激動の時代でも混乱せずに生きる道。事実と感情と対処はすべて別々のものだ

夏は暑い。特に今年の夏はひときわ暑い。これは多くのひとが認める「事実」だろう。だが、だからと言って私たちは、この「暑い」という事実から「苦しみ」を生み出す必要はない。確かに「暑い」という事実は

苦しい。不快だ

といった苦しみにもつながりやすいとは言える。しかしそのとき私たちは、なにも手をこまねいて混乱に陥る必要はないのである。「暑い」という事実が「苦しい」という感情を生み出しそうになっているなら、あなたは水を飲めばいい。これが「対処」である。これはあまりにも素朴なことではあるが、実はこのような考えかたこそが、これからの時代を生きていくにあたって、決して軽んじることのできない意味を持っているのである。

私たちはいずれ必ず死を迎える。これは事実である。ただその事実をあまりに恐れてしまい、いつも苦しんでしまうひとがいる。これを緩和しようとして、そこから目を背けることを「逃避」と言う。

確かに過去のひとびとはみんな死んだが、私だけは死なない

などと言ってみても空虚なだけだ。それは苦しみの根本的な解決にはならない。

しかし、私たちに「事実」を変えることはできない。だとすると、私たちにできるのは自分の「感情」に向き合って、「対処」することに尽きるとわかる。なぜ、今死ぬのが怖いのだろう? それは多くの場合、自分の人生に満足していないからだ。だから、今死ぬと不満が残り、後悔するとわかっている。そこから「苦しみ」が生まれる。ならばあなたはただ、自分が満足できるような人生を歩むことに全力を尽くせばいい。あるいはあなたは、死後の世界についてなにも知らないから怖いのかもしれない。ならば知ろうとすればいい。いくらでも情報は入ってくる。それを自分なりに検証し、吟味していけば、少しは苦しみを和らげることもできるはずだ。または

死んだあとのことなどわかるはずもない。そのときはそのとき考えよう

と開き直ってしまってもいいのだ。それができれば、あなたの不安は解消されるのである。

暑いなら水を飲む。疲れたら休む。人生に不満があるなら生きかたを変える。これらはすべて「事実」と「対処」である。そして、事実に対する対処が適切であれば、私たちは苦しまずに生きていくことができるのだ。ここでもうひとつ重要なことは

「自分の感情を否定しない」

ということだ。

これしきの暑さで苦しんではいけない

仕事があるだけ恵まれてるじゃないか。弱音を吐くわけにはいかない

などと言って、自分の感情を否定してみたところで、そんな無理はいずれ破綻する。だから、

暑い。あまりに暑い。参ったな〜

仕事がつらい。まったく楽しくない。もう嫌になる

などと思うこと自体は恥ずべきことではないのだ。大切なのはそこから、

少し水を飲んで休むか

この仕事でしか生きられないのだろうか?別の生きかたもあるはずだ。自分の好きなことはなんだろう?

などと具体的に「対処」することなのだ。「苦しみ」はひとつの重要な「サイン」である。しかしそこでただ苦しみに流されてしまっては、状況はますます複雑化し混乱するだけである。そしてそのことが、新たな苦しみをも生み出してしまう。だからこそ、私たちは事実から目を背けず、感情を否定せずに、ただ適切に対処することに全力を注ぐことを考えるのが大切なのである。

これから、世界はますます動乱の時代に入っていく。社会は変動し、混乱し、大きく揺れ動きながら、私たちに「選択」を迫ってくるだろう。もちろんいつどんなことが起こるかはわからない。しかし大きな流れとしては、これはほぼ動きようのない「事実」だ。だからこそ大切なのは、その事実から眼を背けて、いつまでも自分だけは安泰だと思い込んだり、来るべき変動に恐れをなして、常に不安と苦しみに支配されたりしてしまうことなく、ただ自分がどうしたいのかを真剣に考えることだ。それができていれば、私たちはどんな未来が来ようとも生き抜いていけるだろう。あるいは、本当に真実を理解してしまえば、死すら怖いものではないのである。そう言う私もまだまだやりたいことがあるので、今日明日に死んでしまえば残念ではある。だが、いずれは誰しも死ぬのだし、生きている限りやりたいことがなくなるということはないだろう。ならば、今生でやり残したことは、また来世以降でやればいい。私は今になって、やっとそのくらいの気持ちは持てるようになってきたのである。死ぬときは死ぬ。ただ、生きている限りはそれを愉しむ。そんなひとは、死んでからもなお楽しく生きるのである。私は自分もそんなひとになりたいし、あなたにもそうあってほしいと願っている。そしたらもしかすると、私たちは死後の世界でも再会できるかもしれない。そのときは、大いにまた語り合おう。そしてそんな日を楽しみにしつつ、お互いが楽しんで生きていけたなら、私にはもう、なにも望むことなどないのである。