過ぎたカネを求めてしまうひとが、本当に必要としているものはなんなのか?

ユダヤ人が世界を裏で支配している

という言説がある。これは一定程度の方々の間で受け入れられている話のようである。実際、科学者や芸能人、実業家も含め、一般的な「成功者」のなかにユダヤ系のひとが多いように見えるのも確かである。しかしなぜ、彼らはそうした地位にいるのだろう?仮に彼らが本当に世界を支配しようとしているのだとして、そのような想いはどこから生まれたのだろうか?カネを得れば得るほど、私たちはしあわせになるのだろうか?このような問いが持つ意味は、決して小さくはない。そして私もあるとき、自分なりの答えを見出したのである。

ユダヤ人は歴史的に迫害を受け続けてきた。そして集合と離散を繰り返すなかで、「カネ」と「教育」を重んじる傾向を持つようになっていった。実際、現在では当然のように捉えられている金融制度の成立には、ユダヤ人が深く関わっていることはよく知られているし、ユダヤ人の伝統的教育観では「知識こそが最高の富」とされている。

私は「カネ」という制度は人類史上最大の「発明」のひとつだと考えているのだが、これは「知識」と同じくらい高い「平等性」を備えているという特徴を持っている。たとえ3歳児でも、「1万円」を出すだけで好きなお菓子をたくさん買うことができる。それがたとえ「拾ったカネ」であろうが、「他人を騙して得たカネ」であろうが、使われてしまえば同じである。「カネに色はついていない」のである。だから、違った職業の方々が、「カネ」というものを介して、互いの「技能」(成果)を交換している。そして「カネを持っている」という事実が、目に見えない「内面」をも保証する。つまり、私が1万円を持っているということは、私が「1万円を持つに価する人物である」ことが保証されているということなのである。それが「信用」を生み出す。だから私はカネを遣って、自分の望むものを得ることができるのである。

これほど「平等」な制度が、人類の間で成立したことは明らかにひとつの「奇跡」である。この奇跡的な制度があるからこそ、あなたは自分がどんな境遇にあったとしても、こう言ってみせることができる。「あなたが私を認めないというのなら、私はカネであなたを見返しましょう」。

おわかりだろうか? 恵まれない境遇にあるひとこそ、カネに希望を見出すのである。考えてみてほしい。あなたが周りの方々に認められ愛されていて、それを自覚していれば、必要以上のカネを求める必要はない。衣食住が足りれば充分なのである。しかしあなたが他者に貶められ、罵られ、理解されずにいるとき、あなたはこう言いたくなるはずだ。

宝くじでも当たればなぁ……

他者に認められたいから、カネが欲しいのである。では、カネがあれば認められるのかといえば、現状ではかなりの程度そうなのである。カネこそが、最大の「信用」の源なのだから。だからこそ、ユダヤ人はこの「制度」を、自分たちが生きるためにこそ構築し、その核となるカネを求めたのである。

これはユダヤ人だけではない。たとえば中国人は「華僑」となる過程で、現地人が嫌う仕事も進んで行い、徹底して倹約し、同郷の者たちと結束しながら「力」を蓄える。よく「芸能界には在日外国人が多い」と言われるが、その真偽はともかく、それが真実であったとしても驚くべきことではない。周囲に溶け込めない、周りから認められない(と感じている)からこそ、必死でカネを求めるのである。「カネ」を「金」と書くのはまったく的を射ている。不遇な環境であればあるほど、カネより大切なものは無いのだ。だから必死になってそれを求める。その想いが強いからこそ、それを得ることができるのである。だから

「恵まれない者ほど富を得る」

とさえ言ってもいい。その例のひとつが、ユダヤ人だということなのである。

また、仮に私が数千億の資産を持っているとしよう。そしてそれを長期的な展望に基づいて適切に遣えば、霊媒師の地位をかなり高めることもできるだろう。実際、私たちは「自己判断」などほとんどできていないのである。意図的な「宣伝」(キャンペーン・コマーシャル)に踊らされ、「流行」に流されている。「広告」の力は凄まじい。それはいずれ「無意識」にすら入り込む。そうやって彼らは、自分の地位を高め、その基盤を固めていく。

しかし、そうやってカネを得て、「自由」を享受し、周囲に自分を認めさせれば、それで彼らはしあわせになれるのだろうか? いや、必ずしもそうとは言えない。カネでのし上がったからこそ、カネの力を知っているからこそ、あなたは不安になる。

このひとたちは、自分ではなく、「カネ持ちの自分」を愛しているだけなのではないか?

それに、いくら資産を増やしても上には上がいて、あなたの劣等感を刺激する。だから、カネを失うことを何より恐れるようになる。実際に富豪と呼ばれる方々の顔を見てみるといい。しあわせそうに見えるだろうか?

生きるためには本来、「やりたいことのために必要な額」があればいいのである。やりたいことがあって、そのために貯めているのなら、あなたはその金を楽しく遣えるだろう。しかしもし、その「やりたいこと」というのがたとえば「自家用ジェットが欲しい」というようなものだとしたら、いちど落ち着いて考えてみてほしい。本当にそんなものが「必要」なのだろうか? あなたはただ、「周囲に認められたい」だけではないのだろうか? その本当の想いをごまかして何を得たところで、決してしあわせにはなれない。

いつかカネ持ちになって、見返してやる

そう言いたくなる気持ちもわかる。しかし、そう言っている自分の顔を見てみてほしい。カネが要らないなどとは言わない。しかし、私の感覚から言えば、多少の地域差はあるにしても、1世帯で1か月20万円ほどあれば充分な生活ができると思う。実際私の生活費はもっと少ない。衣食住を満たし、それなりの生活をするのに、それほどの金は必要ないはずだ。あなたがもし

、いくらあっても充分すぎることはない

と思っているのなら、自分の心と向き合ってみてほしい。逆に、もしあなたの周りでそんなことを言っているひとがいたら、ぜひ大切にしてあげてほしい。そして私たちがカネの正体を見極め、愛を知り、与え合えるようになれば、私たちは笑って「貨幣制度」を卒業し、真の喜びを見出すことができるのだから。