したほうが楽なんじゃないか?と思い込まされるのが怖いです。
という記事を読みました。
シルバーバーチの霊訓は、私も何度も繰り返して読んでみましたが、一見自殺を止めているに見えて、霊界はすばらしい世界で辛い労働も肉体のわずらわしさもからも解放されて、人々はテレパシーで通じ合い地上にあるような誤解や勘違いも無くて、争い事も無い世界と書いてあって、読んでるとどんどん自殺したくなって来るので怖くなって、もう読むのを辞めました。
震災で亡くなった人は、みんな死ぬ前よりも幸せになっている、死ぬ前よりも不幸になった人は一人もいないと書いてあるのに、霊界に入ってからも自分の死んだ事が分からずに何十年、何百年と苦しだままの霊もいますとあり矛盾しています!
後、前にも書きましたがツインソウルの所も納得出来ませんでした。
地球最後の転生でツインソウルに出会うのなら、自称ツインソウルが多過ぎます!
現実的な所で言うと、スピリチュアルに携わる人間は完全な私利私欲が無く、一銭たとりと儲けてはなりません!と書いてあるのに、シルバーバーチの著書は有料になっています。
霊感商法のような騙しや高額請求をして来る霊能者には問題がありますが、神主や巫女は有料で働いていても良くて、霊能者だけが一銭も儲けてはいけないというのは厳し過ぎると思います。
有料で働いたなら、霊能力を失う、ひどい場合は地獄に落ちるというのは脅しです!
シルバーバーチの霊訓を信じてはいけない!
信じたら、自殺したくなってしまうよ!という警告を受けました。
私の後ろのほうで、今まで私にのしかかって来ていたおそらく悪霊のような霊と守護霊のような私を守ってくれる存在が戦っているのが分かりました。
悪霊のほうが勝ったら、またひどい自殺願望が襲って来るのが分かって怖いのですが、守護霊のほうが勝ったら、長年の自殺願望から、やっと解放されるかもしれません!
あと少しで悪霊を追い出せそうなので、頑張ります。
自殺したほうがましだなんて事は絶対に無いと信じて、自分の負のオーラを消せるように努力してみます!
ええ、そのとおりです。それが私たちに与えられた
「選択する」
という力の意味だとも言えます。
そうですね、ほとんどのひとはあらゆる意味でそんなに極端な生きかたをしていないと思いますので、死んだあとでも、そんなに極端な世界に行くことはないということですね。
質量や重さというよりも、「エネルギー」と言ったほうが理解しやすいと思います。こちらの世界で言う重さというのはつまり
「体重」
と言い換えてもいいと思いますが、霊存在にはからだがありませんので、当然体重もありません。
ただ、エネルギーは相変わらずありますので、それが影響を受けたときの感覚に、強く反映されるということです。
そしてまさに相手が
「重苦しい想い(エネルギー)」
を持っている場合には、私たちのほうにも、そのように感じられるということです。
そうですね、あとは自分の苦しさばかりに目を向けていると気が滅入ってしまいますので、たまにはそうやって道を教えるくらいのことで、気分転換ができたほうがいいとも思います。
負の霊団がどんな思考を植えつけてくるのかは、誰にとってもとても参考になると思いますが、自分ではないと気づけていれば、それを選ばないことも意識しやすいので、素晴らしいです。それに、寿命で死ぬのと自殺するのとでは、結果が同じにはなりませんからね。死んでラクになることはあっても、自殺してラクになることはないです。
どんな表現や教えにもいろいろな解釈の余地があるとも思いますが、ともかく霊界がそんなに飛び抜けて素晴らしい世界だというわけではありませんし、そんなことを考え続けていると逆に卑屈にもなってしまうかもしれませんので、あまり気にしなくていいです。
ええ、あなたは追い詰められていてもどこかでは、ちゃんとご自分の置かれた状況を、理解できているんですよね。
そしていずれにせよ、あなたは少しずつ少しずつでも確実にいい方向に向かっていると思いますので、これからもあなたなりのペースで、あなたの望む方向に、進んでいっていただければと思っています。
ありがとうございます。
自分の考えでは無い分かる時と自分の思考との境い目が分からなくなってしまう時があります。
自分の思考だと死ぬのは、楽になれるための手段なんですけど、死にたい発作になる時は、死ぬのが目的になってしまうので違和感があり、これは自分の思考では無いな!と感じました。
科学者がおっしゃるには、霊体でも質量や重さが無いと存在しないものになるとか何とか記事に書いてありました。
この世では、測定出来ないものなのかもしれませんが。
時間もこの世のものとは違うけど、霊界にも時間は存在するようなので、そういう感じのものなのでしょうけど。
10月の彼女の記事も読ませてもらいましたが、何だか切なくなりました。
10月は、彼女の命日のある月なのでしょうか?
Dilettanteさんを仲間に入れたくて、毎年毎年来ているんですね。
少しずつ変わって来ているようで安心しました。
人を自殺に追い込みたい人の気持ちは、まだ半分ぐらいしか理解出来ませんけど、江原さんがおっしゃていた自殺幇助の犯人は、過去に心が殺される体験をしているから、人を殺したくなったようなものでは無いのか?と思われます。
誰でも仲間が欲しいという気持ちは持っているというのもあるとは思いますが。
ただ、負の集団が自分達が死んで、もちろん自殺では無い人もいるとは思いますが、楽しい、満足していると言うので仲間に入れたいのならいいのですが、自分が苦しいから人を巻き込みたいというのでは困ります!
