病気で死んだとしても、死後にまでそれを引きずる必要はない

私たちはいずれ必ず死ぬ。それ自体は避けられないことなのだが、多くのひとはできれば死の直前まで健康でいて、「ぴんぴんころり」と老衰で死にたいと考える。しかし、実際には肉体的ななんらかの病気にかかって死を迎えるひとは大勢いて、あなたも私もそうなる可能性がある。それが苦痛を伴うものだったりすると、

早く殺してくれ!

こんなからだならないほうがいい!早く死ねたらラクになれるのに

などと口走るかたもいる。それは本人にとってつらいことであるのも確かだが、周りで聴いているほうもいたたまれなくなるものである。しかし、実はそれ以上にいたたまれない気持ちにさせられる事態が存在する。それが

「死んでもなお肉体の痛みに苦しむ」

という状況なのである。

あなたは「幻肢痛」を知っているだろうか?それはこのように説明されている現象である。

四肢切断後の患者の80%以上は失った四肢が存在するような錯覚(phantom limb awareness)や失った四肢が存在していた空間に温冷感や痺れ感などの感覚(phantom sensation)を知覚し、これらの感覚経験を幻肢と総称する。幻肢は四肢切断でなくても、脳卒中、脊髄損傷や末梢神経損傷などの運動麻痺や感覚遮断によっても発症し、これらは余剰幻肢と呼ばれる。また、乳房や陰茎、眼球などの切除後にも幻身体は現れる。幻肢に合併する痛み(幻肢痛:phantom limb pain)の発症頻度は四肢切断患者の50-80%とされ、その長期予後は報告によって異なるものの大部分の患者では数年を経ても幻肢痛を伴う。

この説明からも明らかなように、私たちは「ないもの」からも感覚を受け取ることがあり得るのだ。これを踏まえると理解しやすいかとも思うのだが、からだを離れて霊体になってからも、死ぬ前の苦しみを引きずってしまうひとが実際にいるのである。

そんなひとと出会ったときは、私は相手に対して、あなたのからだはもうなくなっていること、だから痛みを感じる原因はもはや自分自身の心にしかないことを説明する。それでも相手はたいがいすぐには納得せず、

痛いものは痛いんだ!

からだはここにあるじゃないか!

などと言ってくるので、ここからはやはり根気勝負である。ひとつひとつ状況を理解してもらい、楽しかった思い出や、今後やりたいことなどに想いを向けてもらえるようにする。そして自分の心を変えることができれば、痛みも苦しみも、確実に退いていくのである。

だからいつになっても手遅れということはないのだが、からだを離れているのに死後にまで生前の苦しみを引きずる必要はまったくないのである。霊体と肉体は別物だ。肉体に関してさえ

病は気から

と言われるくらいだが、霊体に関してはまさに「気」(心)の状態がそのまま反映される。だからこそ、死んでからだを離れたら、いい意味でまた新たな気持ちで霊存在としての「人生」を始めてみてほしい。肉体を持っているときは肉体の感覚が強くなるので、

からだがなくなればラクになれる

と思ってしまうかもしれないが、実際にはそう単純ではないのだ。逆に言えば、苦しみにも耐え、いろいろなことがあった人生を晴れて「生き切った」のなら、その終わりがどのようなかたちであったにせよ、それを肯定的に受け止め、次に向かってまたたくさんの喜びを見つけてほしい。それができたなら、あなたはいくらでも元気になれる。誰に励ましてもらったとしても、あなたにそれを受け入れる気持ちがなければ、あなたの気持ちは沈んだままだ。生きているときも死んでからでも、自分を元気にできるのは、最終的にはやはり、自分自身しかいないのである。