「距離を置く」という知恵。争いを解決するために、どちらがより正しいかを決める必要はない

この世界には様々な考えかたを持ったひとびとが存在している。そのなかで私たちは基本的に相手を尊重し、自分も相手に尊重してもらいたいと思いながら生きている。しかし、違う考えを持つひとが近くで生活していると、それはときに衝突を生み出す。お互いの信念が強ければ強いほど、お互いに自分を曲げられず、結果として衝突は大きくなる。その極端な例が戦争であると言えるだろう。

では、そんな悲惨な事態を引き起こさないためにはどうすればいいのだろうか?お互いが少しずつ自分に嘘をつき、妥協しながら生きていくしかないのだろうか?しかし、それは結局自分を殺し、相手の主張を通させてしまうことになるのではないだろうか?

誰にでも多かれ少なかれこうした迷いが立ち現れるときがある。もちろん、ささいなことであれば相手に合わせてもいいかもしれない。だが、それが自分にとって「譲れないこと」であったらどうだろう?というよりも、相手も自分も譲れないことだからこそ争いになるのである。お互いが自分の「正しさ」を強く信じているなかで、どちらが より正しいかを決めるのは至難の業だ。だから、そんなときはまったく違う観点から考えてみればいい。そうするととても素朴で強力な答えに行き着く。そんなときは、お互いに距離を置けばいいのである。

私たちが幼いときから長い時間をともにし、ときには「正しさ」の基準すら与えられる親や家族とですら、いずれは意見を異にする場面に出くわすことになる。ましてや職場の同僚や出会って数日のひとなどとでは、いくらでも考えかたの違いがあることは明らかだ。問題はそこで生まれる。その食い違いの大きさがある程度を超え、受け流すこともできなくなったらどうすればいいのか?ここで単純な解決策として考えられるのは、

「相手を説得するか、自分が折れるか」

という2択だ。だがお互いの信念が強いなら、相手を説得することは難しいし、逆に自分が無理に折れても不満が残る。時間がいくらでもあり、お互いに相手を理解するためならとことん付き合う覚悟があるというなら、いずれどこかで着地点を見出すこともできるかもしれない。だが実際にはそれは容易ではない。場合によってはお互いが相手に否定されていると感じ、不満と嫌悪を募らせ、相手を必要以上に傷つけてしまうことすらある。それがどちらのためにもならないことは明らかだ。だからこそ、そんなときはまったく違う次元での解決を探るといい。それが

「相手と距離を置く」

ということだ。

たとえばもしあなたが所属する団体の方針と、個人的なあなたの信念が合わないなら、そこから抜けてしまえばいい。それは家族でも職場でも同じことだ。必ずしも相手か自分が変わらなければ、問題が解決しないということではないのである。だから、たとえばあなたが菜食主義者なら、無理に友達の焼き肉パーティーに付き合う必要はない。あなたが野菜だけ食べていても認めてくれるのならもちろんそれでもいいのだが、それでもし場の雰囲気が気まずくなるというのなら、あなたはそこに行かなければいいのである。

そんなことをしたら人間関係が崩壊するじゃないか?

とあなたは思うかもしれない。だがそれは「崩壊」ではない。「変化」なのだ。そして生きているうえで変化は避けられないものだ。それにそれは「過去の自分」の終わりであると同時に「新しい自分」の始まりなのである。あなたはまだ、菜食主義の自分を受け入れてくれるひとに出会ったことはないかもしれない。しかし、そんなひとは実際にはざらにいるのである。だからこそ、世界はこれほどに広いのだ。

「距離を置く」ことは「相互理解の放棄」ではない。ただ今は無理にどちらかに合わせることにこだわらず、「お互いがお互いの道を行く」ということだ。だからこそ私たちは多様な環境と文化のなかでそれぞれの発展を遂げて来られたとも言える。もし私たちの価値観がほぼ同じものでしかなかったら、世界はもっと単調で、つまらないものになっていただろう。また面白いことには、そのときは理解し合えなかったことが、ときが経って理解できることも多々あるのである。誰でも時間とともに変化するからだ。お互いが相手を責め合っているうちは見えないものも、距離を置いて離れたところに立つと見えてくるかもしれない。だから、「距離を置く」ことは「絶縁する」ことではないのだ。本当に相手を大切に想っているなら、

「離れたところから見守り続ける」

こともできるのである。そうすればいずれ、意外なほど近くに相手がいることに気付く日も来るだろう。そこから、また新たな関係が始まるのである。

自分が何者かを表現し、信念を貫くことには痛みも伴う。だが、相手を押し退けなければ自分の道を進めないわけではないのだ。いったんは離れるように見えても、深い縁は必ずまたつながる。確かにときにはそこで終わる縁もあるが、だからと言ってそれまで一緒にいた日々が無駄になるわけではない。新しい道の先には新しい出会いも待っている。だから、あなたもあなたの居場所を全力で探してみてほしい。そこにたどり着くまでにどれだけ時間がかかってもいい。ただ必ずあなたにもそんな場所がある。それは別のひとにとってはつらい場所に見えるかもしれない。だがむしろそうやってそれぞれの喜びの在りかたが違うからこそ、世界はこんなにも多様で美しいのである。あなたはあなたの道を行っていい。私は私の道を行く。あなたはあなたの道を行く。しかしもしかするとそれがいずれどこかで交わらないとも限らない。そんなことがあるから、生きるのはやめられないのである。