悪夢の原因。世界に喜びが満ちたとき、私の見る夢も大きく変わってくれるかもしれない

あなたは、昨夜の夢を憶えているだろうか?

いい夢だった

というひとや、

嫌な夢だった

というひと、あるいは

夢は見ていない

というひともいるかもしれない。この「夢」というのはとても不思議な現象で、なぜ夢を見るのかについての決定的な説明は未だに見出されていないというのが現状だ。

私も複数の医師に意見を訊いたことがあるが、いずれも

実際のところは、よくわからないんですよね

と言っていた。ただ、それはもしかしたら

「記憶の整理」なのではないか?

「深層心理の現れ」なのではないか?

とか、様々な推測はされていて、どうやら誰でも必ず夢を見てはいるらしいとも言われている。つまり、あなたが

私は夢を見なかった

と言うのは思い違いで、正確には

「思い出せない」

ということであり、本当は毎晩あなたも、なんらかの夢を見ているのである。

私には幼少期から

いい夢を見た

という記憶がほとんどなかった。鮮明に悪夢を憶えていることもあったし、夢の内容を詳しくは憶えていなかったときでも、なにかどんよりとした不快な感覚が残っていて、それがとても嫌だった。だが、暖かい寝床に入ってからだを伸ばして横になることそのものは好きだった。だから、私にとって「眠る」という行為は、からだを休めるのに欠かせない、心地良いものであると同時に、自分の心に望まない爪痕を残す、不愉快なものでもあるという相反する側面を持っていたのである。

そこで私は自分で「夢」について調べることにしたのだが、結局当時も有力だったのは、

「記憶の整理」や「深層心理の現れ」

というものだった。とすると私が嫌な夢を見るのは、心のなかに鬱屈した想いがあり、それが晴れないまま常に存在しているからだということになってしまう。しかし、どんなに愉しい1日を過ごしたはずの夜でも、相変わらず悪夢が私を苦しめることが多かったのである。

さらに私はそのうち、「正夢」や「予知夢」という概念に行き当たった。これが正しいとすると、私が見ている悪夢はいずれなんらかのかたちで実現し、私に実際の苦しみを与えるということになる。こんなことを信じていては毎日がさらに憂鬱になってしまう。実際、この可能性に想いを巡らすと私は非常に落ち込んだ気分になっていた。だが、結局はどんな説も「事実」ではなくひとつの「可能性」に過ぎないという結論を出した私は、それ以降嫌な夢を見る度に、

これは逆夢だ。嫌な経験は夢で終わらせて、現実を楽しめばいいんだ

といつも自分に言い聴かせるようにしたのである。しかし、それでもやはり夢に対する複雑な想いはいつもどこかに残っていた。

そして私は、霊存在と関わるようになった。毎日が混乱し、いのちの危険すら感じるような状況のなかで、夢が楽しいものになるはずもない。なんとか生き延びてこの状況を理解しようと思う反面、今までずっと悪夢を見てきたのはこのためであり、

私はきっとこの日々のなかで殺されるのだ

と思う気持ちもあったのが事実だった。だがそこでいつしか私は自身の守護霊や師と出会うことができ、なんとか自らの身の処しかたを学ぶことができたのである。人生のすべてが学びであり、偶然などないことを認めたとしても、やはり私にとっては、これは無上の幸運だとしか言いようがないものだった。そのおかげで、私の悪夢は現実化せずに済んだのだから。

そして私はある日、師にこう尋ねてみた。

夢とはなんなのでしょう?

すると師はこう言ったのである。

夢は、起きているときに自分が生み出した想念と、他者から与えられた想念を、圧縮しまとめられて見せられているものだと言える。だから、悪い夢の原因が自分だけにあるというわけでもない。殺伐とした、悩みの多いところや集団、あるいは社会のなかにいると、悪い夢を見ることが多くなるのも自然なことなんだよ。だから、嫌な夢を見ることが多いということは、それだけ社会が病んでいるということなんだ

私はこの言葉に衝撃を受けると同時に、確かに救われもした。つまり、私がずっと夢に苦しめられてきたのは、必ずしも私の個人的な深層心理や未来に問題があるということではなく、もっと全体的な要素に原因があったということだからである。

実際、

昨日いい夢を見たよ〜

なんて話を聴いたことはほとんどないし、現代社会には常に閉塞感と不安が渦巻き、殺伐とした競争原理のなかに放り込まれながら、心を病むひとは増え続けている。こうした現状を思えば、私が悪夢を見続けてきたのも、むしろ自然なこととして納得できたのである。

しかし、私個人というよりも、社会全体に原因があるとするなら、それは言うまでもなく問題がより深刻であることを意味する。だから私にとって、夢の持つ意味はますます大きくなった。そしてある意味では夢に感謝さえするようになった。なぜなら悪夢を見ることによって、

「社会が未だに病んでいる」

という現実から、眼を背けないでいられるからである。

私は、今でも相変わらず悪夢を見続けている。だが、もしかしたら幼少期よりは少しでもその頻度は減ってきているような気もする。それは単に私の記憶力が落ちたせいなのかもしれないが、実際に私を理解してくれる方々が現れ、自分の生きかたも変化したことによって、日々喜びを感じられる時間が増えてきたこととも、決して無関係ではないだろう。そして私は、今日も昔と同じように

これは逆夢だ。嫌な経験は夢で終わらせて、現実を楽しめばいいんだ

と言い続けている。ただ、今では

どんな過去や想念があろうと、未来はここから生まれるものだ

と付け加えてもいる。そしていずれ世界に喜びが満ちたとき、私の見る夢も大きく変わってくれるかもしれない。そしたら私はやっと穏やかに床に就けるようになるだろう。それが今の私の「夢」である。それはいずれきっと実現すると信じている。だから私はそんな日が来るのを、心から楽しみにしているのである。