苦しみはみんなで分け合い、解決すればいい。あなたがひとりで抱え込む必要はない

私たちは、お互いを支え合いながら生きている。しかし、それが「義務感」に基づくものになってしまうと苦しみが生み出されてしまう。とはいえ、自分の身の周りのひとや親族が困っているようなとき、自分のことだけを考えて生きるのは難しい。それで、結局は

自分の人生を犠牲にしている

と感じてしまったり、逆に

自分は冷たい人間だ

と思ってしまったりする。あるいは、自分が必死になって相手を助けようとしてみたものの、実際にはそのひとは特に困っておらず、自力で問題を解決できてしまい、こちらの空回りに終わってしまうこともある。反対に、ひとりでなんとかなると思い放っておいたところ、相手が窮地に陥ってしまい、助けなかった自分を責めてしまうこともある。

このような問題は複雑で、しばしば私たちを悩ませる。ただ、誰かを助けようとして自分が疲弊し尽くしてしまっては元も子もない。責任感が強く優しいひとほどこの「自己犠牲」という落とし穴には陥りがちなのだが、ここで思い出してほしいことは、苦しみはみなで分け合い、解決すればいいということ、そして誰にでも、問題と向き合い解決に進む力を持っているということだ。このようなことを理解できたら、あなたも少しは、気がラクになれるかもしれない。

現代社会では、ふとしたことから誰もが問題を抱える可能性がある。両親の体調が気になる、親族が借金を負った、妹が解雇された、こどもがいじめられている……など様々な問題が起きたとき、責任感が強いひとほど、

私がなんとかしなければ

という想いが強くなってしまいがちだ。しかし、あなた個人の力には限界がある。それを悟ったとき、それでもうまく周りに頼れないままでいると、最悪の場合将来を過度に悲観し、すべてを背負って死んでしまおうと考えたり、関係者とともに心中したりしてしまう場合すらある。これは、あまりに哀しいことだ。

資本主義のなかで「先進国」と呼ばれるような国(社会)では、「競争原理」が導入されるとともに「自己責任論」が強くなる。その結果、「社会的弱者」という立場に置かれたひとびとの「面倒」は、できるだけその家族や親族など、近しいひとたちが見るべきだという圧力を感じるようになる。だから、家庭環境の悪化や経済的困窮などの問題は、周囲や社会と共有しづらい「恥」と考えられてしまう。また、生活保護のような「セーフティーネット」に頼ることによって、社会からの偏見の目に晒されることを恐れるあまり、ますます自身を追い込んでしまうひとも数多い。

しかし、私たちは生まれてきた以上、「生き抜くこと」を最優先に考えるべきだ。それを途中で投げ出したひとが、後にどれほど苦悩するかは、どれほど強調してもし足りないのである。

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必要な助けを得るのに、劣等感を抱くことはない。だから、抱え込めない苦しみを抱え込もうとして破裂してしまうくらいなら、誰かの助けを求めてほしい。それは家族や親族でなくてもいい。行政機関でも友人でも、パソコン上の知り合いでもいいので、誰かに自分の苦しみを見せることだ。それには勇気も必要だが、必ず助けてくれるひとはいる。そう信じてほしい。

また、あなたが誰かの苦しみをすべて肩代わりしようと思い、結果として自分を苦しめているのなら、こう考えてほしい。あなたは

このひとは私がいないとダメだ

と思うかもしれないが、それは思い込みである。そのひとにはそのひとの「生きる力」があり、守護霊も含め、多くの仲間がいる。それに、自分の限界を超えた自己犠牲は、ある一線を越えると相手への怒りや恨みに変わってしまうことがある。

このひとさえいなければ、もっとラクになれるのに

というように。このような思考はとても危険である。やり場のない感情になってしまいやすいぶん、ふとしたことで暴走してしまう恐れもある。これでは、まったく本末転倒である。

ここで私は、他者に対して非情になることを勧めているわけではない。相手の心情を思いやり、助けようとするのは大切なことだ。ただ、ひとりの力に限界があるのにも関わらず、それを自分だけで抱え込もうとすると、心に歪みが生まれ、いずれそれが大きな「反動」を呼び起こしてしまうということだ。だから、誰かの助けを借りる。そして、自分にとって「弱いひと」に見える相手にも、「生きる力」が宿っていることを信じる。これができたら、あなたもきっと肩の力を抜いて生きられるようになるはずだ。これはどちらも、「他者への信頼」がカギになる。他者を信頼できるひとこそが、自己の力を最大限に発揮し、相手を助けることができる。また、自分の力だけを信じ、自分ひとりで抱えようとするということは、ある意味自分の見立てを絶対的に正しいと信じているとも言える。だから

あのひとは不幸でかわいそうだ。助けてあげなければ

私がやらなければ誰にもできない

などと考えてしまう。しかし、人生はあなたの思った通りに動くものではない。それに、苦しみは私たちを成長させる大事な糧でもある。だから、それをひとりで引き受けて、あなただけが苦しめばそれがいちばんいいということではない。それはときとして、他者の「学びの機会」を奪ってしまうことにもなりかねないからだ。

困っているひとは助けてあげたらいい。私ももっと優しい人間になりたいと常に思っている。しかし、だからといってそれで自分が消耗しきってしまうようでは意味がない。自分のいのちも他者のいのちも、同じように大切なのだ。みなそれぞれが、自分ができることを、できる範囲で、無理なくやればいい。そうすれば、余分な気負いも、優越感や劣等感も持たずに済むだろう。そしてそのときこそ、私たちは助けられるときも助けるときも、お互いが笑顔でいられるようになるのである。