死を過度に恐れる肉体人と、生まれ変わりを頑強に拒む霊存在は、表裏一体の関係にある

あなたは、死ぬのが怖いだろうか?もし怖いとしたら、その理由はなんだろう?現代人の多くは「若さ」と「高い能力」を追い求め、その逆の「老い」や「病」を忌避している。そうするとそのひとつの究極点にあるのが「死」であり、昔から「不老不死」を願うひとびとが一定数出てくるのもずっと変わらない流れであるように見える。

一方で、霊存在のなかにも、再び生まれ変わって肉体人となることを頑強に拒む方々がいる。肉体を持って生きることを恐れ、蔑み、霊存在として今のままで永遠に生きることを望んだりするのである。この両者は立場こそ違いがあるが、根底にある想いは共通していると言える。なぜ、死を過度に恐れてしまうのか?なぜ、生まれ変わることを頑なに拒んでしまうのか? その根底には明らかに、彼らの「無知」が影響しているのである。

私たちは、知らないものや得体の知れないものを正しく評価することができない。知らないから、相手がどういった行動を採るかが予測できず、自分がどう対処すればいいかもわからない。だから、他者を頼ることになるのだが、現代文明では未だに「死」について統一的な見解を出せずにいる。しばしばメディアに登場するような科学者の主流派は、「死ねば無に帰す」という立場を採るが、死後の世界や霊存在の実在を示唆するような体験は探せばいくらでもあり、「心霊番組」は定期的に特集される。さらに、世界的に見てもまったくの「無神論者」はむしろ少数派である。だから、私たちの「死」に対する理解は深まらないどころかますます混乱し、潜在的な恐怖を増幅させているのだ。

一方で、生まれ変わりを拒む霊存在たちもまた、「生きること」を恐れている。今まで積み上げてきた経験をすべて棄て去り、また新たに人生を始めることを恐怖に感じるのである。彼らは肉体界を「低俗で、破壊的な、争いの多い世界」であると捉え、そこに行けば自分も傷つき、苦しんでしまうと思い込んでいる。だから、そんな世界にわざわざ生まれ変わるような存在は、よっぽどの奇人か、あるいはそんな苦しみを受けさせられるほど業の深い劣った存在だと見なしたり、あからさまに蔑んだりするのである。

だが、実際には霊界にも肉体界にも、苦しみや苦労だけではない、喜びや楽しみがたくさんある。楽しく人生を生き抜いた方々は霊界でも楽しく生活しているし、かつての仲間や友達と再会したり、共通の喜びを持つ方々と新たに出逢ったりしながら、生き生きと暮らしている。私たちのいる肉体界も、決して毎日が楽しいことばかりでないのも事実だ。しかしそのなかでも日々いろいろな喜びを感じ、縁のあるひとたちとともに、笑って生きている方々もたくさんいる。そうして、自分とは違う考えかたや生きかたに影響を受けながら、自分にとっての喜びを見出し、自身に体験を蓄積させて成長していくことができる、とても貴重な時間であるとも言える。

こうしたことに真摯に眼を向けることができれば、死や生まれ変わりに対する過剰な恐怖は薄れ、やがては消えていくのである。逆に言えば、現代人の大きな不幸のひとつは、こうした教育がまともに為されないままに生き、誤った観念と無知のなかで生きていることにあるのである。

そして、死を恐れる肉体人も、生まれ変わりを恐れる霊存在も、根本的にはともに「変化」を恐れているとも言える。だから、新しい世界に飛び込むことに不安を感じ、それを喜びと見なすことを受け入れられない。だが、まったく変化のない世界こそがむしろ苦しみを生み出すことに気付いてほしい。もし不老不死が実現してしまったら?もし生まれ変わりがなく、人生が1度きりで、死んだら永遠に霊界で存在し続けなければいけないとしたら?私たちはそのときこそ本当に、自分自身の「限界」を超えられなくなってしまうのである。違う環境で、違う肉体に宿り、新たな視点から見ることがそれまでになかった「体験」を生み出し、自身を成長させ、他者に対する理解と愛を深めることになる。それがなければ、私たちはある一定の範囲で頭打ちになってしまうのである。

だからと言って、

気に入らない人生なら早く死んでやり直そう

死んだらすぐにまた生まれ変わらないといけない

などと思うのは誤りである。だが、少なくとも死も生まれ変わりも

悪くないものだ

ということだけは言えるのである。私の人生は決して順風満帆ではないし、霊媒師になってしまった(後に、意識的に選び取って続けた)ことも含め、安易にひとに勧められるようなものではない。私が味わった苦しみを、未来の誰かがまた経験するようなことがないようにしたいと強く思っている。だが、そんな私でも今振り返って総括すると、生きていることが楽しいと感じられているのである。だから、私も今日明日に死にたくはない。できることならまだしばらくはこの生を継続して、自分にできることをしていきながら、人生の景色を楽しんでいきたいと思っている。だが、それがいつどんなかたちであるにせよ、いずれ必ず私にも死が訪れる。そのときまったく悔いがないということはないだろうが、それならそれで受け入れて、いちど向こうでゆっくり休んでから、また次の生を歩んでみようとは思っているのである。

死ぬのがもったいなくなるくらい人生を楽しめるならそれは素晴らしいことだ。しかし、死んだからといってすべてが終わるわけでは決してない。そのときはまたあなたのそのかけがえのない経験を次に活かし、より喜びの大きな世界を作ってほしい。そうすれば、この世界に生まれ変わる私たちを蔑んでいた霊たちも、その考えかたを変えるときが来るだろう。霊界と肉体界に上下関係などない。ただ、それぞれの世界にそれぞれの学びと喜びがあるだけなのだ。そして世界は無限に変化を続け、喜びを深めていく。その本来の在りかたに立ち返れば、この世界こそが天国になる。私たちが真実に気付き、手を取り合えば、そんな世界が実現するのも決して、夢物語ではないのである。