「『優しすぎる』なんて言葉は忘れなさい」。私はまったく優しくない

あなたは優しすぎる。もっと厳しさも身につけなきゃ。バランスが大切なんだから

あなたはこんなふうに言われたことがあるだろうか? 私はかつてこのように言われて、真剣に悩んだ。

私が優しすぎる? 私は「優しさ」と「甘やかし」を混同しているのだろうか?では、「厳しさ」とはなんだろうか?

自分なりに考えてみたうえで、師に相談してみた。すると師は、間髪入れず、こう言ったのである。

優しすぎる?そんな言葉は忘れなさい。「優しすぎる」なんて言葉は、誰にも当てはまりはしないんだから

いつものことながら、師の答えは私の予想を超えていた。しかし私も考えてはみたので、このようにぶつけた。

しかし、それでは、「優しさ」と「甘やかし」の境界はどこなのでしょうか? 私に「厳しさ」が必要だという指摘は、私の思う「優しさ」は度を超えて、問題のある「甘やかし」になっているということなのではないかと思うのですが……?

すると師は笑って、

あなたが誰を甘やかしていると言うんだい? 自分自身を甘やかしていると?自分が本当に喜べる人生を歩めてもいないのに?それとも誰かあなたの友達を甘やかしているというのかい?ともに悩みが解決するまで何日も語り合い、あなたのお金の半分を分け与えているわけでもないのに?

私は文字通り、言葉を失った。師はゆっくりと続けた。

同じ星に住む方々の戦争や飢餓にも目を背けている私たちの、誰が「優しい」と言われるに価するだろう? 「犯罪的なほどに厳しすぎると言っても過言ではないほどだよ。いいかい、「優しさ」とはね、たとえば街で路上生活者を見かけたら、持っているお金のすべてを笑って寄付できることだよ。それで他のひとが寄ってきたら? そのひとたちにもあげられるものをあげればいい。足りなければ1か月でも1年でも生活をともにし、一緒に生きる術を考えていくこと、それができてやっと少し、「優しいかもしれない」というくらいなんだ。「災害が起きたら寄付する」というのは「当たり前」なんだよ。「優しい」というのは「被災地に赴き、寝食をともにし、そこで生活の糧を見出し、未来への道筋を見つけるところまで一緒にする」ということなんだよ

こう言った師は、静かにこう付け加えた。

いいかい、「優しくする」ことは簡単なことなんかじゃないんだよ。私だってまったく優しくなんかないんだ。でもそのことを深く自覚して初めて、やっと少し優しくなる第1歩を踏み出したことになるんだ。だからあなたも、できるだけ優しくしてあげなさい。自分にも他者にも。「これは優しすぎるんじゃないかな?」と思ったくらいでもまったく足りないんだから。私たちは全然優しくなんかないんだから。だからとことんやってみなさい。「優しすぎる」なんて言葉は、忘れてしまいなさい

師は実際、とても優しかった。そんな師が「まったく優しくない」というなら、私はなんなのだろう? その日以来、私はいつも

優しくなりたい

と思っているが、未だにまったく優しくはない。だが、できることをやろうとは思っている。そして、

ひとに優しく

なんて言葉がおかしいことにもやっと気付いてきた。なぜなら、自分に優しくすることは、他者に優しくすることであり、他者に優しくすることは、自分に優しくすることなのである。「私のもの」などと言えるものは、本来どこにもないのだから。

しかし、

諸悪莫作、衆善奉行(悪いことをせず、善いことをしなさい)

の実践は本当に容易ではない。でも易しくないからこそ、取り組んでみる価値もあるのである。

コメント

  1. 琴音 より:

    はじめまして、琴音と申します。初対面の小娘にこのような事を言われても困るかもしれませんが、たまたま検索に引っかかり見た此方のブログに今悩んでいる事が書いてあり、胸を打たれたので書き込みさせて頂きます。

    私も「優しい」と言われる事にとても疑問を覚えて生きていました。向こうに悪気がなくても、言われる度にツラい気持ちでいました。

    どう足掻いても自分が「与えたい」と「幸せになってほしい」と言う思いで行動していても、それが果たして本当に相手の為になっているのか、ただの自己満足で押し付けがましいのではないか、それはただの甘やかしで他人の成長を妨げているのではないか、と日々悩んでいたのです。

    此方に書いてある事は人生においての一つの意見である、という事はとても理解出来ています。それでも「嗚呼、こういった視点もあるんだな」と、思いました。

    人に何かを分け与えられる人生は、私にとても幸せです。分け与えられる人がいる事も、それで他者が幸せそうに笑ってくれるのも幸せです。
    なので自己満足と思われるかもしれませんが、今後も気持ちであれ物であれ、人に分け与えられる人間を目指して生きたいと思います。

    此方の日記を見て、何だかとても心が穏やかになりました。本当にありがとうございました。

    • Dilettante より:

      琴音さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      「自己満足」という言葉も「自覚」や「自己責任」と同じように、他者に対して遣うと非常に攻撃的になり得る言葉です。

      自覚を持ちなさい!

      それは自己責任ですね~

      自己満足ですよね、それって

      並べてみても明らかだと思います。

      ところがこれを、自分自身に対して遣うといかがでしょうか?

      自覚を持って、臨んでいきます

      それは私の責任です

      これは私の自己満足です。でも、これが楽しいんですよ

      違いははっきりしていませんか?

      ですからお互い大いに「自覚を持って、自分の責任において、自己を満足させて」いきましょう。
      琴音さんの未来の喜びがますます大きくなることを、心から願い、楽しみにしています。

  2. なすび より:

    連続で色々書き込んでしまい、すみません。

    この記事も私にとってすごくタイムリーでした。

    師匠さんの

    犯罪的なほどに厳しいくらいだよ

    という言葉、すごく染みました。

    全くその通りで、何も言えません。

    人に優しくすることは自分に優しくすることだというのもすごく納得しました。

    こんな素敵なことをおっしゃってくれる師匠さんがいて、うらやましいです。

    私ももっと謙虚になってコツコツ頑張ろうと思います。

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      それぞれいろいろな時期に書いた文章が、それぞれ少しでもあなたの力になれているなら、とても嬉しいです。

      私も師とまったく同じ生きかたをしているわけではありませんが、私なりに師の教えを胸に歩んでいるつもりですし、これからもそうしていこうと思っています。

      そしてそれをあなたも糧としてくれるなら、私もとても嬉しいですし、そのあなたの姿がまた誰かの力になっていくことを想像すると、未来はきっともっともっとよくなるのだと、今のような弱った私ですら、そう思えるのです。