スピリチュアリストは、シルバーバーチや江原さんはよく叩かれてはいますが、そのすべてが間違いなわけでは無いとは思います。
シルバーバーチは霊能者は、必要最低限の生活しかしてはいけなくて、お金が余っても寄付しなさい!とあるのに江原さんが豪邸を建てたり、最高級品の着物を着ているので教えとやっている事が違う!と言われていますが、確かに嫉妬も含まれてはいるでしょうけど、確かな教えだったら、感謝されても妬まれるという事はめったに無いでしょう。
人間が欲があるのは自然な事で、自分を犠牲にしてしてあげていると思ってやっていたら、しんどくなって来ると思います。
だから、別に江原さんが悪いとは思いませんけど、自分のために使っても余るようならば困っている他人のために寄付するぐらいなら、いいかな?と思います。
どれが正解という事はありませんが、人間あまりやせ我慢をすると、嫉妬してしまって、返ってジキルとハイドのように悪い事をしてバランスを取ろうとしてしまう気がして。
魂の上級者は、他人のために奉仕する事が自分の喜びだから、全然苦にならないのかもしれませんが、私だったら人のためにもするけど、自分のためにもするぐらいのほうがやる気が出て来ます。
他人のためにしてあげても、みんながみんな感謝してくれれば、やりがいもありますが、返って失礼な態度を取られたり、恨まれたりしてしんどい時もあります。
お金を頂いていたら、いろんな人がいるのが仕事だと割り切れるものです。
自分が死にたくなってしまうので、自殺願望を持っている人には、理不尽な要求をされても、自分の出来る範囲では対応はしていますけど。
正直、かまって病の方もいますけどね!
そういう人は、いくら大事な予定をキャンセルしたり、体調不良時に行っても満足してくれなくて、きりが無いのですが。
やっぱり、気にはなりますから。
死ぬ!死ぬ!言う人は自殺しないなんて事は無いのは分かってはいます。
そんなので、自殺されてしまったら、私まで自殺したくなってしまいますが。
負の集団は、自分が死んでいるから立場が違うのかもしれませんが、自分のせいで自殺してしまったかもしれないと思ったら、(実際は、違うのだとしても)一生のトラウマになりそうなのに、なにがうれしくて人を自殺に追い込みたいのか?疑問です。
そんな事も考えられないぐらいに、自分が苦しんでいて、とにかく仲間に入れたいのかもしれませんが。
自分が選択したように見えても、大霊の摂理によって選択されられているのならば、余計に魂にとってマイナスになる事を選択出来ないようになっているのでしょう。
自殺しようとしたら、方法を考えて、道具を揃えて実行してみるまでには大きなエネルギーを使います。
実行してみても、うまくいくとは限りません。
精神的に弱っている時に、そこまで行動出来るエネルギーを出すほうが難しい話しなのです。
そこで、本当に実行して成功出来る人ってやっぱり霊の後押しがあるような気がします。
殺人も同じです!
殺したいと思っても、実行するのは大変難しいし、出来るなら殺さなくてもいい方法は無いのか?と考えて実行出来ません。
それで、やっちまえ!と後押しする悪霊が力を貸して実行してしまう。
殺人の前後の記憶が無いって言う人もいますし。
私も出来るならば、自殺しなくてもいい道を模索しています!
重さを持った塗り壁のような悪霊を払い除けられるといいのですが、こういう時にもがくと返ってエネルギーを消耗してしまうので、過ぎ去ってくれるのを待っていたほうがいいのか?迷っています。
私の場合は、植え付けられる思考は自殺したら肉体のわずらわしさから解放される、死にたいと思いながら、いったいいつまで生きているつもりだ?誰もお前を必要としていない世界だ!という思考です。
Dilettanteさんのお話しからも、死んだら肉体のわずらわしさからは解放されるという話しはある程度は本当に感じました。
だからこそ、つまらなくなって飽きて不自由な肉体にわざわざ宿って来るというのも理解は出来ます。
となると、生きている間は自由な霊に憧れて、死んで肉体を失ったら肉体を欲しがるという無い物ねだりを繰り返すのでしょうか?
肉体を失ったら、病気の苦しみも無くなり、トイレにも行かなくていいというだけでも、ずいぶん楽になれそうな気がするのですが、そうでも無いんでしょうか?
死ぬのと自殺が同じでは無いのは分かりました。
自然死を待っていたら、今までの2~3倍ぐらいは通常は生きるのでしょうし、今の所身体的な異常も全く無い、抵抗力が無いという意味では体は弱いほうだし、やせていて体力も弱いですが普通に健康体です。
それまでの間、ずっと死にたい思いに支配されながら生きるのか?と思うとゾッとします。
ある日、突然自殺願望が消えていたという事もほとんどありえないし、そうなったとしても再発する可能性が高いです!
