「あなたはあなたの仕事をしなさい」。簡単なようで難しく、やりがいのあること

あなたの「仕事」はなんだろうか?そもそも「仕事」とは「事に仕える」と書く。私はこれを「事」(=「神」=「いのちを育むもの」=「喜び」=「他者」)に仕えるためにしていることと捉えている。現在は社会体制の不備もあって、「自分にとって喜びでなく、他者との支え合いも意識し難く、自分の力を存分に発揮できない」ことを<仕事>にしている方々が多いようだが、それは不自然だ。そしてそれはもちろんあなただけの責任ではない。だから、社会体制の変革が必要なのである。

逆に言えば、この世に「無職」のひとなどひとりもいない。

私は自宅警備員だ

などと自虐的に言うひともいるが、「本気で」やれるならそれも「仕事」なのだ。自宅を警備するなら掃除の必要性は言うまでもないし、地域の方々のことをよく知らないといけない。相手を安心させる振る舞い、礼儀を身につける必要も出てくるだろう。これらを「喜び」として行えるなら、あなたはもう自己否定などしなくなるだろう。

  • なにをするにも「修練」が必要だ(最初からうまくやらなくてはいけないと思わないこと)
  • カネに縛られるな(最初から「カネになるかどうか」だけに目を向けると喜びを見落としてしまう。やりたいことをやり続けることだ。たとえばもし誰にも負けない「心からの笑顔」を見せられるようになったら、それだけでセラピストへの道も拓けるのである)
  • 自分が持っているものにひとつひとつ目を向けること(「自宅警備員」ができる環境にあるということは、あなたはとても恵まれているのである。たとえばそんなことに気付くことが大切なのだ。また、たとえば自分が本当に必要な情報をインターネット上から探し出せるのであれば、あなたの手助けを必要としているひとはたくさんいるはずだ)。

このような意識の持ちかたは、実際非常に大切なものである。とはいえ、わかっていてもこれを「実践」するのが容易でないこともわかる。私自身も、日々葛藤しながら悪戦苦闘しているのだ。

実例を挙げよう。 先日、私は不注意により、自分にとって「痛い金額」を失った(この「痛い金額」というのは、「当面の生活に支障は出ないが、笑って済ませられるものでもない、正直血の気が引くくらいの金額」だと思ってくれればいい。状況はひとによって異なるので、あなたにとっての「痛い金額」を想像して聴いてほしい)。狼狽しながらも守護霊に意識を向けると、

だいじょうぶだ。問題ない

と言う。そのとき私は、その金が返ってくるのだと思った。「だいじょうぶ」とはそういうものだろう?しかし、金は戻ってこなかった。

私は思わず、守護霊に詰め寄った。

全然だいじょうぶじゃないじゃないか!問題ない?大問題だ!

しかし、返ってきた答えは、

だいじょうぶだ

であった。私は正直、自分を疑った。

この霊は本当に守護霊なのか?私は知らず知らずのうちに「善からぬ霊」に使われているのではないか?私は道を踏み外したのか?

そんな迷いのなか、しばらくして守護霊に伝えられたのが、この言葉だった。

あなたは、あなたの収入がいくらか、はっきりわかるか?

不意を突かれて驚いた私は、すぐには真意を理解できず、さらなる説明を求めた。

あなたが飲食店を経営しているとしよう。しかしあなたは、今日の売り上げはいくらか、来客者は何名か、わかりはしない。そうだろう?

ここまで言われて、私も理解した。そうだ、私も自分の収入をわかりなどしない。たとえサラリーマンでも、いつ退職させられるかはわからないのだ。逆に、なんらかの臨時収入がないとも言い切れない。つまりすべては、「予測」あるいは「思い込み」でしかない。「支出」についても同じだ。明日家電製品が壊れないとも限らないし、病気で医療費がかかるかもしれないが、逆になぜかうまく金が回って、予想外に余ることもある。つまり今まで私は「自分の金は自分の責任において管理する」と思っていたが、私が「管理」できるのは、ほんの一部に過ぎなかったのである。

私がそれに気付くと、守護霊は続けた。

そうだ。「金の流れ」も「いのち」(寿命)や「出逢い」と同様、ひとがすべてを把握することは決してできない。しかし、本当に必要なもの」は与えられる。その「本当に必要なもの」を見極めるのは「霊の仕事」であって、「ひとの仕事」ではない。なにもかも自分で背負おうとしなくていい。あなたはあなたの仕事をしなさい

