私たちは自由を求めながら、自由すぎる世界で呻吟している

私たちは、自由になりたいと願う。様々な事情により、望まない環境のなかで生活しているひとにとって、なによりも欲しいのが自由だ。しかし私たちは、もうずっと自由を追い求めてきた。その結果、「文明」を発達させ、「便利な生活」を手に入れてきたはずだ。文明が発達すればするほど、私たちはより豊かで選択肢の多い、愉しい生活を送れるはずだった。それは、ある意味では間違っていない。私たちの生活は、確かに日々「便利」になっている。「自由」になっている。しかし想定外だったのは、より自由になった私たちが、よりしあわせになっていると言えないことである。これは、なにかが間違っていたのだろうか?

現代の日本のような社会では、基本的な「職業選択の自由」がある。だから、あなたが農家のひとり息子だからといって、農業を継ぐ必要性はない。あなたには「教育を受ける権利」もあり、基礎的なことは公的な教育機関がしっかり教えてくれるし、あらゆる「情報」を使いこなせば、独学でかなり高度なことを学ぶこともできる。これだけでも、私たちはとても「自由」である。

また、あなたは自分の住む所も自由に決められる。東京で生まれたからといってそこに住み続ける必要はない。場合によっては国外に住んでもいい。国外に出た後、また戻ってきて、また出て行ってもいい。「別荘」をいくつ持ってもいい。これだけでも、私たちはとても「自由」である。

それにあなたは、好きなひとと一緒にいていい。親や社会から押しつけられることもないし、結婚しなくてもいいし、相手を何度替えてもいい。これだけでも、私たちはとても「自由」である。

こんな「自由」を、私たちはずっと求めてきた。世界的に見れば、この「自由」を得られないでいるひとびとは大勢いる。こんなに「恵まれた」状態を手にできたのは、先人たちからの努力の積み重ねと、ある種の幸運があったからだと言っていい。

さらに言えば、私たち人類は「自殺」することさえもできる。自分のいのちを自ら奪うことができるというのは、ある意味「究極の自由」である。信じられないほどの自由である。そして、実際にその「自由」を行使するひとは、大勢いるのである。

こうしてみると、私たちはまぎれもなく「自由」である。そしてその自由は、今後も拡大されていくだろう。なぜなら、ひとびとがそれを求めるからである。しかし、ここで考えなければいけないのは、

「自由の苦しみ」

についてである。「自由が拡がる」ということは、「選択肢が増える」ということとほぼ等しい。では、私たちは選択肢が増えるとしあわせになるのだろうか?ある面ではそうである。もし私たちが、食べるものも、職業も、着る服も、一緒にいられるひとも決められていたとしたら?考えただけでも息苦しい。ひとびとはそれぞれ多様な価値観のなかで生きているので、多くの生きかたがあることは、確かに素晴らしい。それは間違いない。

しかし、問題はこの次だ。

では、私自身はどう生きればいいのか?

この最も素朴で重大な問いに、明快な答えがないのである。これは、自分にしか答えられない。自分がなにが好きなのか、どんなことをしたいのか、それは誰にもわからないからである。そして、世界にはあまりにも多くの「事例」がある。起業して大成功を収めるひともいれば、数カ月で廃業するひともいる。会社勤めで自分を殺し、過労死や鬱に陥るひともいれば、会社集団のなかでこそ生き生きとしているひともいる。また、時間は戻らないので、あの道を選んだ人生と、この道を選んだ人生を、同等に眺めて比較することはできない。他者の助言を受けることはできるが、他者は他者の環境と価値観に基づいているので、あなたが真似をしたとしても同じ結果になるとは限らないし、そもそもまったく同じ条件で真似をすることなどできるはずがない。どこを見回しても、「答え」を与えてくれるひとはいないのである。

無限にも思える選択肢のなかから、あなたは「ひとつ」を選びとり、「たったひとつ」のあなたの人生を創っていかなければならない。自由であるからこそ、自分で選んだからこそ、大きな「重圧」も生まれてしまうのである。

そうそう簡単に環境を変えることなどできない

とひとは悩むが、本当はそうではない。本気になれば、今すぐにでも仕事も辞められるし、住む場所も変えられるし、人間関係も変えられる。ただ、

変えた結果、変える前よりもしあわせになれるかがわからないから

悩むのである。つまり私たちは「自由がない」のではなく、むしろ「自由すぎる」ことによって苦しんでいるのである。

しかし、これを解決する方法はある。

なにが起ころうとも、これが私の人生だ

と受け入れ、他者の選択や他の選択肢に振り回されず、粛々と今の人生を歩んでいくこと、これができればあなたは、ひとつの覚悟のなかで自分の人生を生きることができる。

または、

どんなに環境を変えたとしても、結局はなんとかなる。まずは踏み込んでみよう

と決意し、新しい環境に身を置く手もある。この

なんとかなる

という感覚をしっかり掴んでいれば、あなたはひとつの覚悟のなかで自分の人生を生きることができる。

どちらにしても、必要なのは「決意」と「覚悟」である。それは

「自分の人生を自分で引き受けること」

である。そしてもうひとつ、

「人生に失敗はない」

ということも憶えておくといい。なぜ私たちにはこれほどの自由が与えられているのか。それは

「身を以て体験するため」

である。どの道を選んでもそれぞれの葛藤があるのだが、それは体験したからこそわかることなのだ。そして、私たちはひとつひとつの局面においては「失敗」や「後悔」を感じることがあるのだが、それには「次」がある。今生での反省は、来世に生かせばいいのである。そうしたらいつの日か、その「失敗」すらも新たな気持ちで、笑って振り返られるときが来る。私はこのような「輪廻転生」の仕組みについて、本当に深い愛の産物だとしみじみ感じている。これを受け入れられれば、やはり

「人生に失敗はない」

のである。

私たちは、未来を見通せない。なにが正しいのかもわからない。私も明日なにが起きるのかもわからないなかで、迷いながら生きている。しかしその「自由な人生」は、他でもなく私たち自身が望んだものなのである。私たちは、望んでこの世に生まれてきた。そしてそれは、間違った選択ではなかった。迷い苦しみながら生きていった先には、きっと喜び多い未来が待っている。私たちが「自由」の力を理解し、本気になることができたら、そんな未来は確実に、創り出していけるのである。