裏方の価値に目を向けなければ、重要なことを見落とすことになる

「女性の社会進出」が叫ばれるようになって久しい。これはつまり、

「女性にも(資本主義的)仕事に就いてもらえる環境を整える」

ということであり、ひいては

「女性にも(資本主義的)経済活動の担い手になってもらう」

という意図の下で行われていることでもある。本来、「社会」とはすべてのひとを含むものなのだから、「社会進出」という言葉遣いは不自然だし、資本主義的な意図に沿うものだけが「職業」とされるのも不自然だし、「経済」というのは「経世済民」だというのに、現代の経済活動とは単に「カネを動かすこと」になってしまっているのも不自然である。だから、現状の社会の在りかたはどこもかしこも不自然であるのだが、それはあまりにも広まってしまったので、ともするとその不自然さにも気付かないし、

気付いたからといってなにもできない

と諦めてしまいそうになるのだが、まずは

「なにが起きているのかを認識する」

ということが解決への第一歩である。

さて、このような流れのなかで、「奥様」とか「家内」といった言葉遣いを不快に感じるという声も出てきているという。このような言いかたには、

「女性は奥に控えているもの」

「女性は家のなかにいて家庭を守るもの」

というような「性差別的」価値観が見え隠れしており、そのような考えかたはすでに「時代遅れ」だというのである。しかし、このような意見のさらに裏を読めば、

「奥に隠れているものは表に出ているものよりも価値が低い」

「誰かに護られているものは価値が低い」

ということを前提としていることがわかる。しかし、実はこの前提こそが現代社会の「洗脳」を受けた、誤った考えかただとは思えないだろうか?

現代社会は基本的に「競争社会」の性質があるので、そのなかで暮らしていると私たちは知らず知らずのうちに、「勝つこと」や「有名になること」を「大義」として刷り込まれてしまう。しかし、私たちはときに別の見かたもする。たとえば「秘密」というのは

「秘されているものに価値がある」

という価値観を表している。また、「重要」というのは「要のものは重い」という価値観を表しているが、一般に重いものは動きが遅く、隠れているものでもある。反対に「軽薄」というのは一般に価値の低いと見なされるものを言うものだ。また、私たちは価値のあるものを「深みがある」と表現することがあるが、これも逆の「浅薄」と比べると明らかなように、

「真に価値のあるものは深いところにある」

という価値観を表している。「奥義」というのもまさにそれである。舞台の花形は「役者」かもしれないが、「裏方」がいなければ成り立たない。素晴らしい画家も、「画材」が無ければなにも生み出せない。暗い夜でなければ星の輝きは見えない。大地が割れれば私たちは生きていけないのである。こうしたことに目を向けなくなってしまえば、重要なことを見落とすことになるだろう。

たとえ「奥方」や「家内」と呼ばれていても、自分が相手の支えになっていることが実感できていて、相手からも大切にされていると思っていれば、不快には感じないだろう。だからこそ、「内助の功」というものがあるのである。それに、本当に重要なひとというのは普段は表に出ないものである。だからこそ、「黒幕」の存在がカギとなるのである。実際、じっと耐えて力を蓄えてきたひとが一気呵成に動き出したとき、ことは劇的に幕引きへと向かうものだ。

さらに言えば、普段から目立っているひとよりも、いつもは「普通のひと」だと思われていたひとが、実は賢者だったということもある。究極的なことを言えば、真の「奥義」とは一般的な<奥>にあるとも限らないのである。それが「変幻自在」「神出鬼没」「千変万化」の世界である。このようなことに、ときには意識を向けてみるといい。きっと違った気持ちで、世界が見られるようになるだろう。もしこのような愉しみを知らないひとが多いのだとすれば、それは私にとって、あまりにもったいなく思えてしまうのである。