私たちの目の前には、いつもたくさんの選択肢がある。そのなかでどれが最善なのかがわからず、迷い、ときに他者の意見を参考にしようともする。しかし、他者の意見はそれぞれバラバラである。父親と母親の意見すら違っていたり、昨日メディアが言っていたことが、今日になってまったく覆ることもある。それぞれの意見がぶつかるなかで、ときには互いを攻撃し合い、
向こうの意見は間違っている。こちらに従えばしあわせになれる
私こそが真の悟りを開いた救世主である。他の者はすべて中途半端なまがいものである
私を信じるものだけが救われる。私を批判するものは不幸になる
などと言い始めるひともいる。
だが、私たちはもう薄々気づいている。総理大臣も大学教授も、芸能人も官僚も科学者も、宗教家もスピリチュアルカウンセラーも、この混沌とした時代のなかで、決定的な答えを出せはしないということを。もはや、「幻想の時代」は終わろうとしているのだ。だからこそ、みな新しい時代の確かな指針を求め、喘ぎながら生きているのである。それでは、私たちはこれからなにを信じて生きていけばいいのだろうか?どうすれば、満足のいく人生を送ることができるのだろうか?
答えは自分の胸に訊け
という言葉がある。あるいは、
石塚の 四方の山に尋ねても こたえかえらじ 己に聞けよ
という句もあるように、これはとても重要なことである。しかし、本当に大切なことはここでは明示されていない。それは
なにを訊くのか?
ということだ。善い答えを得るには善い問いかけをしなければいけない。そして、問いが見つかればその時点で答えは半分以上出ているのである。だから、まずはじっくりと問いを練ることだ。
明日の仕事はどうなるか?
という問いではまだ浅い。せめて
どんな仕事がしたいのか?
と問うのである。
いつ結婚できるのか?
ではなくて、
そもそも私は結婚したいのか?
と問うてみるのもいい。そのほうがよほど本質的な答えが得られる。
ひとから教えられた答えを鵜呑みにするのと同じくらい、ひとから与えられた問いをそのまま遣うのにも落とし穴がある。
こちらのほうがお得ですよ!
と言ってくるひとびとに流されないために、
どれが本当に得なのか?
と問うのもいいが、それではまだあなたの心は縛られたままだ。もう1歩さかのぼって、
そもそも得をすべきなのか?
と問うてみることができたら、あなたの人生が変わるかもしれない。
そう考えると本当は、
「なにを問うべきかを自分の胸に訊け」
というのがより厳密なやりかたになるのだが、これは実のところ少し意地悪である。だからここではひとまず、万能なひとつの問いを紹介しよう。それが
自分にとっての喜びはなにか?
というものである。
宇宙の根本原理を簡潔に言うのなら、「喜び」と「調和」である。だから、この世界の本質は喜びにある。ただ、宇宙の時間感覚と私たちの時間感覚にはズレがあるので、それを実感できないことも多いのだが、長い目でみると、私たちはみな喜びに向かって歩んでいる存在なのだ。だからこそ、その基本に立ち返って自分の心と向き合い、生きていくことができれば、あなたもいずれきっと、笑顔になれるときが来るのである。
ところで、実はもうこれがひとつの「信仰」の始まりなのだ。なぜなら、なかには
この世界はできの悪い魂を更生させるための刑務所である。だから、苦しいのは当たり前だ
などとまことしやかに言うひともいるからである。だが、私はそんな立場には立たない。それでも相手がそう言うのなら、
あなたは、そういう価値観で生きているのですね
という以外にない。だからこの時点で、私たちは既にそれぞれの選択をしているのである。
しかし、自分で自分を苦しめるほど哀しいことはないと思わないだろうか?
私の言うことに従わなければあなたは来世で石にされるぞ!
などと言われても、私は信じない。そんな想いで生きても、ちっとも楽しくはないからだ。
人生は苦行だ。魂を更生させれば輪廻を脱し、苦しみから逃れられる
などという言葉も私は信じない。自分で生まれ変わることを決めた前世の自分を恨むようなことを、私はする気にならない。
これが、「信じる」ということである。自分と同じひとはいないので、なにを喜びとするかはそれぞれである。だから、ひとの真似をしてもあなたがしあわせになれるとは限らない。それを本当に理解できたなら、あなたも自分の喜びがなんなのかを真剣に問いかけ、人生に反映させてみてほしい。そして、
「自分にとって喜びの大きいほうを選ぶ」
と決めてみてほしい。これは私自身が師から何度も言われてきたことなのだが、基本的でありながらこれほど重要なことはないと言ってもいいくらいのことなのである。

まず、
人生を楽しもう
と心から思ってみてほしい。
最初から、みんなしあわせになりたいと思っているじゃないか!
というひともいるだろうが、それを「心から思う」というのは簡単ではないのである。私もまだまだである。だが、これでも少しずつはできるようになってきた。だからあなたももし私を信じてくれるなら、人生は楽しめるものだと思ってみてほしい。きっとなにかが変わる。それにもしあなたがそれでしあわせになったとしても、私が法外な要求をすることはないので安心してほしい。なぜならそれはすべて、他の誰でもない、あなた自身の力なのだから。

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