それでも、また同じような人生を最初から繰り返さなればいけないんだったら、今回の人生で、もう終わらせたいとは思っています。
人に必要とされていないについては、例えば働かせて利用してやろうとかお金を払ってもらうために必要とかの意味では必要にされてはいますが、働けない、お金も持っていないとなると必要とされていない気がします。
極端な話し、負の集団も自殺させて仲間に入れるために必要だとは思ってくれてはいそうですけど。
突き詰めて考えると、こんな所です。
これらの問題を解決出来たら、死にたくなくなるかもしれません。
たぶん、これらの思いはよくある誰でも抱える可能性が高い死にたくなる理由なので、解決策が見つかったら、大勢が自殺を辞めるでしょう。
だからこそ、解決策を見つけたいテーマでもあります。
長文、失礼しました。
なるほど、自殺が手段か目的かの違いですか。それは興味深いですね。ただ私としては、自殺はラクになるための手段にもならないということは、改めて強調しておきたいと思います。
そうですね、霊界では、時間も質量もあるようなないようなものだと思っておいていただければと思います。霊界は想いの世界なので、そのくらい曖昧なほうが、むしろ実態に近いです。
そうですか、彼女はほとんど自分の感情を見せないのですが、そう言っていただければ、少しは喜ぶのではないかという気もします。ともかく今年は画期的な変化がありましたので、この先もまた違った気持ちで、見守っていたいと思っています。
そうですね、私としては、
自分と同じ苦しみを味わってもらって、そのひとと慰め合いたい
ということでもあるのではないかと思ったりもします。ですがそれでもやりかたがあんまりなので、私は私の想いを伝えますけどね。
資本主義における金銭の意義を
「自分の生活を成り立たせるもの」
と捉えるのなら、こうした問題というのは、結局のところ、
自分の生活(エネルギー・時間)を、どのくらい他者のために割けるか?
ということなのだろうとも思っています。そしてそれは、それぞれが自分にとって納得できる答えを出すしかないので、一概に言えるものではないのだろうとも思っています。ですがだからこそ、私も私なりに答えを出しながら、、生きていこうと思っています。
あなたがそうやってしていることは、確かに相手の助けになっているでしょうし、素晴らしいことだと思います。ただだからこそ、私はあなたにもご自分を大切にしていてほしいですし、まして自殺なんて、絶対にしないでほしいと思っています。
そうですね、おっしゃるとおり立場も状況も違うので簡単には言えませんが、負の霊というのは自分の本当の気持ちも見失っていると言えるので、その意味で仲間がほしいというのさえ、本当の想いとは言えないと言っていいと、私は思っています。
ええ、やはりあらゆる意味で、霊とひとは二人三脚なのだろうと思います。ですから私も霊とも協力し支え合いながら、生きていきたいと思っています。
そうですね、もがくことでむしろ疲れてしまうというのもわかりますが、それでもともかく自分は自殺したいわけではないということだけは、屈さずに掴んでおいていただければと、そう思っています。
そうですね、あなたのおっしゃるとおり、ないものねだりだと言っていいと思いますね。
トイレに行かなくていいとかも、そのうち慣れきってしまって、なんとも思わなくなりますし。
ええ、ほんとにもう、今回で終わらせたいですね。
ひとつの観点として、逆に考えてみてもいいと思います。働けずお金も持っていなければ、そんなひとをあなたは必要とはしないと思いますか?
そうですね、ですがともかく、そんな想いを抱えているあなたが、にもかかわらず最期まで生き抜くことができたら、それだけでもなにかの解決だと言っていいのではないかとも思います。ですからどうか、また1日1日を、乗り越えていってみてください。
いろいろ丁寧に説明してくれて、ありがとうございます。
確かに一日一日を生きていくのが、非常に困難ではあります。
霊には、霊独自の苦労もあるんだとは思います。
味覚をあまり感じなくなるのなら、視覚や聴覚などの五感も肉体を持っている時のような深みや鮮やかさが感じられなくなるのに、天国はお花畑が広がってこの世のものとは思えない程の美しさは、霊は肉体が無いのだから、肉体を持っている時よりも鮮やかさで美しい風景が見れるのは、おかしくないですか?
そういうのは、ただ生きている人が作った一種のおとぎ話しのような天国のイメージに過ぎないのでしょうか?
働けなくて、病気の人を自分が必要とするのか?は、例えば私が会社の経営者や採用担当だったならば、必要とはしませんが、その人が家族や恋人、友達だった場合はあまり関係が無い事なので、普通に必要とします。
目的と手段については、自殺するのが目的の人は止めようが無いけれど、自殺が楽になるための手段の場合は、自殺する他に楽になれる方法があるのなら、別にわざわざ自殺する必要はありません!
Dilettanteさんの話しが本当ならば、自殺した人も、こんなはずじゃなかった、楽になれなかったので後悔するんですよね?
生きていて、どうしても逃げられない借金やいじめ、過労などで追い詰められてとても苦しんでいるとしても、自殺するよりは現世で苦しみ続けたほうが、まだましなんでしょうか?
魂は、何回ぐらい転生するんでしょうか?
10回もしないという話しがあったり、10万回以上するという話しもあったりして、何が本当なのやら?
乗り越えられるまでは、自殺しても逃れられずに無限ループするんですよね?
自殺しても、楽にはなれないのは本能的には感じています!
霊界では、思った事がすぐに叶うから、飽きると言いますが、例えばこの世のように時間と労力をかけて作り出そうとしたら、それは霊界でも出来るんでは無いでしょうか?
わざわざ、肉体に宿ってこの世に産まれて来る必要性をあまり感じないのですが。
仕事とお金については、この世では他者のために時間と労力をかけると自然に収入になり、人にかけてもらうと支出になるので、人にやってもらいたい事が多いと、自分が人にやってあげる事も多くしなくてはいけないので、それでバランスが取れているのでしょうか?
