生まれ変わるのは喜びであり、「愚かな行為」ではない

あなたは、「生まれ変わり」(輪廻転生)についてどんな意識を持っているだろうか? もちろん、それ自体を信じていないひともいるだろうが、輪廻転生という現象そのものは信じていても、それを「解脱」することが最終目標だと考えている方々もかなりいるようである。実際肉体人だけでなく、霊存在のなかにもたとえばこのように言ってくるひとがいる。

生まれ変わり?愚民の行動だろ?そんなものはもう「卒業」したんだよ。まだ生まれ変わっている分際で、意見してるんじゃねぇ!

まったく、たいした言われようである。しかし本当に、生まれ変わるのは「愚民の行動」なのだろうか?

この問いについて考えるためには、逆に「生まれ変わらない場合」を想像してみればいい。生まれ変わらないということは、それ以上「肉体人としての体験が増えない」ということである。もちろん、「霊存在としての経験」は増えていくわけだが、霊存在は基本的に「自分の想いの世界」で生きるのだから、有り体に言えばどこかで必ず「飽き」が来る。だからこそ、想いを拡げ、新たな喜びを見つけるために、私たちは自ら望んで生まれ変わるのである。もちろん、この間隔はそれぞれなので、たとえば若くして死を経験した後などで、前の生を終えてから数日から数週間ほどのとても短い間隔ですぐ次の生に入るひともいれば、数百年以上の間隔を空けるひともいる。それは自由である。

ただ、

生まれ変わるのは愚かだ

というのは言い過ぎだ。そもそも、冒頭で例に挙げた彼のもの言いは、お世辞にも穏やかとは言えないし、

他者に向かって「愚民」というあなたはなんなのか?

と言いたくなる。だから私は実際にそう伝えた。すると彼は、

私は神だ!

と言う。そこから長いやりとりの末、結局は

生まれ変わるのは愚かだ

という彼の意見は撤回されることになった。しかし代わりに、

生まれ変わるのは面倒だ。だから嫌だ

と言ってきた。それならもはやそのひと自身の問題なので、他者の選択をとやかく言ったり、相手を「愚民」などと言ったりしないようになっただけ、まだ丸くなってくれたわけである。

だがなかには、

生まれ変わってガキからやり直して、面倒なことをさんざん経験するのはまっぴらだ。だからよぉ、お前のからだを貸せや

などということを平気で言い出すひともいるので、それはもちろん毅然と断る。すると、

なんだよ、たいした人生でもないくせに

などと言ってくることもある。余計なお世話もいいところだ。だが、彼らもなんだかんだ言って、人生を羨ましがっているのだ。しかし、その「いいとこ取り」をしようとするのはお門違いである。

それに本来は自分自身の選択に基づいて、自分の人生を生きたほうがはるかに学び深いはずなのだが、そうしたくないのはやはり人生がよほど「つらいもの」に見えているのだろう。実際、人生は一筋縄では行かないし、現代では人生は苦しいのが当たり前というような風潮になってしまっている。道行くひとの顔は総じて暗く、いつもせかせかして、余裕を失くしている。そんななかでは、

もう生まれ変わりたくなんてない。早く「解脱」したい

などと言いたくなるのも無理はない。

だが、私たちが最初、自ら望んでこの世に生まれてきたことは、間違いない事実なのだ。私もそうだ。この生でもいろいろなことがあったし、これからも様々なことがあるだろうが、それもまたよしとしよう。そして私が向こうに戻ったとき、

楽しかったよ。生まれ変わらないのはもったいないよ〜

と言って回ろうとすら考えている。せっかく生まれてきたのだから、それくらい言えるような人生を送りたいと思わないだろうか? そしたら、現在生まれ変わりを躊躇している霊存在の方々も、多少は認識を改めてくれるだろう。それを想像して、私はまた喜びを大きくするのである。