霊能力は求めれば得られるが、それでしあわせになれるかはあなた次第だ

あなたは、「霊能力者」になりたいと思ったことがあるだろうか? ただひとくちに「霊能力」と言ってもそこからなにを連想するかはひとによって様々だ。たとえば一般に「霊感」と呼ばれるような、「霊存在と交流する能力」を言うひともいるが、「透視」や「読心」、「念力」のように、「超能力」と呼ばれるようなものも一種の「霊能力」に含めて考えることができる。逆に、「霊能力」を「超能力」の一種だと捉えることもできるが、ここで厳密な分類をする必要もないので、これらを広く「霊能力」とひと括りにして考える。

さて、あなたはこのような「霊能力」を求めたことがあるだろうか?あるいは今求めているだろうか?何事もそうだが、「役割」には「喜び」があると同時に、それぞれの「葛藤」や「責任」が生じる。しかしそういったことはその「現場」を見ていないひとには想像し難い。特に「霊能力者」の実態などは、現代では実質的にほとんど知られていない。だからこそひとはそれを表面的に見て羨ましがったりして、安易に霊能力を求めてしまうことも多い。もしかしたらあなたもそうかもしれない。だから先に私の意見を結論から言おう。霊能力は求めれば得られるが、それでしあわせになれるかはあなた次第だ。

霊能力者になりたいと真剣に願うなら、日々欠かさず祈ればいい。

私に霊能力を授けてください

と。すぐに結果が出ると思ってはいけない。1日や2日ではなにも起こらないだろう。それで諦めたらそれまでだ。しかし1か月、半年、数年と続けていけば、必ずそれなりの結果は現れる。それは必ずしもあなたの望んだとおりの「能力」ではないかもしれないが、なんらかの「変化」はきっと起こる。しかしそれで、「これで私も霊能力者になれる!」と意気込む前に、もう少し私の話を聴いてほしい。それがまさに、霊能力者の「葛藤」と「責任」の話だからである。

この世界に入り込む前、私はこのようなことになることを予想もしていなかったし、求めてもいなかった。ただ、世界にはなんらかの「人智を超えたはたらき」があるとは思っていたし、それを「神仏」と呼んでもいいが、「大自然」そのものが私にとって明らかに「人智を超えた存在」であった。死後は天国に行くのか、あるいは地獄に堕とされるのか、なんなのかわからないが、地獄に堕ちるのは勘弁してほしい。その程度の認識だった。特定の宗派にも、属したことはなかった。当然なんの「修行」もしていなかった。

そんな私の「日常」はあるときを境に急激に崩壊した。あまり詳しくは書かないが、要するにそのとき一緒にいた知人に、突然霊が乗り移ったのである。そのとき私たちは1対1で、直前まで普通に会話していたのだが、相手が少しおかしな身振りをしたかと思った次の瞬間、相手は私に襲い掛かってきたのである。最初私はなんの冗談かと思った。しかし相手の「眼の色」は尋常ではなく、有無を言わさぬ態度で私を物理的に「攻撃」してきたのである。

だから私にとって「霊存在」は最初、「信じる信じない」の話ではなかったのである。目の前に「確実にある危機」に対して、それがなんなのか、どうやって生き残るか、そういった「切実な問題」でしかなかったのだ。しかし直感的に、これは誰にも相談できないと感じた。相手はその後も何度も私を「攻撃」してきたのだが、他のひとの前では至って「普通」なのである。だから誰にも私の話は信じてもらえないと思った。それで私は、文字通り「必死」で対処方法を探したのである。祝詞、念仏、呪文、魔術……。それらを片っ端から独学していったが、私の場合、それは現状の問題の根本的解決には役立たなかった。

明日こそ殺されるのではないか?いったいなにが起こっているのかもわからないというのに?

本当にそんな日々だったのである。

そしてあるとき、今度は「自分自身」のなかから、声が聴こえてきた。

安心しなさい。あなたを攻撃するひともいるというなら、あなたを護るひともいるはずでしょう?それが私たちだから

これが私と「守護霊」との出逢いである。

それから、私の日々は大きく変わった。しかし相変わらず、仕事をし、家事をこなしてもいた。「日常のなかで非日常を生きていた」のである。明日生きて着られるかわからない衣服を洗濯する……そんな日々のなかで気を狂わせなかったのは、守護霊や多くの方々のお力添えがあったからだ。その後私は、ひとつひとつ「霊媒師」としての学びをさせられていった。生きるために、自分になにが起きているのかを理解するために。

ときが経ち、私は問われた。

この役割を、続けていきたいかい?

そのころになると、私は多くの経験をさせられていた。自分に起こったこと、その意味、霊の存在……。そういったことをある程度理解し、哀しみと喜びの両方を経験したからこそ、私は今度こそ「自分の意志」でこう言えたのである。

もし、私にできることがあるなら

そして、今の私がいる。詳細は省いているとは言え、これは私のまぎれもない実体験である。これはある意味「極端な例」であるかもしれない。だがだからこそ、今後霊と関わりを持つことになる方々、わけもわからず霊存在と関わっている方々に対し、自分の経験を伝えたいと思い、このように書いている。そして、「意図的に」霊能力を欲しがっている方々に対しては、改めてこう言いたい。確かに、霊との関わりを持つということは多くの喜びもある。しかし、苦悩も確実に経験することになる。それでもそれがあなたの「役割」であれば、あなたにとって「真の喜び」であれば、あなたはそれを知ることになる。ただ、もし単なる「興味本位」だけで近づくと、つらいことにもなりかねない。「能力」とは基本的には「与えられるもの」であり、「もぎ取るもの」ではない。そのことだけでも憶えておいてもらいたい。これは私の心からのお願いである。