霊界では、意思伝達はテレパシーによって伝えられているので、外国人で言語が通じなくても伝わり、勘違いや聞き間違いも無いというのは、本当なのでしょうか?
もし、そうならば霊界のほうが生きやすそうな気がしました。
地上のような生活のための辛い労働も無いというのも霊界のほうがいい気がします。
霊達は、労働も無くて、自由に過ごせるんでしょうか?
地獄にいる霊は苦しんでいて、レベルが上の世界にいる霊は自由で楽に過ごしているんでしょうか?
霊界は、肉体から解放されて快適に過ごせるというお話しをよく聞くので、やっぱり時々死にたくなってしまいます。
霊界のほうが快適に過ごせるというのは、私の勘違いなんでしょうか?
霊界通信は、寿命を全うしていい行いをして、天国のような所に行った場合の話しなんでしょうか?
別に、自殺を薦めているわけでは無いんですよね?
病気で考え方がおかしくなっているのかもしれません。
霊界通信は、あまり信用出来ませんか?
矛盾点もあり、混乱して来ました!
霊界でも地上と同じようにコミニケーションの勘違いや労働も普通にありますか?
テレパシーは、思いを念によって伝えるので、ある意味言葉で伝えるよりも、正確に伝えるのは難しい気がしますが。
霊界の素晴しさを伝える霊界通信は多くありますけど、そんなに素晴しい世界に行けたのならば、自殺した霊は全員後悔しているわけありませんよね?
やっぱり、負の集団による罠なんでしょうか?
霊界の素晴しさは、地上での苦しみが全く無い状態になれるという話しがあまりに強烈な印象を残しています!
死にたくなっても、何とか頑張って生き続けていたら、幸せになれますか?
少なくとも、自殺するよりはましなのでしょうか?
そうですね、霊存在が肉体人としての生を全うして、達成感やその他様々な感慨によって彩られた想いを感じたために、それが反映された美しさを感じるのは事実だとしても、それでも総合的には、肉体界の感覚のほうがはるかに深いと思います。
ただ現代のような状況だと、
「そんなに美しい環境・風景がほとんどなくなってしまった」
というのが、かなり大きく影響しているのではないかという気もします。霊界というのは想いの世界なので、言ってみれば
「究極的にリアルな芸術を見ているようなもの」
だとも言えると思います。芸術が現実よりいいものかと言われたら、ある部分ではそうですが、すべてがそうでもないですよね。結局は、霊界もそういうものだとも言えると思います。
ええ、それがあなただと言うなら、それと同じ理由で、あなたを必要とするひともいるというのは、現実的な発想だと思いますよね?
ええ、生きていれば、そういった問題(苦しみ)にも解決の可能性がありますからね。ですが自殺してしまうと、少なくともその生においてはその可能性が完全に消滅してしまうので、その意味において、圧倒的に苦しむんだと思います。
私としては、
「無限に転生する」
と言っていいと思いますね。10万回以上と言うか、100億回以上と言ってもまったく足りないでしょうし。なんといっても、人間(地球人)にだけ転生するわけではないですからね。
無限ループというよりは、
「その課題から逃れられない」
と言ったほうがいいかと思いますね。生まれ変わりながら、乗り越えていってもいいので。ただそれでもやはり、ラクではないです。
ええ、霊界であっても、時間と労力をかけたほうが、その過程で深い想いを込められるので、いいものができますね。
ただやはり、その想いを深めるためにも、さらに世界観を拡げるためにも、生まれ変わる意義はとても大きいと思います。
まず、言語の差による壁はなくなります。ですから肉体を持っていた頃より意志疎通を図りやすいのは確かです。
ただ、勘違いはあり得ますし、聞き間違いも、上の空で意識が霧散していればあり得ますね。
確かに、
「しなければならない労働」
はなくなりますが、かといってなにもしないと暇ですからね。
ですから、なにかかにかやっていたほうが充実して過ごせると思います。
霊界通信に限ったことではないのですが、私は基本的にそういったものをほとんど通読しませんので、そういった意味でもなんとも言えません。私が霊界通信を書いたわけでも下ろしたわけでもないので、発信者の意図を精確には把握できないということです。ただ、霊というのはある意味では、肉体人よりも多様な価値観のなかで生きているので、探せばありとあらゆる意見を言ってくる霊が見つかるということは、覚えておいていただければと思います。
そのうえで、自分の既存の認識のないものに触れたときにはいずれにせよ混乱するものでもあると思いますが、ともかく私がいちばん責任を持てるのは私が書いた(関わった)ものですので、この『闇の向こう側』に書かれている内容で混乱が起きた場合には、私に訊いていただければと思います。
ひとつ断言できることは、霊界にも様々な問題点や課題があるということです。ですからあちらも完全でもないですし、それほどたいしたところでもないです。ただ、あちらにはあちらの、こちらにはこちらの特性といいところがあるのは確かなので、お互いにそれを踏まえながら、一緒に変わっていければいいと思っています。
ええ、自殺するよりはましなのは確かです。
そのうえでしあわせを感じられるかどうかはそれぞれの定義にもよるので一概には言えませんが、あなたがかつて自殺したことがあると感じているならなおさら、少なくとも自殺せずに生き抜けたという点において、自分を褒めてあげてもいいと、私も心から思っています。
ややしこい質問にも、一つ一つ丁寧に解答して頂き、ありがとうございました。
利用されるためにしか必要とされていない気がするについては、一番納得出来ました!
