本当に欲しいものだけを求め、要らないものは断固拒否することだ

現代社会では、日常的に多くの商品を売り込まれるようになっている。あちらこちらに広告があり、私たちの無意識にまで入り込んで、それを買わせようとする。本来、私たちの生活様式や嗜好は様々なので、なにが必要でなにが要らないかはそのひとが決めるものであるはずなのだが、あるものが大半のひとたちに行き渡るとそれは「必需品」と見なされ、持っていないひとに劣等感を与えるようにさえなっていく。そして、私たちは結局それを買わずにはいられなくなってしまうのである。

だが、私たちの時間もカネも有限である。そこで無理をすればいずれ破綻がやってくるし、巧妙に仕立てあげられた「理想の生活像」を受け入れ、躍起になってそれを求めてみても、あなた自身にとってそれが真のしあわせにつながるとは限らない。だから、私たちはここでもういちど生活の基本に立ち返るべきだと思う。それは、本当に欲しいものだけを求め、要らないものは断固拒否することだ。この素朴な方針を貫徹するだけで、あなたの人生ははるかにラクなものになるのである。

今持っているものを手放すことと同じくらい、

「今持っていないものを要らないと気付くこと」

にはあなたを開放する効果がある。たとえば、あなたが賃貸住宅に住んでいたとして、

持ち家に住みたい

という欲求を持っていたとする。だがもしあなたが

持ち家は要らない

と気付いたなら、あなたは持ち家を得るのにかかるはずだった費用や時間、労力を別のことに振り分けられるうえに、

今は持ち家に住んでいない

という劣等感からも、自由になれるのである。

これは家だけでなく、自家用車や時計や掃除機といったものまで、あらゆるものや場面に応用できる考えかたである。「周りのひとがみんな持っている」とか、「あると便利だと思う」といったことはいったん脇に置いて、

自分にとって本当に必要か?

を吟味することだ。実際、ほとんどのものは「あると便利」なのである。企業も真剣に開発を行っているのだから、誰が見ても明らかに不要であるようなものは売らない。しかし、「あると便利」という魔術に惑わされてしまうと、そこには終わりのない焦燥が待っているのである。

そして、これはそれぞれが自分に訊く以外に答えのない問題である。私は持ち家も自家用車も腕時計も持っていないが、それは私の生活様式と密接に関わっている。たとえばインターネットでものを買うことができないひとにとっては、買い物のための自家用車は必要性が高いものかもしれない。あるいは食料品店が近所にあり、さほど買い貯めする必要がないのであれば、冷蔵庫も要らないかもしれない。生活様式や嗜好が違えば選択も変わる。だから他者と比較しても意味はないのである。

私たちは無限に時間を与えられているわけではない。だからこそ、本当に自分が欲しいものを求め、それとともに生活し、自分が本当に喜びを感じられる活動をする。このことに意識を集中させていくことが大切なのだ。そしてこのことは「私とはなにか」を知ることにもつながる。自分はなにが好きで、どんなことを愉しいと感じるのか、それを見つければ生きていることが楽しくなる。そして、ますます好きなことに没頭できるようになる。そうすれば、あなたの気力は高まり、充実感も大きくなるだろう。こんなことのためにこそ、私たちは真剣になるべきではないだろうか?人生を変えるカギはどこかの誰かが握っているわけではない。いつでもあなたのなかにあるのだ。ただそれを見つけるにはまず探さなければならない。そしてそれは本気になればいずれ必ず、見つけられるものなのである。