殺人的な情報の波から離れ、自分を取り戻す時間を持ってほしい

食べ過ぎは万病の元である。これは多くの方々も認める事実だ。しかし、現代文明に浸る私たちが、「食べもの」以上に過剰に摂取しているものがある。「情報」だ。そして、情報の過剰摂取もまた、明らかに万病の元なのである。

私たちはともすると、

情報は多ければ多いほどいい

と思わされてしまいそうになる。

しかし、これには隠された前提がある。

それを自分で吟味できるなら

というものだ。冒頭に倣って食べ物でたとえるなら、

「情報をただ受け取る」

ということは、

「なにを食べているのかもわからないまま、味わう間もなく、ただ口を開けている」

というようなものだ。これで病まないほうが不思議だ。しかし実際私たちはこのような状態に置かれている。「情報」の網が世界中に張り巡らされたことで、自分の地域とははるかに離れた場所の「事件」に、私たちは常にこころを揺り動かされる。もちろん、他者の苦しみに思いを馳せ、互いに助け合おうとする態度は素晴らしい。しかし、実際に私たちは、そのような態度で情報に接することができているだろうか? いやむしろ、あらゆることに関心を持たされた結果、感覚は麻痺し、結果的に「あらゆることに無関心」にさせられているのではないだろうか? だとすればこれはつまり、「心を亡くしてしまった」ということなのであり、その意味で情報社会は、ときとして「殺人的」だと言えるのである。

食べることは重要だが、食べ過ぎは害になる。同じように情報は大切なものだが、扱いに気を付けなければ身を滅ぼす。しかしこのことに気付けば、対処することもできる。食べ過ぎたときには食べる量を減らし、食べものを吟味するように、情報も量を減らし、吟味する時間を意図的に持てばいいのである。

本来私たちは、みなそれぞれ違った特性を持っていて、「好きなこと」も違う。だからこそ世界は調和できるのだが、私たちは情報社会に踊らされるうちに「画一化」され、一定の「目標」と「理念」を植え付けられてしまっている。だから少しでも独特なことをやろうとすると、大きな「恐怖」に立ち向かわなければならない。だからそれを実行に移すのも難儀だが、かといってそれを諦めても結局喜びを見失い、病んでいく。こんなことでしあわせを感じられるはずがない。

だからこそ、あなたは意図的に、自分を取り戻す決意を持つ必要がある。自然のなかに入って静かなときを過ごすのもいいだろう。旅に出て、違う環境のなかで自らを相対化し、自分自身を見つめ直すのもいいだろう。情報社会(消費社会≒資本主義社会)の誘導に乗せられて、新しい装飾品を買い漁るのにカネを浪費させられるより、このほうがはるかにあなたを力づけることになる。

あなたの人生の主役はあなただ

という言葉があるが、これは必ずしも正確ではないと思う。だから私はむしろ、

あなたの人生の「最終責任者」はあなただ

と言いたい。確かに、人生は一筋縄ではいかないし、他者の想いに振り回されることもある。しかしそれでも、あなたの人生がそうなっているのは、最終的にはやはりあなたの責任なのだ。言い換えれば、あなたが本気になれば、あなたは自分が思っているよりもはるかに大きく人生を変えることもできるということだ。これは確かな事実なのである。

あなたはなにが好きなのだろうか?なにがしたくてこの世界に生まれてきたのだろうか?じっくり自問自答してみてほしい。すぐに答えは出なくても、迷いながら行動しながらではあっても、どうかアタマの片隅に、この問いを置いておいてほしい。そうでなければ、あなたは死んだように生きることになり、いつかは必ず本当に死に、この人生の幕を下ろすことになる。それでも来世があるからいいと言うならそれもそうだ。だが、やはりどうせなら、自分が笑って振り返られる人生を過ごしたいではないか? そのためにこそ、あなたは生まれてきたのだ。だからまずはせめて、そのことを思い出してほしい。そのときから、あなたは本当の意味で生き始め、人生は動き出し、あなたならではの「傑作のドラマ」が展開していくのである。