仕事上、上司やお客様のために頑張る事は確かに求められますが、自分が体調と心を病んでいては、人のために何かしてあげるどころでは無い時が多く、せっかくしんどいのに何とかやってあげたのに、私が休むと役立たず扱いを受けるので憤慨しています!
確かに視野が狭くなっていたと思います。
シルバーバーチなどの霊界通信は、以前は読者の質問も受け付けておられたらしいのですが、あまりに多くの質問が寄せられたために今は質問は受け付けていないので、作者に直接聞いてみる事が出来ずに消化不良を起こしています!
闇の向こう側の霊界のお話しも、シルバーバーチや江原さんの話しともかなり違う所は多いです。
まず、人間は動物には転生しないし、無限にも転生しないそうです。
しなければならない労働が無いというだけでも、自殺してでも霊界に行きたい!と思う人はたくさんいると思います。
だからと言って、過労自殺した人はもう霊界では生活のためにしなければならない労働から解放されて幸せなわけでは無いのでしょうか?
少なくとも、闇の向こう側の霊界を信じるとしても、少なくとも現世よりは肉体のわずらわしさの無い自由な世界のように感じるのですが、なぜ自殺した霊は皆後悔してるんでしょうか?
生きているうちに返すはずのカルマをもう返す事が出来ずに、解決出来ないままになってしまう苦しみなのでしょうか?
自殺する時の苦しみとその後自分の死体を誰かに片付けさせる事になる、家族に自殺したというトラウマを植付けさせてしまう事を考えると、自殺があまりいい方法だという気はしませんが、逆に苦しみも死体の見苦しさも無くて、寝ている間に幽体離脱したままにあの世に行けるんだったら、どんなにいいんだろうと思います。
例えば、逆に霊界の霊から、この世はどんな世界なのか?と聞かれたら、ある人は苦労ばかりするつまらない世界と答えて、他の人は愛する家族と楽しく過ごせる幸せな世界と答えたとしても、労働はあるか?学校はあるか?食事や睡眠は必要か?と聞かれたら、人によって違うなんて事は無いはずですよね?
それを踏まえて考えると、価値観で霊によって違うと言うよりは、地上人に嘘をついて混乱させてやろう!という霊と本当の事を教えてくれている霊に二分される気がします!
あくまで、私個人の考え方なのですが。
Dilettanteさんの考えをまとめると、霊界はこの世のようなしなければならない労働やお金は無いし、言語や隠し事もこの世よりはかなりしにくく、筒抜けな状態で分かり合えているんだけど、そんな状態が続くと飽きて来て、わざわざ不自由な肉体に宿って、暇な時間を労働によって埋めて退屈しないで、相手の気持ちがすぐには分からないし、騙される事もあるのに、そんな中でもお互いの努力によって、やっと理解出来た、信じてくれた時の喜びはこっちの世界でしか味わえないから、また生まれ変わろうとするといった感じなんでしょうか?
最初におっしゃれたように、霊界がそんなにいい世界ならばわざわざ肉体を持ちたがるわけは無いと思います。
それは、スポーツ選手がわざわざ厳しい練習をして、優勝した時の喜びを味わうとか親がわざわざお腹を痛めて、時には自分の命を危険にさらしながら、子供のためにお金をかけて、子供の成長を喜んでいるようなもので、喜びを味わいたいから、わざわざ不自由な肉体に宿って来ると言う事なんでしょうか?
確かに、すぐに相手の気持ちが筒抜けで入って来たら、すぐに飽きてしまいます。
それに、知りたくなかった相手の本音まで聞こえて来たら、腹が立って喧嘩になるぐらいならいいのですが、あんな事を思っていたなんて殺してやる!とかあの国が利益を横取りしようとしているから、戦争をしかけよう!という事にもなるでしょうし。
改めて少し補足しておくと、確かにいったん人間に生まれ変わるところまで至った魂が動物に生まれ変わることは、かなり稀です。ただその逆に、動物として経験を積んだうえで人間に生まれ変わるというのはたくさんある、というか基本的にすべての魂がその成長過程をたどるので、その意味で
地上に来るときに植物・動物・人間のどれに生まれ変わるかは、魂によって決まっていて、ずっと変わらない
というような見解には、私は与しないということですね。
これはとても大切なところなのでよく噛みしめてみてほしいのですが、自殺とそれ以外の死にかたとの間には、とても大きな差があります。
そして、霊存在は肉体人だったときよりはるかに直接的に想いの影響を受け続けるので、自殺するくらいの苦しみや葛藤を引きずったまま死んでしまえば、その結果簡単にラクになれるはずがないというのは、ある意味当然のことだとも言えると思います。
昔から
「ぴんぴんころり」
とか
「眠るように死ぬ」
というのがひとつの理想とされてきたのは、あなたのような考えがかなり共感されるものだからなのだろうと思います。
ですが、自分の人生にどんな意味があったかというのは、死にかたも含め、終わってみないとわからないところも多いと思いますので、実際のところは私も
なにがあろうとなかろうと、死ぬまでは、生きてみよう
と思っていますし、とりあえずは、それでいいのだろうと思っています。
どうでしょう、たとえばこちらの世界でも、労働していないひともいますし、学校に行けないひともいますし、睡眠時間も食事量にも個人差があり、ごくまれにですがまったく食べなくても生命を維持できるひともいるくらいですから、実際のところは、思った以上に多様かもしれません。
