心のなかのわだかまりをほぐすには、まず「声を出してみる」ことだ

現代社会では、ひとびとはますます「静か」になっている。街は喧騒にあふれているようにも見えるが、その「音」のほとんどは「広告・宣伝」である。街に映し出される広告や、テレビから流れる広告、ひとが声を張り上げる宣伝……。こういったものをかき分けながら進むひとびとは、すれ違うひとを気に留める余裕もないまま、ただ黙々と歩んでいく。さらに近年では、携帯端末や音楽機器の普及により、イヤフォンで耳を塞ぎながら、スマートフォンに目を奪われているようなひとも増えてきた。しかし、こうしていくら「情報」を採り入れてみても、あなたの心は軽くならないどころか、ますます複雑になり、圧迫されていくといえる。そして、ますますあなたは静かになり、広告主の声だけが、日増しに大きくなっていくのである。

このような「静かな人間」を作り上げるのは、他者を自分の意に沿って動かそうとするのに都合がいい。現代社会のように「大量消費」を是とする社会においては、自分の意見というものを持たず、持っていても表明させずに、ただ「流れ」に従って動いてくれたほうがいい。そして、静かななかに大音響で自分の意図を喧伝すれば、知らず知らずのうちにみんなそれに染まっていくのである。「組織」のなかにおいても、自分の言うことにいちいち異を唱えず、黙って素直に従うひとのほうが扱いやすく、「効率」も上がる。だから、あなたはその社会の要請に沿ったかたちで「教育」され、静かな人間になったのである。

このような静かな人間の「従順さ」は「集団性」につながる。これはある種の「協調性」とも言え、日本人が文化的に自然と身に付けてきた特性ともされてきた。確かに、これは場合によっては長所でもあり、全体として大きな力を発揮することもある。ただ、それにはひとつの前提がある。

「集団が正しい方向に向かっている」

というものだ。これを「集団に属するひとにとって、概ね満足のいく方向」と言い換えてもいい。先人の手法を変えようとする新人に対して、

黙ってついてこい!

と言っても、結局は先人のほうが正しいのなら結果的にはいいこともある。確かに、新人は経験者に比べて全体の流れを把握していないこともあり、部分的には善いと思われたことが全体としてはむしろ不利益になるようなこともある。だから、集団が正しい方向に向かっているのなら、それに従順であることは全体としては理に適っているのである。

その過程で多少の矛盾や問題を生み出したとしても、全体としてそれぞれが満足する方向に向かっているのなら、それは無視されるか、許容される。日本で言えば、「高度経済成長期」と呼ばれていた時代がそれに当てはまるかもしれないし、「バブル期」もそうだったかもしれない。あるいは、今現在もまた、そのような「気分」を作り上げようと躍起になっているのかもしれない。

しかし、誰がどんなに煽り立てようと、現代がそんなに「浮かれた」時代でないことはもう誰の眼にも明らかである。年間112万円、月にして9万円程度で暮らすひとびとが全体の16%、2000万人もいる日本が「正しい」方向に進んでいるなどと考えられるわけがない。その他の情勢に目を向けてみても、私たちはいよいよ「集団化」から一歩離れ、その方向性について、真剣に検討しなければいけない時期に来ているのである。

その現状に気付いているからこそ、私たちの心には「わだかまり」ができている。しかし、私たちは長い教育と慣れの結果今に至っているので、意識的に行動しない限りなかなかそこから抜け出せない。それどころか、黙っているとますます「従順な」人間にされてしまうのである。そして、ひとたび自分が弱い立場に陥ったとき、目の前の苦難を乗り越える力を失っていく。絶望し、病んでいく。そんなひとが、どんどん増えている。

だからこそ、私はあなたに声を上げてほしい。自分の体験を共有し、助けを求めてほしいと願っている。しかし、それすら難しくなってきているのも事実だ。それならまず、

「物理的に声を出す」

ことから始めてみてほしい。気付けば私たちはどんどん「感情を露わにする」機会を失っている。現代人は感情をも抑圧されているのだ。仕事場でも、家庭でも「大声を出す」ということが少なくなっている。泣くにしろ、怒るにしろ、笑うにしろ、「感情を見せる」ということは「知的ではない」と見なされてしまうのである。

だが、ひとがひとであるためには、感情を取り戻さなければならない。たとえばカラオケで歌うとか、山や海に向かって叫ぶとか、あるいは文章を書くとかでもいい。とにかく、自分の「腹の底」にあるものをなんらかの「声」というかたちで発散してみてほしい。やってみると、それは想像以上の効果がある。それは自分の声を自分で聴くことにもなるのだ。その「発見」はあなたに大きな力を与えるだろう。あなたはもう、静かな人間でいる必要はない。世界を変えるにはまずその「決意」が必要なのだ。そしてあなたが本気で決意できたなら、もうその瞬間から、問題は解決に向かって動き出しているのである。