「想念を読み取る」ということと「コールド・リーディング」はなにが違うのか?

メディアに登場する「霊能力者」に対して、「科学者」や「マジシャン」、「メンタリスト」などが出てきて、その「正体」を暴こうとする企画がときどき持ち上がる。ここで霊能力者に対して向けられる疑念の代表的なもののひとつが、

これは「コールド・リーディング」の手法を用いているのではないか?

というものだ。

このことについて、たまたま見つけたサイトでは、

このテクニックは相手に無意識のうちに自分を語らせ、情報を引き出すというもので、上手く使えば、超常的な力によって情報を当てたかのように思わせることができる

この記事では「コールド・リーディング」というテクニックを紹介したい。これは相手に無意識のうちに自分を語らせ、情報を引き出すというもので、上手く使えば、超常的な力によって情報を当てたかのように思わせることができる。基本は「釣り」コールド・リー

と書かれている。この説明のあとには、いくつかの「実例」も紹介されている。これを読んでしまえば、

やはり、「霊媒行為」とは「トリック」(タネのある奇術)なのではないか?

という疑念を持ってしまうのは仕方がないと思う。しかし、私のように自分自身が霊媒師である場合、自分がなにをしているのかは、常に真摯に自省しなければならない。自らの誤りを知りながら、意図的に嘘をついてひとびとを騙そうとするのは論外だが、自分がなにをしているかを知らないということは、私に関わる方々を傷つけることにつながるし、私自身のためにもならない。だが、私はコールド・リーディングをしているのかと言われれば、やはり明らかになんらかの違いがあると思う。では、私はなにをしているのだろうか?

まず私は、基本的に自分から自分の能力を見せびらかさない。

おじいさんが見えますが……

といったことや、

なにか白いカーテンのようなものが見えますね……

などとも言わない。私はただ、相手に

誰と話したいのですか?

と訊く。そしてそれがたとえば「おばあさん」だったら、そのあと私が「おばあさん」と交渉して、相手が了承したら私のからだに入ってもらう。これは「霊人」に限らず、肉体人、つまり「生き霊」を呼ぶ場合でも同じである。呼びたいひとと呼ばれる相手、そして私との信頼関係がなければ、この行為は成立しない。このことは事前に相手にも伝える。

そしてたとえ霊(生き霊)を呼んだとしても、たとえば「貯金通帳の在り処」や「遺産の額」などは、少なくとも私の力では、聴き取ることができない。これは私にとっても善いことで、だから私は「騒動」に巻き込まれずに済む。このことも私は相手に前もって伝えるので、私にこのような意味での「利用価値」がないことは、相手も了承済みである。

だから私の場合、自分が「この程度の存在」であることをすべてお知らせしているのである。そうすると結局いちばん多いのは

「相手の『守護霊』(指導霊)からの言葉を伝える」

ということなのだが、守護霊は「長い眼で見たときに必要なこと」を伝えることが多いので、すぐには意味がわからなかったり、目の前の問題を解決するのには役立たないように見えることも多い。とは言え、結局守護霊はあなたの「最大の味方」なので、その言葉を聴くことには大きな意味もある。だから、これらのことをすべて了承したうえで、それでも聴きたいというひとにだけ、私にできることをするようにしている。

それでもし、相手が霊から言われたことにどうしても納得がいかない、たとえば生前の人柄とあまりにも違っているなどのことが起こった場合には、私自身が霊媒としての役割を果たせていない、たとえば違った霊存在に騙されているということになるので、私の未熟さの結果であり、私の責任である。だから、このようなことが起こらないよう、私も常に自分の心と向き合う必要がある。

ただ、私は今までそんなに多くの方々に直接霊媒行為をして見せたことはないし、今のところ相手には概ね満足してもらえている。だが私は終わったあと、必ず相手に、

霊の言動になにかおかしなところはなかったですか? 聴いた言葉は、あなたを元気付けるものでしたか?

などと訊くようにしている。なぜなら私は相手になにも「証拠」を提示できない。それに、おかしな話だが私は今でも常に心のどこかで、

自分は狂っているのではないか?

という疑念を持っているのである。「狂っている」という言いかたは大げさだが、自分になにが起きているのかを、霊媒とはなんなのかを、誰より私自身が、知りたいからである。しかしそうやって疑いながら、ひとつひとつの経験を積み重ねていくことで、私は自分自身とこの世界に対する、「信頼」を強くしているのである。

この世界には多くの謎がある。そして私にとって、「私自身」こそが最大の「謎」である。まだまだ謎は尽きない。疑念もたくさんある。しかしそうやって進んでいくうちに、違う景色が見えてきた。これからなにがあるかはわからないが、これからも私はこうやって生きていく。それが私に、「生まれてきてよかった」という感覚を、与えてくれているのだから。