そうか。ひとの仕事は「与えられたものをどう遣うか」を選択することだ。入ってきた金をなんに遣うか、与えられた出逢いをどう活かし、どう助け合うか、星の数ほど与えられる情報と想念からなにを選び、どう行動するか、そして限られたいのちのなかで、どのような未来を想い描き、創っていくか。それを選択することこそが、「ひとの仕事」なのだ

そう私は気付いた。守護霊も言う。

ひとと霊。お互いがお互いの仕事を責任を持って行えば、すべてが喜びに導かれる。これまでを振り返ってみなさい。今までもいろいろあったが、なんとかなってきただろう?あえて言えば、これからも、「1円たりとも足りなくなることはない」。まぁ、よく見ておくといい

ここまで言われたら、言い返す言葉などありはしなかった。とは言え、落ち込みからすぐ回復したわけでもなかったが、私も自分にできる「節制」を心がけることにした。たとえば食事量も見直し、よりよく味わうことを意識した。これはとてもいいことだった(納豆ご飯の美味しさも、再認識することとなった)。それに、予想もしなかった「おすそわけ」などをいただいたりもした。まったく、有り難いことである。おかげで、思ったよりは「痛い」ことにならずに済んでいる。そしてなにより、私には「貴重な経験」が残ったのである。 その「経験」を伝えることが、私の「仕事」のひとつでもある。もちろん、私とあなたの状況は異なるので、そのままは当てはまらないだろうが、私の守護霊の言葉も含め、よく噛み締めてみてほしい。それなりに参考にはなるはずだ。そしてお互いに、「いい仕事」をしよう。そうしたらきっと、未来はあなたの予想以上に、面白いものになるだろう。

コメント

  1. じゅんや より:

    こんばんは。

    本当に必要なものは与えられるのですか?

    それ以上望むということは守護霊さんと対立するようなことになるのですか?

    また守護霊さんとの繋がりが浅い場合には本当に必要なものを全て受け取れていないこともあるということですか?

    • Dilettante より:

      じゅんやさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      その疑問はとてもまっとうなものだと思いますし、だからこそ私も守護霊に詰め寄ったわけですが、結局は

      「本当に必要なもの」というのはなんなのか?

      という問いにつながっていくと思います。

      そして同時に、「必要」というのは

      「自分が果たす役割に対して必要」

      ということでもあるので、

      「それ以上を望むということは、より多くの役割を果たせるよう、自分が成長していかなければいけない」

      ということでもあります。

      私が自戒も込めていつも大切にしている

      大いなる力には、大いなる責任が伴う

      というのは、そういうことだとも思っています。

  2. ひゅ より:

    役割ってなんですか?

    生きてるだけで精一杯ですよ…

    餓死も寿命?役割ですか?

    • Dilettante より:

      ひゅさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですね、まずは生きているだけでも、役割を果たしていると思っていいです。

      そこにいるというだけでも、私たちはなんらかのかたちで、影響を与え合っているからでもあります。

      それから、私たちはみんな生まれる前に、その人生で学びたいことや果たしたい目的などの大枠をある程度練ってくるのは確かです。

      そしてそのなかには、餓死することを覚悟で生まれてくる場合もあります。

      ですが素朴に考えて、餓死することから得られる学びを目的に生まれる場合に、あえて今のような日本を選び、そこで餓死を体験しようとする魂がそうそうたくさんいるとは考えにくいので(ご存じのとおり、まったくいないというわけではありませんが)、その意味において、あなたが餓死することを目的に生きている魂である可能性は、かなり低いだろうとは思います。

      それに、生まれる前にどんな構想を練っていたにせよ、それが実際にどの程度思ったとおりに実現されるかは別問題ですので、その意味でやはり運命(人生・未来)はひとつに定められていて動かせないものではありません。

      それにもちろん、最初に思っていたよりもいい人生になったということだって充分にあり得ます。

      ですからその意味で、役割というのは最初に選ぶものでもありますが、最後に振り返ってみて見出されるものでもあると思います。

      あなたがまずは1日1日を生き抜いていきながら、そのなかでご自分と向き合い、少しでもあなたらしいと思える役割を果たしていけることを、私も心から願っています。