ただあなたのおっしゃるとおり、霊存在にも意図的に嘘を吹き込もうとしてくる存在はいますので、そのあたりも考慮しつつ、比較検証を続けることは、とても大切なことだと思います。
そうですね、基本的にそのように捉えていただいてもいいと思いますが、あとひとつ重要な要素を補足すると
「自分の世界観にないものを発見・吸収・探求するために、生まれてくる」
というのも、かなり大きいと思います。
向こうはある意味では、
「完全な階級社会」
とも言えるくらいで、
「住む世界が違えば、基本的に会うこともない」
ということだとも言えます。だからこそ現代の地球のように、
「ありとあらゆるものが、渾然一体として存在している」
という世界に来ることは、様々な意味において、とても意義深いことだと思います。
これについては、
「本音」
というものの深さをどの程度だと想定するかによっても、考えが変わるかもしれません。
たとえば自分が苦手に感じていた相手の、日々の悩みや葛藤、ためらいや寂しさなども含めたすべてが筒抜けに理解できたら、対立する気もなくなるかもしれませんし。
言い換えると、同じ情報を得たとしても、それをどのような行動につなげるかは、それぞれだということですね。
ですから場合によっては、それはそれで調和につなげられる可能性も充分にあると思います。
ただいずれにせよ、今の私たちは今の現状を踏まえて生きていくしかないので、これからもあなたとも話し合いながら、お互いに理解を深め合っていけたらと、そう思っています。
ありがとうございます。
こうして、自分が数日前に書いた文章を読んでいると、自分は精神を病んでいるつもりなのに、自分で思っているよりも冷静に分析する力も少しは残っているものだなと思いました。
実際に死んでみないと、あるいは死んでみても他の階層になっていると全然分からない事なのかもしれません!
今までの霊界通信では、下の階層からは上には行けないけど、上の階層からは無数の階層や地上にも降りて来られて、自殺者の集まる階層にも日々反省を促しに高級霊や天使も訪れていると書いてありました。
自殺者同士で集まる事は、絶対に無いと以前おっしゃられていましたので、そこも違いますね!
シルバーバーチが言うには、自殺した者は同じ波長だから、他の階層と同じように自殺者同士が集まるけど、テレパシーによる意思疎通は苦痛を感じるから、出来ないので恐ろしい程の孤独を感じるという事でした。
あまり、もうこの事を追究するのは辞めようと思います。
死んでみないと分からない事を考えると、自殺して確かめる事が一番確実な方法なので、自殺を薦めるような霊に捕まるからです!
自殺した霊でも、人と集まりたく無い人と人と集まりたい人の見る景色は違うのかもしれませんし、Dilettanteさんを嘘つきだとは思わないけれど、すべてを鵜呑みにしてしまうのもまた危険な事になるので。
失礼な事を言ってしまって、申し訳ありません。
Dilettanteさんは、優しくて人の痛みに敏感に共感してくれるから本音が筒抜けな世界でも大丈夫なのかもしれませんね!
私は、弱い人間なので自分と対立する人間や例えば普段自分に偉そうに振る舞う上司がその上司に怒られていたり、自分を追い詰めている人が、実は自分も幸せでは無くて罪悪感も感じているけど、それを私が自分をそうさせているから仕方ないと弁解して合理化していると聞いた時もそうした心の動きを聞いても、同情するよりもそうした自分に都合のいい理屈を作り出しながら、私を攻撃してくる事に恐怖があり、自分に向かって来る人は避けるか、どっちかが倒れるまでやり合うしか無いので、私も自分を守るために全力で相手に向かって行く事しか出来ませんでした。
Dilettanteさんは、元々心に濁りが少ないので、負の集団もすぐに潰せると思ってやって来るのでしょう。
元々、人間は本音が筒抜けなテレパシー能力があったのに、食料危機に陥り、テレパシーがあると戦争になったので、回線を切ってしまったというお話しもあります。
前にドラマ化もさせたのですが、元々小説で、外国に行った日本人が何も知らなくて、近くの対立している国同士に話し合いによる解決をさせるための話し合いに国の代表を3人ずつ行かせて交渉させる会を開かせたのですが、代表達は、なぜかとてもためらっていて、人同士なんだから、なぜ話し合わないのか?と問うと、お前達には分からないと言われて、何度も説得して夜道を代表達と共に歩いていると、他にも後ろに無数の足音が聞こえて来て、敵対する国が対面した瞬間に猟銃や斧での無残な殺し合いになって、朝には仲を取り持とうとした日本人の二人以外は、全員死んでしまったというお話しがあって、その中にまだ小さい女の子が持っていたお人形が落ちていて涙を流していたというお話しがあって、本音でぶつかると殺し合いになるという中学生の時に読んでトラウマになっていた物語があるので、やっぱり安易に分かり合えるかもしれないと言うのは、その何も知らない日本人の言い分なので、恐ろしいです!
国と国は長年の対立をしていましたが、実際に殺し合いをした人間達は何も面識は無かったそうです。
自分の祖先がその相手国に無残に殺されたと先祖から聞かされて育ったようです。
生き残った日本人は、なぜ殺し合いになったのか?いまだに理解出来ないと語ったようです。
先祖を殺したのは、そいつでは無いじゃないか?
