「5億やるから俺に従え」。霊に取引を持ちかけられたとき

信頼できるひとに、

私と一緒に仕事をしよう

と言われたらどうするだろうか?私なら内容を吟味したうえで、前向きに考えてみたくなる。それでは、相手が初対面の人物ならいかがだろうか?ましてや、初めて出会った霊存在に、

5億やるから俺に従え

と言われたら、あなたなら、どうするだろう?

なぜこんなことをするんだ?

これが彼の第一声であった。私が多くの霊に関わり、していることが、気に食わないらしかった。私は

相手が喜びに変わるのを見ることが、私の喜びでもあるから

と答えた。会話は続く。

割に合わないだろう?

この役割を果たすことは、自分の意志で決めたことだし、多くの喜びも得られるよ

想念の有り様が変われば、俺たちのエネルギーが小さくなるのは知っているだろう?

負の念を糧に生きようとするからだよ。素直に喜びを糧に生きるように変わればいい。負のエネルギーは永続しないから、黙っていても少しずつエネルギーは小さくなるし

今さら生きかたを変えられるはずがないだろう!

みんなそう言うけど、本気なら必ず変われる。手助けもできる。そもそも、私に関心を持つということは、どこかで変わりたい」と思っているからでは?

ここで彼はギアを入れ替えたらしい。それでこう持ちかけてきた。

5億やるから俺に従え!

「従う」とはどういうこと?

霊との関わりを絶て。今までの経験を伝えるのもやめろ。喜びを拡げるような行動は一切取るな

彼の言うことを根っからの「嘘」と見なすこともできる。ただ、ここが重要なのだが、それなりの「力」を持った霊(霊団)であれば、「実際」に5億円を与えることもできる場合があるのである。それなりの「立場」にあるものなら、「契約」は守る。ただし、

「手段は問わない」

のである。

宝くじが当たった

くらいならかわいいが、

銀行強盗に成功して5億円を手にするが、3日後に逮捕された事故で両足を失い、保険金と慰謝料、その後の年金などの金額を合わせたら5億円だった

事業が大成功し、5億円を得るが、その後10億円の借金をすることになった

とか、いろいろなパターンが考えられるが、それらすべてにおいて彼は「約束を守った」のである。ここが重要なのだ。契約は、「あなたの思った通りに」叶うとは限らない。

では、こう言えばよいのではないかと思うかもしれない。

公明正大な方法で、5億円をもらう。その後そのカネは失われず、私と私の周囲の者たちは永遠に幸福のなかで暮らす。それを保証するなら、お前に従おう

しかし、こんなことを言うとしたときの自分の顔と心を想像してみるといい。どんな言い訳をしようと、それは相手のものと代わり映えしないものになるだろう。つまり、

「相手の土俵に乗り、相手と同じような意識で生きる存在になる」

ということだ。その時点であなたは「相手の思い通り」になっている。あなたも、彼らの仲間入りだ。

守護霊は護ってくれないのか?

と思うかもしれない。実際「守護霊に見放される」ということはないので、いかなる状況になっても守護霊はあなたをずっと見守っているのだが、「自己選択の尊重」は第1原則なので、あなたが

「自分で決断し、契約した」

ものには守護霊も介入できない。

守護霊よりも、自分が契約した(負の)霊団をより尊ぶ

という意思表示になるからだ。

相手はこのような事情をよく理解している。だからこそ私に取引を持ちかけてきたわけだ。しかし、私のほうももはや「うぶ」ではない。だから私は即答した。

それはお断りだ

すると、彼はまたギアを入れ替えて、こう言い出した。

だるまにしてやるぞ!

おわかりだろうか?「アメ」が効かないと見るや、「ムチ」に切り替えたのだ。それにしても

5億円を与えてやるぞ!

から

手足を奪ってやるぞ!

とは、まったくすごい落差である。しかし、「原理」は同じなのだ。

あなたの独断では、それは実現できない。私にも守護霊がいるし、自分で選んだ役割がある。まだ手足を失うのは早すぎる

私が答えると、彼が畳み掛けてきて、応酬が続く。

お前の家族を殺すぞ!

もちろん、家族にも守護霊がいる「今生で果たすべき」役割が終わらない限り、誰も死なない。それに、たとえ誰かが「本当に」今日死んだとしても、それは「寿命」だ。あなたの力ではない

誰もお前の言うことなど信じない!

信じてもらえなくても、失うものはない

最後に勝つのは俺たちだ!

たいした自信だ。自信がないならやってられないし、勝ち目もないもんな。けれど、私も負ける気はない

お前はそのうち破産する!こんな貧乏暮らし、すぐ首が回らなくなるわ!

そのときは、もう少し食費を切り詰めようと思ってる。太陽とともに起き、夕陽とともに寝よう

見かたによってはふざけた会話のようだが、事実こういうものなのである。大切なのは、

「気後れしないこと。相手のペースに呑み込まれないこと」

である。そして結局、最後に折れたのは、彼のほうだった。実際にはここまでで2時間くらいの時間を要した。この時間は、私が関わってきた例のなかでは、平均的なものである。

その後さらに数日を経て、彼は喜びを糧とする本来の姿へと変わっていった。ともかく、「これにて一件落着」である。解決したからこそ、このように書いても彼には怒られないのだが、若干苦笑いをしている。これこそ自己責任である。ただ、また違う霊たちが「ざわざわ」しているようである。やれやれ。

しかし、考えてみてほしい。仮に私がこの「契約」を受けてしまったら、たとえなんら劇的なことがなかったとしても、この先私が得るすべての金は、「彼からいただいたもの」だということになってしまう。そんなのはまっぴらである。金は「天下の」回りものである。後ろめたさではなく、喜びとともにいただくものである。あんな5億円は断るが、手元の1000円は大事に遣う。この態度は理解されないものだろうか?

金は「与え合う」ものである。カネに「目を眩まされ」てはならない。むしろ、金を扱うときには、「目を見開いて」いなければならない。この金を私は「なんのために」遣っているのか?そのことをしっかり自覚していれば、あなたは金を眉間に皺を寄せながらではなく、「笑顔で」扱えるようになるだろう。私ももちろん、そうありたいと思う。