本当の自信を持てたとき、あなたに革命が起きる

日本の現在の総理大臣は安倍晋三氏だが、彼が総理大臣を務めるのは2度目である。私が彼の総理再就任を目にしたとき、まず最初に感じたのは、

以前と同じひとだとは思えない

という感覚であった。私には彼が、以前とは比べものにならないほどの「自信」を纏っているように感じられたのである。それが2度目の返り咲きを果たしたことによるものなのか、自分が国民の支持を受けていると感じられたからなのか、自分の病と折り合いを付けることができるようになったからなのか、あるいは家族の支えによるものなのかなんなのか、はっきりとはわからない。もちろん要因は複合的なものなのだろう。それに、もしかしたら彼は自分の守護霊と対話したのではないかなどと考えてみたりもした。それほどの変化を感じたからである。しかしいずれにしても、彼が挫折の期間を経て、なにかを掴んで総理の座に戻ってきたことは確かなように思える。だからと言って彼が「善い総理大臣」になれるのかどうかはわからない。だが、それが善いか悪いかは別として、彼が「強い総理大臣」になるのではないかという印象は、今回の就任当初からあったし、今も消えてはいない。それは、なにより彼の「自信」からだ。

振り返ると、小泉純一郎氏もまた、「自信」を持った総理大臣だった。彼は労働者派遣法を変え、郵政民営化などの「改革」を断行した。それが善かったとは言い切れない。むしろ弊害も大きかったことはずっと指摘され続けている。しかし、そもそもなぜ彼にそのようなことができたのかと言えば、彼が自分に自信を持っていたからである。自信がなければ、決断することはできない。その結果、その功績の是非はともかく、彼は日本に大きな足跡を残した。

一方で安倍晋三氏もまた、集団的自衛権を巡る議論に踏み込み、消費増税を断行し、「アベノミクス」を推し進めている。これが善い結果をもたらすかはわからない。かなりの弊害も出てくるし、むしろ弊害のほうが大きい可能性も強い。だが、それでも彼はそれをしている。自信があるからである。

政治もひとつの駆け引きであり、交渉である。それは国家間で行われる外交に限らず、ときとして政党間のものだったり、国民と政府の間で行われたりもする。個人単位の日常の場面でさえ、様々な駆け引きや交渉が行われることがある。ただそのような規模の違いがあるにしても、そのような場でより優位に立てるのは、相手より自信を持っているほうなのである。だから、そこでは

「相手の自信を失わせ、自分に自信を持つ」

ということがひとつの要になる。この視点で私たちの身の回りを眺めてみると、様々な場面でこの手法が利用されていることに気付くはずだ。簡単に言うなら、

このままではまずいですよ(損しますよ)

などと言って相手の自信を失わせ、

こんな方法がありますよ(こうするとオトクですよ)

と「自信たっぷりに」提示する。このような手法が、現代にはあふれているのである。

なかには「根拠のない自信」というのもあって、それはいざというときには脆い。私たちは普段は競争社会のなかで、自分に自信があるようにみせようと努力してもいるが、内心では自信を失わされている。それは、未来に希望が持てない状況に置かれ、他者と常に必要以上に比較され、一部の「成功者」のモデルを見せられて焦らされ、黙っているとどんどん置いていかれて「負け組」に陥ると思わされているからである。そんなひとが付け焼き刃で無理をしたところで、それは「虚勢」にしかならない。

だが逆に、周囲からは認めてもらえず、「根拠のない自信」でしかないように思える場合でも、当の本人がそれを強く信じることができている場合、そのひとは自分の持てる力を存分に発揮して、大きな成果を挙げることができる場合がある。なぜそのようなひとが「強い」のかと言えば、「脇目を振らない」からであり、自分の人生に「一点集中」できるからである。わかりやすく言えば、彼らは他のひとがなにを言うか、どんな生きかたをしているかを気にしない。そんなヒマがないからである。そして、自分の信じている道を突き進んでいるので、他の可能性や選択肢をいつまでも気にして後悔することもない。そんな状態になれたひとは、周りからは想像もできないような力を発揮することもできるのである。

もちろん、そんなひとが失敗することもある。挫折することもある。夢から醒めたように、自信を失い、過去の自分の行いを悔いるようになってしまうかもしれない。自信を持って進めたことが、結果的に望ましい結果につながるとも限らない。ただ、確かなことは、あなたが自信を持っているとき、あなたの力は最高になっているということなのである。

さらに言えば、「究極の自信」とは、

「失敗しても失敗しても、最後にはなんとかなるという自信」

である。それは

「最後には『成功する』」

というのとは違う。

「最後には『報われる』」

というのとも違う。ただ、

なんとかなる

という自信である。これは言い換えると、「世界への信頼」であり、「神(はたらき)への信頼」でもある。自己への自信を深めていくと、いずれそれは他者への信頼にもつながる。それを実感できたとき、あなたは

なんとかならないことなど、なにもない

ということに気付けるはずだ。ここまで来たら、あなたに怖いものなどないのである。

そういう私がここまでの境地に達しているのかといえば、まだまだである。しかし、あなたにも憶えていてほしいことは、あなたが知らず知らずのうちに「自信」を失わされているということ、自信がないひとは簡単に流されてしまい、「できることもできなくなる」ということだ。そしてもしかしたら、あなたに自信を失わせておいて、誰かが自信たっぷりに世界を動かした結果、あなたにとってはまったく望ましくない世界になってしまうことも、あり得ないとは言えないのである。あなたはあなたの人生を生きている。そしてそのなかで他者と喜びを分かちあい、支え合うこともできる。あなたはそのために生まれてきたのだ。だからこそ、ぜひあなたにも本当の「自信」を取り戻してほしい。そうすれば世界でなにが起きているのかが、もっとよく見えるようになる。自分が何者なのかが、より深くわかるようになる。そのとき、あなたに「革命」が起きるのである。