悪魔や死神を誤った観念で縛ることは、お互いのためにならない

今度とお化けには会ったことがない

という言い回しを耳にする度に苦笑いしてしまう。しかし会ったことがないからこそいつまでも実態がわからないのである。これからの時代は多くの方々が実際に霊存在とも関わっていくようになる。それが自分が納得できる「真実」を見出す一番の近道だからである。私自身霊世界と関わりを持つようになって、様々な種類の霊存在と出会い、対話してきたが、その結果私のそれまでの「常識」の多くが誤りであったことを認めずにはいられなかった。たとえば「悪魔」や「死神」と呼ばれていた存在との対話は、私に大きな衝撃をもたらす経験だった。

その「悪魔」とも、他の存在と同じように殺伐としたやり取りから始まった。

殺してやる!

やられる前にやってやる!

こんなことを言いながら一方的に攻撃を仕掛けてくる。私は自分のほうから相手を傷つける意志はなく、話があるなら聴くつもりであることを伝え続けた。「霊との闘い」というように言われるものは、肉体人のような「体力」ではなく、「精神力」によるものである。端的に言えば、

「先に心が折れたほうの負け」

である。これは「根比べ」でもある。だから相手の想いを根気強く受け止め、もやもやした想いをある程度吐き出させれば、相手は自ずから落ち着きを取り戻していくものなのである。

そのときもそのような過程を経て、やっと落ち着いた対話が始まった。すると相手はこのように言い出したのである。

俺を「悪魔」だの「悪霊」だのと言うヤツも多いけど、そうやって自分の「正義」を疑わないで、こっちを一方的に攻撃してくる人間のほうが、俺はよっぽど怖いよ。俺だって人間として生きていた時代もあるし、今こうして肉体を持っている奴らだって、数十年もすればまた霊になる。だったら霊とひとと、なにがそんなに違うっていうんだ? 俺もきっかけは覚えていないけど、初めはなんかちょっとしたいたずらをしたかなんかだったんだよ。そしたら相手は「除霊」だなんだと言い出して、塩だ呪文だ儀式だと、大層なことを次々としてきたんだよ。イライラしててわざと肩をぶつけたらそりゃあ悪いよ。でもだからって相手をナイフで刺すか?それと同じだよ。それから俺は「除霊」されたくない一心で力を求めてきたんだ。でもほんとに、人間のほうがよっぽど怖ぇんだよ

私はこの当時はまだそれほど霊との関わりが浅かったので、

悪魔は「凶悪」で「有無を言わさず不幸を呼ぶ」

というような観念を持っていた。しかし、今現に目の前で「悪魔」の話すことは、確かに私にとっても共感するところの多いものだったのである。それ以来それなりの経験を経て今思うことは、

「悪魔とは『思い込みの強い存在』のことである」

ということである。その「思い込み」とはなにかといえば、

自分は損をしている

みんなしあわせなのに自分だけは不幸だ

みんな自分に敵意を抱いている

この世はつらいことばかり、まさに地獄だ

このような観念である。このような考えかたを強く引きずって死ぬと、攻撃性の高い霊存在、すなわち「悪魔」と化すのである。それが根強くなればなるほど確かに強力になるので、私もすべての存在に対応できると言い切れるわけではない。ただ、事態の解決のためにはその「思い込み」をほぐすことが必要であることは確かなのである。

また、別の機会に「死神」と会ったときの話である。このときも「悪魔」との一件からさほど時間が経っていない、今以上に経験不足なときだったので、「死神」と聴くと思い浮かぶのは、「鎌を持った、骨の顔をした脅威の存在」というようなものだった。しかし、実際に「死神」と会ってみて、その先入観は完全に崩されることになった。一言で言えば、彼は「気のいいお兄さん」のような存在であった。彼にもいろいろな話をお聴きした。たとえばこんな話である。

「死神」と呼ばれる役職の大きな仕事のひとつは、肉体人がからだを離れるとき、そして霊界に落ち着くまでの間、それを支援すること。一般的に現代人が思っているように、おどろおどろしいものじゃないよ。寿命を勝手に縮めたり、呪いを与えたりするわけじゃない。それは人間の勝手な考えかたなんだよ。死を必要以上に恐ろしいものと捉える観念が、誤った存在を生み出したんだ。でも本来の「死神」とは「時間」という大きな神(はたらき・流れ)のなかの一部にあるものを言うんだよ

この

「死神は時間の神の一部」

という考えかたには目から鱗が落ちる思いだった。私たちは古来から「時間の神」を「最高神」のひとつと捉えてきた。にもかかわらず、「死神」を「恐怖の対象」として見ている。これは完全な矛盾であり、誤りであることに私はそのとき初めて、気付くことができたのである。

このように、「悪魔」と「死神」との対話は私にとても大きなものをもたらす体験であった。それは大きく私の世界観を変えた。ただし、このことに関してもうひとつ言っておかなければならないのは、それでは一般的に<悪魔>や<死神>と呼ばれているような存在がまったくいないのかと言えば、それも確かに存在するということだ。しかしそれは「本来の姿」ではなく、

「私たち自身の想念や思い込みが生み出したもの」

なのである。それは端的に言えば「負の念」であり、「喜びを失った姿」である。一部の「悪魔崇拝者」だけではなく、そのような負の念に支配されて抜け出せなくなっている方々、そしてその想いのまま肉体を離れる方々が、結果的に<悪魔>や<死神>を「再生産」するのである。あるいは、私たちが未だに

あいつは悪魔のようなヤツだった

と思っている存在は、逆説的ではあるが「その想いそのものによって」<悪魔>で在り続けることになるのである。これは<悪魔>に限った話ではないのだが、私たちが死者に対して持っている「印象」は、遺された方々だけでなく、死んだ本人をもある意味で「縛りつける」ものなのである。このような事実は、私自身にとっても耳の痛い話である。しかし、このようなことから目を背けていては、<悪魔>も<死神>もいつまでも本来の姿に戻れず、それは結果的に私たち肉体人をも苦しめ続けるのである。もうそろそろ、そんな時代は終わりにしたいと思わないだろうか?

神も悪魔も我が内にあり

というのは事実である。だからこそ、私もまだまだ本当に未熟ではあるのだが、せめて気付いたときくらいは、鏡に向かって笑顔を見せるようにしている。そしてできることならば、あなたが笑顔になる手助けをしたいとも思っている。それが悪魔や死神への、一番の供養になるとも思っているから。