私の「普通」という概念は、もはや原型を留めないほどに破壊されてしまった

普通に考えてお前、そりゃあないだろうよ

私の生活なんて、至って普通ですよ

そんなに頑張らなくていい。普通の生活が1番だ

私たちは、多くの場面で「普通」という言葉を耳にする。そして自分も無意識に遣う。だがこの「普通」という概念は、あくまでも自分の体験によって培われた価値観から生まれるものだ。だから、よく見るとそのような「普通」や「常識」、あるいは「一般的な考え」などというものはひとによって大きく異なる。しかし、だからと言ってこの「普通」という概念をまったく無視してしまうと、私たちはなにも言えなくなるばかりか、考えを進めることさえも困難になる。今まで私が書いてきた、そしてこれから書く文章のすべてに、あなたはこう言うことができる。

いや、それは私には当てはまらない

しかし、自分の「普通」がまったく通じないことを前提として、ありとあらゆる可能性を吟味し、誰にも批判されない行動をするのは、実際には不可能である。

ただ大まかに言えば、「普通」という言葉に私たちが期待しているのは、「共感」だとも言えるだろう。自分の「普通」と相手の<普通>に重なる部分が多ければ多いほど、私たちはお互いに共感しあうことができる。しかし、それがあまりにも食い違ってしまうと、お互いの世界観の基盤が揺らぎ、自分が不安になるだけでなく、相手のことを理解するのも難しくなる。しかしだからと言って、私たちが生きていくにあたって、なんらかの「拠りどころ」や「基準」を作らずにいるのは不可能である。ただ私たちにできるのは、自分と異なる<普通>を持った相手に出会ったとき、自分の「普通」を適宜修正し、新たなものに変化させることだけだ。だから、そうやって気付いたときには、10年前の自分の<普通>と、今の自分の「普通」が、あまりにも変わってしまっていることもあり得るのである。それはときに本人にとっても、少なからず衝撃を与えるものだ。

こどものころの私は、「普通に」神仏の存在に興味を持っていた。と言っても、

死んだら、閻魔大王に、天国行きか地獄行きかを決められるのか〜。天国はどんなところだろう?地獄には行きたくないなぁ……

というような素朴なレベルである。夜中に目が覚めると闇に怯え、怖いもの見たさにテレビの心霊特集を見ては夢でうなされていた。よくわからないまま神棚と仏壇に掌を合わせ、クリスマスにはサンタクロースに願いを託して心待ちにしていた。おそらく、「一般的な日本人」とそれほど変わりないと言っても差し支えないくらいだったと思う。

そんな私を劇的に変えたのが、霊存在との出会いである。霊に国籍はなく、場合によっては他の星のひとびととも関わるようになった。それは私の「国籍意識」を大幅に薄めた。焼死したり、事故死したり、夭折したりしたはずのひとの笑顔と、世間的には「しあわせ」だったはずの、富や名声のなかで死んだひとびとの苦悩は、私の「人生観」と「死」に対する考えかたを大きく変えた。様々な「動物霊」や「植物霊」との出会いは、「人類」の一員として生まれた意味を問い直す契機となった。攻撃的な霊との折衝は、いのちの危機を実感させ、生きていることの価値を噛み締めさせた。輪廻転生の仕組みと守護霊の存在は、自分自身だけでなく他者に対する見かたも変化させた。日々ときを選ばず関わってくる霊たちは、「プライバシー」への必要以上のこだわりを捨てさせた。このように、霊存在との関わりが私の人生に与えた影響は、まったく計り知れない。

こうして、私の「普通」という概念は、もはや原型を留めないほどに破壊されてしまった。私は普段からできるだけ「普通に」生活するよう心がけているのだが、私の内面的な価値観は、現在の日本人の「普通」とはかけ離れているだろうことを自覚している。だから、私は基本的には他者に自分が霊媒師であることを言わないし、そういった話題に必要以上の関心も示さないようにしている。下手なことをして精神病者扱いされるのは、今の私には不都合が多すぎる。

しかし、そういった「秘密」を抱えながらでも、私は「普通の顔をして」生きている。そして今振り返ってみると、私の体験は他の方々から見ればまだまだ「変わっている」ものかもしれないが、実はそれなりに「筋が通っている」ものでもあるのだ。だから、もしかしたら、私の過去の<普通>が破壊されて変容したように、そしてあなたもこれまでの人生のなかで自分の「普通」を変化させてきたように、いずれまたあなたの「普通」も大きく変わってしまうかもしれない。そしてそのとき、私とあなたの「普通」が、それほど変わらないものになっていたとしたら? 実は私はそんな日が来るのを、心待ちにしているのである。