蚊に刺されながら、地球の寛容さに想いを巡らせた日

先日久しぶりに森のなかに入った。景色はとても美しかったが、同時に少し困ったことも起きた。季節が夏ということもあり、気付くと私の周りに大量の蚊が集まってきたのである。私は殺虫剤の類を振り撒くのは好まないし、必要以上に防虫剤を身に振り撒くこともしたくない。だからこうなることはある程度予想できることではあったのだが、この日の蚊の群がりかたは、私の想像を超えたものだった。久しぶりだったこともあり、少々準備不足だったとも言える。ミントをもう少し念入りにからだに付けておくべきだったかとぼんやり考えながら、あまりにもひどいようなら早々に帰宅しようと思っていた。

ところで知っているひとも多いとは思うが、蚊が血を吸うのは産卵のために特別なエネルギーが必要だからであるとされる。だから蚊はむやみやたらに血を吸いに来ているわけではない。次世代にいのちをつなぐための、自らのいのちを賭けた行動である。これを知ってしまえばなおさら、私は蚊を殺す気にはなれない。しかし、今回は数が尋常ではなかった。衣服の隙間から入り込み、手先や足先などを次々に刺してくる。私も初めは手で払い退けていたが、直に諦めた。すると、当然のことながらそこかしこから痒みが襲ってきた。もはや私の意識は風景よりも蚊で占められていっていることを、自覚せざるを得なかった。

そうしていくうち、自分の意識のなかで、徐々に違った想いが芽生えてくるのが感じ取られた。

いっそ殺してしまえばいいのではないか?

という考えである。ひとびとのなかにも、「適者生存」の考えかたから、このような意見を持つひとがいるのも知っていた。

虫でも動物でも、天敵に見つかって殺されてしまうような個体は、むしろ淘汰されてしまったほうが、結果的により優れた遺伝子を持つ個体の生き残りと進化につながり、種の繁栄に寄与する

というのである。つまり今回の例で言えば、

人間に殺される蚊は自然淘汰を受けたというだけのことであり、人間が気に病むことはない。むしろそうやって弱い蚊が死んでいくことで、結果的に強い蚊だけが生き残り、蚊全体はより環境に適したかたちに進化していくのだ

ということである。これは一見すると、それなりに筋が通っているようにも思える。

だが、他者に対して自分がそのように行動するということは、裏を返せば自分が他者からそのように行為されることも覚悟しなければならないということである。だからたとえば、「弱肉強食」を信条として生き、自分より弱いひとを利用しながら生きているひとは、いずれ自分より強い立場のひとが現れたとき、自分が利用され、踏みつけられることも覚悟しなければならない。もし自分が最強の存在だと思っていて、自分が弱者と見なされることを想定していないから、弱肉強食と是としているとでも言うのなら、それは無知と驕りだとしか言いようがないのである。

翻って自分のことを顧みると、私こそ「弱いひと」であることは明らかなのだ。そんな私が生きていられるのは、他者が私を支え、生かしてくれているからに他ならない。しかしここで私が自分より弱い蚊を殺してしまうなら、私もいずれ誰かに見棄てられ、見殺しにされても文句は言えないということである。私はそんな世界では生きられないし、生きていたくもない。だから、自分の心を見つめながら、払える蚊は払いつつ、ことの成り行きを見守ることにしたのである。

すると次第に、また違った感慨が私の心に生まれてきた。それは地球と人類との関係性である。つまり今の私と蚊の関係が、地球と人類との関係を思わせるものに感じられてきたのである。蚊が私のからだを刺しまわっているのと同じように、あるいはそれ以上に激しく、人類は地球を荒らしまわっている。それは私(地球)にとって今すぐ耐えられなくなるようなものではないかもしれない。だが少なからず苦痛であることは確かだ。もし私が一念発起して全力で蚊を殲滅しようとしたら、やってできないことはないのである。

では同じことを地球に当てはめたらどうなるだろう?地球が自身を荒らしまわる人類に対して、本気で自浄作用を発揮したとしたら?人類はひとたまりもないだろう。そのような自浄作用は今でも現れてはいる。だがまだ人類を滅ぼすまでには至っていない。しかしそれは、言ってみれば地球がまだ耐えてくれているからに過ぎない。このまま人類が自然を破壊し続ければ、いずれその溜まった歪みは臨界点を超え、人類自身に襲い掛かってくるだろう。それは地球に意志があるかどうかという次元の話ではなくむしろ「自然の摂理」であり、その意味で人類が滅びるとしたら、それは外敵によるものというより、無知と驕りがもたらした暴走による「自滅」なのである。

とはいえ、それを「生態系」と呼ぶか「地球意志」と呼ぶかは別にしても、それは人類に対して本当に寛容だと言える。私がその管理者であったら、とうの昔に我慢の限界を超え、人類は滅ぼされていただろう。そう考えると人類が未だに存続していることには、感謝しか湧いてこないのである。それに私はやはり人類そのものに対しても希望を棄てきれない。なぜなら私のような非力な人間が生きていられるのは、他者(社会)が私に対して寛容な態度で接してくれているから以外のなにものでもないのである。もし社会が完全な弱肉強食のうえに成り立つものになったら、私は真っ先に淘汰されてしまうだろう。そう考えるとやはり私には、感謝しか湧いてこなかった。

ではそんな私が蚊に刺されたくらいで音を上げてどうするというのだろう?刺されていのちが危機に晒されるわけでもないというのに?そう思い直すと私の心は穏やかになった。そしてしばらくして私は蚊に別れを告げ、家路に就いたのである。その後私は刺された部位をできるだけ冷やし、ハーブを塗って静かにしていた。すると当初思っていたほどには痒くならずに済んだのである。数十箇所を刺されたとはいえ、終わってみれば結局はこんなものなのだ。一時の感情に流されて蚊を殺めなくて本当によかった。そしてまたいい経験をさせてもらえたことを心から感謝するとともに、せめて私もできる範囲で他者に対して優しくあろうと、決意を新たにしたのである。