なぜ、殺し合うんだ?と。
聞いた事がある人もいるかもしれませんが、もしかしたら実話なのかもしれません。
私は、ずっと作り話しだと思っていましたが。
今、日本人と北朝鮮と韓国人が昔の戦争や慰安婦問題を本音が筒抜けで話し合いなんかしたら、ミサイルが飛んで来るでしょう!
ある程度の距離感と本音と建て前によって、人間の命が守られているのは事実です。
だから、本音が見えない世界になった事には意味はあるんだと思います。
もちろん、時と場合によって本音でぶつかるべき時もありますが、それを間違うと本当に血が流れてしまうので、その恐怖感は忘れてはいけないと思います。
あと、自殺した場合では無い死後の世界が幸せだと、殺人が認められる危険性があります。
オウム真理教や障害者殺人のような悲劇に繋がります!
オウム真理教も、皆を地上から解放して天国に行かせてあげたい。
障害者殺人も、障害者を持っている人とその家族は不幸だから死んだほうがいいと言う考え方です。
つまり、彼らは正義と人の幸せのために殺人を起こしたのです!
もっと、規模が大きいとナチスの強制収容所や毒ガスによる殺人ですね!
ヒトラーも自分が悪い事をしているなんて、思っていなかったんだと思います。
そして、これらの事件にも、もちろん霊界からの大きな働きかけがあった事でしょう!
だから、結論として寿命を全うして善行をした人以外は死後の世界で苦しむと思わないと、自殺と殺人を止める理由にならないので、私はそうなんだと思っていますし、これからもそう思い続けたいと思っています。
ただ、自殺や殺人をしてしまった人にでも、やり直しの機会は本人が望めば与えられるでしょう!
だから、Dilettanteさんがおっしゃったように自殺しても絶対に幸せになれないと言う事は無いけど、すごく遠回りになってしまうし、苦しむから自殺は絶対にしない!を守っていきます。
こう書いていても、負の集団に飲み込まれそうです!
私の場合、11月の誕生日前には毎年必ずと言っていいほどに負の集団?によるお迎えが来るので、それを振り払って誕生日を迎える事になっています。
それも、たぶん思うに負の集団は私が幸せになれそうで、自殺願望を棄ててしまったら困る事になるので、邪魔しているのでは無いか?と思います。
Dilettanteさんに限らず、霊能者は直接命に関わるし、間違って例えば誰かが自殺してしまったら霊能者にもその報いは必ず返って来てしまうので命掛けのお仕事だと言えるでしょう!
私もだいぶ、霊感のいい波動と悪い波動が見分けられるようになって来ました。
自分の直感を信じて、とりあえず生きてみようと思います。
ええ、そうですね。私は一貫して、あなたは元来とても真面目なひとなのだと、そう思っています。
一応もう少しだけ改めて補足しておくと、自殺者は死後ある程度心の整理がつくまでは基本的に誰とも交わろうともせず孤独にいることがほとんどですが、その段階を乗り越えたうえでなら、自殺経験者同士で話し合ったりすることはあり得ます。ただやはり、自分の心の整理がつくまでは、単に
「自殺者同士」
という枠で括られてもなんの慰めにも力にもできないので、そういった意味で進んで集まりたがることはないし、誰かに会ってもまたすぐ避けていくということです。
じゃあなぜ私がたくさんの自殺者と話してきたかといえば、それは端的に言うと、
「私は根気強いおせっかい焼きだから」
と言ってしまってもいいと思います。
いえ、私もあなたに
結局は自殺してみないとわからないのだから、自殺してみます!
などと思われてしまうと困ってしまいますし、あなたのおっしゃっていることはとてもまっとうなので、なんの引け目も感じなくていいです。
私はあなたにも、私の視点や見解は参考にしつつも、あなたの真実を、見出していってほしいと思っています。
どうでしょうね、私としてはむしろ
「私の心に濁りが多いので、『これならちょっと押せば潰せるはずだ』と思ったら、意外としぶといから困惑し、なおさらムキになる」
という面も大きいのではないかと思っているんですけどね。
そうですか、あなたにとってその話は
という教訓のお話だと感じられるんですね。
私は今回初めてこの話を聴きましたが、私としては
というのが、
なぜ仲を取り持とうとした日本人のふたりだけは、生き残った(殺されなかった)のか?
という観点から、とても興味深いと感じました。
どうなんでしょうね、もちろん現時点で実現していないのでなんとも言えませんが、
「本音」
というのが
「自分のいちばん強い想い」
なのだとしても、それをぶつけ合ったら闘いになるしかないのでしょうか?
私としてはむしろ、
「事実に基づく整理と相互理解」
こそが、必要なのではないかと思うんですけどね。
ただもちろん
「その『事実』自体が、歴史の闇に消えているうえに、同じものを見たとしても、そのうちのどれをどう組み合わせ、どこを強調して捉えるかによって、印象がまったく変わり得る」
ということが問題であることも間違いないので、簡単に解決できるとは、私もまったく思っていません。
ただ私は、
「本音をぶつけ合ってしまったら、お互いを傷つけ合うしかなくなる」
というふうには、必ずしも断言できないとは、思っているということです。
まぁ、私としては
たとえ死後の世界がしあわせだとしても、だからと言って無理やりそこに連れて行っていいということではない
と思っているので、そんなことで殺人を正当化しようとするひとがいたら反駁するのですが、ともあれあなたが
とおっしゃってくださったことはありがたいので、私も心から、応援しています。
そうですね、私もずっと、あなたにもしあわせになる道はあると、一貫して思っていますからね。
11月が誕生日なんですね。生まれてきてくださって、今まで生きてきてくださって、ありがとうございます。
まぁ私の場合は、もうとことんこの道を行くしかないというところですからね。結局のところ、やらずにいられないことを、やり続けているだけです。
そうですね、とりあえずでもいいですから、今日も明日も、生きてみてください。
どうぞ、よろしくお願いします。
本音でぶつかり合うと争いになると言うのは、やっぱりどうしても避けられ無い事だと思っています!
