「カネは、無邪気なこどもだ」。大富豪を経験した霊が語ったこと

カネは私たちの生活に深く浸透している。それはあらゆる場面で現れ、ときとして私たちの心を揺れ動かし、悩ませもする。カネをどう得るか、そしてどう遣うかには、そのひとの人生観が表れるとも言える。だから、

あなたにとって、カネとはなんですか?

という問いはとても大きな意味を持つのだが、先日私はこれをある霊存在に投げかけてみた。彼は生前、1代でかなりの財産を築いた資産家であったので、私は彼の答えに関心があった。すると、彼はさほど考えこむこともなくこう答えたのである。

カネは、無邪気なこどもだ

私はこれまで、肉体人にも霊存在にも、機会があるごとにカネについての見解を訊いてきた。大まかに言ってその答えは、

カネは道具だ。大切なのは遣いかただ

というような、どちらかと言えば肯定的なものと、

カネは悪魔だ。みんな心を狂わされる

というような、否定的なものとに分かれていたのだが、

カネはこどもだ

と言ったひとは初めてだった。私は詳しく話を聴いた。すると彼は次のように語ってくれた。

カネに善いも悪いもない。カネはただの無邪気なこどもみたいなもんだ。だがそれを暴走させてはいけない。だからそれをうまく導いて、育てることが必要なんだ。こどもとうまく向き合えずに、逆にこどもに振り回される親もいるだろう?カネをうまく遣えないのも根本は同じだ。あと、自分の器以上にこどもがいると苦労するだろう? これがカネ持ちでもしあわせになれない理由なんだよ。カネを得ることはこどもを持つことと同じだ。育てかたで未来が変わる。そしてカネを遣うとき、そのカネは「巣立つ」のさ。そしてかたちを変える。それは自分に返ってくるものもあれば、誰かのところに行くものもある。そうやって、廻っていくってことだ

この見解は、とても的を射ているように感じられ、共感させられた。だからこそ私は、彼の人生に興味を持った。彼はどのようにして財を成し、なににその財産を遣い、どのように生を終えたのだろうか? 彼が語ってくれたことを、公開を許された範囲でまとめると次のようになる。

 

彼は若くして、地域に根差した産業を行う会社を興し、周辺の住民を巻き込んで発展させた。同時に株式市場などを介して、将来有望な企業に投資し、育てていったという。その結果、彼の業績は日に日に拡大し、地域からの信頼も厚くなっていった。しかし、同時に哀しいことも起こり始める。親しいひとびと、特に親族から、カネの運用を頼まれるようになったのだという。彼は最初、

カネだけを追っていけば必ず破滅する。欲をかけば失敗するんだ。私が投資で成功しているのは未来を見ているからだ。短期的には損をすることもたくさんある。安易にひとのカネを預かって、簡単に増やすことなんてできない

と断固として断っていた。すると相手は、

自分だけが儲けて、ひとにはカネを渡さないってのかい

などと彼を責めたという。悩んだ彼は個人的なカネを無償で与えることにしたが、すると今度はそれに味をしめた親族が、どんどんカネを無心するようになった。

彼は行く先を憂い、親族との金銭のやりとりを断ることに決めた。すると彼は、すぐに孤立することになった。しかし、彼はその葛藤と苦しみをすべて事業に向けたので、彼の事業はさらなる成功を収めていった。それは地域の発展に大きく寄与し、住民からの信頼もさらに厚くなった。だが皮肉にも、彼の事業が拡大すればするほど、彼はそこに多くの時間を割く必要に迫られるようになり、彼が最も大切に思っていた家族や親族とは、ますます疎遠になっていったのである。

 

彼はもともと物欲が少なかったので、どれほど多くの資産を手にしても、生活は質素だった。だから現代のカネ持ちのように、美食によってからだを壊すといったこともなく、晩年まで充実した人生を送ったという。そして、彼の手元に残ったカネのほとんどは事業に再投資され、多くのひとびとの人生を豊かにし、地元で彼の名を知らないひとはほとんどいなくなった。

 

そんな彼にも生を終えるときがやってくる。彼のもとには多くの従業員や地元の住民が訪れ、温かく見舞ってくれたという。しかし、そのなかに彼の親族の姿はなかった。今際の際に彼の胸にあったのは、大きな感謝だったという。だがそれと同じくらい、自分が鈍く大きな痛みを抱えていることを、彼は誰よりも気付いていた。

 

すべてを聴き終えて、私は彼に尋ねた。

ご自分の人生を、今どう思いますか?

彼は静かに言った。

後悔はない。けれど得られなかったものがあるのも確かだ。いちばん望んでいるものをどうすれば得られるのか、私にはわからなかった。ただ、恵まれた人生だったと思う。次に生まれ変わったら、今度は前に得られなかった景色を見たいと思ってるよ

そう言って彼は、こどものように無邪気な笑顔を浮かべた。

カネとはなんなのだろう?なにが真の喜びなのだろう?この問いは一生かけても解けないものかもしれない。だが、私たちは生きている。その過程で得た経験は、なにものにも代え難いものである。私は先人から多くを受け継いできた。そして日々、私の後の世代が生まれてもいる。そのこどもたちを、私も慈しんで育てていきたいと思う。そして私自身も、笑って生を終えられるような生きかたをしたいと思う。私に後世に遺すようなカネはないが、もし笑顔で生き抜くことができたなら、それはそれでなんらかの財産を、遺したことになるのだから。