このままグローバル化を進めるなら、日本は「貧しさ」を学ぶことになる

日本は第2次世界大戦後、他国も認める脅威の復活を遂げ、世界でも有数の「先進国」と呼ばれるまでになった。その後紆余曲折があるとはいえ、世界的に見れば、日本は経済的にも、治安的にも相当に恵まれた国であると言っていい。

ところで2000年代に入ったころから、日本も世界的な(資本主義的)グローバル化の波のなかで生きることが明確になっていった。資本主義の、そしてその核となるカネの「平等性」から見ても、「世界をつなげ、ひとつにする」グローバル化は当然の帰結と言え、日本も黙っていればその流れに巻き込まれるのが必然である。その結果、現代での「国境」の持つ意味はますます小さくなっている。多国籍企業の進出により、日本でもアメリカと同じものが手に入り、関税は撤廃の方向に動き、遠い国の出来事と思っていたものが日本を大きく揺り動かす。

このような状況は、もちろん私たちに多くの利益も与えてくれている。だが、日本がこのままグローバル化を受け入れ、ますます進めていくなら、「必然的に」日本が貧しくなることに、あなたは気付いているだろうか?

グローバル化を考えるひとつのキーワードは「フラット化」(平準化)である。これは「差がなくなる」ということであり、長期的に見れば私たちの社会は確実にこの方向に動いている。だからこそ世界中で「ケンタッキー」のフライドチキンや「マクドナルド」のチーズバーガーを食べることができる。一方で、グローバル化は「モノ」や「企業」だけでなく、「ひと」の移動をも容易にした。これは格安航空会社(LCC)の台頭に見られるような、娯楽的な旅行が容易になったというだけではなく、「労働者」としての個人の移動が容易になったということでもある。だから、日本でもすでに多くの「外国人労働者」の姿が見られるし、逆に言えば企業は「安い労働者」のいる場所に移動していくことができるのである。これを個人の視点から見れば、自国の物価と比較して、相対的に賃金の高い国で働きたいと思うのは自然だし、企業の視点に立てば、価格競争の障壁となる「人件費」を削るために、安く労働者を雇える方法を採るのも仕方がないところがある。そうしなければ、その企業自体が存亡の危機に陥るからである。

ここまで見ていけば、日本が貧しくなる方向に動いていると言うのも現実的な見立てであると思えるのではないだろうか? 正確に言えば「日本」は踏み止まるかもしれないが、「日本人」は貧しくなっていく確率が高い。そもそも世界が「フラット化」していくということは、日本のような「恵まれすぎた国」は相対的に貧しくなる方向に動くということである。ではそのぶんの「富」がどこに行くのかといえば、一部は「発展途上国」の「発展」に作用する(これは非常に資本主義的な言い方であることに注意してほしい)が、実際には

「一部の富裕層が、さらに富むため」

に作用すると言える。

これは一見「フラット化」と矛盾するようだが、そうではない。グローバル化は長期的にはフラット化につながるが、さらに大局的に見ればそれは「格差の増大」になるのである。それが資本主義の「当然の帰結」なのだから。

これははっきり言って楽しい未来予想図ではない。しかしこの流れは今さら簡単に方向転換できるようなものではない。だから、私たちにできることは、

自分が本当に必要なものはなにか?

と真剣に自問することである。資本主義が極まるとどうなるかを考えるのは必ずしも楽しいことではないが、私たちが気付くべきことは、

「資本主義が永遠に続くはずがない」

ということと、

「資本主義が崩壊しても『世界の終わり』が来るわけではない」

ということなのだ。つまり何事にも、「その後」があるのである。それが「未来」だ。そしてその未来は私たちが創っていくものであり、そこにこそ最大の希望がある。どんなものにも終わりがあるが、終わりは新しい始まりなのだ。このことを忘れないでほしい。この意識は、私たちがこれからの時代を生きていくうえで、大きな支えとなるものなのだから。