私でも、日常生活の中で心の中で思われているのは別にかまわないけれど、面と向かって言われるとやっぱり不快になってしまい、言い争いになる事が多いので。
仲を取り持った日本人の二人が殺されなかったのは、夜の闇の中にでも他の人種を見分けて殺されなかったんだろうと言われていました。
クルド民族という民族で日本人が留学に行った先での事件だったのに、新聞には山火事で死んだ事になったそうです。
それと言うのも、この殺し合いが分かったら、また復讐による殺し合いの連鎖が続く事になるかもしれないので事実は伏せられました。
よく革命には、必ず血が流れる物だと言いますが、相手の弱味も分かって理解するというのが出来るのは、多くの血が流れた後なので、やっぱり安易に本音でぶつかろう!とは言えません。
霊になったら、肉体的な感覚がなくなって食べ物をおいしく感じたり、人と触れ合った時の感覚をあまり感じられないとおっしゃられていましたが、肉体的な感覚がなくなるのならば景色が素晴らしくきれいでとか自殺した時の痛みを感じ続ける事も無いのでは無いでしょうか?
味覚は鈍くなるけど、肉体的な苦痛はそのまま感じるのでしょうか?
霊になると、肉体のクッション材が無くなって、神経がむき出しになって、歯医者で歯の神経を取り出した時のような鋭い痛みを感じるので、自殺した霊は人生を振り返って反省するのは、至難の技です!という書込みもありました。
つまり、味覚や触れ合った感覚というのは、本来は霊には必要が無いので退化して鈍くなって、その他の感覚が逆に鋭くなるんですか?
よく分かりません!
よく死んだ時には、幸福感に包まれると言う話しを聞きますが、自殺だけが例外で苦しい世界に行ってしまって、他は例え殺人をしたり、人をいじめて来た人でも皆幸福感になるのでしょうか?
この世よりも死んだ後のほうが幸せな世界に行けるのならば、別に死を恐れる必要は無いのではないでしょうか?
それとも、ぎりぎりまで自殺してはいけないから死の恐怖を感じるように出来ていますか?
たとえば、あなたはここにかなりの部分本音(奥底にある気持ち)を書き込んでいるように思うのですが、私との間では、特に言い争いにはなっていないと思いませんか?
確かに、今まで知られている過去を振り返ると、多くの場合はそうなっているように見えるとも思いますが、それでも無血革命のような事例がないわけではないので、その意味で過剰に恐れる必要はないというか、先入観で人間の可能性を狭めるのはもったいないのではないかと、私は思っています。
端的に言ってしまうと、
霊になると、肉体的な感覚(影響力)は肉体人のときよりずっと弱まって、一方で精神的な感覚(影響力)は、肉体人のときよりずっと強まる
ということだと捉えていただければいいと思います。
だから、景色の美しさも感じられるし、苦しみも感じられるということです。またあなたがおっしゃる
というのは、たとえば病気でなくなったひとが死後も痛みを引きずるのとも似ていて、結局のところ
「その痛み苦しみが、心に深く刻まれているから」
であって、それが解かれてしまえば、もう元気になります。
ただ自殺の場合は、それを解くのが他の場合よりずっと大変だから、やはり避けたほうがいいということです。
それと、霊が食べものをまったくおいしく感じられないということではないです。
ただ
「からだを持ったうえで食べたほうが、ずっとおいしい」
ということです。触れ合いなどについても同じです。だからこそ、それが肉体を持つことの醍醐味のひとつなのだろうと思います。
いえ、そんなことはないです。改めてご理解いただければと思うのですが、私は
自殺だけがあらゆる意味で唯一絶対の例外だ
と言っているのではなく、
自殺というのは、死んでからも長く苦しむことになる最も極端な事例だ
と言っているだけなのです。
ですから、その意味では自殺も
「死のかたちのひとつ」
だとも言えるので、別に他の場合と違う原則が適用されているわけではありません。
つまり
「死んだら自分のしたことや人生のすべてを振り返り、改めてそれと向き合うことになる」
ということであり、その結果しあわせを感じるかどうかは、それぞれだと思います。
それにもちろん、自殺以外の死にかた・生きかたであっても、後悔するひとはいます。
だから私も、誰かを殺したりいじめたりしたいとはまったく思っていません。
そうですね、少なくとも私自身は、死の恐怖は感じていないです。ただ、今死ぬのはけっこう残念なので、できるならもう少しは、ここで生きていたいです。
それから、霊の世界の話や死後の世界の話というのは、ご存じのとおりいろいろなひとがいろいろなことを言っていますので、そのすべてをごっちゃにすると、混乱するばかりでなにがなんだかわからなくなってしまうと思います。
もちろん、そのいろいろな意見を比較・対照して